先日、能楽現在形と称された舞台を世田谷パブリックシアターで見た。
面白く興味深い舞台だった。
そして、本物の能楽堂で行われる
能・狂言を見たいと思う気持ちが強くなった。
ネットで公演案内を調べていると、
国立能楽堂で鑑賞教室と題したものがある。
電話してみると当日券がありそうなので能楽堂へ向かう。
場所は国立競技場駅を降りて代々木方向へ向かったところ。
津田塾記念館を過ぎて暫くすると能楽堂が見えてくる。
大通りからひとつ奥にはいったところに建てられており
閑静な住宅街の中にこんな能楽堂があったのかと感心する。
ここだけはまた別世界の印象である。
劇場にあるボックスオフィスでチケットを購入。
能楽を見るのには大きく分けて三つの方向から見ることがわかった。
その場所によってチケットの値段も違う。
一番高いのが正面席。続いて脇正面という席。
これは舞台を橋掛りの方向から見るもの。
丁度、正面から見て90度左の角度から見るような形である。
その間に中正面という座席があり、ここが一番安い。
中正面は斜めから舞台を見るカタチになり、
そこから見ると真正面に目付柱がある。
その柱は能楽では重要なものだそうである。
面(おもて)を付けた演者は本当に小さな点からしか外が見られないそうである。
演者はそこから見える目付柱を見て自分の位置を知ることになる。
能舞台は三間四方の舞台と決まっている。
それが決まりなので
どこでやっても目付柱からの距離は決まっている。
という理由から柱はそこになくてはならず、
見難いからという理由で取り外すことは出来ない。
相撲の土俵には今や柱がなくなっているのとは別の理由がある。
鑑賞教室なので、最初「能楽の楽しみ」と題された解説を伺う。
能楽の基本的なこと、所作の基本、
そして本日、上演される劇についてのおおまかなあらすじを
舞台の進行や位置の説明を交えつつ教えてくれる。
能楽は以前も書いたが音楽を聴くことが主体になったものだなあと本日改めて思った。
能楽堂の音の響きが気持ちいい!
邦楽のダンス公演ストーリー付きとでもいったらいいのだろうか?
能楽の囃子や謡曲は眠りを誘うそうである。
このことは研究結果としても出ているそうである。
気持ちがそれだけ落ち着くのだろう。
昔の貴族や殿様は能楽を見て平穏な気持ちになり、
ココロを静めていたのだろうかと想像される。
狂言「呼声」を見る。ものすごく単純な話。
昔の言葉で語られるがあらすじを知っていれば理解できる。
ただし、それがものすごく面白いかというと良くわからない。
最後に太郎冠者と次郎華冠者と主人が
踊り節を三人で踊るシーンがユーモラスで気持ちがいい。
こうして狂言や能楽を見ていて思ったのは、
なにか心地いいものが底に流れているということ。
そこに能楽や狂言の持つ魅力が隠されているように推測するのだが、
実際のところいかがなものなんだろうか?
能楽の「土蜘」(つちぐも)も単純な話。
病に臥せっている源頼光を狙う僧の姿をした男、
それは土蜘の精だった。
頼光がその土蜘を成敗しに行くというもの。
極端に簡素化され象徴化された世界で行われるソレは
劇的という言葉から程遠いものなのかも知れない。
その象徴的な世界から何を感じ読み取るのかということが問われてくる。
600年以上の歴史を誇る
能楽の世界の魅力を語ることはまだまだ難しい、のだが、
気持ちのいい空間に浸ったという感想だけが残った。