松井周がまた、やった。これは、いったい。
様々なエピソードから現代社会があぶりだされる。
あぶりだされる事実を想像して僕たちは
負の感情を持ったり恐ろしくなったりする。
しかし、これらのことは確実に世界に世間に存在しており、
そこから目をそらすことは出来ない。
その現実を凝視した中から生まれてくる何かを
必死に模索し続けているような印象がサンプルの舞台にはある。
渡辺香奈の舞台挨拶からこの芝居は始まる。
カーテンコールのシーンである。
しかし、そのことは彼女の幻想なのか実際なのかがわからなくなる。
彼女が舞台の床にチョークのようなもので線を描いていく。
その線だけで舞台の構造が規定される。
子供の頃にやっていた陣取りゲームの延長線のようである。
線の中と外では違う世界があるのかもしれないと思い。
同一線上の出来事はつながっていると思う。
この僕たち観客の想像力とは何だろう。
勝手に解釈してしまう。
解釈したり理解したりしながら
舞台を読み解く感覚は観客の想像力に頼るしかなく、
そこに依拠した舞台ほど面白いものが多いような気がする。
そういう意味では、サンプルの作品は、
想像力におもねるところが多大にあり、
観客冥利に尽きる作品と言えるだろう。
それは、これまで見た三作のどれにも言えることであった。
松井周はどこかいかがわしい世界を描き続けている。
彼が描き続けているのは
現代社会に於いて、一見、普通な世界の中にある奇妙な世界である。
今回も老人介護のこと。飼い猫が殺されること。
路上で唄を歌うストリートミュージシャン。独特の性的な感覚。
それらの要素が一体となってうねり出す。
辻美奈子演じる役が他人事ではなく恐ろしい。
義理の母親が寝たきりであり介護施設に預けておき、
時々、義務のように見舞いに行く。
夫と共働きで子供がいない夫婦は、毎日忙しくしており、
時々ナイターで舞浜のテーマパークなどに行ったりしている。
嫌なもの面倒なものは誰かに頼もうという意思がこの夫婦のベースにある。
それは虚無で乾いた人間関係を加速させる。
寝たきりの母親は介護病院に預けっぱなし。
母親は、その暴飲以外に受け入れてくれるところがない。
必然として、その現場での医療がおざなりになってしまう。
その母親が誘拐される。
誘拐犯からの電話を家で待ち続けなければならない状況になるが、
刑事さんに家の鍵を渡し、待つことを変わってもらう。
刑事さんの母親がまかないをしに日参してくれる。
飼い猫がいなくなったのを最初は探していたのだが、
途中から刑事さんに頼むことになる。
そうして結局、殺された飼い猫の捜索はあきらめ、
デパートに新しい猫を飼いに行くのを
これまた刑事さんにお願いするのである。
彼女って一体???
しかし、これらの事項が、他人事じゃないことに気づく。
結局、汚いことや面倒くさいことを誰かにやらせている。
そのことを僕たちは、忘れてしまっているのかもしれない。
コムスンは、このまま破綻していくのだろうか?
公演前に、三鷹市芸術文化センターの
プロデューサーである森元さんに面白いものを見せてもらった。
楽屋に貼ってあるらしい、森元さんオススメの美味しい店、
打ち上げげ出来るお店MAP。
地元の人らしい珍しい店が満載。
今度、フリーペーパー「プチクリ」で
劇場近くの美味しい店特集第二弾の際には
是非とも取り上げさせていただきたいような貴重なMAPだった。