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旗揚げ10周年記念公演。 1997年結成の後、早稲田の演劇研究会を2002年に独立。 劇場は当日券を求める人で溢れていた。 電話予約をしようと思ったら、全席完売とのこと。 どんなに人気があるんだろうと思った。 1時間前に来ていただければ当日券で入れますよとのことで 寒い中を中央線に乗って吉祥寺へ。 館内で待てるシステムになっていて本当に良かった。 外で待っていると凍えてしまう。 しかし、NYのタイムズスクエアにある「TKTS」は、 屋外でみんなが熱心に並んで格安のチケットを待っている。 あんなに寒い街でじーっと待つなんて。 整理番号11番。 開演5分くらい前になんとか入る事ができた。 満席。 桟敷には立ち見の人がぎっしりである。 一番気になったのは、観客が同世代の人たちばかりだということ。 30前後から20代くらいの観客が大半を占めている。 出演者やスタッフの友人関係なんだろうか? 何といっても今回、26人ものキャストが出演する大掛かりな公演。 彼らのチケットノルマがあるとすれば随分の観客を呼び込めるだろう。 歌舞伎の「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」を題材にしているそう。 江戸時代の吉原遊郭のお話。 「カゴツルベ」という呪われた刀を持つ男=顔に痣がある絹問屋の主人と 吉原の花魁、八つ橋の話が中心となって語られる。 最初、戸惑う。 役者同士のやりとりがしっくりいっていないような違和感に襲われる。 この日が楽日なのにこれなのか? とものすごく不安になる。 が、後半になって徐々に改善されていく。 それはこの歌舞伎のお話のもつ物語性の強さがあるからだろうか? それとも、役者と演出の力か? 八つ橋役の沢樹くるみ(客演)が美しい。 花魁たちの衣裳が面白い。 西洋の貴族のドレスのようなものを着ているのだが、 遊女特有の大きな帯をしており襟のところは袷になっている。 独特な色彩感覚で楽しい。 まるで野田秀樹の舞台の衣裳のようである。 ひびのこずえを彷彿とさせる。 衣裳は村瀬夏夜。 全体に殺陣シーンなどもあり大音量とともに 熱いスペクタクルが進んでいくところなどは「劇団☆新感線」そっくりである。 それなりに楽しめるのだが、彼らのオリジナリティは何なのか? そこが見えてこないことには亜流劇団で終わってしまう可能性が。 そうならないためにも、10年も続いたのだから、 これからはさらなる独自の道を進んで行っても いいのではないでしょうか? ▲
by haruharuyama
| 2008-01-15 07:50
| 舞台
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またまた、大阪の劇団公演。 大阪で二週間のロングラン公演の後の東京公演となる。 近畿大学を中心として発足した劇団らしい。 近畿大学は文芸部に演劇学科があり、 演劇関係に進む人が少なくない。 東京靴流通センターみたいな、発電所みたいなネーミングは 一度聞くと忘れない。 この劇団も大阪らしい劇団のひとつと言えるだろう。 唄あり踊りあり、音楽や効果音は大音量で流れ、 役者のテンションは高い。 そして、近未来をテーマにしたアニメーションや SFちっくな話を主体とし、衣裳に凝っている。 きちんと作られた衣裳がPOPな印象を残す。 大阪の劇団はアキバ系でもあるのかな?と思う。 作・演出は近畿大学出身の竹内佑。 舞台下手前方にキーボードが何台か置かれており、 生で演奏するスタイルだった。 音響・演奏、和田俊輔。音楽がなかなか良かった。 本作の印象を書くにあたって、随分と悩んだ。 どうやって書いていいのかわからないのである。 たまたま朝日新聞で小説家である保坂和志の文章を読んだ。 それはカフカの小説について書かれたものだった。 読んでも読んでも、カフカの小説は意味がわからなかった。 小説とは読後に意味をうんぬんするようなものではなく、 一行一行を読むと言う時間の中にしかない。 音楽を聴くことやスポーツを観ることと同じだ。 話の展開が記憶できない。 カフカの小説は比喩ではないある特殊な体験なのだ。 と保坂和志が書いていたものを読んで、 このデス電所の舞台も同じじゃないかと思った。 わからない理解できない、話の展開が記憶できない。 何となくの感覚しか残らない。 どんな劇団だったのかと一言で言えない。 あるジャンルの漫画や小説の知識がないと 理解出来ないものなのだろうか? 以前、押井守のアニメーション映画を見たときと同じような現象である。 ▲
