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1週間後の4月23日、またまた病院に検査へ。 午後からの診療。 あの呼吸器内科のT先生。 T先生は水曜日の午後しか来ない。 というのも本来は 練馬にある大きな病院の呼吸器内科の先生だからだそうである。 最初にCT、血液検査、胸部X線を撮る。 2時間ほどして診察。 X線は見る限り問題ない。 血液検査もCRPが0・14、白血球の数値は54と完全な正常値に戻った。 ただ肺のCTの白い影が少し残っているとのこと。 自覚症状的には元気になって息が切れるようなことはなくなったが 咳が時々出て、まだ完全という状態ではない。 これから徐々に治っていくのかも知れないということで、 1か月後に再検査をしようということでこの日の診察は終わった。 薬の処方もなく今は普通に生活している。 歩くスピードも元に戻った。 この1か月の肺炎騒動で感じたのは医療と治療について。 そして、自分の身体の声にきちんと 耳をすませることが大切だと言うこと。 そして、こうした経験をして 25日間一滴もアルコールを飲まない日々が続いた。 体重は2キロ減った。 診察で T先生と話しているときに、CTで原因がわからないと、 気管支から生体検査をしなければならない、 それでわからない場合は胸に外科的に 穴をあけて外から肺の一部を切り取って検査をすると言われた。 また、アレルギーということもありえるので何とも言えないと。 生体検査で原因がわかる確率もはっきりとは言えないと 結局なんだかよくわからないままの状態でこの1か月の顛末が終わる。 T先生は明確に治療方針を説明してくれたのかも知れない。 しかし、その方針は僕にとっては 「むっちゃ、怖いもの」 以外の何物でもなかった。 そこまでやって原因を突き止めることが出来るのだろうか? 突き止めて、どうなるんだろうか?とも思った。 突き止めても治療が出来るかどうかはわからない。 先生が僕の心配を聴いているのかわからなくなって、 思わず、 「人に向き合うコミュニケーションも医師の仕事じゃないか!」 と思って先生に伝えた。 先生は驚きながらも、ため息をついて なぜ、この人にはうまく伝わらないのだろうか?と悲しみつつも 考えておられるようだった。 いったん信頼関係がなくなると回復にはとても時間がかかる。 仕事もこうした診察も同じなんだなと思った。 その後少し考えて 原因がわからないまま生きていく選択肢もあるのかも知れないと今は思っている。 先進医療をすることによるメリットはもちろんあるのだが、 それを知らないまま生涯を終えていくという生き方もある。 いかに後悔せず毎日を生きたああああ!と思って暮らしたい。 そのためにはどうすればいいのか? みたいなことを考えさせてくれるきっかけになった4月だった。 もう4月の24日からお酒も飲み始め、通常の生活に戻りつつあります。 4月のイベントをキャンセルしてご迷惑をおかけしたみなさま、 どうもすいませんでした。 そして4月は劇場や映画館に行く代わりに、医療機関で時間を過ごすことになった。(泣) 病院は携帯も使用禁止なので 読書はたくさん出来た4月でした。 みなさんもご自愛して一期一会を楽しんでください。 よき、GWを! ![]() ▲
by haruharuyama
| 2014-04-27 09:40
| 運動と健康
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4月14日月曜日。午前。 この日は 「今日は、呼吸器内科の先生がいないんですけど!」 と受付の方や看護士さんから何度か話を伺う。 いや実は、水曜日にもう大丈夫という診察があって、 咳止めだけ飲んでいたのがどんどん ひどくなったので来ました、と説明した。 この日は呼吸器内科の先生ではない先生だったのだが、 事情を説明すると、 では、血液検査とレントゲンをまず撮りましょう!とのこと。 そして検査結果を聴くと、 4月3日に受けた血液検査より数値が悪くなっておりレントゲンも明らかに悪くなっている。 CRPは3・88.白血球の数値は226UP!となっていた。 明らかに10日前の数値より悪化している。 その時に思ったのが、 なぜ前回の診察の時にもう少し強く血液検査などのお願いを 呼吸器内科のT先生にお願いできなかったのか? と自分の馬鹿さ加減を悔やんだ。 そうして医療行為って「一期一会」なんだな! ということを強く感じた。 悪化しない方策が取れていれば この1週間でさらに改善していたのでは? と後悔した。 この日の、先生は、検査結果が良くないので肺のCTも 撮りましょうということになった。 結果、専門の先生ではなかったが 間質性肺炎の疑いもあるということを言われた。 