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シアターコモンズトーキョー2021「解放されたプロメテウス」小泉明郎(@SHIBAURA HOUSE5F) 昨年のシアターコモンズトーキョー2020で拝見した「縛られたプロメテウス」の 続編とも言える作品と書いてある。 VRヘッドセットを使っての表現手法は確かに同じだが、 ここで描かれていることが実は、まったく違うことに注目したい。 プロメテウスとはギリシア神話で火を盗み人間に提供した神。 「縛られたプロメテウス」では小泉さんは「プロメテウス」の盗んだ「火」を「原子力発電」とシンクロさせ 私たちがそこに足を踏み入れてしまったことを描いた。 人間は自然のすべてをコントロール出来るのだ! という考え方が原発問題を招き、同様に今回のコロナ禍を招いてしまったのか? 人口が増え、人の移動が自由になったことでコロナ禍が短時間で世界中に拡がり、 そのことによって私たちの暮らしは逆に「縛られた」。 しかし、小泉はこうも考えた、でも移動は縛られていても精神は解放出来るのではないか? その仮説が今回の作品を生んだのでは?と思うのだがいかがでしょうか? ちなみに最初の5分くらい、私のVRヘッドセットのスイッチを自分でOFFにしてしまったらしく 見ることが出来なかったので、そこに大きなヒントがあればご指摘ください。 あまりに真っ暗な時間が続くので係の方をお呼びして新たなヘッドセットを 装着してその世界に入るまで5分以上はかかったかと思います。 見ていて暫くすると下から人間が浮上して来る。3DCGで作られたアバター。 そしてそれをしばらく見ている自分。 ヘッドセットを通して見えるものはモノクロのSHIBAURA HOUSEの5階のスタジオの風景、 一緒に参加しているヘッドセットを付けた方や係員の方もそこには見える。 そして「夢の中に入ってください」という事前の係りの方のアナウンスを思い出した。 なので移動して浮遊している身体の中に入ってみる。 すると真っ黒な世界などが拡がりヘッドフォンを通してその人の心の声と思われるものが聞こえてくる。 抽象的な幾何学模様のオブジェクトが浮遊しそれが行ったり来たりする。 その浮遊した空間の中を彼らの心の声を聴きながら漂っている感覚と言えばいいのだろうか?そんな体験。 そして、何人かの浮遊している人に入り込むと それぞれの人の心の声か夢でつぶやいている言葉かが聞こえてくる。 その言葉はそれぞれ違うし、そこで描かれる夢の中の風景も違う。 また丸太棒が浮遊しており丸太棒の中でも夢を見ることが出来る。 そんな不思議な体験。そして、彼らの身体は、その後一体化していく! それは死を意味するのかどうかわからない。 私たちは無から生まれて無に戻るとしたらそういうことなのかも知れないなとも思う。 と、同時に身体は溶けてなくなったとしても 精神や魂と呼ばれるものは残るのではないか?という考え方もある。 小泉はそれらの問題を身体と精神を縛られている時代だからこそ 解放して、私たちはどのような存在であるのかを考えようとして こうした作品を作られたのではないだろうか?と想像した。 ヘッドセットを通して見たSHIBAURA HOUSEの5階のスタジオの風景も 独特なビジュアルが見える場所なのでそうした感覚を加速させてくれる。 こうして2月20日のシアターコモンズトーキョー2021、 VR作品4作品連続鑑賞は終わった。次は、3月6日です。 ![]() ![]()
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by haruharuyama
| 2021-02-21 12:33
| 舞台
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シアターコモンズトーキョー2021「I AM(VR)」スザンネ・ケネディ&マルクス・ゼルク/ロドリック・ビアステーカー(ドイツ)(@ゲーテ・インスティテュート東京ドイツ文化センター) 今回のこの作品は世界初公開作品でもある。リモートでも参加できるらしい。 シアターコモンズトーキョー2021のために相馬千秋さんが スザンネ・ケネディにVRに興味ありますか?と言って今回の創作を依頼したらしい。 大抵の芸術家は自分がやったことのないものに挑戦してみたい!という気持ちを持っている。 だって初めてのことってワクワクするから当然ですよね! その芸術家の魂を知り尽くしたような相馬さんのオファーだったのだろうか? コロナ禍でリモートであらゆることを進めていかなければならないという 時期にこの試みはまさに今の時代ならではのアイデアだったのではないか? そして私が実際に体験して、本当にものすごくワクワクし 興奮しこんな体験が出来るならVRのこれからは半端ない!