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今年の、書籍、映画、舞台、などの極私的ベストの 詳細です。現時点での記憶に従った感想を記してあります。 当時のレビューは過去のブログに書かれています。 ●書籍 1、「編集者という病い」見城徹(@太田出版) 2、「私家版・ユダヤ文化論」内田樹(@文春新書) 3、「反転」田中森一(@幻冬舎) 4、「生物と無生物の間」福岡伸一(@講談社現代新書) 5、「ウエブ時代をゆく」梅田望夫(@ちくま新書) 6、「芸術起業論」村上隆(@幻冬舎) 7、「毎日かあさん③、④」西原理恵子(@毎日新聞社) 8、「官僚とメディア」魚住昭(@角川oneテーマ文庫) 9、「美しいって何だろう?」森村泰昌(@理論社) 10、「教えることの復権」大村はま・苅谷剛彦、夏子(@ちくま新書) 番外1、「本谷有希子著作」 番外2、「安野モヨコ著作」 番外3、「走ることについて語るとき僕が語ること」村上春樹(@文芸春秋) ●書籍総評 この数年、小説の類を読まなくなりました。 フィクションに対して、読んで、 何かを感じるということに、 興味がなくなってきているのかも知れません。 その中で、今年唯一、多くの小説を読んだ作家がいます。 「本谷有希子」です。 彼女の特集を、6年前から発行している、 舞台芸術のフリーペーパー「プチクリ」の中で やろうと思い立ちました。 このフリーペーパーでは思い立った人が編集長をします。 その際に、「文芸とエンゲキ」の特集として、 本谷有希子を取り上げることになりました。 そのフリーペーパーが出る頃、 丁度、「劇団、本谷有希子」の吉祥寺シアターでの ロングラン公演が始まり、それに続いて、 本谷有希子原作の映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(吉田大八監督) の公開が控えていました。 彼女の小説は、三島由紀夫賞や、芥川賞の候補になりながら 受賞を果たせずにいました。 昨年、上演された「遭難、」の戯曲に対して、 ついに鶴屋南北戯曲賞を受賞されました。 「江利子と絶対」という短編集が僕の中では強く印象に残っています。 もちろん、「腑抜けども、悲しみ愛を見せろ」や「ぜつぼう」、 「生きているだけで愛」も全て面白い。 「独特の絶望感」と「ユーモア」と「少しの救い」が描かれています。 悲惨な感じがするのだが笑えてしまう シチュエーションを描ける数少ない作家の一人です。 そして、もう一人、小説家ではなく、漫画家です。 今年は、縁あって彼女の著作を集中して読む機会に恵まれました。 まだ、彼女の著作を全て読んだわけじゃない。 しかし、これから時間のある限り、読み続けていこうと思います。 「安野モヨコ」です。庵野秀明監督を夫に持つ、 彼女はまさに「働きマン」! ものすごく仕事して、ものすごく遊ぶ。一生懸命生きている。 世間で魅力がある人に共通の特徴がここにあります。 全力疾走しながら生きている感覚とでもいうのでしょうか? それは見ていて気持ちいいです! 実際、そのような人に会うと、「一期一会」ということを 良く知っており、少ない時間でも濃密に真剣に向き合ってくれます。 シアターコクーンで安野さん(多分、御本人だと思う。)を お見かけしたときに声をかければ良かったかなあああと、 いまだに悔やまれます。印象に残ったものとしては エッセイよりもやはり、漫画! 「脂肪と言う名の服を着て」(@祥伝社)「カメレオン・アーミー」(@祥伝社) そして、もちろん「働きマン」(@講談社)、 日本テレビのドラマも菅野美穂の体当たりの演技で 面白いものになっていました。 「監督不行届き」(@祥伝社)は、 夫である庵野秀明監督の人となりを知る上で面白いです。 書籍ベスト10に関しては、今年最大の収穫は、 幻冬舎社長、見城徹が自らを語り始めたことです。 ある年齢に達したこともあるのでしょう、 自らの半生記を著したのです。 「編集者という病い」がそれです。編集者の仕事は、 プロデューサーの仕事に良く似ています。 作り手と魂が触れ合う部分で切り結ぶ。 それがベースとなり、そこからきちんとした アートマネージメントを行うこと。 これこそ、まさしくプロデューサーです。 本書の刊行後、NHK教育テレビ「知るを楽しむ」や 「情熱大陸」などで見城さんが何度か取り上げられました。 これまでのエピソードが面白いだけに、 どれも魅力的な番組になっていたと思います。 続いて、敬愛する内田樹の労作である「私家版・ユダヤ文化論」。 彼が思う、「ユダヤ人」とは、を彼なりの視点で語っています。 本書は第六回小林秀雄賞を受賞しました。 差別がどのようにして起きるのかという 根本的な部分の視点を見開かせてくれました。 「反転」はベストセラーになったので 多くを語る必要もないでしょう。 元、検察官でヤメ検弁護士をしていた 田中森一の「業」の深い方々との交流の事実の暴露本です 。筆致が的確で読みやすいです。 「生物と無生物の間」は福岡伸一の文章力に舌を巻きました。 本当にこの人は理系の人なんだろうか? どうしてこんなにも気持ちのいい文章が 書けるんだろうかと感心します。 まるで、村上春樹の小説を読んでいるようです。 「ウェブ時代をゆく」はあの名著「ウェブ進化論」を著した、 梅田望夫の最新刊です。ここで梅田望夫は、 ウェブ時代での働き方と学び方について語っています。 彼の持つ圧倒的にポジティブに ものごとを捉えていくスタイルは本当に参考になります。 また、自律し自ら行動し、考え、前へ進んでいかなければ ならないという指摘には納得させられました。 「芸術起業論」は、村上隆の理念が語られています。 人の心を震わせるような芸術を最高のものにしていくための 戦略がここにあります。いままでの芸術家は、 あまりにも戦略がなかったので、経済社会に 消費されることに陥りがちでした。 「毎日かあさん」は西原理恵子の視点と生き方、 そして彼女を巡る家族や元夫の日常の切り取り方が素晴らしいです。 ちょっとしたことで、幸せな気持ちになったり、 徹底的とも言える叙情性を持ちえたりするのです。 こんな、漫画家ほかにいない。 「官僚とメディア」は、魚住さんがジャーナリストとして 語らざるをえないことを語った本。 官僚によってメディアはコントロールされている事を知り驚きました。 本当のジャーナリズムは、いったい どこにあるのかということを考えさせられました。 と、ともに、エリート集団のもつ同窓たちの 結束のチカラも同時に強く感じました。 魚住さんが書かれた「差別と権力」も 読み応えがありました。この本は、野中広務の評伝でもあります。 「美しいって何だろう?」は編集者である Oさんが強力に薦めてくれたもの。 「美しい」と感じる感じ方は人によって違うなどの、 人間が豊かに生きるヒントが満載の本です。 本書は「よりみちパンセ」シリーズの中の一冊。 小学校高学年から中高生向けの本なので 子どもさんにもオススメです。 「教えることの復権」は、国語教師を長くやっていた 大村はまさんの実像に迫ろうとしたもの。 