たばこの喫煙歴や膠原病の有無なども聞かれる。 後で調べたら間質性肺炎の症状のひとつとして、 こうしたことが原因で起こることがあるらしいと知った。 先生と良く話して、新たに抗生剤と咳止めを処方してもらった。 先週の水曜日の薬がまだ残っていたのだが(「麦門冬湯エキス顆粒」「メジコン15ミリ」)、 その投与は中止することとなった。 新たな薬は、「アスベリン20ミリ」(咳止め)と「ジェニナック200ミリ」(抗生剤)。 月曜日は結局会社を休んだ。 この日の先生が早めに呼吸器内科の先生に診てもらった方がいいというので 翌々日の水曜日の午後(4月16日)、また代休を取って病院に行く。 病院に行くと数時間かかるので必ず本を持っていくのだが、 月曜日の時点では本を読むどころではなかった。 しかし、月曜日の夜から薬を飲んで寝ると自覚症状的には劇的に改善した。 腰への痛みも軽減し、何よりも夜中に咳で起きることがなくなった。 熱も徐々にではあるが下がっていった。 月曜日の先生のいいつけを守って、水曜日の呼吸器内科のあのT先生に診察をしてもらった。 4月9日の時点のT先生の診察に対して不信感を抱いており、 その後どんどん悪化していったのでさらにその不信感が強くなったという話を正直に言う。 その女医さんは、4月9日の診療のことは覚えておられず、 僕の話を聴いて、どう思われたのかはわからなかった。 とにかく今日はX線だけをとって観てみましょうということになった。 検査後のX線画像を見ても改善しているようで、 14日(月曜日)のX線画像ならあんな判断はしなかったとおっしゃった。 それならばなぜ僕の自覚症状の声をもっとあのとき聴いてくれなかったのだろう?と思った。 血液検査などをして総合的に判断できたのでは? と思った。 この日は、とにかく良くなってきているので咳止めだけ処方しましょう! と言ってこの日の診療は終わった。 この先生は画像と数値だけを見て、患者を診てくれているのだろうか?という疑念が沸いてくる。 会話をしているとそれがますます強くなった。 自分が言うことは医師としての 説明責任を果たしていらっしゃるのだと思うのだが、 僕の言葉がどれくらい届いているのか?ということが気になった。 果たして、患者と医師との 対話になっていたのだろうか?と思った。 先日ある番組を見ていて、医療と治療は違うと言う言葉があった。 僕はこの先生にその両方を求めていたのかもしれないと思った。 医療は心や生活の質の問題にまで踏みこんでいく。 ただ、専門医の先生は、 それは別の仕事だというような意識があるのではないか?とも感じた。 医療は「一期一会」なのだが 治療は「試行錯誤」なのかな? でも、医療も治療もその 相手は人間である。 人間をどのように扱うのか? ということがこれからの超高齢化社会では 大きな現実として表れてくるようなことになるのでは?と感じた。 そして、さらに 1週間後にCT、血液、X線の検査をすることとなった。(つづく) ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2014-04-27 09:26
| 運動と健康
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行徳総合病院は来年、湾岸の広い場所に移転するそうである。 この病院は僕が38歳だったかの時におなかが痛いなあと思って訪問すると、 いきなり虫垂炎です、これは手術同意書です、手術をするのでサインしてください。 と言われて数時間後に手術室の中に居たという思い出深い病院。 そのときは手術の翌々日に撮影が二つ重なっており どちらにもご迷惑をおかけした記憶がある。 この日は呼吸器内科の先生がいらっしゃるということで、 呼吸器内科のT先生に診てもらう。 体温計を測っている途中に診察室に入ることになって、 検温途中で温度計が抜かれた。 先生は診察を急がれているようだった。 その時点では36.6℃。僕の平熱は36‣4℃。 あ、熱はないですね。と言われた。 えらいせっかちな先生やなあと思いながらも、 どうしたんですか?と聞かれたのでこれまでの経緯を話す。 じゃあ、X線を撮りましょうとのこと。 僕としては、自覚症状的に少し心配だったので、 先生に血液検査とかしなくていいんでしょうか?といったら 即座に必要ない!…とのこと。 ああ、そうなのか?と思いながら X線の検査だけを受ける。 しばらく経って、診察室に呼ばれた。 X線を見る限り問題ないとのこと。医師からこの言葉を聴くととても安心する。 この日は、水曜日。金曜日に飲み会があるので行っていいですか? と聴くと、もちろん行っていいとのこと。 ただ咳が収まるまでは1か月くらいかかるから、咳止めだけ出しておきましょう。 漢方と西洋薬の両方を出しておきますからということで診察は終わった。 