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ナイロン100℃結成15周年記念、32nd sessionと銘打った公演である。 今回は二組のキャストが交互に出演するような形式を取っている。 ホワイトチーム&ブラックチームという二つのチーム。 ホワイトは三宅弘城、ブラックは大倉孝二が 主役の劇作家、辻煙(田中正明)を演じる。 まずは、ホワイトチームから観劇。 僕はナイロン100℃の舞台をこの10年間見続けている。 初めて見たのが1998年公演、紀伊国屋ホールでの「フローズンビーチ」だった。 その頃からKERAが思う面白いと思うことは何ら変わっていない ということが良くわかる。 この舞台は半ばKERAの半自伝的な舞台であると伺った。 でも、どこからかは創作であり、それは誰にもわからない。 しかし、創作についての本質的なことがここでは描かれており, それがこの舞台を素晴らしいものにしている。 オープニングで映像が流れる。バスターキートンのスラップスティック。 子供の頃に彼の出演していた映画を見て感動したことが語られる。 彼のことをスーパーマンじゃないかと思った少年は大きくなって 実際の撮影でキートンは首の骨を折ったり、失神したりしたということを知る。 そして30過ぎた頃にはアルコール依存症になってしまったことも、 命を削ってお笑いをしている男の姿がここから見えてくる。 三宅演じる劇作家はナイーブで内にこもるタイプとして描かれる。 三宅自身のキャラクターから出てくるところが大きいのだろう。 世間から完全に孤立した印象が強い。 それだけに三宅の笑いの理解者である赤坂(松永玲子)とのかけあいがココロに染み入る。 芸術家の傍にはそれの理解者が必ず必要であると思う。 その理解者は一人居ればいい。 そうやって芸術家は自信を失わずに自分の道を進んでいけるのかもしれない。 そのことから芸術家とは何と孤独なものであるのかということが再認識される。 三宅の人を寄せ付けないような演技がそのことをさらに強調する。 劇団仲間だった、小柱(藤田秀世)との確執。そして妻だった、美果(新谷真弓)との確執。 陰険であり悲惨な関係。と言うといいすぎになるのかも知れないが、 それくらい二人の間には溝があり緊張関係がある。 お前が作った痣なんかよりも大事なことがあるとさえ言わせる。 痣を作ってしまった原因となった、 三宅が彼女を階段から突き落とした理由が語られる。 彼の書いた戯曲を彼女はどうでもいい!と言い放ったから。 「おとなしくしろ」と書いた紙を銀行の窓口嬢に見せた強盗は、窓口嬢に言われる。 字が汚くて、「おとなしくしる」というように読める。 「おとなしくしる」というのはどういう意味だかわかりませんと彼女が言うと。 君では話にならんから上司を呼べと言う。 上司がやってきて、これはたしかに「ろ」と読めるが、 最初の「お」が「あ」に見えると。 上司は「あとなしくしろ。」と言われても、 いままで「あとなしく」したことがないから「あとなしく」出来ませんと言い張る。 というような脚本である。 これを聞いていて別役実の不条理劇を思い出した。 KERAも敬している別役実の脚本が数十年前に書かれていた頃には 世間の評価は今ほど良くなかったそうである。 そういった逆風に向かって、別役実は戯曲を書き続けて来たのである。 そうして最近になって一定の評価がされるようになってきた。 画家のゴッホに至っては生前には何ら評価をされないままこの世を去った。 死後の評価はみなの知るところである。 KERAが劇団健康を解散してナイロン100℃を結成する間に何かあったのだろうか? と推測される。世間から認められず自分の思う笑いを信じてやり続けていたのだろうか? と思った。 ではKERAにはどのような理解者が居たのだろうかと想像する。 時代がバブルに突き進む80年代後半から バブル崩壊の90年代前半までの一時期を描いたものになっている。 佐藤江梨子の自然体な演技が残った。 つづいて、ブラックチームを見た。 大倉孝二が辻煙(田中正明)を演じる。 