苅谷さんの文章は、個人的には、 あまりいただけないところもあるのですが、 教育者としての大村さんの凄さと教育にかける熱意が ひしひしと伝わってきます。 半端な気持ちで教育者は務まらない。 最後の、番外として、敬愛する村上春樹の著作 「走ることについて語るときに僕が語ること」。 3年前から少しずつ走り出した僕は、 到底、村上さんのようにはなれませんが、 「走る」ということに対する感覚、 特に長距離走の感覚は同じようなところがあるなあと実感しました。 1月はハーフマラソンが控えています。 フルマラソンをキチンと完走する、 という夢はいったい、いつになりますやら? ●映画 1、「川島雄三監督特集」(@国立フィルムセンター) 2、「パラダイス・ナウ」2005年・仏、独、蘭、パレスチナ(@東京都写真美術館) 3、「天然コケッコー」2007年・日本(@シネスイッチ銀座) 4、「シークレット・サンシャイン」(仮題)2007年・韓国(@有楽町国際フォーラム) 5、「NARA奈良美智と旅の記録」2007年・東北新社(@シネマライズ渋谷) 6、「腑抜けども、悲しみの愛をみせろ」2007年・日本(@映画美学校) 7、「東京裁判」1983年・日本(@DVD) 8、「選挙」2006年・日本(@アップリンクファクトリー) 9、「メガネ」2007年・日本(@銀座テアトルシネマ) 10、「追悼特集・今村昌平」(@国立フィルムセンター) ●映画総論 今年は、熱心に映画を見られませんでした。 最新映画はほとんど見ていません。 さらに、今年の秋は風邪をひいてしまって、 楽しみにしていた2年に一度の 「山形国際ドキュメンタリー映画祭」にも行く事ができませんでした。 たまにかかる、旧い映画の特集上映と ドキュメンタリー映画に関してのみ足を運ぶというような年でした。 その中で、「川島雄三監督特集」は印象深い催しでした。 川島雄三作品で心に残ったものは「暖簾」「接吻泥棒」 「赤坂の姉妹よりー夜の肌」「女は二度生まれる」「花影」 「東京マダムと大阪婦人」「銀座二十四帖」「風船」 「喜劇・とんかつ一代」「とんかつ大将」あたりでしょうか? その中でも一番空きなのが、「女は二度生まれる」です。 実は、若尾文子が好きなのかもしれません。 今年、夫だった黒川紀章がなくなりました。 「パラダイス・ナウ」を見に行くきっかけとなったのは 1通のメールでした。その差出人はアップリンクの浅井隆さん。 彼の名前で、この映画を見てつまらないといった人には 私が全額返金するというものでした。 アップリンクファクトリーでの上映ならまだしも、 同時期に上映している、東京都写真美術館の鑑賞費でも 構わないとのこと。行きました。見て、納得。 浅井さんの命がけの推薦は、僕に貴重な きっかけを作ってくれました。 自爆テロに行こうとするパレスチナの若者の話です。 「天然コケッコー」は、あの原作の世界観を どのように表現するのだろうと思ったら、 山下敦弘監督は見事に具現化してくれました。 夏帆ちゃんの無垢さと岡田将生くんの さわやかな感じがよかったです。 東京への修学旅行のシーンは秀逸。 「シークレット・サンシャイン」(仮題)は、 今年の東京フィルメックス映画祭の クロージング上映で流されました。 審査委員長のイ・チャンドンの新作。 主演のチョン・ドヨンは、 今年のカンヌ国際映画祭で主演女優賞を受賞しました。 不条理な運命に翻弄される女性と 「赦し」ということについて考えさせられる傑作です。 行定勲監督もこの映画祭で審査員をされていました。 「NARA・奈良美智と旅の記憶」は、ドキュメンタリーです。 奈良美智にここまで肉薄した坂部監督の熱意には頭が下がります。 ドキュメンタリーは、熱意を持って作り続けなければならない ということを教えてくれた映画でした。 そして、奈良美智のこころの変化や、優しさ、美術に対する思いを 強く感じました。先日、「AtoZ」展覧会で得た 黒字の2400万円をもとに、弘前市の公園に、 奈良さんがノーギャラで造った大きな犬のオブジェを 寄贈したニュースを見て嬉しい気持ちになりました。 「AtoZ Memorial Dog」というそうです。 「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は、 書籍のところでも書いた本谷有希子原作の映画です。 漫画の使い方が本当に上手いと思いました。 「東京裁判」は今年の8月に集中して見た、 戦後特集のTVドキュメンタリーなどを見て、 その流れからDVDを見ました。 実際の東京裁判と、パール判事というインド人判事の考え方などを 知っていろいろなことを考えました。 本当に、善と悪は時代によって変化し、 どのような尺度で「善悪」を計るのかというのは、 本当に難しい問題だなと思います。 「選挙」もドキュメンタリー映画。 外国で学んだ日本人や外国に住む日本人や日系人が 日本のことについて考察したドキュメンタリーが 今年は豊作だったような気がします。 このドキュメンタリーも米国で映画を学んだ NY在住の監督の友人がひょんなことから 川崎市議選に出ることになり、 選挙の顛末を追ったもの。 ちょうど、参院選(7月29日投票日)に重なって公開され、 見に行きました。 山内和彦の名前が暫く、耳から離れませんでした。 この映画は1月6日(日曜日)午前1時~1時55分 NHK総合で放送される予定です。(但し、ダイジェスト版)。 「メガネ」。この世界観を描けるのは荻上監督しかいないでしょう。 美しい、キッチンに美味しそうな食事たち。 雰囲気を楽しむ映画があってもいいと思います。 何となく記憶に残る映画。それは記憶脳ではなくて身体脳? 「今村昌平監督特集」今村昌平こそ、 人間の生身の身体を強く感じさせる監督です。 この感覚は誰にも真似できないのでは、と思います。 個人的には決して好きなわけではないのですが、 映画の持つ「強さ」に惹かれます。 ●舞台芸術 1、「わが闇」ナイロン100℃・KERA作・演出(@本多劇場) 2、「三人吉三」コクーン歌舞伎・串田和美演出(@シアターコクーン) 3、「コンフィダント・絆」三谷幸喜作・演出(@パルコ劇場) 4、「キル」NODA MAP・野田秀樹作・演出(@シアターコクーン) 5、「不確かな物質」ブルドッキング・ヘッドロック・ 喜安浩平作・演出(@三鷹市芸術文化センター) 6、「野鴨」メジャーリーグ・タニノクロウ演出(@シアター1010ミニシアター) 7、「ワールドトレードセンター」燐光群・坂手洋二作・演出(@ザ・スズナリ) 8、「若い夫のすてきな微笑み」城山羊の会 山内ケンジ作・演出(@三鷹市芸術文化センター) 9、「nostalgia」維新派 松本雄吉作・演出(@大阪城ウルトラマーケット) 10、「ビルマの竪琴」地人会 木村光一演出(@ベニサンピット) ダンス・1「政治的」イデビアン・クルー(@吉祥寺シアター) ダンス・2「ミミ」室伏鴻×黒田育世(@赤坂REDシアター) ダンス・3「Please send Junk food candies girlish hardcore」指輪ホテル(@森下スタジオ) 再演1・「失踪者」松本修演出(@シアタートラム) 再演2・「冬の入口」弘前劇場(@シアターグリーン) (その他) 「朧の森に棲む鬼」劇団☆新感線(@新橋演舞場) 「真冬の同窓会」弘前劇場(@ザ・スズナリ) 「笑顔の砦」庭劇団ペニノ(@駅前劇場) 「放埓の人」燐光群(@SPACE雑遊) 「犬は鎖につながれている」ナイロン100℃(@青山円形劇場) 「THE BEE」(ロンドンバージョン)NODA MAP(@シアタートラム) 「火宅か修羅か」青年団(@こまばアゴラ劇場) ●舞台総評 「わが闇」ナイロン100℃(@本多劇場) 12月になって、ついに、来ましたああああ! ベスト1!