現代口語ミュージカルと副題にある。
潤色・演出の柴幸男は「歌わないミュージカル」と題して
チラシの裏に文章を書いている。
恥ずかしくないミュージカルを作ろうではないか。
音楽と芝居が融合し、音楽劇として成立している。
彼はその問題点がメロディにあるという仮説から
今回の舞台の演出を行った。
メロディのない音楽劇という発想。
それはこの時代だからこそ生まれ出たものなのかも知れない。
そして、柴幸男のこの大胆な発想は一つの成功をもたらした。
あるひとつの回答になっていた。
平田オリザの原作を大きく変えるようなことはしていない。
この戯曲自体がなかなかに面白いものであるだけに、
音楽が関与しなくても十分に楽しめる内容を持ったものなのである。
舞台の左右に大きなスピーカーがぶら下げられている。
ここからリズムボックスの音が流れてくる。
ときどき台詞や間にあわせて、繰り返し刻まれているリズムが速くなったり、
止ったりする。
それを意識的に聞かされるので僕たちは、
彼らが発している台詞があるリズムに合わせて発せられているのではないかと
錯覚したような状態になる。
突然の間も面白い。
会議の参加者の中に
五反田団からやってきた客演の俳優?山田が居る。
彼は一言も台詞を発しない。
彼の御前で会議が行われる。
何も言葉を発しない御前にときどき会議の出席者が質問する。
その時の「間」が印象に残る。
通常のリズムで刻まれた音が一瞬「素」になるからである。
こうやって、僕たちはリズムを心待ちにするようになる。
規則的なリズムに刻まれた中から発せられる言葉はまさに音楽である。
それが音楽であるということを認識出来るようになったことは
「HIP HOP」という音楽ジャンルが
生まれてきたことに起因する。
「HIP HOP」がない時代には
この演劇は果たして音楽劇と言えるのか?
とみなが思ってしまっても不思議ではない。
先日「トップランナー」でKREVAがどうやって
HIP HOPの音楽を作っていくのか、という下りが
まさに今回の舞台とシンクロした。
この音楽の作り方ってまさにこの舞台に似てる。
さらに脚本を再構成して韻を踏むところがあったりすると
さらに面白かったかなとも思った。
ドイツに視察に行った軍の幹部が、
その視察に際してアウトバーンでハリネズミが轢かれる
ということを先守防衛とからませて語るところは
まさにHIP HOPである。
俳優の河村竜也はマイクを持ってリズムに合わせて、歌うように喋り、喋るように歌う。
その気持ちよさはまさに音楽。
台詞が言葉として入ってこないことの方が
説得力を持ちえるという究極のカタチである。