新国立劇場には芸術監督が三人居る。
オペラの芸術監督と、ダンスの芸術監督、そして演劇の芸術監督である。
この度、2010年シリーズから新たな芸術監督が就任する事が決まった。
オペラは尾高忠明氏、ダンスはデヴィッド・ビントレー氏、
そして演劇は宮田慶子氏である。
先日、新国立劇場の機関紙「The Atre」が届いたのだが、
その中に「新国立劇場における芸術監督とその役割」という文章が載っている。
これは新国立劇場のHPにも掲載されたものだそうである。
特に演劇部門の芸術監督の選任に関して疑問の声が上がったものに
応えた形になったのだろう。
参考として、山崎正和の「公的芸術監督の役割について」と題した
8月19日付けの日経新聞の夕刊の記事が掲載されていた。
ここにはこのように書かれていた。
その間でコミュニケーションが欠ければ、芸術監督の責任です。
その間とは、芸術監督と理事長ということだろう。
先日、世田谷パブリックシアターで
この「新国立劇場の芸術監督交代問題」のシンポジウムが行われた。
永井愛さんが疑問を呈したカタチになったことの
詳細を教えてもらう会合である。
これはAICT(国際演劇評論化協会)の舞台芸術批評講座の
一環として行われた。
次号の「シアターアーツ」にこのときの詳細が掲載されることだろう。
要するに、今回の鵜山仁芸術監督を一期で終了せず、
続投をという声があったのにもかかわらず
半ば強制的に交代させたのではないかという疑問が挙がったのである。
理事会の選考委員からも鵜山仁継続を推す声があったのに、
ある時期、反論は封じ込められ、結局最終的には
理事長の一任ということになったそうである。
永井愛さんはその決定のプロセスがおかしかったんじゃないだろうか?
と疑問を呈しただけだったのである。
鵜山氏は前任者の栗山民也氏と比べると
明らかにバランス感覚みたいなものが少なく
現場や理事をしている方々がコントロールすることが難しかったのかも知れない。
しかし、現場が混乱することをある時点で
話し合って解決する方向へ向かうことは出来なかったのか?
今回の話を聞いていると、鵜山氏とそのような対話がなされたとは
どうしても思えない。
対話のないまま一方的に解任するというのは
常識的に考えていかがなものだろう?と思わざるを得ない。
「官僚VS芸術家」みたいなことになってはいないだろうか?
それは、とっても不幸なことである。
永井さんが最も不思議に思ったのは
次期の芸術監督を決めるときに理事会の常務から連絡があった。
「次期芸術監督が決まったので報告します。」と。
根回しの電話だったのだろう。
「誰に決まったのですか?」
と永井さんが尋ねたら。
「宮田慶子さんです。」とのこと。
「彼女の名前は誰から挙がったものですか?」
「小田島雄二さんです」
永井さんはその直後、小田島さんに電話をかける。
と小田島さんは言った。
「いや、鵜山さんを続投するのがいいんじゃないか?と言った」と。
これは最早ミステリーである。
芥川龍之介の「藪の中」である。
誰の発言がいったい何やら?みたいな。
ここでいい話を聞いた、公共劇場の芸術監督の役割は
「壮絶な失敗をする権利を持つことである」という。
西堂行人の言葉である。
また、現実的な対応策として素晴らしい意見が出た。
このような劇場にはヨーロッパの劇場に普通にあるような
ドラマツルグを設置したらいいのではないだろうか?
実質的で強固な制作部が不在ならば、
そこをドラマツルグの設置と伴に
強化していくことによってよりよき劇場になっていくのではないか
という意見は興味深いものだった。