と確信した。 あと数ステップ画質が向上すれば本当にその中にいるような気持になる世界はすぐそこにある。 2025年の大阪万博ではVRが真剣に俎上に載せられて検討されているらしい。 そこでの体験がある種VRの可能性を大きく拡げる場になっていくのではないだろうか? その場所に行かなくても身体(からだ)はその場所を疑似体験できる。 もちろんそれはどこでも良く、本作ではその空想の世界を構築した。 今の時代にシュールレアリスム芸術家が居たら この技術に飛びついて新たな創作をすることだろう! というのも、まさに本作は体験するシュールレアリスムとなっている。 ストーリーに応じてある順番を追って体験するようになっているが、 これを体験してみて、数年後までにはいろんな世界を自由に旅することが 出来るようになっていくことだろう。 VR CHATなどの場所以上にリアリティを持った別世界がそこに出来るのかも知れない。 アンリアルエンジン(※Unreal Engine(アンリアルエンジン、UE)は、Epic Gamesより開発されたゲームエンジンである。) というコンピューターグラフィックスの技術がある、現在バージョン5。 それがいま以上に進化していけばCGで作られた映像と実際に現地で撮影された映像との 違いがわからなくなるという時代が来ている。 映画館のスクリーンではもうそれが実現している。 これからは三次元の空間すべてをそれで作り込み、その大容量データをリアルタイムで動かせる マシンパワーのあるものが登場すれば、それはもはや現実になる。 2025年の大阪万博では高機能なPCと特殊な 環境を設定して確実にその世界を創ることが出来るだろう。 究極はVRヘッドセットを付けないで体験するような世界。 テーマパークなどはその実験が出来る場所ともなっていくのかも知れない。 と様々なことを想像させるくらい、刺激的な作品でした。 作品の中で問われ続けるのは「あなたは何者ですか?どこから来てどこへ向かうのですか?」 というような哲学的な問いが繰り返される。 昨日のNHKのTVドラマ「ここは今から倫理です」(ドラマの脚本は劇作家でもある高羽彩) でも語られた、西洋哲学のデカルトの身体と心は別のものであるという二元論的な考え方の 対立概念として禅師である道元が説いた「心身一如」ということが同時にドラマの中の授業で語られた。 それを見て、本作では「あなたは誰ですか?」という問いと同時に 「身体と心は一緒ですか?違いますか?」とも問われているような気がしてならなかった。 ということでこの日のVR3本目終了。 この後、田町のSHIBAURA HOUSEへ移動。 ![]() ![]() 港区もこうして体験するとかなり広い。 #
by haruharuyama
| 2021-02-21 12:25
| 舞台
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シアターコモンズトーキョー2021「サスペンデッド」中村佑子(@ゲーテ・インスティテュート東京ドイツ文化センター) シアターコモンズトーキョー2021のVR作品2作目。 ドイツ文化センターの中に以前、管理人さんが暮らしていた部屋があったらしい。 玄関を入って応接間のような小さな部屋、 そして広くて光が差し込んで来るLDK、奥には子供の勉強部屋くらいの小さな部屋と、 さらに奥には8畳くらいの寝室となるダブルベッド?が、置かれた部屋がある。 建物は古いが丁寧に作られシンプルだけどいい感じにしつらえられている。 本作ではこの部屋にお邪魔してワイヤレスのVRヘッドセットを装着して体験するというもの。 ロビーから係りの方と一緒に管理人室のあった玄関の場所に移動する。 玄関で説明を受けVRヘッドセットを装着する。 画面はヘッドセットのカメラを通して目の前の風景は見える。 ただし解像度が下がっていてしかもモノクロームの映像。 そこにもやもやっとしたものが映し出されるので私たちはそのもやもやの中に 向かって進んでいくという体験。 最初は玄関横の応接室から始まる。音がヘッドフォンを通して聞こえてくる。 そしてモノクロームの現実の世界の前にスクリーンが現れそこで この家での物語が語られるというAR作品。 (※ARで一番有名なのはポケモンGOです。この作品はポケモンの代わりに母と娘が登場します。) 病弱な母親と一人娘の物語が語られる。この映像はカラー。 そもそもとして「病の母を持つ子どもたち」をテーマとして与えられたらしい。 現実の場所とその場所で撮影された母と娘の物語が 同時に進んでいくことでこの場所で起きたことの記憶を呼び起こす。 