素晴らしいKERAの傑作。 そしてこの舞台で彼は、一段、階段を上りました。 普遍的で素敵な舞台を作ってくれたことに本当に感謝。 昨年もここで取り上げたのが「噂の男」でした。 これもKERA演出。 ただ、単にKERAが好きなだけなのでしょうか? 「三人吉佐」コクーン歌舞伎(@シアターコクーン) 串田和美の演出に感動! 伝統芸能を現代美術にしてしまう手腕に脱帽です。 「コンフィダント・絆」(@パルコ劇場) まさに、三谷幸喜らしい舞台。 生瀬さん最高。三谷さんは数年前に、 堀内敬子という素敵なキャストと出会って本当に良かったです。 「キル」NODA MAP(@シアターコクーン) 来年、野田秀樹はどこへ向かうのかが一番の感心事です。 美しい「ひびのこずえ」の衣裳と、ミニマルな舞台美術、そして照明。 叙情的な音楽。そこに素晴らしいキャストが 極めて演劇的なことを行う。 このような類の舞台を体験させてくれるのは 「NODA MAP」以外にはなかなかお目にかかれません。 何度も通う熱心な野田ファンというのが確実に存在しています。 「THE BEE」(@シアタートラム)の上演も評判でした。 残念ながら日本バージョンを見ることは出来ませんでした。 (チケットが取れませんでした。) ロンドンバージョンを見たのですがその完成度の高さと、 暴力の連鎖を憎む野田さんの姿勢に打たれました。 「不確かな物質」ブルドッキング・ヘッドロック(@三鷹市芸術文化センター) 新しい、才能の登場です。 ナイロン100℃で活躍している、喜安浩平のユニット。 彼の才能は本当にユニーク。 三鷹の広い空間を小さく区切って、 いろいろなことを並行して進めていく技量にびっくりしました。 また、その露悪的ともいえる脚本も魅力的なものでした。 次回公演も大いに期待です。 この上演を計画した、三鷹市芸術文化センターの森元さんは 本当に凄いプロデューサーだなあと思います。 「野鴨」(@シアター1010ミニシアター) この公演も、2007年の記憶に残る エポックメイキングな舞台でした。 劇作家&演出家のタニノクロウは、 今年になって見始めた作家ですが、 本当に緻密な舞台を作り上げていきます。 その中で、演出だけ担当された、本公演は 突出していたように思います。 まず、イプセンの原作に忠実に演出したことによって 普遍性を持ちえたこと。 そして、たんねんに作りこまれた美術や照明の素晴らしさ。 記憶に残る舞台となりました。 精神科医でもあるタニノクロウさんに今度、 是非、お話を聞いてみたいと思いました。 「ワールドトレードセンター」燐光群(@ザ・スズナリ) 坂手洋二らしい、本当に彼らしい舞台。 ドキュメント演劇として、たくさんの事象のコラージュを 楽しめました。あの9月11日の日のニューヨークでの出来事の フィクションとは言え、フィクションではないように見えて、 それがリアルで衝撃的でした。 このようなドキュメント演劇がもっと見たいと思っています。 但し、山崎哲は、全く違います。 継承できる新しい作家の登場を期待しています。 また、同じ坂手洋二の手になる舞台「放埓の人」も 素敵な舞台でした。中年男の恋と、 人生の折り返し地点を越えた諦観が 上手に描けていました。 「若い夫のすてきな微笑み」城山羊の会(@三鷹市芸術文化センター) 深浦加奈子と山内ケンジの競作は面白い舞台になるに決まっています。 この舞台も広すぎると思える三鷹の劇場を 何とかうまく使って魅力的な舞台に仕上げていました。 演劇ライターの徳永京子が、この舞台を昨年の記憶に残る ベスト3のひとつとして挙げていました。 (@メールマガジン「マガジンワンダーランド」にて) 今度2月にある、駅前劇場の公演も楽しみです。 「nostalgia」維新派(@大阪城ウルトラマーケット) 大阪城公園まで、わざわざいった甲斐がありました。 ブラジル移民の話。しかし、そんなことはどうでも良く、 集団のチカラと統一されたアートディレクションのチカラを感じる舞台でした。 松本修演出「失踪者」(@シアタートラム)の イメージが重なりました。 「ビルマの竪琴」地人会(@ベニサンピット) 今年、最も残念だったことは地人会が解散してしまったことです。 主宰の木村光一が高齢のためということで仕方ありませんが、 常に高いレベルの舞台を送り続けてくれた集団が 消え去っていくことは演劇界のおおきな損失であります。 今後、地人会が担ってきたことを 公共劇場のプロデューサーたちを中心として、 何とか再生できないかと切に願う次第であります。 ダンス・1「政治的」イデビアン・クルー(@吉祥寺シアター) 知的で、身体的で、笑えるダンス。 しかも、スタイリッシュ!どんなダンスやねん! とツッコミが入りそうではありますが、 とにかく、面白いダンス公演となりました。 ダンス・2「ミミ」室伏鴻×黒田育世(@赤坂REDシアター) ふたつの別の才能が別々のままひとつの舞台に提示されました。 二つの才能は決して溶け合わず、 その異物どうしのぶつかりが舞台に独特な緊張感を生んだのだと思われます。 ダンス・3「Please send Junk food candies girlish hardcore」 指輪ホテル(@森下スタジオ) 初めての指輪ホテルはPOPでCUTEでチャーミングでした。 ガーリーな世界を羊屋白玉風に表現すると このようになるのだと思いました。 現代日本のPOPカルチャーがここにはありました。 その世界観は「オタク」に大きく通ずるものがあるように思います。 再演1・「失踪者」松本修演出(@シアタートラム) 「アメリカ」の再々演、どんどん完成度が上ってきました。 再演2・「冬の入口」弘前劇場(@シアターグリーン) 初演の感動が、今も尚伝わってきました。 やっぱり弘前劇場はええわあ。 「真冬の同窓会」も素敵な舞台でした。 ●落語 1、「立川談志独演会」12月18日(@よみうりホール) 2、「浅草見番寄席・桂吉坊の会」10月20日(@浅草見番) 3、「東西落語研鑽会」3月23日(@よみうりホール) ◎「牡丹燈籠」7月10日、8月10日 柳家喬太郎(@横浜にぎわい座) ●演芸総評 今年はまた、落語を、少しずつではありますが 見るようになった年でした。 そこで得たのは「一期一会」ということでした。 毎回、演り方が変わるもの、 同じものは二度と見られない。 その緊張感の中に観客が正対すれば、 貴重な経験が出来るのだと知りました。 それを教えてくれたのが、立川談志でした。 「立川談志独演会」12月18日(@よみうりホール) この高座がそれでした。「芝浜」の新しい解釈が聞けること、 それを談志自らが評価し、観客が同時にそれを受け容れたこと。 