中国で知り合った演劇好きのIさんにチケットをとって頂いた。
Iさんは何年も中国で仕事をしていた。
中国へ渡る前は演劇関係の仕事をしており、
この日も関係者に話をしたり、見に来ている大人計画の役者と挨拶をしたりであった。
岩松了 作・演出。
音楽劇を岩松さんがやるなんて!びっくりである。
演奏はトリティックテヘダス。
こういう名前のグループなんだろうか?
音楽のことに詳しくないのでよく分からない。
最初ミュージカルなのかな?
と思っていたらあにはからんや、
ベニサンピットの奥の扉が開いてバンド登場!彼らが歌いだす。
まるでライブハウスの演奏を聴いているよう。
生の演奏の強さに鳥肌が立つ。
古澤裕介がナイフで殺されるシーンでいきなり演奏が始まる。
スタイリッシュな照明と音楽、そして時々入る、井出茂太の振付。
秋山奈津子の音楽に合わせた動きがシャープで気持ちいい。
そして北村一輝である。
彼のファンと思われる女性客が舞台最前列を占めている。
これだけ実験的な公演を1ヶ月近くできるのも
キャストの集客力あってのものだろう。
この舞台は万人向けというわけでは決してない。
アキ・カウリスマキの「マッチ工場の少女」に
インスパイヤされて作ったという話も聞いた。
でも、この映画を見ていない僕は
どこがどうインスパイヤされたものなのかわからなかった。
後でIさんに映画のワンシーンで
似たようなシーンがあったくらいだと伺う。
タクシー運転手である北村と謎の女、秋山奈津子、
そこに若者のカップルとして古澤と内田慈がからみ、
第三者的な存在として、田中圭がいる。
その5人だけの音楽劇。
ストーリーはどうだったのか覚えていないし、思い出せない。
そんなことはどうでも良かったのか?
ときどき岩松さんらしいコネタのギャグのような
クスッとさせられる台詞や仕草が出るのだが、
そのこと自体が舞台の根幹ではない。
では、この舞台はいったい何だったのか?
と問われると良くわからないのである。
わからないものを、わからないと言って何が悪い!
と開き直るつもりはないが、とにかく複雑。
「死」をめぐる断章とでも言ったらいいのだろうか?
最後は結局、誰が生きていて誰が死んでいるのか、
この世の話なのか、あの世の出来事なのか?
そのことは詳しくは説明されない、語られない。
音楽の詩の中で「傍にいて」というフレーズだけが残り、
都会的なメロディと寂しげな印象だけが風のように吹き抜けていった。
そう、この舞台はまるで風のようである。
新聞紙を吹き飛ばし、垂れ幕を揺らす風のような。