by haruharuyama
| 2008-01-14 09:03
| 舞台
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「知的生き方文庫」を出版している三笠書房らしい、一冊。 2008年の一冊目は本書となった。 「広告深夜族」というブログを読んでいて本書の名前が書かれていて、 興味をもってすぐにネットで注文した。 本書はおおまかに言うと、ホワイトカラーと呼ばれている人たちの 今後の生きていく道筋みたいなものが書かれている。 ダニエル・ピンクが米国人なので米国の例がたくさん出てくるが、 これを日本のことに置き換えても、そう変わりはしないだろう。 そんな時期はそこまで来ている筈なのである。 唯一、大きな違いは、使用言語の違い。 世界中で使われている英語と、 単一民族の言語であった日本語の違い。 そのことはここでは触れられていない。 さて、本書で語られていることはおおきく分けて三つある。 一つ、「よその国、特に途上国に出来ることは避ける」 二つ、「コンピューターやロボットに出来ることは避ける」 三つ「反復性のあることは避ける」。 このことは実際、既に世界中で始まっている。 世界中の連絡通信やデータの送受信が高速で定額になったいま、 インドでのコンピュータプログラムの開発などは当然のことのようになっている。 しかも、彼らは公用語として英語を使用する。 また、「NHKスペシャル」で「総務が中国に移管する」という特集を見たが、 給与計算などの業務は、単純なコンピューターを使った反復作業だけなら、 何も国内でやる必要はない。 適切なソフトウエアを使って、反復業務に長けた人が安く働けるところでやればいい。 そうすれば、総務や経理の大部分は中国に移管できると、 その番組では実例を挙げて紹介していた。 以上のようなことが日常化してきている今、 では、我々はどの方向に進んで行けばいいのか? ということである。 そこで六つの感性(センス)が問われるとかかれている。 1、機能だけでなく「デザイン」、 2、議論よりは「物語」、 3、個別よりも「全体の調和」、 4、論理ではなく「共感」、 5、まじめだけでなく「遊び心」、 6、モノよりも「生きがい」 ということだそうである。 詳しくは本書を読まれるといいが、 ここでは脳の役割にからめてこのことが語られている。 これまで左脳を使う論理的で反復的な業務が多くを占めてきたのが、 これからは右脳を使った、全体を把握して「感情」に訴えかけ、 理解しながら、人と向き合っていく能力がとても必要になる、と。 これは言い換えるとコンピューターに出来ない能力が 右脳の中にたくさんあって、それを限界にまで使用する作業は 絶対になくならないということである。 米国の例では、この典型的な職業が「看護士」である、と。 「看護士」は今後、さらに需要が増えていくとされ、 需要が増えると言うことは収入もそれに応じて上っていくということであり、 実際にそうなりつつあるのだと。 それでもまだ足りないのでフィリピンからも(英語が公用語。) 「看護士」を呼んでいるらしい、と。 しかし、ここで語られていることはこれ以上でもなく、これ以下でもない。 ここに米国で出版されたビジネス書の限界を感じる。 誰もが知っていることを「共感」をもって伝えるには、 キチンとした日本語で「感情」に訴えかける事が出来ないと達成は出来ない。 まさしく「本書」はそのことを語っていて、 自己矛盾を起してしまったビジネス書となってしまったか? 梅田望夫の文章や内田樹の文章が僕にはどれだけ共感があるか知れない。 さらに福岡伸一の文章などは、もう文芸作品と言えるレベルで 僕の気持ちを捉えて離さない。 ▲
by haruharuyama
| 2008-01-12 11:15
| 読書