本当に素敵な出会いがここにありました。 「浅草見番寄席・桂吉坊の会」10月20日(@浅草見番) 落語鑑賞集団である、三浦一派のYさんから 教えていただきました。 浅草見番という風流な場所で聴く「蛸芝居」は秀逸でした。 吉坊はまだ若いのに、この伝統芸能の数々に対する 見識はどうでしょう? その幅の広さと熱心さに感動してしまいました。 「東西落語研鑽会」3月23日(@よみうりホール) 桂文珍がこんなに落語が上手いのかと初めての経験でした。 釈代を前にして語る、 上方落語の「大阪弁」は耳に心地よいものでした。 ◎「牡丹燈籠」7月10日、8月10日 柳家喬太郎(@横浜にぎわい座) 円朝という人が如何に凄い人か、ということを教えられた公演でした。 ●美術 「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(@国立博物館) ●美術総論 今年は、国立新美術館やサントリー美術館が開館し、 六本木ミッドタウン周辺にも足を運ぶ機会が出来ました。 そこで黒川紀章さん御本人を見る事も出来ました。 上野の国立博物館での「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」は 特筆すべき展覧会でした。 イタリアのフィレンツェにあるウフツィ美術館の 監修になる展示方法が知的好奇心を刺激するものでした。 展示の仕方で、美術展はどのようにもなるのだなあ と言うことを実感しました。 そこには編集やプロデュースという概念なくしては出来ません。 そのことを痛感した展覧会を経験できました。 さて、来年はどんな年になりますやら。 「変化を恐れずに前へ進んでいくこと」 が来年の僕の課題です。 来年もヨロシクお願い致します。 ありがとうございました。 ▲
by haruharuyama
| 2007-12-31 09:44
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◎2007年極私的ベスト 今年も、残すところあと少しとなりました。 みなさまに於かれましてはどのようにお過ごしでしょうか? 今年観た、読んだ、書籍、映画、舞台などから 極私的ベストを選び出してみました。 みなさまの面白かったものも、 良かったら教えて頂ければと思います。 ●書籍 1、「編集者という病い」見城徹(@太田出版) 2、「私家版・ユダヤ文化論」内田樹(@文春新書) 3、「反転」田中森一(@幻冬舎) 4、「生物と無生物の間」福岡伸一(@講談社現代新書) 5、「ウエブ時代をゆく」梅田望夫(@ちくま新書) 6、「芸術起業論」村上隆(@幻冬舎) 7、「毎日かあさん③、④」西原理恵子(@毎日新聞社) 8、「官僚とメディア」魚住昭(@角川oneテーマ文庫) 9、「美しいって何だろう?」森村泰昌(@理論社) 10、「教えることの復権」大村はま・苅谷剛彦、夏子(@ちくま新書) 番外1、「本谷有希子著作」 番外2、「安野モヨコ著作」 番外3、「走ることについて語るとき僕が語ること」村上春樹(@文芸春秋) ●映画 1、「川島雄三監督特集」(@国立フィルムセンター) 2、「パラダイス・ナウ」2005年・仏、独、蘭、パレスチナ(@東京都写真美術館) 3、「天然コケッコー」2007年・日本(@シネスイッチ銀座) 4、「シークレット・サンシャイン」(仮題)2007年・韓国(@有楽町国際フォーラム) 5、「NARA奈良美智と旅の記録」2007年・東北新社(@シネマライズ渋谷) 6、「腑抜けども、悲しみの愛をみせろ」2007年・日本(@映画美学校) 7、「東京裁判」1983年・日本(@DVD) 8、「選挙」2006年・日本(@アップリンクファクトリー) 9、「メガネ」2007年・日本(@銀座テアトルシネマ) 10、「追悼特集・今村昌平」(@国立フィルムセンター) ●舞台芸術 1、「わが闇」ナイロン100℃・KERA作・演出(@本多劇場) 2、「三人吉三」コクーン歌舞伎・串田和美演出(@シアターコクーン) 3、「コンフィダント・絆」三谷幸喜作・演出(@パルコ劇場) 4、「キル」NODA MAP・野田秀樹作・演出(@シアターコクーン) 5、「不確かな物質」ブルドッキング・ヘッドロック・ 喜安浩平作・演出(@三鷹市芸術文化センター) 6、「野鴨」メジャーリーグ・タニノクロウ演出(@シアター1010ミニシアター) 7、「ワールドトレードセンター」燐光群・坂手洋二作・演出(@ザ・スズナリ) 8、「若い夫のすてきな微笑み」城山羊の会 山内ケンジ作・演出(@三鷹市芸術文化センター) 9、「nostalgia」維新派 松本雄吉作・演出(@大阪城ウルトラマーケット) 10、「ビルマの竪琴」地人会 木村光一演出(@ベニサンピット) ダンス・1「政治的」イデビアン・クルー(@吉祥寺シアター) ダンス・2「ミミ」室伏鴻×黒田育世(@赤坂REDシアター) ダンス・3「Please send Junk food candies girlish hardcore」 指輪ホテル(@森下スタジオ) 再演1・「失踪者」松本修演出(@シアタートラム) 再演2・「冬の入口」弘前劇場(@シアターグリーン) (その他) 「朧の森に棲む鬼」劇団☆新感線(@新橋演舞場) 「真冬の同窓会」弘前劇場(@ザ・スズナリ) 「笑顔の砦」庭劇団ペニノ(@駅前劇場) 「放埓の人」燐光群(@SPACE雑遊) 「犬は鎖につながれている」ナイロン100℃(@青山円形劇場) 「THE BEE」(ロンドンバージョン)NODA MAP(@シアタートラム) 「火宅か修羅か」青年団(@こまばアゴラ劇場) ●落語 1、「立川談志独演会」12月18日(@よみうりホール) 2、「浅草見番寄席・桂吉坊の会」10月20日(@浅草見番) 3、「東西落語研鑽会」3月23日(@よみうりホール) ◎「牡丹燈籠」7月10日、8月10日 柳家喬太郎(@横浜にぎわい座) ●美術 「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(@国立博物館) ●総評 今年は、いったいどんな年だったのでしょう? 振り返ると、偽装を中心とした問題が起こり世論の集中攻撃が起きて、 その謝罪会見を、マスメディアを通じて見るということが ものすごく多かった年だったような気がします。 ほぼ毎週のようにどこかの偉い方が カメラに向かって頭を下げていました。 謝罪をする人が次々と現れるので、 以前誰がどこで何を謝罪をしたのかが、 記憶に残らないこともあるほどでした。 特に、食品の賞味期限についての問題が 多かったように思います。 「世間」の「賞味期限」もどんどん短くなっています。 宮崎の東国原知事の当選は地方の明るい話題でした。 ファミリーマートで「そのまんま東の宮崎県食品フェア」を やっていたときには、さすがと思わされました。 さてエンタメ系、極私的ベスト10の詳細は明日 このブログ上にアップします。 ものすごく長文をお許しください。 ▲
by haruharuyama
| 2007-12-30 09:16
