唐十郎作。唐十郎の初演は1982年の本多劇場。
千葉駅を降りて北口から千葉公園へ向かう。
そごうのある側と違って人通りも少なく、車もビルさえも少ない。
高層のマンションなどもなく空がどことなく広い印象。
千葉公園の入口は木々が生い茂りうっそうとしている。
左手には神社がある。ここは、千葉の戦没者を祀った神社らしい。
うっそうとした森の中を抜け、階段を上がると
広い空き地のような場所にでる。
空き地の真ん中にやぐらが組まれている。
ここが三条会屋外劇場。
早く着きすぎた(当日券)のでその辺りをうろうろする。
何もない。
ラーメン屋とローソンとマツキヨとつるかめランドという
スーパーがひっそりと佇んでいる。
地方都市にロケに来たような感覚である。
この公園での野外公演は昨年に引き続き二度目。
三条会の代表の関美能留は千葉大学出身。
千葉にアトリエがあり、ずーっとここで活動している。
通常の小劇団とは環境が違うだけあって、
三条会自体も独特である。
この時代に大仰な台詞回しを大声でがなりたてる。
大音量で音楽が流れ、それに負けないように役者は叫ぶ。
先日、新・転位21の舞台を見たときにも同じような演じ方だった。
役者が大声で叫びながら台詞を読む。
しかし、三条会はそれとは全く異質のもの。
唐組芝居とも違う何かがここにはある。
1970年代のアングラ劇にも似た猥雑さみたいなものが
三条会的に処理されているのが
ここの劇団の面白いところではないだろうか?
本作は、唐十郎脚本らしく、
台詞がとめどなく溢れ出し、まるで言葉の花園のようである。
日暮里で暮らす女と男の物語。
男と妹との微妙な関係が、淫靡な世界を作ろうとしていく。
しかし、三条会はそれを拒否するような舞台を提示する。
役者の肉体をとことんまで追い詰め、
その中から出てくるものを見せられる。
例えば、一葉(いちよ)役の大川潤子が
片足立ちで延々と台詞を喋るシーンがある。
そのとき、彼女は常に片足を上げた状態である。
また、この舞台は観客席のほうに前傾している。
よって役者が舞台の前方に来て止まる場合、
ものすごく負荷がかかる止まり方になる。
最前列で見ていた僕は、舞台から観客席に落ちるんじゃないかという感覚になり、
緊張しながら舞台を見続けるのである。
(以下、ネタバレ)
何故か、おせんべいとお茶が、途中でおもむろに配られ、
その後、舞台はさらに緊張感が増幅する。
野外ならではの本水の使用である。
舞台には光沢のあるマットが全面に敷かれている。
この舞台に水が入ることにより、
マットの摩擦係数は限りなくゼロに近づく。
そのとき舞台上の役者にどのようなことが起こるのか、
役者は水の入った舞台を滑りながら台詞を叫ぶ。
なんじゃこりゃああああ!と思いながらも
役者が観客席に落ちてこないかと緊張はピークに達する。
実際、千賀役の山下真樹は舞台から客席に落下した。
彼女の「大丈夫?」という声は決して台詞ではないだろう。
その現場に居合わせせることが
三条会を見るということなのだろう。
雨の日に来たら良かったと思った。