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仕事をしていただいている、Kさんからのメールが、 この映画を見に行くきっかけとなった。 Kさんは、今年のいきなりのベスト1かも? 11日までやっているので是非、見に行ってください。 アイルランドの音楽などに造詣の深いKさんが、 そこまで、おっしゃるのなら是非行ってみよう、 ということで時間を見つけて見に行った。 劇場はガラガラだった。 音楽を信じるものたちのチカラを感じた。 アイルランドのダブリンの街頭で音楽をやっている ストリートミュージシャンの話である。 実際のアイルランドのミュージシャンが出演している。 「ザ・フレイムス」というバンドのメンバーらしい。 音楽映画である。 ここまで音楽を中心に据えた映画を見るのは久しぶりだった。 さわやかな読後感。 青春映画をみているような気持ちになった。 映画の話法としてはオーソドックスではあるが、 それだからこそストレートに訴えかけてくるものがある。 「さらば青春の光」という70年代のMODSを撮影した映画を何故か思い出す。 読後感が近いのである。 久しぶりに学生に戻ったような気持ちになった。 全編、アイルランドのダブリンで撮影されているのだろう。 僕の中では、ダブリンのイメージはまったくない。 そこでストリートミュージシャンをしている男が、 チェコから移民でダブリンにやってきた女と出会う。 チェコ人はアイルランドに仕事を求めてやってくるのは 通常のことなのだろうか? しかし、彼らもキチンとした仕事が得られているわけではない。 彼女はピアノを弾く。 これを見ていると、音楽リテラシーの高い人たちばかりが出てきて驚く。 音楽をやりとりするだけで深いコミュニケーションを取ることが出来るんだと思う。 個人的には掃除機の修理で生計を立てている、 ストリートミュージシャンとその父親(二人暮し)の やりとりが心に残った。 ▲
by haruharuyama
| 2008-01-11 08:23
| 映画
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まさに大阪の劇団らしいテイストを身にまとっているが、 その奥に秘められたテーマは重い。 まるで日本のPOPカルチャー的に装った ラース・フォーン・トリーアーとでもいったらいいのだろうか? 人間の深奥に潜む負の気持ちを掬い取る。 しかし、その描き方がPOPで大阪演劇的なのである。 大音量と効果音を駆使し、大げさな動きで大げさに喋る。 そのギャップが独特なテイストを醸し出す。 クロムモリブデン初見の第一印象である。 作・演出の青木秀樹は、様々なアニメーションのエピソードを散りばめる。 エヴァンゲリオンやうる星やつらなどなど。 その本歌取りがアニメーション好きにはたまらないだろう。 この脚本自体を、アニメーション化すると 全く違ったオリジナル作品になるのではないかと思わせる。 それだけ想像力を刺激するシーンが随所に見られる。 等身大の役者たちが天井の低い駅前劇場で演じているのにもかかわらず、 そこは巨大なロボット(モビルスーツ?)たちが闘っている、というように見えてくる。 役者たちが、面白い。 板倉チヒロのテンションの高さは言うに及ばず、 渡邉とかげの演じる沖縄出身の娘、 そして葛木英のインド人には大笑いさせられた。 葛木の品性のある顔立ちから、ああいったキャラクターが 繰り出されるというギャップが大きいので、さらに面白いのである。 葛木は自らが主宰する劇団ユニット「メタリック農家」の作・演出者でもある。 その作・演出魂がいい意味で役者、葛木英を増長させるのである。 後半、どんどん盛り上がって行き、エヴァの映画版のような感じで唐突に終わる。 そういえば、庵野秀明監督は大阪芸大出身だったなあと思い出す。 また、同じ、大阪芸大から出てきた「新☆感線」の80年代の頃のテイストを思い出す。 青木秀樹も、大阪芸大出身。 映画業界だけでなく、広く才能が輩出している大学です。 この舞台のテイストは大阪の劇団固有の特徴であり、 1980年代前半に大阪で演劇を見始めた僕は、 懐かしくもあり、シンパシーを感じるのでもある。 POPに描かれた「負」のテーマは 「いじめ」「殺し」「死刑」「植物状態」「裏切り」など盛りだくさんである。 ただ、いかんせん、盛りだくさん過ぎて、 散漫になってしまった感は否めない。 もっと、もっとシンプルで面白くなる可能性を大いに秘めた舞台だった。 ▲
by haruharuyama
| 2008-01-10 08:34
| 舞台
