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これもまた、ある講座で宿題となった舞台レビューの続編である。 ある講座とは、世田谷パブリックシアター主催の 「舞台芸術のクリティック」という講座である。 「G-14」これが、僕が最初に座った座席だった。 チケットに明確に記載されている番号である。 前から7列目。やや上手よりの座席。 簡単な椅子に座布団が敷かれている。座り心地は悪くない。 しかし、舞台がどうも見にくいなあと感じていた。 前に座っているお客さんの頭が視界の下3分の1を占める。 でも舞台自体も三階建てのような構造なので、 どうなることやらと思っていた。 しかし、ここの座席だけ明らかに段差が低い。 何故、世田谷パブリックシアターはこのような客席構造にしたのだろう? などと考えながら舞台は始まった。 象徴的に立ちすくむ三階あたりに居る男と、 客席のすぐ前のベッドルームの対比された画からこの舞台は始まった。 そのオープニング自体は、美しく印象的なものだった。 でも、やはり、どうしても舞台前方が見えない。見えにくい。 見るためには、身体を半身のようにして、 前のお客さんの頭と頭の隙間から覗き見るような形になる。 このような見方を松本修は本当に望んでいたのだろうか? どうにも、一部しか見えないことによって舞台に集中できない。 その中でいくつか印象的なシーンがあった。 大きな扉。 その扉は透過式になっていて、奥があかるくなると、 蚊帳のような状態になって薄っすらと見えてくる。 また、銀行のシーンも印象的。 僕の席からだと、もっとも見えにくい前方中央に 主人公である男ヨーゼフKのデスクがある。 その奥に、多数の机と椅子が置かれ、 1900年代初頭の洋服に身を包んだ銀行員と見える、 男女はまるで機械のように働いている。 その姿や動きが面白い。 効果音をミックスして、まるで音楽のようにした音に合わせて 役者たちが奇妙な動きをする。 井出茂太の振付になる、その動きは、何人ずつかが別々の動きをしながらも 統一性のある動きとなっている。 「失踪者」との大きな違いは出演者の動きが、 やや少なく抑えられているということである。 また、この舞台は「失踪者」の時とは客席と舞台が逆の構造になっている。 劇場入口から入ったところが客席で、 奥が舞台という、従来のシアタートラムの劇構造と同じような舞台になっている。 男:ヨーゼフKは、銀行員をしながら日曜日に「審判」を受けるということを強制される。 何故、このようなことになったのかは明らかにされない。 少なくとも舞台上では理由はまったくわからない 。しかし、こういった不条理に巻き込まれること自体カフカのでは普通のことだと思い、 疑問をもったりはしない。 ちなみに僕は原作を読んでいない。 舞台は暗転して、客席が明るくなる。途中休憩である。 客席案内係の方に、相談する。 「あのーっ、あまりにも舞台が見えないので 後ろの方に空いている客席があるので、席を移ってもいいですか?」 「えー、ちょっとわからないんですが。」 「いやっ、あなたも見てみるといいですよ、 この列の座席に座っている人はみんな見えにくいですよ。 松本さんは、どう思うのでしょうか?」 松本さんは関係ないだろうと思いながら、 思わずこのような言葉遣いになってしまった。 暫くして、別の客席係の方が来て、 後ろの席はチケットが売れているのでお客さんが来なくても移れない。 同じ列で真ん中よりの2席のみが空いているので ここへ移動するならいいですよと、言ってくれた。 「えー、同じ列だと、あんまり変わんないなあ」 と思いながらも、しぶしぶ承諾。 しかし翻ってもう一度、話してみる。 「ここの列の、観客の方たちはほとんど全ての方が見にくいと思いますよ。 階段に座布団を敷いて見る方がまだいいかもしれない。 そんなことは出来ないのでしょうか?」 と尋ねたが、断られた。 むべなるかな。しかたないので、あきらめて、トイレに行く。 トイレから帰ってきたら、何故か客席係の人が、 E-1,2の招待のお客さんが来なくなったので空いているということで、 そこに移ってくださいと言われた。 係りの方に、僕たちがそこに座ると後ろの方が また見えないことになるのではないか? そして、僕たちだけが移って見るということで果たしていいのか? という罪の意識にさいなまれることとなった。 ああ、僕がこのようなクレームを言ったばっかりに、すいません、すいません。 まるで舞台の神様が我々を「審判」しているようなことになってしまった。 お前は自分さえ良ければいいのか? 翻って、こういった客席構造にしたこと自体に問題はないのか、 劇場のマネジメント幹部はどうなっているのか? などといろいろなことが去来したが、見やすそうな席だったので、 やはり、罪の意識を持って移動することにした。 まるで、「優先座席」にお年寄りを押しのけて座るような気分である。 運命とはこのように不条理なものなのか? 突然、身に降りかかるもの。 まさに「審判」の世界が客席でも展開しているのか? 二幕が始まった。ものすごく舞台が見やすい。 全てがクリアに見え、そして見切れるところが一切ない。 ときどき門などが設置されて役者が見切れるが、 そのことによるストレスは全くない、舞台上にあるもので 見えないストレスはストレスにはならない。 観客席の観客が気になって座高をメイッパイ伸ばしながら見るスタイルを 保ち続けるよりどれだけいいかわからない。 二幕は、ヨーゼフKの空想の?シーンが多くなってくる。 エンディングのカテドラルのシーンが素晴らしい。 左右に配置されたステンドグラス。 蜀台にたくさんの蝋燭が灯されている。 階段が天井まで続いている。 ヨーゼフKは、最後の審判を受ける。 まるでキリストの処刑のシーンのようである。 階段の上で男は刺殺される。 天空から一条の光が差し込む。 刺殺シーンはそれが真似事とは言え、緊張感を誘うものなのだなと思った。 そこには身体を感じるエネルギーが充満していたからに違いない。 この身体を感じるエネルギーの違いが、 この2作品の違いの大きなところだろう。 「失踪者」は全編そのエネルギーに満ち溢れ、 「審判」はラストシーンのみに集約されている。 「審判」を「失踪者」のように完成させるのには まだまだ時間がかかるのだろうか?
by haruharuyama
| 2007-12-17 08:19
| 舞台
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