抗生剤とかはもう必要ありませんとのことだった。 処方されたのは「麦門冬湯エキス顆粒」「メジコン15ミリ」。 翌日は代休を取った。 早く治そうと自宅で眠った。 この日もいくらでも眠ることができた。 4月10日を休んで、4月11日の金曜日に出社。 まだ微熱があり夜中に咳が出る、夜中に熱を測ると37‣5℃前後。 仕事を淡々とこなしながら自覚症状的には改善せず、 飲みに行ってもいいと言われていたがこんな状態だと 一緒に食事をしていても迷惑をかける、しんどいのと咳が出るのとで、 僕は欠席させていただくことにした。 この日も良く眠れる。ただ何時間も眠っているので睡眠の質は浅い。 浅い眠りで身体が何かと戦っているのをじーっと待っている そんな状態が続く。 12日の土曜日は仕事がありたくさんの人と面談をする。 しゃべりっぱなしなので時々咳が出てしんどい。 咳止めが効いているんやろか?というような気になる。 土曜日の夜に咳が止まらなくなり自宅で咳止めを飲んで休む。 咳が腰に来てさらにひどいぎっくり腰のような状態になる。 靴下が自分ではけない状態。 夜中に咳で目が覚めてしんどい、咳をすると腰が痛くて悲鳴を上げる。 身体の向きを変えるだけで咳が出るんだと思ってびっくりする。 よつんばいみたいに布団の上でうずくまっているのが安定しており いいのだが、何時間かおきにゼイゼイとなり咳が出てまた腰が痛くなり、 少量の痰がでる。 あまりにしんどいので夜中に妻に「入院したいっ!」と言ったのが 日曜日の深夜のことだったらしい。 これは、さすがにまずいのでは?と思い、妻からも強く促され、 月曜日に早く起きて行徳総合病院に行く。(つづく) ![]() ▲
by haruharuyama
| 2014-04-27 08:31
| 運動と健康
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3月末から風邪気味やなあと思いながら仕事をしていた。 飲みに行ってアルコールが入ると咳が止まらなくなる。 あれ?と思って、風邪がひどくなったか?と思い、 近くのかかりつけ医師のところで風邪薬と抗生剤をもらった。 抗生剤はクラリス、風邪薬はPL顆粒、 それ以外に痰を出しやすくする薬など。 5日間経ってあまり改善しなかったので、今度は直接治療がいいのではと 花粉症治療で良く行っている耳鼻咽喉科に行って診察をしてもらう。 この時にはすでに大きく息を吸うことが出来ず 深呼吸すると咳が出るというような症状になっていた。 耳鼻咽喉科で吸入や副鼻腔に直接薬剤を投入して、新たに薬をもらった。 新たな抗生剤は「アベロックス」というもの。それとPL顆粒。 に、カルボシステイン、リカバリン、抗アレルギー薬のシングレアを処方された。 その夜、薬が効いて眠ってばかりいた。 しかし、改善するどころか微熱が続き咳が止まらない。 これはまずいぞ、と妻と話をして 4月3日代休を取って、行徳総合病院へ。 ここは地元の大きな病院で血液検査などもすぐできて、CTやMRIなどもそろっている。 難点なのはむちゃむちゃ並んでおり時間がかかるということ。 大きな病院はどこもそうらしいがあまり経験がないのでわからない。 自覚症状的には咳が出て微熱がありしんどい! ということ。何とかこれを改善して!という思いで訪問した。 この時は自転車で行ったのだが、 少し階段を上がると息切れがする。 あれ?あれ?と50数年生きて来て初めての感覚。 診察室に入ると、では血液検査とX線検査をやりましょう!とのこと。 検査に1時間、その後1時間くらいすると結果が出た。 結論から言うと、その内科医の先生(この先生は呼吸器内科の先生ではなかった。)から 「肺炎です。」 とのこと。 週末に飲み会と、ハーフマラソンがあるんですけど、と言ったら、 「絶対ムリ!」「会社も休んで!」という診断。 CRP(定量)の数値が3以上と上がっており白血球の数値も160UPと、 完全に炎症を起こしているという診断。 医師に話したら昨日、耳鼻咽喉科でもらった薬を飲み続けて休みなさいとのことだった。 病院を出て会社に連絡をした。4月4日の金曜日から6日の日曜日までお休みをいただく。 そのあとは、ほぼひたすら寝ていた。 薬が効いていると眠くなりいくらでも眠れた。 ときどき肺の炎症で咳が出る。 横隔膜と肺の間がゼイゼイとし痰が切れるまでに時間がかかる。 その時に咳が出るのだが、それがしんどい。 腰が痛くなってきて、ぎっくり腰みたいになる。 全身の身体バランスが崩れて来ていることがわかる。 抗生剤などの投与でやや自覚症状に改善がみられて、 月曜日、火曜日、水曜日と仕事をする。 まだ咳が出るのと抗生剤が火曜日になくなったので、水曜日の夕方終了間際に 行徳総合病院に行く。 このときもまだ、なんなく自覚症状として咳が出てだるく、微熱がある状態だった。(つづく) ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2014-04-27 08:21