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山中隆次郎作・演出。 シアターガイド2008年2月号で小劇場特集が組まれており、 演劇ライターと編集部の薦める小劇団ということで 「サンプル」「ハイバイ」「イキウメ」がベスト3に挙げられていた、 が、その次点くらいにこの「スロウライダー」を挙げている人も多かった。 スロウライダー初見。 決してわかりやすい舞台ではない。 台詞の中に、その核心みたいなものはなく、 周縁の状況や関係性の中から奇妙なものが浮かび上がってくるのである。 まことに奇妙な舞台だった。 劇団のチラシを見て、何か、おどろおどろしいホラーか何かなのか? とタイトルも含めて思っていた。 劇場に入ってびっくり。 アクリルを中心にした現代美術のような舞台美術。 床は白いリノリウムが敷いてあり反射がまぶしく美しい。 ものすごく、スタイリッシュな美術に、 いったいここから何が始まるのかとドキドキした。 鹿児島南部の虹が丘団地というところで起こる奇妙な殺人の話、 といったらはしょりすぎだろうか? これは、山中の描く近未来を舞台にした演劇である。 ブラジル資本の有機エタノール工場がこの街に進出してくる。 そこで働く人々。管理する人々。という 完全な貧富の二重構造が加速している。 その中でネットをやりながら、工場で働きその鬱屈した生活を なんとか晴らしてみたいという若者たちがいる。 彼らの鬱屈を晴らすものは、負のエネルギーを発散させることしか 選択肢がない状態である。その結末には希望がない。 そんな負の未来がここで描かれている。 ショロ草というバイオエタノールの材料となる草の農薬から 発生した環境ホルモンがある。 その名を、「アイアンシ」という。 これに汚染されると面白い顔に見られてしまい、 素顔を見られると見た人たちは思わず笑い転げる。 笑い転げるのだが、この設定が非常に理解しづらかった。 慣れない用語と、素顔を見て笑う行為というのが、 どうにも身体として納得できなかったのだろう。 意欲的な試みであったが、もっと効果的な方法があったんじゃないか? などと考えてしまった。 しかし、しかし、独特の感性をもった劇団を見られたことに感謝。 この独特の世界観をこれからさらにどれだけ進化させられるのかが、 山中の課題であり、その進化を楽しみにしようと思った。 次回作の「トカゲを釣る」(再演)の8月―9月公演を大いに期待したい。 ▲
by haruharuyama
| 2008-01-08 09:14
| 舞台
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マクラは「地球温暖化問題」。 確かに年末年始のテレビや新聞などで 集中的に特集が組まれていた。 12月の地球温暖化会議に各国の頭のいいひとたちが行って 何も決められなかったことに志の輔はやんわりと言及する。 面白かったのが、温暖化会議に集まるために、 各国首脳人たちが二酸化炭素を撒き散らす飛行機をチャーターし 集まったということ。 そして、何も決めずに、その飛行機に乗って帰っていったのだった。 最初の噺は新作落語「意義なし。」 マンションの自治会で防犯の会議をしているというもの。 「決める」ということに対する日本人の曖昧さが描かれていて面白い。 続いて、古典落語の「ねずみ」。 左甚五郎が彫ったねずみの彫り物が、 「ねずみ屋」という小さな旅館を救うというお話。 ねずみ年にふさわしい噺でした。 仲入り後、今回の「志の輔inパルコ」で必ずやると言われている、新作「歓喜の唄」。 この噺は現代の人情話としても大変面白く、 2月2日からシネカノン系で映画が公開される。 その前宣伝ということもあったのだろう。 志の輔が最後の挨拶のところで語っていたが、 TVドラマの特番も決まったらしい。 こちらの放送は題材にあわせて、 今年の年末に放送されるそうである。 大晦日の公民館で行われる「ママさんコーラス」の話。 公民館を管理している主任とバイトの加藤君が、 同じ時間にコーラスの発表会をダブルブッキングしてしまい・・・・。 という噺。 「餃子」が届けられるシーンが泣けてくる。 志の輔が語っていた。「笑い」というのが一番難しい。 それは、人によって「笑う」ところが違うからなんです。 何故、違うのかはわかりません。 でも、ひとによって、それぞれ笑うところが違うから難しいのです。 悲しい感情とか怒りの感情は大体において共通です。 同じシーンで「ジーン」としたり怒ったりすることが出来ます。 が、「笑い」は違うのです。だから、難しい。 「笑う」ということは、どのようなメカニズムで起こるのか? とっても知りたくなった。 赤ちゃんとかは面白くないのに「笑っている」と いうことを新年の新聞で読んだ。 この「笑い」はまた、別の意味なんだろうなあと思いながら、 泣きながら、「歓喜の唄」を楽しく聞かせていただきました。 わかりやすく、面白い落語。 こういう落語を聴くと、 落語が好きな人が増えるに違いないだろうなあと思った。 渋谷は人で溢れかえっていた。 ▲
