赤堀雅秋、渾身の一作。
前作の「その夜の侍」からさらに一歩突っ込んだような印象を受けた。
前作では失くした妻への想いだったものが、
今作では、憧れの女性への強い思いへ変化した。
警察官役である赤堀が、
坂井真紀演じるキャバレーのホステス「さやか」(=工藤洋子)への想いを深化させていく。
坂井真紀の起用によって、THE SHAMPOO HATという集団が、
新しい方向に向かって歩き出した印象を受けた。
それは、高いレベルで勝負していきたいという決意表明なのか?
華やかな印象とともにシアタートラムでの13回にわたる公演を打つ
ということは一つの新たな挑戦であると思われる。
(以下、ネタバレ含む)
舞台は、警察官である赤堀と坂井真紀の二人が血を流して死んでいる場面から始まる。
暗転すると。
左右に置かれているモニターに「260何日前」(記憶失念)というスーパーが出る。
この構造がカッコいいなあと思った。
終演後、映画監督の前田哲さんが、
あの構造はNHKの「その時歴史は動いた」に似ているとおっしゃっていた。
そうなのか?何故、あの事件が起きたのか、というところから、
その事件が起きるようになった原因を探るために
数百日後から事件当日までをカウントダウンしていく手法。
観客たちはラストシーンを知っているだけに見ていてドキドキする。
何か実際に起きた事を追体験しているような気分になる。
終演後、この舞台は実際にあった話からの引用なんだろうか?
という意見もあがった。このような事件が本当にあったのか?
坂井真紀は男と同棲している。
その男はサラリーマンであり、二人は結婚を考える年頃であるのだが、
お互いに心が離れてしまっている。
男は外に彼女が居て、坂井はキャバクラを辞めたかと思ったら、
今度はまた別のキャバレーのホステスをやっている。
彼女はこのような仕事をやめられないのだろう。
そのキャバレーに客として通っていた警官=赤堀は
坂井真紀に恋をする。もてない男の陥りがちなパターンである。
彼は坂井に対して擬似恋愛以上のことを求め始める。
その男を赤堀は好演する。
出演者のほとんどが、どこかココロの中に空虚さを持っている。
そのいやあな独特の空気感が舞台を支配し続ける。
いたたまれなくなる人も居るかもしれない。
しかし、そこがこの舞台の最大の特徴であるといえる。
もやもやとした何かが解消されないまま続いていく。
坂井真紀は強烈な孤独感に襲われる。
唯一、幻想的なシーンが挿入される。
(坂井が一人立っており、その周辺を日常の風景として出演者たちが歩き回る。)
都会の喧騒の中に居ていたたまれない孤独をひりひりと描き出す。
そうだ、このひりひりした感じは桐野夏生の小説に似ていると思った。
何も解消されないまま、舞台は無理心中へと突き進んでいく。
1960年代~70年代にかけての日本映画にも似た、
独特の空虚感を湛えた舞台だった。
若松孝二の映画のことを思い出した。
力作。