| 運動と健康
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健康診断で血圧が高いから 病院で診てもらった方がいいよと言われ 毎日の血圧チェックが大切と聞いた。 年末のボーナスでオムロンの 血圧計と体重計、そして活動量計を購入。 計測したすべてのデータが一定期間 計器にたくわえられ、時々スマホ経由PC経由で データをオムロンの「からだグラフ」という サイトに自動的に送る。 自分の過去の計測データがオムロンのサーバーに 保存され、いつでもどこでもスマホさへあれば データを見ることが出来る。 オムロンはこのビッグデータを活用でき 私たちはこのアプリのおかげで記録をつけるのが 簡単になる。 毎日、体重を計測し、血圧を測り、活動量を見る それだけでも自分の身体を知ることとなり 気を使うようになることがわかった。 とにかく、体重減だな! ![]() 体重計の上に乗っかっているのが活動量計。 ▲
by haruharuyama
| 2013-01-31 08:25
| 運動と健康
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みずがき山は、漢字で書くと、瑞牆山(2230メートル)となる。 字がものすごく難しい。とくに「がき」は書けない。 日本100名山のひとつだそうである。 20年ぶりに山に登った。 20年前は八ヶ岳でロケだったので正式には登山と言えないかも。 としたら、30年ぶりの登山である。 30年前に登ったのは「奥穂高岳」(3180メートル) 大学生の時にアルバイトの先輩と3名でテント泊をして登頂した。 上高地の川がとてもきれいだった。 この山行はランニング仲間からのお誘いだった。 ジョギングからマラソンへさらにウルトラマラソンや トライアスロン、そしてトレイルランやアドベンチャーランへと 人間の限界を超えるかのように ある種の人たちはどんどんと高みに挑戦していく。 そんな仲間たちの一人の山ガールが主宰の山行。 トレイルランへ向けて、 山の感覚を体験すべく、みずがき山への日帰り山行が決行された。 朝、6時半に新宿スバルビル前集合、 中央高速の双葉SAでもう1台と待ち合わせ。計7名。 須玉ICで降りて、みずがき山登山道の駐車場へ。 9時半過ぎから登山開始。 ここの山は岩と沢と普通の木々の生えている山道が ミックスされたような不思議な登山道である。 ガレ場をよじり登っていくというような感じである。 珍しいスタイルの山だと思う。 30年前と比べ女子率がかなりアップしている。 そしてウェアがおしゃれで機能的。 僕は高校生の時に購入した山靴(ノルディカ製)を履いて登った。 皮革で底に鉄板が入った、重い山靴を履いている人は皆無。 今回のためにソックスとヘッドランプを購入したのだが ものすごい高機能になっていて驚く。 道具の進化が登山をみんなのものにしてくれた。 山頂まで2時間半。 山頂で食事をする。 玄米と三分づきミックスのご飯で握った「梅干しのおにぎり」と おかずは「サバミソの缶詰」。 この缶詰は東北で作られたもの。 津波で流されたものを洗ってチャリティ販売されたもの。 缶詰の味噌の残りをおにぎりに浸しながら ゴミがまったくでないように完食! 下りはコツがいる。 高低差があるので上半身を木にからめつつ降りて行く。 山頂はガスっておりあまり何も見えなかったが、 天気が良かったら足がすくむんじゃないだろうか? 下りは約1時間半。 15時過ぎには「増冨の湯」で汗を流す。 雨と汗でびしょびしょになった身体が温まりさっぱりとする。 16時過ぎに出発!帰りは何と事故渋滞! いつもよりも、2時間多くかかった。 「藤野PA」でモスバーガー。 新宿に到着したのは21時だった。 ![]() ▲
by haruharuyama
| 2012-07-26 08:10
| 運動と健康
