20回公演!脚本、沢崎麻也、演出、小川信太郎。
ひょんなことからこの公演に行くことになった。
どんな劇団なのか、どのようなテイストの舞台なのか
予備知識など全くない状態で池袋へ向かう。
本能寺の変を新たに解釈し直して作った時代絵巻とでも言えばいいのだろか?
ああ。これは中島かずきの書く、歴史ものの舞台と似ているなと思った。
そう、まるで「新☆感線」である。
テイストも俳優の動きもとっても似ている。
激しい動きや立ち回り。それを小ホールのような
小さな小屋でやるのだから迫力抜群である。
昔の、「新☆感線」もこれくらいの小さなところでやっていたなあと思い出した。
シアタートップスで見た新☆感線は、
最早二度と見ることは出来ないだろう。
そのような体験が甦る。
そして、さらに見ていて思った。
この台詞回しは、そうか!つかこうへい!なんだ!と。
この作演出のスタッフは、つかこうへいの舞台が好きに違いないと思った。
そういえば「新☆感線」も最初はつかこうへいの芝居をやっていたのである。
一緒に行った、Mさんが「情念のない、つかこうへい」とおっしゃった。
いまの時代は情念なぞを持ち得なくてもよくなったのかもしれない。
その情念のなさは中島かずきの脚本に似ているのかもしれない。
話は現代の歴史学の学者が古文書を発見し、
それを学会で発表しようとするところから始まる。
それは光秀の手になった思い出の日記のようなもの。
ここから新たな本能寺の変の真相が見えてくる。
時代は現代と、本能寺の変が起こる戦国時代とを行き来する。
戦国時代で荒唐無稽な登場人物たちが舞台に次々と現れる。
主役級の俳優とそうでない俳優の技量の差を感じてしまう。
しかしながら、この舞台はひとりひとりの俳優の見せ場をきちんと作られている。
そこには階級制度のカケラもない。
俳優はほぼ均等に出てきて何らかの見せ場がある。
まるで初期の学生演劇じゃないか!と思った。
この作り手の俳優に対する優しさは
決して観客に対する優しさやサービス精神にはつながらない!
ということを意識することとなった。
その部分を整理すればあと20分くらいは短くなっただろう。
それくらいで疾走するように舞台を運んでいくと
もっとエンターテイメント感あふるる舞台になれたのにな!と思った。