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いつも青年団の舞台を見ると、優しい、おだやかな気持ちになる。 多分、西伊豆だろうか、の旅館のロビーが舞台になっている。 驚くのは、この戯曲が12年前に書かれたということ。 平田オリザは何と30代前半にしてこのような老成、 いや成熟した戯曲を書く事が出来たんだ! こんなにも大人な人情の機微を丁寧に描くことは 50代、60代になっても難しいだろうなあと思っていたのに、 まるで戦前の知識人のような成熟さである。 その12年前の戯曲を40代後半になった平田オリザが もう一度、舞台にしようと思ったのはどういう意図があったのだろうか? 平田は折込のキャスト表の中で語っている。 この12年で、私にいくらかの成長があったとすれば、 それは、すべての人は心に修羅を宿しているという、 ごくごく当たり前の、理屈では分かっていたことを、 様々な局面で骨身にしみて実感できたことでした。 年をとるのも捨てたもんじゃない。 そうして、この再演が決まったらしい。 年齢を重ねることによって本当に いろいろなことが降りかかって来る、というのはよーくわかる。 平田オリザと同世代の僕は痛いほどの実感である。 同じく、同世代のKERAも「わが闇」で、 人生のひとつの山を越えると、また次の山が 来るというようなことを言っている。 「わが闇」も作家の父親が居る、三姉妹のお話だった。 同時期に、同世代の劇作家が同じようなモチーフの舞台をやり、 その印象や後味がまったく違うものになる。 そのエンゲキの作家の多様性みたいなものを 強烈に意識することになった。 しかも、どちらも演劇的に非常に 優れた舞台として長く記憶に留まるだろう。 志賀廣太郎演じる小説家は 西伊豆かと思われる旅館に長逗留し作家活動をしている。 彼は三姉妹の娘を持つ父親である。 父親は早くに妻を亡くし、娘たちから逃れるようにして、この旅館に住む。 三女はいろいろと思うところあって父親を訪ねる。 長女と次女がそれを追いかける。 父親の新しく妻になる女性がたまたまそこに居合わせる。 きまずいような、また、それを 受け容れようとするような優しい空気が流れる。 同じ宿に、30代前半の高校のクラブの同期会の面々もやってくる。 ボート部で死んだ友人の13回忌でもある。 謎の一人旅の男に、謎の女が訪ねてくる。 旅館の女将や番頭さんがそこにからむ。 父親である、作家先生のところに原稿を取りに来た編集者。 彼らの様々な関係性と交わされる会話から 彼らの人としての機微を掬い取っていく作業を観客たちは求められる。 その作業が年をとることによって、 変わっていくんだろうなあと感ずるのである。 また12年後に、この舞台が再演されたら また違った印象を持つに違いない。 「青年団」の舞台は年配のお客さんも良くいらっしゃる。 世代を超えた何かがここにあるに違いない。 ▲
by haruharuyama
| 2007-12-30 09:07
| 舞台
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ピチチ5を主宰していた、福原充則作・演出。 ラストシーンが衝撃的だった。 このカタルシスは何なのか? 小劇場が忘れてしまったカタルシスを久しぶりに思い起こさせてくれた舞台だった。 ラストの10分を見るためにこの舞台を見る価値があるのではないか? 観客席の前部にはビニールシートが用意されている。 観客はビニールシートで覆いをしながら芝居を見ることになる。 この寒い師走の舞台での本水の使用は、 スタッフの、役者の気概を感じる。 ある売れない作家とその妻、 そこにかかわる文芸誌の編集者と編集長。 そして、何故か高校の?いや中学の委員長と クラスメイトたちが入り混じるのである。 台詞の中から自己批判するような コトバが出てきて面白い。 「いまから、俺は説明的な台詞を言うぞ!」みたいな。 舞台などを見ていて、違和感を感じるだろうことを そのまま台詞にしているのが面白い。 何となく、ここに面白いものがあるかもという 可能性を感じるのである。 しかし、その原石は もう少し磨かれなければならないのかも知れない。 役者に対しても同じ事が言えるだろう。 両者が研鑽を積んでいけば、 このマンションマンションは凄いことになるかも知れない。 雨がストップモーションする演出は秀逸だった! ▲
by haruharuyama
| 2007-12-29 10:33
| 舞台
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松本尚久という放送作家がいる。 「立川談志の最後のラジオ」という番組をやられていたそうである。 1971年とまだまだ若いのに、伝統芸能について詳しい。 彼のホームページをみて驚いた。 その彼が自ら主宰する「浅草見番寄席」である。 前回見た、桂吉坊がとっても面白かったので、 今回も足を運ばせていただく。 浅草の駅から「見番」まで少し距離があるので急ぎ足で向かう。 ぎりぎりセーフ。 台東区がきれいな街づくりを心がけているのか この辺りの街灯や舗道が整備されていて気持ちいい。 しかも、浅草はそんなに人で溢れかえっているというような感じではないので、 仲見世、浅草寺周辺以外なら、ゆったりと街を散策出来る。 松本さんに挨拶をいただく。 開口一番、立川こはる。女性の噺家さん。 髪の毛が短く、着物も何というのか? 男さんが着る着物?とでもいうのでしょうか?を着ているので、 小僧さんのようにも見えてくる。 そして、柳家小満ん師匠登場。 小満ん師匠は1961年に桂文楽に入門。 文楽が死に、1971年柳家小さんのところへ移籍したそうである。 その文楽師匠の得意としていたらしい「心眼」を 松本さんのリクエストでまずやっていただく。 目くらの男が、茅場町の神社にお参りにいって、 目が開いてしまい、それから、というようなお話。 夢落ちなのがちょっと気になるが、なかなか面白い話だった。 人間の想像力と現実との差について考えた。 仲入り。笹木美きえさんという端唄のお師匠さんが、 舞台に上って三味線を弾いて端唄を唄ってくれる。 生まれて初めての体験。 浅草のしかも「見番」みたいな場所で「端唄」を聴くという、 それ自体が何故かうれしく、俄か風流人になったような、 ならないような気になってくる。 成瀬巳喜男が向島芸者の映画をいくつか撮っているが、 その中でこの端唄のようなものが必ずどこかで流れていたり、 お稽古している歌声が聞こえたりしているのを思い出す。 それが日常だった風景は映画と幻想の中にしか、 もうないのだろうか? 「梅は咲いたか桜はまだかいな・・・。」という 桃屋のCMでも有名なあれも端唄のひとつだそうである。 「さのさ」と「都都逸」などを説明しながら歌ってくれる。 どこがどうちがうのかわからないのだが。 「都都逸」とは、 三味線と共に歌われる俗曲で、 音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物であった。 主として男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれる。 