別役実という劇作家とは?1937年生まれ。今年、70歳である。
現役の劇作家として活躍しており、今も別役戯曲は、数多く上演されている。
「別役実のコント教室」という本が白水社から出ており、
これは、コントを考える上で非常に参考になる。
ディレクターであり、劇作・演出家である山内建二氏が
絶賛していたオススメ本。
で、今回は、文学座がこの別役実の戯曲に挑戦した。
新作をベテラン俳優とベテラン演出家が、
旧作を若手俳優と、若手演出家が交互に上演する。
という二本立てのカタチをとった公演である。
新作の「犬が西向きゃ尾は東」は、
いつもの別役実の舞台のように電信柱が
舞台のやや下手側にポツンと立っている。
別役実が敬愛する、サミュエルベケットの
「ゴドーを待ちながら」を彷彿とさせる。
この電柱のあたりに年老いたホームレスと思われる面々が集まってくる。
小林勝也、角野卓造、田村勝彦、吉野佳子、倉野章子の面々。
彼らは、どこか飄々として世間離れをしている。
また、いいかげんなことを言って、コミュニケーションがずれたり、
思いもかけない言葉で爆笑を惹き起こす。
特に、角野卓造の間合いと喋り方がいい。
これこそコントであり、オカシミを誘うというのはこういうことだと
いうことを見せ付けられる。本人は無意識に行っているだろうが、
その間合いが絶妙ということだけで、奇妙な笑いを誘い出すのである。
そして、何故か、最後はじいいんわりとした滋味のようなものが
溢れ出して来てこの舞台は終了する。
若手演出家と若手俳優の旧作公演は「数字で書かれた物語」。
1974年に初演が行われたらしい。
30年以上前のことである。時代は戦前、昭和初期の話である。
奇妙なカルト教団が本当にあったのだろうか?
彼らの珍妙な行為が舞台上で繰り広げられる。
淡々と進む舞台の奇妙さに、会場は爆笑の渦であった。
笑いをとるということが、この公演の主眼ではもちろんないわけだが、
こちらの公演の方が爆笑回数も爆笑音量も多かった。
ここで描かれるのは教団内の信者たちの全体主義である。
みんなで楽しむなり何かをする、
ということが主眼になっていて、
全員が同じように楽しんでいるのではないということから、
コミュニケーションに奇妙なズレが起こって笑いを誘うのである。
別役実はこのズレの感覚を書き続けているのだろうか?
50年近くも!
全員が食事をするシーンがあるのだが、
一人がお漬物を食べないので、それを「じゃあ」と食べた人たちが、
では、お漬物を食べた人は、お漬物を食べない人に海苔を1枚あげなさい
と教祖のような人が言うことによって混乱が起きてくるシーンは、
あまりのバカバカしさに会場は笑いでうねった。
しかし、別役戯曲は三谷幸喜のように「笑いっぱなし」
で突き進んでいくことをしない。
どこか凛として冷めた部分が表出するのである。
人生の小市民のそれでもどっこい生きているのだというような
たくましさから醸し出される滋味とでもいったらいいのだろうか?
それを感じるためには
文学座のアトリエくらいのスペースが丁度いいのだろう。