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昨年は仕事の関係で出場することの出来なかったこのレースに、 二度目の挑戦で出場することができた。 といっても先着順で申し込むだけなので誰でも出場できます。 参加人数2万6千人! 26年間も続いているレースなので那覇での年中行事のひとつのようになっている。 県外から来ている人が1万人余り、残りの人が沖縄県人。 走る2万6千人の人以上に凄いのが、 絶対に2万6千人以上はいるだろう沿道で応援してくれる人たち。 42.195キロ応援する人が見えない場所がないといっても良いくらい 沿道のほとんどすべての場所に応援してくれる、うちなーの人人人。 そして私設エイドの膨大な数。 オフィシャルエイドで用意されているのは水とスポンジと 何ヵ所かにだけあるスポーツドリンクのみ。 しかしながら那覇の人たちは自分たちのお金で 私設エイドを作り無償でランナーたちにふるまう。 その種類と量が圧倒的なのだ。 水をはじめとして、麦茶、半分凍ったような状態で冷やされている パック入りのスポーツドリンク、シークワーサージュース、 大量のみかん(しかも皮がむかれた状態で大量にお盆の上におかれていたりする。 横ではせっせとみかんの皮むきをしている。)バナナ、黒糖、塩、飴、その他のお菓子、 沖縄そば、牛丼、もずく、ジューシーのおにぎり、サータアンダギー、 パン、アイスキャンディ、氷、シャワーのサービスなど。 ほぼすべてのエイドに寄っていたら絶対にゴールなど出来ないし、 食べすぎてしまい、走っているのに太っていくというような 状況になる可能性すらある。 沖縄の唯一のモノレールゆいレールの「壷川駅」から運河を渡って 徒歩数分したところに競技場がある、 その競技場から旭橋の駅の方までの大通りを閉鎖し 2万6千人のランナーたちが待機する。 各ブロックごとに居場所が決められるのは東京マラソンなどと同じ。 申告タイムによってブロックは決められる。 ヘリコプターが上空でホバリングを始める。 もうすぐスタートという意味である。 レースの模様は地元のテレビ局やラジオ局が中継している。 ヘリコプターやクレーン、何台もの車やオートバイで中継が行われる。 那覇市内は以外にアップダウンが多い。 上がって下がっての繰り返しは疲労感を増す。 しかしながら沿道の無償の応援のチカラが元気をくれる。 何故このひとたちはこんなに楽しそうに人のために尽くすのか? 道路側から応援する地元の人を見ているとある敬意を覚える。 若いお嫁さんが懸命に補給し、ランナーたちに十分に食べものや飲み物が いきわたるようにしている姿を見ていると、不思議な気持ちになる。 人のために無私でいる姿自体がある種の崇高さを持っている。 沖縄の人は年収換算すると日本でも最低ランクの県だと聞いたことがある。 同時に失業率も高いと聞いた。 しかしながら、彼らの応援の姿を見ていると、 実は彼らこそが一番豊かなんじゃないだろうか?と思うのだ。 レースは惨憺たるものだった。 25キロ以降は全て歩いた。 少し走ってみるのだがすぐに足が痛くなって走れなくなる。 痛みをこらえながら歩くことに集中する。 練習不足がそのまま結果となって現れている。 ハーフマラソンとはわけが違う、 といってもハーフで2時間半かかってしまったのだが。 5時間55分というまさにギリギリでゴール。 ただそうして歩くことによって沖縄の沿道の人たちを じっくりたくさん見ることができたことに感謝! 沖縄の子供たちとおばあと全ての人に感謝! ▲
by haruharuyama
| 2010-12-07 10:28
| 運動と健康
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年に二度、住んでいるマンションの敷地内にある サルビア公園の草刈りがある。 先月、行われる筈だったものが雨で延期になった。 快晴の日の朝、三棟あるマンションの真ん中にある 集会棟から放送が聞こえてくる。農村地区にある地域放送みたいな。 「こちらは、行徳ハイム自治会です。 朝、九時からサルビア公園の草刈りを行います。」 時間が、空いているときは大体行くのだが、参加する人は自治会関係の方々と 子供会の関係者が中心となる。いつも決まったようなメンバーが集まってくる。 草刈りの時だけ顔を合わせる人たちもいる。 何度もやっていると役割分担が何となく出来てくる。 僕はいつも刈った草を大きなポリ袋に詰めていく作業。 作業をしているといろいろと、よしなしごとを考える。 農社業をしていると同じような状態になると聞いたことがあり、 ああ、こんな感覚なのかもと思った。 作業の途中で近くの人に声をかけられる。 そうしてゆるやかな交流が始まる。 地域のコミュニティで活動するということは そんなささやかな喜びから始まるのかなと思った。 子供たちがコミュニティには欠かせない。 子供たちは、恥ずかしがることなく向き合って来る。 階級や年齢を飛び越えるチカラを持っている。 「軍手が欲しいんだけど?」 と子供たちは僕tちに話しかける。 入口の方にあるからと言うと、三人の子供たちは嬉しそうに駈け出して行った。 朝の九時から約二時間で草刈りは終了。 大体70-80人くらいが集まっているのだろうか? 植木屋さんに頼むとウン十万の出費になるだろうことを 自治会のみんなでやる。 「結」の都会版? 同じ作業を通じて、ゆるやかな絆みたいなものが芽生えてくる。 そこに立ち会うということが好きなのかもしれない。 こうして年に二回だけだが、貴重な協働作業が続けられている。 ![]() ▲