七・七・七・五の音数律に従うのが基本だが、 五字冠りと呼ばれる五・七・七・七・五という形式もある。 だそうである。 その中で、 「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」(高杉晋作) という都都逸を聴いて驚いた! 実は、終わってから「三千世界」という名前の焼き鳥屋に行こうと計画していたのである。 その偶然の一致にびっくり! 冬至の前の夜は何が起きるかわからない。 この日は、小満ん師匠から冬至にちなんで「柚子」を頂いた。 明日は柚子湯? 最後に、小満ん師匠の「富久」を聴く。 師走の年末ジャンボ宝くじのような富くじの話。 そこに幇間が登場する。 彼は、酒で何度も失敗しているのだが、 酒を飲んでしまうシーンが出てくる。 そのシチュエーションは火事見舞いの場所での話。 今より、数段寒かっただろう江戸の街は、 火を木造家屋で使いつつ、 密集した中で生活していたので 火事の起こる確率が高かったのだろう。 小満ん師匠の幇間の芝居が面白い。 面白い落語は時間が経つのを忘れてしまう。 その後、浅草三丁目の焼き鳥「三千世界」で 焼酎のボトルが7人で、5本空になる。 「三千世界」は恐ろしい。 鴉が来る前に、タクシーで帰宅する。 午前3時である。 ▲
by haruharuyama
| 2007-12-28 08:32
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中国で知り合った演劇好きのIさんにチケットをとって頂いた。 Iさんは何年も中国で仕事をしていた。 中国へ渡る前は演劇関係の仕事をしており、 この日も関係者に話をしたり、見に来ている大人計画の役者と挨拶をしたりであった。 岩松了 作・演出。 音楽劇を岩松さんがやるなんて!びっくりである。 演奏はトリティックテヘダス。 こういう名前のグループなんだろうか? 音楽のことに詳しくないのでよく分からない。 最初ミュージカルなのかな? と思っていたらあにはからんや、 ベニサンピットの奥の扉が開いてバンド登場!彼らが歌いだす。 まるでライブハウスの演奏を聴いているよう。 生の演奏の強さに鳥肌が立つ。 古澤裕介がナイフで殺されるシーンでいきなり演奏が始まる。 スタイリッシュな照明と音楽、そして時々入る、井出茂太の振付。 秋山奈津子の音楽に合わせた動きがシャープで気持ちいい。 そして北村一輝である。 彼のファンと思われる女性客が舞台最前列を占めている。 これだけ実験的な公演を1ヶ月近くできるのも キャストの集客力あってのものだろう。 この舞台は万人向けというわけでは決してない。 アキ・カウリスマキの「マッチ工場の少女」に インスパイヤされて作ったという話も聞いた。 でも、この映画を見ていない僕は どこがどうインスパイヤされたものなのかわからなかった。 後でIさんに映画のワンシーンで 似たようなシーンがあったくらいだと伺う。 タクシー運転手である北村と謎の女、秋山奈津子、 そこに若者のカップルとして古澤と内田慈がからみ、 第三者的な存在として、田中圭がいる。 その5人だけの音楽劇。 ストーリーはどうだったのか覚えていないし、思い出せない。 そんなことはどうでも良かったのか? ときどき岩松さんらしいコネタのギャグのような クスッとさせられる台詞や仕草が出るのだが、 そのこと自体が舞台の根幹ではない。 では、この舞台はいったい何だったのか? と問われると良くわからないのである。 わからないものを、わからないと言って何が悪い! と開き直るつもりはないが、とにかく複雑。 「死」をめぐる断章とでも言ったらいいのだろうか? 最後は結局、誰が生きていて誰が死んでいるのか、 この世の話なのか、あの世の出来事なのか? そのことは詳しくは説明されない、語られない。 音楽の詩の中で「傍にいて」というフレーズだけが残り、 都会的なメロディと寂しげな印象だけが風のように吹き抜けていった。 そう、この舞台はまるで風のようである。 新聞紙を吹き飛ばし、垂れ幕を揺らす風のような。 ▲
by haruharuyama
| 2007-12-24 08:19
| 舞台
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マーティン・マクドナー作・長塚圭史演出の第三弾。 「ウィ・トーマス」「ピローマン」とパルコプロデュースで 積極的にマーティン・マクドナーの戯曲を取り上げている。 その気概に感謝。 今回も、アイルランドの田舎町を舞台にした濃厚なドラマが展開した。 初、白石加代子である。 彼女は朗読劇「百物語」や 藤原竜也と共演した「身毒丸」などが有名である。 彼女はいったいいくつなんだろう。 岸田今日子さんが亡くなった今、 白石さんほど迫力のある女優さんは少ない。 そこにいるだけで存在感があり 忘れられない俳優が本当にいるんだなあと思った。 場面が暗転する際に、 白石さんにスポットライトがあたりながら暗転するシーンがあるのだが、 その怖いことといったらない。 まるで妖怪を見ているような気持ちになる。 子供が見たら間違いなくうなされるだろう。 そんな迫力がこの舞台の白石加代子にはあった。 そして彼女の娘役が大竹しのぶである。 あの大竹しのぶが白石とがっぷりよつでバトルする。 「奇蹟の人」のサリバン先生とヘレンケラーのように。 大竹しのぶのサリバン先生と鈴木杏のヘレンケラーも 印象深い舞台だった。 そういえば、その舞台に今回の演出家、 長塚圭史が出て好演していた。 長塚圭史は今公演で予定されていた出演者、 黒田勇樹が出られなくなって代役を務めることになったらしい。 長塚の演技のハイテンションでおバカな アイルランドの田舎の青年もなかなかいい味が出ていた。 そして長塚の兄役として田中哲司である。 この4人だけの舞台。 舞台となっているのはリナーンという北アイルランドの田舎町である。 閉ざされた田舎町。 何も楽しいことがいんじゃないんだろうか? と思わせるような閉塞された空間。 濃い人間関係が閉塞感を増幅する。 誰も逃げ場がない。 何十年も前に行われたことが今だに人びとの記憶に残っている。 そんな街。 日本ならば、本谷有希子が描きそうな街? 劇中で40歳の大竹しのぶは 白石演じる母親と二人暮しである。 白石は、大竹に家事一切の面倒を見てもらいながら暮らしている。 テレビとラジオが友達であり、大竹にことあるごとに文句を言い続ける。 大竹はそんな生活にうんざりしつつ、逃れられないことを 仕方なく受け入れている。 そこには未来というものがない。 絶望の淵にいるような気分で 大竹は、男さえ知らないまま40歳を迎えたのである。 そこに田中演じる、パドがイングランドからいったん戻ってくる。 そして、この母子関係に奇妙なゆがみが始まる。 ゆがみと書いたが、本来の関係自体が歪んでいたので、 正常な状態に近づいたと言う方が実は正確なのである。 劇を見ながら、考え続けた。 どうして、このような彼らの依存しあった関係が生まれたのか? それは風土なのか? 母親が娘の幸せを無条件に願うことよりも、 まず自分を面倒見てもらう関係を最優先すること。 それは、何故なのか? それによって母子の関係は、崩れないのか? 依存しあっていないとお互い生きていけないのか? その腐れ縁ともいえる関係をどのようにしたら突破できるのか? この舞台は、結果、完全に不幸な形で二人の関係を突破することになった。 その閉塞感が見ているものの気持ちを重くする。 まさに、マーティン・マクドナーらしい舞台である。 大竹のぎりぎりで下品にならない演技が秀逸。 設定も携帯電話のなかった時代に 設定したことが悲劇を増長している。 この戯曲を日本の田舎に翻案して、 脚本を書けばきっと面白くなるに違いないと思った。 ▲
