シェイクスピアの原作のことを知らないまま見た。
ネットで調べてみるとほぼ原作に忠実で
それを昔の日本に置き換えてある。
同じくシェイクスピアで「間違いの喜劇」というのがあるが、
この原作を翻案した「間違いの狂言」を数年前に見た。
野村萬歳が演じるそれもまた素晴らしい舞台だった。
これらのシェイクスピア劇に共通したものがある。
取り違えというのか勘違いというのか?
双子が出てきて、誰が誰やらわからなくなるという
シチュエーションから笑いが起きる。
今回の十二夜で一番気になったのは
一卵性双生児の男女というのがいるのか?ということだった。
調べると、今までに何組かの例があるらしく
人間の多様さと不思議さを感じた。
そしてこの舞台では、男女の一卵性双生児が性別を隔てた
演技をやるというところが面白い。
もともと歌舞伎は男衆だけが演じるもの、
尾上菊之助が女形として、姫の代わりでありながらも
変装した若侍を演じるという、
ほんまに何がなんやらわからない構造の中に入っていくのである。
舞台のオープニングで緞帳が下手から上手に引かれると、
舞台一面に鏡が仕立てられている。
観客は自分たちの姿をまるで合わせ鏡のようにみる。
舞台の中にもう一人の自分がまるで一卵性双生児のように存在する。
このミラーは電気を通ずると素通しになって奥が透けて見えるミラーである。
最近の現代劇でときどき使用されている。
歌舞伎の世界でこのような素材を舞台美術で使用するということは
画期的なことなのだろうか?装置は金井勇一郎が手がけている。
ミラーが透けると、大きな桜が舞台にドーンと立っており、
桜の花びらが舞い散る中、緋毛氈の上で雅楽の演じてたちが演奏をし、
隠れキリシタンのような衣裳をつけた子供たちが歌を歌う。
豪華でケレン味があるシーンである。
歌舞伎にはこのようなケレン味のあるシーンが随所に登場する。
観客はそれを見て、凄いいいと思い、我を忘れ、
観劇後口々に話題にするのだろう。
まったくの非日常的な空間がそこに存在する。
ミラーが何層にもあることによって舞台にあるセットや小道具が
二重にも三重にも増幅して見えてくる。
そのことがさらに絢爛豪華さを倍化させている。
物語は単純明快、歌舞伎なので1シーン1シーンがシンプルで、
登場してくるというだけで時間がかかる。
そこで行われていることはひとつのこと。
それを時間をかけて、まるで野球の1試合だけで
何話も続く連載漫画のような感覚とでも言ったらいのだろうか?
船の難破シーンや太鼓橋に水仙が咲き乱れている
シーンの舞台造形は圧巻だった。
それに絢爛豪華な衣裳があいまって。ええもん見せてもらいましたわあ!
という4時間15分だった。
惜しむらくは、舞台のテンポである。
野田秀樹が演出した歌舞伎「研辰の討たれ」のスピード感が忘れられない。