以前、相馬千秋さんがプログラムディレクターをされていた時の フェスティバルトーキョーでも、その建物や場所自体が持つ物語を 展示されていた作品がいくつかあった。 一番よく覚えているのは飴屋法水さんがおやりになった西巣鴨と巣鴨の周辺を 回遊していろんな家や病院などを訪ねるというプログラムだった。 あの時はそこに置かれたオブジェや書かれたテキストを読んで その場所の記憶を訪ねるというような仕立てだった。 しかし、このようにVRヘッドセットなどの精度が上がり技術が進化して 三次元の場所の認識の精度などがあがってくることによって 今回のような創作が成立していったのだろう。 体験して個人的に考えたのはVRヘッドセットを通して見るものは 人間の目の置き換えでもあるので被写界深度の浅い映像が適切かどうか?ということ。 人間の目は見て意識しているものにピントが合っているという状態になるので 背景がぼけてしまうという認識がない。 そのヘッドセットを付けて映し出されるものに親和性が高いのは 実は被写界深度の深い「GO PRO」などで撮影されたような 映像の方なのかもと考えた。 ツァイ・ミンリャン作品はそれを意識されたのだろうか? フォーカスがどこにも合っている、いわゆるパンフォーカスで撮影されていた。 ここに置かれていた革張りのソファの座り心地がとてもよかった。 その「からだ」の感覚はいつまでも忘れないのでは?と思う。 VRヘッドセットを使ってAR技術を使うことで バーチャルとリアルを融合させようとする新たな試みの 第1章はまだ始まったばかり。 ![]() ![]() #
by haruharuyama
| 2021-02-21 10:55
| 舞台
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シアターコモンズトーキョー2021「蘭若寺(らんにゃじ)の住人」ツァイ・ミンリャン(台湾)(@ANB Tokyo 6F) 今年も港区をベースにしたパフォーミングアーツのイベント「シアターコモンズトーキョー」が始まった。 2月の11日から開始されているのだが私は2月20日の土曜日から参加。 この日はVR作品だけを4本梯子する予定。六本木の駅に午前11時前に到着。 六本木の交差点を飯倉片町方面へ100メートルほどいったところの雑 居ビルだったところが今やアートスペースに! 古いビルをこうして再活用するのはとてもいい! 階段で2階に上がると受付がある。ピーティクスのチケットを提示して 今年のパンフレットをいただく。 今年のテーマなのか「孵化/潜伏するからだ」という文字が パンフの表紙にドーンと書かれている。 パフォーミングアーツは「からだ」をとても意識する芸術である。 しかし昨年からのコロナ禍でその身体が直接出会う行為が禁じられてしまった。 ではそんな時にパフォーミングアーツはどのようにすればいいのか? のひとつの仮説がこのテーマ「孵化/潜伏するからだ」にあるのではないか? と想像したのだがいかがだろうか? その仮説を今回のシアターコモンズの創作した「共有地」に あなたも共に居合わせ体験してみませんか?ということなのか? プログラムディレクターの相馬千秋さんのパンフの文章を読んで考えた。 VRヘッドセットの装着の説明などを聴きエレベーターで6階に上がる。 そこには椅子の上にワイヤードのVRヘッドセット・ヘッドフォン付き のものが置かれている。台湾の映画監督であるツァイ・ミンリャンのVR映像作品。 多分、蘭若寺という場所で廃墟となった建物とその周辺で撮影されたものだろう。 カメラの下の三脚か一脚の足部分が編集で消されており 下を見ると自分のカメラアイが宙を浮いている感じだった。 なのでまるで幽体離脱してそこの風景を見ている感覚とでも言えばいいのか? 立体感がありまさにその場所にいるような感覚に襲われる。 この数年でVRの解像度がようやくリアリティを持って見られる ギリギリの場所まで進化してくれた。 これからさらにテクノロジーが進化すれば高画質のVR空間を 自宅にて鑑賞が出来るようになっていくのだろう! その可能性を大きく感じさせる作品。 台湾の田舎の廃墟で身体に障害を持った青年とおばあさんそして若い女が登場し そこでの日常的な風景が切り取られる。 ASMRを使っているのか?というような音響設計がなされており 音響が普段以上に増幅されて聞こえてくる。 水の音、雨の降る音、そして食べ物を食べたりする音や炊飯器の音など。 特に男女が浴槽で交わるシーンがあるのだが、そこで豪雨と言ってもいいような 激しい雨と風が室内に降り注ぐシーンが圧巻。 自分も雨に打たれているようになる。 私も昨年末の2020年12月にオキュラスクエスト2という フェイスブックが出したワイヤレスのVRヘッドセットを購入したばかりなので、 1回しか使ってなかったのを もう一度ちゃんと体験してみようと思った。 上映自体は50分くらいだが、装着に時間が少しかかる。 この後、私は赤坂8丁目のドイツ文化センターへ移動する。 ![]() ![]() ![]() ![]() #
