先日、「実録・連合赤軍」を見て、
若松孝二って何てアバンギャルドでラディカルな監督なんだと思った。
随分前に、お土産でIさんから頂いたDVDを思い出す。
あの映画は、若松孝二監督だったのではと思って。
早速、見始める。
1967年に作られたとは思えない、実験的な映画である。
この映画自体57分の小品である。
若松孝二がシカゴで起きた小さな新聞記事を読んで、
それに触発されてこの映画を作ったらしい。
ある若者が女子寮に入って銃で一人の女性を残して、
皆殺しにしたという記事である。
別の映画を撮影していた若松監督は、
その映画の撮影後、唐十郎(状況劇場)と女優たちを3日間だけ拘束して
撮影しきったのだそうである。
ある実験作品としてこの映画を作ったそうだ。
自分のプロダクションだったからこそ出来ること。
映画の製作委員会システムで作られたものだと
このような映画は決して生まれてこないものだろう。
その作品の映倫を通しておこうということで審査にかけたところ、
それを見た人が、これは、ものすごい作品であるということになり
またたく間に噂が広がっていったそうである。
その時代の気分もそれに上乗せされたのだろう。
新劇を否定するところから始まったアングラ芝居的な造りを
そのまま映画に持ち込んだ手法は、
寺山修司よりも先んじていたのではあるまいか?
そして60年安保と70年安保の間の時期、
ヌーヴェルバーグがフランスでは量産され、
とにかく新しいことを評価しようという時代の気分が
確かにあったのだろう。
その気分を若松孝二はきちんと捉えていたのだろうか?
それとも彼は常にアバンギャルドでラディカルな監督なのだろうか?
いつまでもそれが持続されるということ自体が素晴らしい事実である。
本編で、一瞬の間だけ、カラーになるのが印象的である。
そのカラーフィルムの美しさとモノクローム画面の美しさは
決して比較出来ない。そして、どちらも美しい。
胎内回帰とか言う前に、この映画から溢れでるものを
感じることが必要なのではないかと思ったりする。