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今年も、徳島の盆踊りに行って来た。 今年で連続6年目になる。 新町橋のたもとにいつも踊りに来ている青年と、今年初めて話をした。 彼は今年で34歳になるという。 6年前からこの新町橋へ毎年来て踊っている。 何年か前に二度、急性アルコール中毒で運ばれたらしい。 毎年汗だくになって大酒を飲みながら踊り、 そこに集まるたくさんの人と抱き合い さらに、お酒を酌み交わす。 そして大声で気炎をあげ、日ごろの様々な、よしなしごとを一瞬でも解消するのだろうか? 彼は毎年高速バスを使って新居浜から来ていると聞いた。 新居浜にある三交代制の工場で働いているという。 今年は、14-15日の後半二日間新町橋で踊った。 いつも来ているメンバーを見かけるとほっとする。 ある年から、歯の抜けたおじいさんの姿を見かけなくなった。 あのおじいさんのことについて一緒に行くメンバーと阿波踊りにくると思いだしたように話す。 大学の連をのぞいてみると今年も後輩の姿が見えた。 ゼミの後輩である。こうして年に一度会えることの何と幸せなことかと思う。 元気そうでなによりです。 いつも新町橋のたもとでは「えっとぶり!」と書かれた団扇が配られている。 洒落たデザインの団扇。 徳島弁で「ひさしぶり!」という意味だそうである。 阿波踊りは「久しぶりに会えたね」というコミュニケーションを作ってくれる イベントなのだなと思う。 阿波の人がこの時期に地元に帰るというのはおおいに納得。 1日目は、1000円高速道路の影響渋滞を鑑みて大阪を早めに出る。 と早く到着し時間に余裕が出来た。 あの徳島ラーメンの繁盛店「巽屋」にもほとんど並ばずに入ることが出来た。 踊りの時間まで間があるので、今まで一度も行ったことがなかった 眉山にロープウェイを使って登ってみる。(往復1000円) 標高300メートル弱ではあるが下界より気温が3度低い。 そこにモラエスという人の記念館がある。 彼は明治時代に徳島に移り住んできたポルトガル人。 このころ、海外から来て日本人と結婚し日本に住んでいた外国人は とても少なかっただろう。彼はここで二人の徳島の女性を愛する。 日本に来る前にモラエスは中国で妻を娶っていた。 この人はアジアの女性が好きなんだろうなあと思った。 モラエスは徳島で「徳島の盆踊り」という本を書き出版している。 そして徳島で亡くなった。 地味な展示ではあるがじっくり見ていくと、滋味深い彼の人生があぶりだされてくる。 人間の一生を克明にたどると誰の人生も非常に興味深い。 雨も降らず、二日間、新町橋のたもとで踊る。 ここの魅力は何だろうと踊りながら考えた。 そして出した結論は音楽性が高い!ということ。 音楽スタジオを経営されている春雨さんが主宰しているこのお囃子楽団のレベルが半端じゃない。 真ん中にお立ち台があり。そこにヴォーカルのマイクがある。 三味線が三本から四本。小太鼓が5代、鉦(かね)が数台後ろにある。 そして大太鼓が数台。一番下手には横笛が5-6本の編成である。 三味線はエレキ三味線仕様となっており様々な 楽器がミキサーを通じてある程度整音されて出てくる。 横笛の女性の肩にハンドマイクがかけられており何だろうと思った。 それを通じてスピーカーから出されているのだと判明。 バランスよく音の洪水が降ってくる。 鉦や太鼓は、さらに音圧が加わる。 その音圧の中に潜るようにして踊りに集中するとあるグルーブ感が生まれてくる。 ライブハウスでのライブへの陶酔にも似た 奇妙な身体感覚が阿波踊りの大きな魅力なのかもしれないと思う。 身体をそのリズムに合わせて動かしていると、 音と動きが一体となった何とも言えぬ感覚に包まれる。 最終日アンコールに応えて、街灯が消灯されたあとも踊りが続いていた。 ♪チャンチャチャンチャチャンチャチャンチャ♪ 昨年、この阿波踊りについてここに書いたものに、コメントをくれた人から 直接この新町橋でご挨拶を頂いた。 びっくりしたと共に嬉しく思い。 「えっとぶり!」とは本当に良く言ったものだと改めて思った。 写真は明石大橋(これから徳島へ向かう時の写真) ![]() ▲