by haruharuyama
| 2007-12-22 11:46
| 舞台
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運良く確保できたチケット。嬉しい。 会社を出て劇場へ向かうときに、同僚と話していた。 「芝浜」をやらないかな?と、 マクラで談志が、「ええ、やりますよ、芝浜」と開口。 場内は拍手で沸いた。 ここに集まる観客たちは、落語を聴きに来ているのか? それとも談志を見に来ているのか? 少なくとも多くの観客たちが 彼の生き様に興味と共感をもって足を運んできているのは違いない。 まさに、そんな感覚が舞台中に溢れている。 談志の落語はどこか「ひりひり」する。 なんだか危なっかしさと同居した狂気のようなものがその奥に見え隠れし、 そこに観客たちはつきあっていく。 単純にエンターテイメントを見せてもらうというわけにはいかない。 談志ときちんと対峙してこそ、彼の落語は本物になる。 そのためには観客は真剣に談志と向き合う必要があり、 同時に落語と向き合わなくてはならない。 大変である。 落語をそのような大変な思いまでして見ることに何の意味があるのか? と思う方もいるに違いない。 しかし、談志は命を削って表現しようとする。 その一部だけでも見ているわれわれが共有するということが 大きな感動になるのか? そして命を削って表現するものの先には、 談志がいつも言っている、 「人間の『業』」が垣間見えるのだろう。 その体験たるや「わはは」と笑って そのまま忘れ去られてしまう芸よりもどれだけ強いかしれない。 そんな一瞬の体験をするために観客たちは、毎回足を運ぶのだろう。 マクラで談志の現在の状況と最近考えているよしなしごとを確認する。 彼の生き様とその発言がリンクし、 その先に彼の「死」を、そして「師」としての彼を思う。 咽頭ガンから復活したものの喉の調子が完全ではないので、 聴くほうもものすごい集中力で向かっていかなければならない。 その微妙な調子を何とか吸収しようとする。 「えー、お笑いを一席。」と談志が噺をはじめる。 そのかしこまった感じが、 彼がもしかしたらもう長くはないのかも知れない。 もしかしたら、この高座が最後になるかもしれないと感ずる。 そして、そのコトバに感応した観客たちは一斉に拍手をする。 最初の噺は「意地くらべ」という噺。 仲入りを挟んで、幕が上る。 お囃子が鳴っている。 長い長いお囃子。 お囃子が一巡しても談志は出てこない。 さらにお囃子が鳴る。 何分たっただろうか、 恥ずかしそうにいやーな感じでしぶしぶと談志が登場する。 舞台の袖で倒れているんじゃないか? 出たくないよう! と駄々をこねているんじゃないかと心配した。 マクラを挟んで、魚屋が酒を飲んでいるシーンから始まる。 そもそも、僕が落語を、しかも古典落語を見るようになったきっかけは、 宮藤官九郎脚本のテレビドラマ「タイガー&ドラゴン」であった。 その第1話で取り上げられたのが「芝浜」だった。 談志は台詞だけで話を進行させていく 余計なト書きや語りを一切排除している。 台詞のやりとりだけで情景を、感情を表していく。 3年経って、革袋に入った四十二両の金を夫に渡すシーンが秀逸だった。 妻は夫が拾ってきた金を、ないものにして、そのことを三年間隠し通す。 決して、いい妻として談志は描かない。 妻の夫に対する不貞の告白でもある。 その罪の意識とその告白が見ているものの胸を打つ。 夫に隠し事をしている妻が ついに3年経った大晦日に告白する。 まるで懺悔でもするかのように。 妻はこの日まで自分を責め続けていたのかもしれない。 その気持ちが感情として一気に出る。 妻は告白し終えると号泣する。 まさに号泣である。 談志は顔を覆っておいおいと泣き叫ぶのである。 それは、談志七十余年の魂の叫びであり、 その気持ちは、落語の神様が運んできてくれたものかも知れない。 アドリブでああいった表現が出てくることに驚く。 とともにこんなことは、この人しか出来ないだろうなとも思わせられる。 満場の拍手の後、談志は語る、 いやあ「一期一会」ですな。 自分でも想像できなかった「芝浜」がここに創造されたのだろう。 幕が下りた。 かと思ったら幕が開く。 批評家としての談志がいつもはそこにあるのだが この日の談志は、一人の噺家だった。 一期一会が本当にあるんなだなあと今日は改めて実感出来ました、と。 本日は貴重な夢を見せてくれましてありがとうございました。 と言いながら、観客に頭を下げて感謝する談志の姿がそこにあった。 ▲
by haruharuyama
| 2007-12-21 09:20
| 舞台
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「お遍路さん」の格好をした近藤芳正が田舎の一戸建ての家にやってくる。 そこに携帯電話をしながら、戻ってくる馬渕英俚可。 彼女はテレクラのバイトをしている。会話の端々からそれが伺える。 オープニングにタイトルバックのような映像が使用される。 本谷有希子初めての試みか?「お遍路さん」の「遍路」と今回の公演は字が違う。 女優を目指して、地方都市から東京に出て行った、馬渕英俚可は、 父親に言う 「父さん、私、都落ちしていいかな?」 何年も東京で女優としてやろうとしていたのだが芽が出ず、 結局、彼女の在籍していた劇団も仲間割れのようになって解散をせざるを得ず、 彼女は東京に居場所がなくなったのだろう。 馬渕英俚可は舞台では28歳という設定。 ちょうど、その辺りに女性としての人生の転機があるのかもしれない。 とにかく、彼女は親の多大な援助とそのことによって 妹を大学に上げられなかったという犠牲を無にして実家に戻ってくる。 本谷有希子の真骨頂である。 地方の話、そこはかとないユーモア。 家族が崩壊しそうで何とかギリギリのところで留まっている。 働かない若者たち。 「SATY」がお正月から営業していることが そこに暮らしている人たちのささやかな幸せである。 それは東京で暮らすことの価値と 地方で暮らす価値が変わらないという生き方でしかない。 地方で暮らすことによって、その場所だからこそという 生き方はないのだろうか?ないのだろうなあ?と思いつつ。 ないことを、ないままに、それでも楽しく暮らしている人たちがいる。 彼らは、テディベア作りをしたり、レディコミを密かに読んだりしている。 そんな生き方を、そのままに描く。 本谷有希子らしい話である。 