太宰治作品をモチーフにした演劇 第4回。とある。
太宰治は三鷹市の玉川上水で入水自殺をした。
太宰治の墓が三鷹市、禅林寺にあり、
毎年6月19日の「桜桃忌」には多くの参拝客が訪れるらしい。
三鷹芸術文化センター星のホールは、
ポツドールにしては大きな劇場である。
しかも平日だと駅から遠いこともありなかなか到達するのが困難でもある。
客席は8割くらいの入りだった。
三浦大輔の描く「人間失格」だから、
どうしようもない面々が出てくるに違いないだろうという確信はあった。
どうしようもなく情けない人間、どうしようもなくえげつない人間。
今回の舞台で最も興味をひいたのはここである。
人間の二面性をこうやって表現するのかと感心した。
(以下ネタバレ含む)
どうしようもない一人暮らしの男の部屋が舞台である。
上手に14インチのテレビがあり、
下手にはベッドマットが畳に直に置かれた寝床がある。
テレビの横にはコタツ台がちゃぶ台代わりに置かれており、
その上はコンビニの袋などが散乱している。
三浦大輔ほど、携帯電話の使い方がうまい演出家がいるだろうか?
ありとあらゆるカタチで使われている。
携帯からテレクラサービスに電話する男。
そこで激しいテレフォンセックスが行われるところから、この舞台は始まる。
そして、様々な人々から電話が入りこの男は翻弄されていく。
固定電話も置いてあり、固定電話と携帯電話の使い分けも見事である。
決して他人事ではない行為が、すぐそこで行なわれている。
それを僕たちは観客として覗き見をしているのである。
この覗き見構造こそがポツドールの魅力。
本当にそこで起きているようなことを三浦大輔は、
丁寧に作りこむ。
フィクションに見えないフィクションを眼前に
提示することの強さがここに現れている。
三浦大輔は人間の二面性を表出させるために
今回の舞台では面白い工夫をした。
そう、いったんどうしようもなく情けない男が、
ほぼ全ての金を失って、友人は去っていくというところで
終わったのかと思ったら、
一度、時間が戻って、数時間前の状況に戻されるのである。
まるで結末の違うロールプレイングゲームのような?
そこから今度はどうしようもない男の
暴力的な欲望が描かれる。
暗い照明の中その行為が行なわれる。
役者に対する負荷は過大である。
ものすごい音の洪水の中、暴力と欲望の世界と化した
アパートの1室は混沌としていく。
ああ、人間ってなにかをきっかけにこういった
二面性のどちらかが出てくるよなあと深く納得した。
ラストシーンは、最近の三浦の変化を象徴的に表しているシーンである。
朝のかすかな希望を垣間見せる。
「愛の渦」以降の三浦は変わった。
そのことは、このラストシーンにも踏襲されている。
唯一、気になったのが、母親の声というか喋り方?
母親役の役者は、実は若いんじゃないだろうか?
そこの部分がとっても気になった。
息子を心配しいたわる母親は、ああいった話し方をするのか?
それとも単に声の年齢が電話を通した声であっても
違和感をもってしまったからなのか?
どうだろう?どうなの?