by haruharuyama
| 2010-06-06 11:30
| 運動と健康
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田植えの取材に行ってきた。企業のCSR活動の一環。 現地のNPOアサザ基金の助けを借りて 100人近い人が4枚の田んぼで田植えを行う。 企業の現場ではバリバリとスーツ姿でパソコンと携帯を駆使して 仕事をしているだろう人たちも本日は子供たちを引き連れてリラックスモード。 家族で田植えの体験をする。 佐貫駅からバスで移動して、小さな民家を改造したような公民館へ到着する。 ここで着替えて田んぼへ徒歩で向かう。 田靴をここで購入出来る。長靴の底が柔らかくなっており、 靴の上の方は幅ゴムになっておりきちんと閉じられた構造になっている。 耕作放棄地だった農地をこうして田んぼにし 有機無農薬で育てているそうである。 今回は日本酒の原料となる米を三枚分、こしひかりを1枚分に田植えをする。 酒米は地元の田中酒造の方が丁寧に日本酒に仕上げてくれるそうである。 ![]() 子供たちが田に入ると足元のぬかるみに驚いていた。 なかなか足が抜けない。 そこここで靴が脱げたバランスが崩れて倒れそうだという声が聞こえてくる。 まっすぐに稲を植えていくために1メートル少々の竹の棒を使う。 その棒の方向を合わせてその棒に等間隔に稲を植えていく。 またその左右にも等間隔で稲を植えていき、三列の稲を植えながら進んでいく。 一か所には数本の稲の苗のみ。こんなに少なくていいのかな? と一瞬思うが成長のことを考えるとこの程度でいいらしい。 逆にあまり密集させると稲もストレスが溜まると聞いた。 人間もたくさんの人がいるところで働いていればストレスを感じるのだろう。 そんな場所で働いている人たち、生活している人たちが、 ここに来てリラックスしながら労働に汗を流す。 身体を共に動かして、みんなでご飯を食べる。 瞬間その場所に静寂が訪れる。 何故か、みんなが大人しくご飯を食べているのを見て感動してしまった。 一緒に労働して一緒のメシを食う。 ただそれだけ、会話などはいらない。 目の前でご飯を懸命に食べる子供たちを見て、 ここに来られて本当に良かったと思った。 ![]() この日は、朝から近所の農家さんのお母さんたちが 数名炊き出しに来てくれている。 大きな炊飯器がプロパンガスにつながっている。 そこでは炊き込みご飯が炊かれている。 また、隣では油を熱くして白魚と野菜の掻き揚げを作っている。 200個の掻き揚げを楽しそうに作るお母さんたち。 そして野菜たっぷりのお味噌汁。 大根、薄揚げ、ジャガイモ、大根、しめじの入ったお味噌汁が 大鍋でぐつぐつ煮えている。 そして、手づくりのキャベツの浅漬け、ナッパのつくだ煮? タケノコの煮物、デザートに果物が添えられる。 ![]() 何故、食べているときは皆おとなしかったのか?今になってわかった。 夢中で食べているので口がふさがっており、喋ることが出来ないから。 それだけみんながお腹をすかせ、おいしいものを懸命に食べていたんだろう。 今回のこの場所では同時に、岩手の藤原さんという方の指導のもと、 ミツバチの巣箱を作ろうというワークショップが開催されていた。 田植えと交替しながら交互に作業を行う。 ここで昨年作ったミツバチの巣箱に今年ついに日本ミツバチがやってきたそうである。 農薬に弱い日本ミツバチがこの場所を求めてやってきたのだろうか? ミツバチの巣箱から取り出したばかりの蜜をなめさせてくれた、 蜂蜜ってさっぱりしていてさわやかな味だったんだ! と今までの蜂蜜に対する概念が少し変わった。 いま、銀座でミツバチの巣箱を設置するというプロジェクトも行われているらしい。 この日、藤原さんはその銀座で採れた西洋ミツバチの蜂蜜も持ってきていらした。 銀座のミツバチは、浜離宮や皇居に蜜を採りに行くそうである。 田植えの後、ミツバチの新しい巣箱を設置してこの会は終了した。 田んぼの近くに池がありそこにはたくさんの動物たちがいる。 子供たちはカエルをつかまえザリガニ採りに夢中になっていく。 いつの間にか子供たちは一緒になって遊んでいる。 一人の男の子が、僕のところに来て聞く。 「じゅうななさい?」 最初は「???。えっ?」と聞き直すと 「十七歳?」という意味だとわかった。 「オジサンは48歳です。」と答えた。 なぜ、あの男の子は僕のところに来てその言葉を発したのだろう? ▲
by haruharuyama
| 2010-05-16 08:32
| 運動と健康