by haruharuyama
| 2008-01-07 06:45
| 舞台
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あけましておめでとうございます。 最初の1冊は、これからの未来を語った一冊。 あの名著「ウェブ進化論」から1年を経て出版された、梅田望夫の新刊。 ここでも梅田の立ち位置は変わらない。 徹底的にポジティブにウェブ時代を捉える。 楽天的に未来を考え、人を信じる姿勢は素敵です。 ウェブ時代になると、新しい、さらなる世界が開ける。 そのウェブ世界とリアル世界をバランスよく生きていく生き方が提示される。 本書の副題として、 「いかに働き、いかに学ぶか。」 ということについて語られる。 新しい時代の兆候がその先にある。 このような本を読むと多くのことを考えさせられる。 ここから先に新ビジネスモデルがあると信じる。 梅田はこのウェブ時代を高速道路に例える。 ネット社会が生んだ、いつでもどこでも誰でも、 ネットを通じて勉強や研鑽を積む事が出来、 そのスピードはどんどん増している。 発信者としても、誰でもが自由に 発信できるという環境が開かれている。 極度に民主的な社会がそこにある。 ただ、高速道路の先は大渋滞していると梅田は言う。 これは過度の競争社会であるということを 置き換えて言っているのだろうか? それを乗り越えるのに梅田はふたつの方法を提示する。 ひとつは、さらなる「高く険しい道」を進むこと。 これこそがプロフェッショナルと言われている人々が進んでいる道である。 将棋が好きな梅田は、その世界に置き換えて、 羽生善治のことを例に挙げる。 彼は、まさに「高く険しい道」を進んでいる人である。 もうひとつは、「けものみち」を進んでいくことと梅田は語る。 「けものみち」とは道なき道の例えである。 どこにどう道が続いているかわかりにくいのだが、 そこには先に進める道が必ずある。 その道を、勇気を持って歩き出せば、 「高く険しい道」でなくても、その先に進んでいける。 この道は、ベンチャーとか新しいビジネスモデルとか ということに置き換えられるだろう。 そして、どちらの道もこれから我々が 進んでいかなければならない道であると梅田は示す。 しかし、その道を進んでいくのにはある種の条件が提示させられる。 めんどくさがらないこと。 自立心をもって、自律しながら時間を有効に使ってものごとを処理していくこと。 そのことが問われる。自発性と置き換えてもいいのかもしれない。 そのような自発性なくしては、この道を進むことは出来ない。 組織が何かやってくれるだろうとか、 与えられた仕事をやるという考え方の人たちは 新しい世界に向けて進んでいく事が難しくなるだろうと 梅田は何度も繰り返す。 ただし、ウェブ社会では好きなことを徹底的にやって それがビジネスになるとも梅田は語る。 好きな事を徹底的にやることこそ、自発性の塊のようなものである。 そのためには「好き」なものを自ら発見することが重要になる。 学生時代にそれが見つかれば、そんなに幸せなことはないだろう。 そして、さらなることとして、ウェブ時代の公共性について梅田は言及する。 ネット社会が上手く機能すれば、世界の格差は縮小し、 自律し勇気のある人たちが等しく頑張れる世界になる!と。 実際、グーグルの思想は世界の全ての知や情報を整理整頓して体系化することである。 税金ではなく、グーグルの資本でそれを行っている。 マイクロソフトの一線を退いたビルゲイツは彼の何十兆という資産を運用して 彼の財団で生み出された資金を、どのように基金として世界に還元するのか ということを日々考えている。 ここに、梅田が描くウェブ社会のひとつの理想系がある。 その実現に向けて、みんなで道を進んで行こうよ! というのが本書の概略である。 ▲
by haruharuyama
| 2008-01-06 09:41
| 読書
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