by haruharuyama
| 2021-02-21 10:48
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「帰還不能点」劇団チョコレートケーキ(@東京芸術劇場シアターイースト) 日本は、日中戦争そしてその後の太平洋戦争、いわゆる 第二次世界大戦の戦争責任をきちんと取らなかった。 いや、取らなかったという言い方は誤解を招くかもしれない。 見方を変えると取らなくて済んだ!ということなのか? 敗戦後、米軍GHQが日本を接収して米国主導で新たな憲法「日本国憲法」が設立された。 そして日本がまた同じようなことを起こさないようにと航空機産業などが規制され 再軍備や富強政策などのかかわるものは注意深く排除されていった。 私たちはそれを受け身で容認し続け日々を過ごし、そしていつの間にか 他国で起きた戦争で生まれた特需を補うために懸命に働き生産し高度成長が起き ついには1980年代後半にバブル経済を迎え「ジャパンアズナンバー1」などと言う言葉が生まれた。 一方ドイツはヒットラーというカリスマのファシストの極端な政策を戦後 徹底的に見つめなおし、ホロコーストに代表されるジェノサイドを 二度と起こしてはいけないという想いから、自らの戦争責任をその根本まで追求したと聞く。 本作を見て思ったのは作者の古川健が 日本のあの時期の戦争について徹底的に調べた結果から生まれた想いが根源にあったということ。 それは、どういうことかというと、 あの戦争は開戦を阻止できたのではないか?ということなのである。 どこで国家の判断がゆがめられていったのか? 米国と一戦交えることになれば絶対に負けるとすべての関係者が理解していたのに なぜ私たちはそこに突っ込んでいったのか? 資源のない国だからこそどうやって生きていくのが 一番いいことなのか?を考える知性があったはずなのに なぜそんなことになっていったのか? ということがこの舞台を通じて具体的に伝わってくる。 題名の「帰還不能点」(the point of no return)とは戦闘機が自らの燃料を積んで攻撃に出る。 そうするとこの地点で空母や基地に戻らないと燃料がなくなり戻れなくなる 地点がおのずと見えてくる。そうなるともう後戻りはきかなくなる。 そこを超えると突っ込んでいかざるを得なくなる。 本作は日本が第二次世界大戦で行った戦略で どのタイミングが帰還不能点だったのか?ということが描かれる。 それはいったいどこなのかは見てのお楽しみです。 (以下、ネタバレ少しあります。でもこれを読んで見ても十分面白いかと。) 舞台は戦後5年目の1950年の東京の大衆居酒屋。 この店を営んでいる女将さんの夫が元日銀に勤めていたのだが先日病気で逝去した。 この日は、戦前彼と一緒に「模擬内閣」を組閣し 政治判断のシュミレーションをしていたというチームの仲間たちが集まり 「献杯」をするために同窓会が開催された。 日本中の知性がそのチームに集められて徹底的に議論したのだが、 結果、日本は戦争に突き進むこととなった。 外務省の役人、内務省の役人、海軍や陸軍の軍人、大蔵省の役人、 そして日銀の役人や政治家の秘書などがそのチーム員だった。 彼らがこの居酒屋で故人を偲びながら いったい当時どのような検証を行ったか?ということが劇中劇のカタチをとって再現される。 この戯曲のために集められたのでは?という絶妙なキャスティング。 そして強度のある日澤雄介の演出が冴えわたる。 観客の想像力を信じ切った作者と演出家そして俳優たちの創作の姿に敬意を覚える。 そして私たちはその姿にちゃんと向き合わなければならないと襟を正すような気持で拝見した。 その結果は、この日のカーテンコールで良く伝わってきた。 どうしたら私たちは、戦争を始めないようにできたのか? そのことを私たちは 彼らとともに生涯考え続けていかなければいけないのかもしれない。 そうすることが私たちが出来る「戦争責任」を取ることの ひとつのやり方であるのかもしれない。 上演時間2時間。2月28日まで。 ![]() ![]() ![]() ![]() #
by haruharuyama
| 2021-02-20 09:20
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