それは、第1回公演「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」から 何ら変わっていないテーマであり、 このようなことを描けるのは本谷有希子しかいない。 また、彼女の物語の中には良く「犬」が出てくる。 あまり可愛がられない「犬」とは彼女にとってどういう意味を持つのだろうか? そこに住んでいる者たちの鬱憤はけ口として「犬」は存在しているのだろうか? 近藤芳正のお父さんがいい。 本谷有希子の父親とダブるところがあるのだろうか? 実際、本谷の父親は石川県の公務員で年末から年始にかけての お正月休みになるときまって、四国八十八箇所巡りの お遍路さんの旅に行かれていたそうである。 パンフレットに本谷の父親が文章を載せている。 近藤の娘に対する想いが彼の発言につながり それがじわあああああんと伝わってくるのだ。 不器用ながら実直な、しかし、どことなく狂気を秘めた 父親を演じられるのは、近藤芳正以外にいないかも知れない。 またいつもの出演メンバーである、吉本菜穂子は 安定した味を出している。 彼女の声がこの舞台のとぼけた感じを加速させている。 本谷は本作で一度、リセットボタンを押そうとしているのだろうか? 原点帰りというのだろうか? 本谷自身の最初からあったものに戻ろうとしながら、 この次に彼女はどのようなところへ行こうと思っているのだろうか? これは本谷の積極的な「都落ち」とでも考えるべきなのか? そして「夢は願い続ければ必ずかなうという本谷の夢とはいったい何なのか?」 今後の、彼女の活動がますますたのしみである。 いわずもがな、彼女の物語の構築能力は言うまでもない ▲
by haruharuyama
| 2007-12-20 07:45
| 舞台
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劇場に入ると、舞台一面にはモンゴルの大草原が広がっていた。 再々演である。初演は、1994年、再演が1997年。 劇場も、技術スタッフも変更無し。 キャストのみが毎回変わっている。 美術は、堀尾幸夫、照明は、服部基、 衣裳は、ひびのこずえ、音楽・選曲は、高都幸男、 そしてプロデューサーは北村明子。 舞台前で待っていると北村さんに声を掛けられる。 「チケットをお持ちでお連れの方をお待ちでしたら、受付に預けてお入りください。」 元、女優さんだけあって魅力的な方である。 意外とさっぱりとした声と話し方に、きっぷのよさを感じた。 「キル」は「着る」につながる。 モンゴルの衣装デザイナーのお話である。 衣裳のデザイン戦争がそこで繰り広げられる。 とったとられたの世界がそこにある。 戦争を想起させられる。 「キル」はまた「切る」につながる。 型紙どおりに生地を切ることから、 美しい造形物である衣裳が生まれてくる。 ひびのこずえの衣裳が素晴らしい。 徐々に進化してきたような感のある「キル」の舞台衣装。 完成度がものすごくあがっている。 基本構想は初演のときからそんなには変わっていないようだが、 衣裳の完成度の高さは舞台では重要な要素を占める。 肉眼で見られるとは、そういうことである。 そして今回のキャストに応じてアレンジが施されている。 広末涼子の身体があれだけ締まっているとは驚きである。 腹筋がちゃんと割れている女優さんを見るのは久しぶりである。 その鍛えられた体幹の上に小さな頭部がのる。 その顔の小ささに驚いた。 彼女は意外と大きく見えるんだなあと納得。 「キル」はまた「斬る」につながる。 妻夫木聡が青龍刀で首をきっさくシーンがある。 人の命を奪って、彼らのブランドを維持する。 親子三代に渡る物語である。 テムジン役の妻夫木聡は、デザイナーであった父と反目しあい、憎み会う。 「憎む」という行為が負の連鎖と暴力の連鎖を生む。 このことに対する反発を、野田秀樹はいつまでも言い続ける。 今年の傑作「THE BEE」もまさしくそんな舞台だった。 暴力と恨の連鎖である。 父親との確執はまるでギリシア悲劇の時代から延々とつながるテーマである。 チンギスハーンのモンゴル帝国の時代と現代とが交差して、 いつがいつやら、どこがどこやらわからない状況になる。 これこそまさに演劇的。 野田秀樹は演劇でないと出来ないことを知っており、 そのことを果敢に挑戦しながら、演出を続けている。 その演出技法は、ミニマムな小道具とセット人物の動きだけで、 大きな観客の想像力を広げ、まるで三千世界にいるような感じになる。 妻夫木聡の船の出港シーンであったり、 鏡像の世界を布一枚を隔てることによって再現したりする。 また、野田秀樹は、非常に映像的な演出をする。 スローモーションの使い方が絶妙である。 例えば、妻夫木聡が転校生としてやってくるシーン。 ゆっくりと教室に入ってくる妻夫木聡。 椅子に座っていろいろなことをしている、役者たち。 高田聖子は何と、顔の演技でスローモーションを表現した。 あれが出来るのは高田聖子以外にいないだろう。 また、ある生徒の椅子をひっぱり思わず転んでしまう生徒がいる。 まさに教室の混沌がそこで描かれる。 妻夫木聡の困った表情が本当にいい。 最後のシーンはさらにすごかった。 起伏のある舞台の一番奥に新しい家族を迎えた 広末涼子とその家族近所の人たちが集う。 モンゴルの青空と一体になった草原の向こうの方で 新しい生命の誕生と、明日への希望に満ちた世界が拡がっている。 美しく切なげな音楽に合わせて 役者たちはスローモーションで喜びを分かち合う。 そのシーンは本当に美しく胸を打つ。 生命が受け継がれていくという生物の基本的な営みが 人のココロを原初的なところから動かす。 勝村政信(結髪)と広末涼子(シルク)の間に 新しく生まれた生命を命名するシーンも印象的だった。 「生まれたぞー!名前はテムジン!」 名前に込められた思いがこんなにも強いものかと 父親になったことのない僕は思わず嗚咽した。 人の名前にはたくさんの想いと理由があるのだなあと改めて思った。 それは野田秀樹自身がコトバを大切にしているということからも明白である。 戯曲の中で「て・が・み」をやり取りするシーンがある。 その美しい言葉が美しいイメージに変わっていく。 野田秀樹は言葉と演劇的なことをきちんとリンクさせながら イメージを伝えていく。 そのことが抽象的な表現にとどまらないからこそ、 多くの観客が押しかけ、野田秀樹の舞台を見続けるのだろうなあと思った。 マチネが終了して、劇場を出た。 外はうっすらと暮れなずみ薄暮のような状態になっていた。 劇場前には当日券を求める若者たちがコクーンの入口にもう集まってきていた。 こうやっていろいろな人が集まってくる熱気のある劇場にしたのは 北村明子率いるNODA・MAPの力であり、 その構想力と実行力の賜物である。 こんな現場を見るとまだまだ演劇に残された可能性は大きいと感じる。 終演後、一緒に見に行ったFさん、Aさんと「吾照里」に行く。 4時半にお店に入ったのでまだ空いていた。 途中から人が増えだしてくる。チジミやタットリタンを美味しく頂く。 ▲
by haruharuyama
| 2007-12-19 09:29
| 舞台
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