by haruharuyama
| 2009-08-17 07:12
| 時事放談
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とてつもない作家である。西川美和のことである。 こんなかわいらしい女性のどこに、 ここまで映画というものについてきちんと描くことが出来るものがあるのだろうか? こうして何年かに一度、凄い天才が出てくるものだと驚く。 と、ともに生きているとこうした経験が出来るという 単純だが素敵な事実に気づかされる。 芸術とは、そのような感覚を強く喚起するものなのかもしれないと思う。 先日、トップランナーに西川が出ており、 彼女の中に内包する強さと映画に対する強い思いを感じた。 オリジナル脚本を書いてそれを監督する。 トップランナーでこの映画の撮影シーンが映し出されていたが、 そこで見る西川はまさに現場の人だった。 田舎町の無医村だったところに、数年前診療所が出来た。 そこの診療所で起こるさまざまな事柄が中心となる。 茨城県の田舎の街。 山の中の典型的な田園風景があり、村の真中には川が流れている。 村落はやはり河川などを中心として発展し、 そこに道路が出来るのだなと納得。 診療所にある研修医がやってくるところから、ドラマは始まる。 開業医の息子である瑛太が運転する赤いBMWのコンバーチブル。 診療所で働いているのは医師である笑福亭鶴瓶と 看護士である、余貴美子。 余は最近とみに素晴らしい名バイプレーヤーとなった。 先日、アカデミー外国語映画賞を獲得した「おくりびと」でも 素敵な葬儀屋の事務員を演じていた。 瑛太は最初、田舎の診療所なのであまりやることもなく 楽が出来るのではないかと思い、この地域にやってくる。 ところが医師である、鶴瓶は、予防医療なのか、何なのか? 診療に来ない村人の家に押しかけてヴォランティアで検査をし、 病気の早期発見の努力を続ける、 こんなんところに民家があるのかというところまでとことんと奥地へ入ってく。 鶴瓶の医療は、昔の赤ひげ先生のよう。 高度先進医療は街の病院に任せ、彼の主に考えるのは、 病人となってしまった、また病気と一生付き合っていかなければならない村民の、 クオリティ・オブ・ライフ。 彼らの生活や彼らの家族そして彼らの共同体がどのようになるのが 一番いいのかを考えることなのだなと思う。 この考え方、そして予防医療という考え方に、今後の高齢者社会の中での 地域医療、過疎地の医療の問題の方法が提示されているように思えてくる。 その主題を貫くものとして医師である鶴瓶と、 娘たちが都会に出てしまって田畑を耕しながら細々と一人暮らしをしている老母、 八千草薫との物語が描かれる。 八千草薫の家に診察に押しかける鶴瓶。 胃の具合が悪いだろう事が触診でわかる。 八千草は鶴瓶の診療所を訪ねる。 娘には知らせないでくれという。 その娘=井川遥、は、東京で循環器系の医師をしている。 父親を彼女はガンで亡くしている。 早期発見できないでいた過ちを、母親には繰り返したくないと思っている。 八千草の家族に迷惑をかけたくないという思いと、それによりそう鶴瓶の思い、 そして井川の思いが交錯する。 時折、別のエピソードとしていくつかの医療に関する出来事が挿入される。 人が医師と向き合うとき 医師は何をすべきか何をしてあげられるか? それは患者や家族によって回答が違うのだなという気持ちをもった。 そんな、中、鶴瓶が失踪する。 何が原因だったのか? それを調べる男たちのシーンと 診療所で働いていたころの鶴瓶のシーンがシンクロし、リンクしていく。 そうして、僕たちは様々な生きるということと 医療とは医師とはということを突き付けられて映画を観終わることになる。 この映画はそういう意味では映画館で完結しないもの。 映画を観終わってから様々な問題を考え、 それについてどうすればいいのかを残してくれる。 答えは自らの中から探していかなけらばならない。 映画館を出てあー面白かったと言って、駅につくころにはすっかり忘れてしまえる 映画があってもいいというような事を言ったのは三谷幸喜だった。 本映画はその三谷さんのお話の対極にある。 しかしながら、三谷さん自身も、本当にそう思ってあの発言をしたのか? 証拠に三谷作品自体には、駅まで行ったら忘れてしまったというような 映画は皆無だからなのである。 テレビドラマ「振り返れば奴がいる」 で描かれた医療の問題と通底する問題がここに確かにある! ▲
