満劇、満を持しての2年ぶり公演。
劇場は新しく移転新築された、朝日放送の中にあるABCホールにて。
いままでにはない大きな小屋での公演。
そして、本当に久しぶりにオムニバスコントではなく、
ぶっつづけの舞台となった。
2時間ノンストップの一幕場劇をきちんと演じきった。見せきった。
そのレベルの高さは、あまたある小劇場の比ではない。
ちゃらちゃらとお遊びでやっているような
小劇場の人たちはこの公演を見て、考えを改めるべきである。
満劇の俳優たちの大多数は基本的にはサラリーマンである。
大阪の大手広告会社を中心としたスタッフたちは、
休日をつぶして稽古をし、これだけのものを提示してくれる。
ただ、ここに至るまでの下地作りに
時間をかけていたということはあるのだろう。
満劇公演で何年も同じ俳優が演じ、
彼らはどんどんその俳優としての技術が上って来た。
プロの俳優ではない俳優を宮崎仁誠がうまく演出をする。
その具合が本当にいい按配に出来上がり、
口当たりのいい舞台が完成した。
舞台は高校の職員室である。
ある日の17時前から18時半くらいまでが1幕で描かれる。
暗転のない舞台は俳優の緊張を誘う。
見ている方も緊張する。
しかし、そのことは最初の10分で杞憂だということに気が付いた。
作者のあべの金欠はこの劇団の座員でもある。
ゆえに、出演する俳優を理解しきって本を書いたのだろう。
それぞれの俳優のキャラクターに応じた持ち味が出ていて無理がない。
アテガキのメリットが十分に出ている。
(アテガキじゃなかったらごめんなさい。)
面白かったのがこの職員室を会社に見立てているところ。
オープニングで「ライス兄弟」の「先生はサラリーマン」という歌が流れる。
その歌詞が、この舞台のひとつのテーマとなっている。
教育現場である学校と民間の企業とは成り立ちが違うのかもしれないが
明らかにヒエラルキーは存在し、その中で先生たちも生活している。
格差社会はこんなところにもあるという例が見えてくる。
契約社員と正社員との違いのようなものが、
ここでは専任教諭と臨時教諭という差で語られる。
正社員であるだろう先生が詰まっているので、
能力はあるのだが正社員(専任教諭)になれない先生はどうしようかと悩んでいる。
臨時の先生は、クラブ活動の関与なども自主的に行うのはいいのだが
何ら評価の対象や手当てには反映されない。
そんなときに大竹先生が事件を起こす。
大竹先生は警察につかまり、学校を辞めるのか?
というような事態になっていく。
その状況を通じて先生たちの反応が変化していくことをつぶさに描いていく。
満劇の持ち味はわかりやすさにある。
まるで良質な吉本新喜劇を見ているような感じ。
それは大衆性を持ちえているということであり、
多くの人が楽しめるということにつながる。
三谷幸喜のようなテイストを持っていると言ったら褒めすぎかもしれないが、
関西でこのようなことが出来る集団が現在では他には思いつかない。
そして、同時に思った。
ここには直接的ではないにしても「中島らも」に何かつながる系譜がある。
「リリパットアーミー2」がわかぎえふを座長に据えて演劇活動を行ってはいるが、
それは、今やわかぎえふのオリジナルな舞台となっている。
そんな中で、らもさんの持っていた「笑い」のテイストを
精神の根っこに継ぐものとしての満劇というものが
あるのかも知れないと思ったのである。
広告をやりながら、別のおもろいことを
高いレベルでやろうとしている精神は決して無駄にはなっていない。
それが今後の広告やコンテンツの
新たな才能の萌芽となるのかも知れないかも、と思った。
新しいことはいつも外部からやってくる。
堂島サバ吉の演技の進化には本当に驚いた。
そして淀川フーヨーハイはついに立派な喜劇人となった。
このスタイルの劇団は日本でもオンリーワンだろう。
そこにはサラリーマン生活では得られない何かが確実にある。