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2010年4月24日(土曜日)朝7時半すぎ、 快晴の新宿駅西口スバルビル前に続々と人が集まってくる。 赤い「開墾」ののぼりが目印。 こうしてデザインされたものを見ると単純に嬉しくなる。 これからは、社会貢献もヴォランティアも デザインされたオシャレな感覚と一体となったものがいい! 開墾ツアーに集まった人総勢30数名。 これから我々は山梨県北杜市の耕作放棄地を開墾するツアーに行く。 ツアー代金は1泊二日三食温泉付きで2万円! これだけの金額を払って何故開墾に行くのか? と最初は思うかも知れない。 しかし、ここから得られるものにそれ以上のものがあることは 経験したものにしかわからない。 だから、こうして経験したものたちが、経験したことのない人たちに対して 少しでもその魅力を伝えられたらと思って文章にする。 集合前に、朝ご飯として、地下街の立ち食い蕎麦「新和そば」に入る。午前7時15分。 天ぷらそば300円!安くて、おすすめです。 「開墾旗」の下で受付を済ませ、バスに乗り込む大きくデラックスな観光バス。 一路、山梨に向けてバスは出発する。 初台の入口から首都高に乗り、調布を抜け 右に競馬場、左にビール工場を見ながら 八王子インターを抜けていく。 途中、車数台の玉突き事故があり少し渋滞する 。談合坂SAで休憩。ここで、昼食を購入。 1日目の昼食だけが各自用意と書いてあった。 ここにパンやさん「リトルマーメイド」がある。 ここのパンはアンデルセングループなので美味しい。 ウインナーロール、カレーパン、チーズの入ったパン、粒あんパンを購入する。 バスは高速に乗って2時間半くらいで現地に着く。 あっと言う間に到着する感覚。 と言うのは、このツアーでは行きのバスの中で各々が自己紹介をするから。 30数人が一人2分語っても1時間は優に超える。 様々な参加者がいて興味深い。 今回のツアーで特徴的だったのは、ある企業の社長さんが 新人研修として10名の新人+1名の人事担当者を送り込んできたこと。 新人たちはみな若き男性である。 かれらのマンパワーと体力に期待感が高まる。 彼らの会社は住宅工事などの足場などをレンタルする会社だそう。 研修が続いているらしい。 本八幡にある寮にみんなで住んでいるそうである。食堂つき。 いまどき、うらやましい限りの労働環境。 そして、大学生の娘と来た親子、息子と一緒に来たお父さん、娘と母親などなど。 親子の交流がこうした場所で行われるのを見ているとなんとなく嬉しい気持ちになる。 みずがき山公園というみずがき山の麓のパワースポットで休憩、そこで昼食をとる。 売店で、味噌を購入。 先日、この村に来た時に買った、竹田味噌がとてもおいしく、 今度は別の手作り味噌を購入した。 これも美味い!味噌と醤油はいいものを使うと元に戻れなくなる。 ちょっとの出費で大きな贅沢の出来る逸品。 五郎舎(ごろうや)という民宿というには立派すぎる宿で開墾ウェアに着替えて出発。 開墾グッズ基本アイテムは、 長靴、軍手、帽子、手ぬぐい。 長靴も様々な種類があり、驚く。 そしてウェアのカラフルでおしゃれなものを皆なうまく着こなしている。 耕作放棄地に開墾ウェアのカラフルな花が咲く。 モンベル、パタゴニア、マーモット、ノースフェイス、ナイキ、などなど 機能的でカラフルで洒落たものがたくさん出ている。 初日は開墾村の看板を設置し、 以前、開墾した土地の抜根(ススキや樹木の根を掘り出すこと。)や 畔板(あぜいた)の修復を行う。 この開墾村の看板が掲げられた場所は今年、水田として蘇る計画である。 美しい水田風景、里山の風景がもうすぐ戻ってくる。 開村式として、開墾地の四隅に開墾旗を立て、お神酒とお米を撒く。 五穀豊穣の祈りが始まる。 ![]() 何物にも代えがたい自然、人間の力ではどうしようもない自然に真摯に向き合う。 ![]() 終了後「NPOえがおつなげて」が増富に設置した「みずがきランド」のお風呂に入る。 わいわいと汗を流し、土まみれになった身体をきれいにする。 18時過ぎから「五郎舎」にて、夕食と交流会が始まる。 ここの夕食はいつも本当に美味しい。 山菜や花豆煮、山菜の天ぷら、そして筍ご飯などが出る。 野菜中心のヘルシーで美味しいメニュー。 野菜や卵は地元で採れた新鮮な食材が使われている。 これらのものを食べると肉や魚などは必要ない?と思ってしまうだけのものがある。 それだけ、ここの食事が、食材が美味しいということ。 ビールがどんどんと空き、地元のワインや、日本酒が開けられる。 参加者が持って来た、焼酎や、果実酒などがふるまわれる。 はるかちゃんの作った、自家製果実酒などは一瞬のうちに空になる。 みんな、平等でフラットな世界が拡がる。 誰が偉いとか年齢や性差なども関係なく、 みながそれぞれの想いをそれぞれの場所で語る。 