本書の基本に流れているものは単純である。
官僚からの情報を、メディア担当者たちは全面的に受け入れ
そのままの情報をまるでスルーパスするようにメディアに掲載する。
それ以外の、情報収集をしているような記者はほとんどいない。
官僚は情報を発信する際に、情報を整理し
自分たちの都合のいいような言い方で提示する。
当然といえば当然である。
公の場に自分たちに都合の悪いことや不利になることを
わざわざ言うものは少ないだろう。
著者の魚住昭は一貫して言い続ける。
官僚の発信を全面的に受け容れることによって
大きな情報操作が行われており、
そのことは国民にとっては危険きわまりないことである、と。
記者たち自らが自分たちの目と足と、勘を頼りにして独自の取材をし、
それをきちんと公表できるシステムが必要であり、
そのシステムをきちんと生かせる
組織にしていかなければならないということ。
これらのことを具体的な事例を挙げながら展開している。
その中で興味深かったのが耐震偽装の問題である。
本書を読んでいると、耐震偽装は姉歯建築士の
個人犯罪でしか過ぎなかったことが語られる。
木村建設やヒューザーは、姉歯の犯罪行為にたまたま巻き込まれてしまった、
ある意味では被害者でもある。
しかし、検察は彼らを捕まえ法廷にかけ有罪へ導く。
彼らはスケープゴートになったのか?
耐震偽装のチェックシステムがきちんと機能していなく、
そのためにこの偽装が発覚するのが7年も遅れてしまっていた。
その機能が働いていれば、ここまで耐震偽装が拡がらなかっただろう。
しかし、起こってしまった。
そして、その監査を含めた監督官庁は国土交通省である。
彼らは個人では責任をとらない。
そのためには、この事件に対するスケープゴートが必要になる。
この耐震偽装が元請け、下請け、建築士との間で
取り交わされた密約があり、組織的な犯行であったという
報道が流れることにより世論は、姉歯だけだはなく、
木村建設、ヒューザーがさらに悪者へと転化していくことを官僚は狙った。
そして、そういった情報をメディアに提示し続けた。
鵜呑みにした記者クラブの記者たちは、
それをそのまま掲載する。
メディアに触れた僕たちは、これは組織ぐるみだろうと思うようになり、
姉歯は木村建設やヒューザーに強制され、
仕方なくやったと思うようになるだろう。
世論とはそういうところがある。
しかし、事実は違っていたらしい。
僕たちは、最終的な事実をメディアから知らされることは少ない。
最近、ますますこのような報道が増えてきているような気がする。
誰か悪者を仕立てて徹底攻撃する。
その本質を周知させることなく世論が雰囲気だけで動かされるのである。
最近の、日本の報道記事は謝罪会見でお辞儀をしている写真ばかりである。