みなとみらい線「元町中華街」の駅を出ると
すぐ目の前が港の見える丘公園だった。
天気が良く太陽の方向へと歩き出す。
ここは元フランス領事館があったところ。
明治の開国時は、さぞやにぎやかなことだったろうと想像される。
あんな小高いところに井戸が切ってあったのに驚く。
どれくらいの深さだったのだろうと思う?
一番上まで登ると、大きく視界が拡がる。
大佛次郎記念館の奥に神奈川近代文学館はある。
ここでスタジオジブリが展覧会と展示に協力した
「堀田善衛展」があるというので横浜に行く機会を作って是非見に行こうと思っていた。
この日は、午前9時19分に「元町中華街」につく電車に乗って
9時半丁度に近代文学館へ。
大きなモニターから堀田善衛さんが
NHKか何かの番組でお話されている映像が流れていた。
ここは天井が低く、音がこもりがちになる。
堀田善衛の生年から亡くなるまでをほぼ年代順に並べた展示。
1918年(大正7年)富山に生まれた堀田善衛は、
金沢の学校を出て、慶応義塾に入学する。
そこで詩人や批評家たちとの交流が始まり、
自らも詩作や批評活動をし、
後に小説やエッセイを書き始める。
大東亜戦争に徴兵されるが肋骨骨折のため1年余りでお役ごめんとなり、
その後、上海へ。堀田27歳の頃である。
終戦して2年後に帰国。創作活動を続ける。
昭和27年、34歳のときに「広場の孤独」「漢奸」などで芥川賞を受賞する。
それからはプロの作家として創作を続ける。
アジアアフリカ作家会議などを通じて、
様々なところを旅し見聞きしそのことが彼の創作をさらに刺激する。
素敵な循環が始まる。
優雅な生活が感じられる。
60歳過ぎた頃、バルセロナに夫人と移り住む。
そして、ヨーロッパを車で周遊したりしている。
その時の写真が展示されていた。
1998年に80歳で堀田はこの世を去る。
僕は堀田善衛について多くのことを語ることが出来ない。
彼の著作を読んでいないからである。
唯一の接点は1992年、堀田が74歳の時に出版された
鼎談集「時代の風音」を読んだだけである。
これは堀田善衛と司馬遼太郎そして宮崎駿の鼎談を収録したもの。
あまりの歴史認識の深さとお話の面白さに
恐れおののいた記憶がある。
その記憶とジブリファンだったことがきっかけで
この展覧会に足を運ぶことになった。
堀田の創作や言論の世界をこれから覗いていけるかな?
というきっかけになるのかなと思った。
展覧会の2部として、スタジオジブリが
堀田の小説を元にして映画化をする、
そのためのイメージボードと企画書みたいなものが展示されていた。
その展示を見るだけで映画はもうすでに始まっているんじゃないだろうか
と思わせる具体性があった。
とともに映画作りをするためにはここまで綿密に調査し、
イメージを作って創作に望むんだなと大変な気持ちになった。
大きな高い山に向かってスタッフ全員でにじりよっていく作業と
宮崎駿が言っていたことのカケラを感じることが出来た。
映画の企画はふたつあった。
一つは、「定家と長明」と題したもの。
堀田の原作、「定家名月記私抄」と「方丈記私記」から発想されたもの。
中世の日本を描く壮大なスペクタクルである。
大火や竜巻や洪水のシーンなどはアニメーションならではの
大掛かりなことが出来るに違いないと思った。
また、もう一つの企画は中世のヨーロッパ。
堀田の原作「路上の人」を原作に企画されていた。
異端審問と魔女狩りに明け暮れた中世の物語だそうである。
どちらも具体的に絵が書き込まれ
この映画が現実化したらさぞや面白いだろうなあ!
と思わせるものになっていた。
1時間少々の鑑賞の後、港の見える丘公園にて、おにぎりを食べる。
朝、妻が作ってくれた無骨な梅干のおにぎり。
テルモスというメーカーの
魔法瓶に入ったほうじ茶とともに頂く。
背中にあたる日差しが温かい。