いろんな人が自由に語りあう場所が拡がる。 それも、開墾という協働作業を終えて来たからだろう。 協働作業をしたあとの雰囲気は昼食のときとはまるで違っている。 日帰りだとどのようになるのだろう?と思った。 食事がほぼ出つくし、デザートが出される頃、 参加者たちと、この開墾のお世話を現地でしていただいている 「NPOえがおつなげて」の代表、曽根原さんたちのお話を伺う。 そして、その場所でそれぞれが自己紹介を行う。 お酒が入っていることもあって大いに盛り上がる。 僕もここでお話をした。 農とは開墾とは土に触れることとは、芸術に似ているということ。 人間の根源的なものに触れる何かがある。それは、芸術も同じ。 舞台芸術の好きな僕はそのことを強く感じており、 そのことについてずーっと考えている。 農に触れるということは芸術的な行為と似ている。ものを創りだすという意味では同じ。 どちらもとてもクリエイティブな行為である、と。 そして、農作業という行為が芸術的な感覚を目覚めさせ、 左脳と右脳が活性化していく。 身体とつながったこの状況を肌で感じ取れるのが開墾の面白いところ。 身体と脳がつながり、大地を通じて地球に通じ、地球を通じて宇宙につながる。 そしてさらにその先には生命という概念が横たわっている。 そんな感覚が蘇ってくるのである。 そして、そのような経験をした同士たちがこうして ひとところに集まってさらに人がつながっていく。 映画「サマーウォーズ」を例に挙げてみんなに説明してみた。 多少おおげさだったかもしれないが、 僕の思っていることが、少しは伝わったのだと信じよう。 発言すると「開墾シール」をもらう。携帯電話に「開墾シール」を貼る。 ![]() 23時宴会終了。 宿のおばさんが、宴会が終わるまで待ってていただいているのに気付き、申し訳なくなる。 彼女たちは、明日の朝の7時には朝食を30人分以上用意しなければならない。 翌日も快晴。天気のいい増富の田畑と里山を見ていると気分がいい。 遠くに雪を戴いた八ヶ岳連峰が見える。 朝ご飯もいつも本当に美味しい。 卵と豆腐の甘く煮つけたもの、白菜の味噌汁、手作りのおしんこ、 塩鱒、野菜のお浸しなどなど。 とろろ芋が添えられておりご飯を三杯も食べてしまう。 前日、早寝をした人たちは、6時出発で早朝ジョギングに行ったらしい。 標高が高いので息が切れると聞いた。 標高は千数百メートルである。 昨日に引き続き開墾、この日は林のようになった場所の木を切って根を抜く。 そしてイバラや下草を刈る。大地の散髪みたいなもの。 ![]() すっかりきれいになった散髪された大地の前で記念撮影会が行われる。 昨日の夜の宴会ですっかり仲良くなったみんなは、和気あいあいと開墾をしている。 ![]() 開墾にも様々なやり方がある。 一人で黙々とやるタイプ。親子や夫婦で仲睦まじくやるタイプ。 ![]() そして、大勢で大きな目標に向かって木を切り根を抜くタイプ。 その日の気分やその人の性格によっても違うだろう。 そうして協働作業を通じてお互いが有機的に結合し始める。 そこからコミュニケーションが生まれて来る。 その瞬間が開墾の魅力でもある。 数時間で目に見えてきれいになる耕作放棄地。 ![]() こうして結果が目に見える形で提示されることに満足する。 結果が見えないまま何日も何カ月も何年も行う仕事が 一方にはあることを考えるとシンプル。 五郎舎に戻って、開墾前と開墾後とどう変わったのか、 どう感じたのかをそれぞれがそれぞれの言葉で語り合う。 みんなが人の話をきちんと聞いている。 この場の一体感の感覚が忘れられなくなる。 五郎舎で蕎麦といなりずしの昼食を食べた後、 ラジウム温泉「増富の湯」へ。大きな入浴施設。 マッサージコーナーや休憩所、食堂もある。 天然かけ流しの源泉は25℃! 「冷たいっ!」 と入った瞬間思うのだが、入ったあとじーっとしていると独特の肌感覚になる。 不思議な体験だった。 風呂上りのビールを飲み、そのままバスで東京へ。 談合坂で休憩した後は一路、新宿。 新宿西口スバルビル前に到着したのは午後6時半だった。 もうすぐ、「サザエさん」が始まる。 開墾に来たメンバーたちは三々五々別れ、またそれぞれの都会の生活に戻っていく。 主宰者の大塚さんが言っていた。 開墾して数日後に脳が活性化するのか、ものすごいアイデアが現れる!と。 人生観を覆すような体験がある! その魅力をきちんと言葉にするためには、さらにもう少し、 開墾や農作業のお手伝いを続けてみよう。 その先の、何かが見えてくるかもしれないから。 追伸:「開墾ブログ」立ち上がりました! ▲
by haruharuyama
| 2010-04-29 14:45
| 運動と健康
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