大倉孝二は三宅に比べて内にこもるという印象が少なく、 大倉自身本来の持ち味を出す。 自らのつっこみがないと優しい少年のようなキャラクターに見えてくる。 外部に対して反抗してとげを出しているというような印象はなく、 開かれた劇作家のように見えてくるのが面白い。 従って、笑いの理解者、赤坂(峯村リエ)との会話に関しても 盛り上がっていくまでは優しい共感のようなものから二人の会話が始まるのである。 単に仲のいいだけの二人のよう。 大倉孝二は作家としての孤独な感じはなく、 劇団員がいまだに慕ってやってくる兄貴分のような印象を残す。 キャストが違うとこうまで違うのかと思う。 特筆すべきは坂井真紀の演技であろう。 佐藤江梨子と比較する気はさらさらないのだが、 坂井は佐藤よりも年齢が上である。 彼女はこのサナトリウムで勤めて明るく振舞おうとしている。 自らの弱さを自覚し、人の弱さもわかった上で、 敢えて馬鹿なキャラクターで場を盛り上げる。 そんな演技をしている。 その必要以上な明るさが彼女の悲しみと優しさを強調する。 歳を取るということはそういうことなのかも知れないなと思う。 そしてどんどんと逞しく、優しくなっていくのだろうなあと思った。 やはり演じるということは自らが顔を出すということなのかなと思い知る。 突っ込みの仕方もキャストによって違う。 坂井真紀が年齢のことで小骨(植木夏十)に突っ込むシーンなどは ホワイトチームにはなかった。 全体的にブラックチームの方がほのぼのとしてコミカルな印象を残す舞台となっていた。 逆にホワイトチームにはヒリヒリとした感覚が強かった。 ブラックチームでさらに印象に残ったのが犬山イヌコ演じる、 園田春奈とその夫、園田研々(住田隆)との関係である。 研々は元芸人である、犬山は夫の芸が面白いのかどうだかはわからない。 でも研ちゃんは凄いし面白い。 何故ならば研ちゃんは私が愛している人だから と言う意味のことがストレートに表現される。 研ちゃんはガンで余命いくばくもない。 その研ちゃんを抱きしめながら犬山は彼の全てを受け入れる。 これも芸術家の傍に寄り添う一つの姿であるんだなあと思った。 理解者や共感者でなくても構わない。 それで二人で生きていく。 そこには人間愛のようなものを感じた。 ダブルキャストを連続して見て思ったのは、 俳優の身体それ自身から来るものがとっても重要なんだなあと思ったことである。 ブラックチームで小池栄子が演じた美果はものすごく迫力がある。 それは彼女のグラマラスな身体と彼女自身の大きさからくるものがあるということ。 新谷真弓演じる小さくてコケティッシュな美果とはまったく違う美果がそこに居るのである。 小池栄子の健康的でセクシーな姿が、 まるで映画「ひまわり」に出てきた映画女優ソフィア・ローレンのようだねと 終演後Kさん、Tさんと話していた。 劇中に「シャープさんフラットさん」の作文について語る場所が出てくる。 この作文はKERAからのメッセージである。 坂井真紀は、佐藤江梨子は、この言葉をどういう思いで語ったのだろうか? 素敵な悲しみを湛えた作文だった。
by haruharuyama
| 2008-09-29 07:20
| 舞台
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Comments(2)
こんにちは。
このお芝居、とっても気になっていました。 新聞の劇評も読みましたが、haruharuさんの丁寧なレビューを読んで、2パターンの舞台を見比べるように想像することができました。 キャストも豪華ですね。松永玲子さん、新谷真弓さん、見ていてうれしくなる役者さんです。
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いまい様。コメントありがとうございます。この舞台まだやっていますので時間があれば是非ご覧くださいね。いまいさんのご活躍も楽しみに
しています。
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