by haruharuyama
| 2009-08-14 16:50
| 映画
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僕の父親が鬱病になったのは、父が40歳を過ぎた頃だった。 それから父親はしばらく入退院を繰り返し、それまで勤めていた会社を辞めた。 それ以降ずーっと父親は抗鬱剤を飲み続け59歳で亡くなるまでそれは続いた。 約20年間、病気と付き合って、最期は脳溢血で倒れこの世を去った。 父親が鬱病で入退院を繰り返していたころは昭和40年代。 いまでこそ鬱病という言葉は一般的になったが、 当時は精神病というのはやはり様々な偏見があったようで、 母親は僕たち子供を病院へは連れて行かなかった。 そのことを後になって知ることとなる。 酒をほとんど飲まない父は、自宅療養中に、煙草を吸いながら たくさんのキャラメルを食べていたことを子どもながらに覚えている。 たぶん1日一箱のキャラメルを毎日食べていたのではないだろうか? 今になって思うとあれも何かに依存する兆候だったのかな、と思った。 この映画でもコーラを延々と飲み続けながら喋り続けるオジサンが出てくる。 彼は詩人のように言葉を紡ぎ、世界を語る。 監督の想田和弘は以前、小泉チルドレンの選挙活動を延々と記録し続けた 「選挙」というドキュメンタリーを作った。 本作はその第二段。 タイトルに想田和弘第2回観察作品と記されている。 監督ではなく観察と記したところに想田監督の想いが込められている。 岡山にある精神科クリニック「こらーる岡山」が舞台。 そこで治療を受けている患者さんたちとそこで働く人たち、 そして精神科医である山本昌知医師が延々と記録されている。 想田監督は一切のぼかしやモザイクをかけていない。 先日、朝日新聞に想田監督が寄稿していたが、 最近のドキュメンタリー番組は、安易にぼかしやモザイクをかけてはいないかと 懸念していた。 製作者がその対象をすべて引き受けて責任を取る覚悟がなければならない。 そして、この映画では、健常者と精神病を患っている人を 同等に扱うべきではないか?という想田監督の考が表明されている。 そのためにはモザイクなどの処理をせずに出演者の同意をきちんと取って 映像として定着させていくことが重要であると。 そのためには膨大な手間と時間がかかる。 テレビのドキュメンタリー、 特に民放番組などは低予算で短時間で作らなければならないことが多く、 現場にその意識を高いレベルで、徹底出来にくい構造になっているのではないか? 映画を見ているといろいろと考えさせられる。 精神病者と僕たちの垣根はいったいどこにあるのだろうか?と思う。 あることがきっかけで心に傷を負ってしまえば 僕たちもいとも簡単に精神病を患うだろうなあと思った。 やわらかなバランスの中でようやくその状態を保っているのに過ぎないのだなということを実感する。 実の子供が泣きやまず、せっかんで子供を殺してしまった 元母親の語りなどを聞いたり、 お金がなく子供を養っていけないので夜毎 身体を売って稼いでいたというような話を聞いて、 驚きつつも、実は、それは誰の身にも いつでも起こりうることなのではないかとも思うのである。 精神病者と健常者の間に、彼らに対する偏見があるとしたら その偏見こそがモザイク処理ということにつながるのではないだろうか? とも考えてしまう。 偏見がまったくなく真摯に患者と何十年も向き合い続ける医師。 山本先生の姿を見ていると、頭の下がる思いである。 山本先生の自宅と思えるところが診療所となっており、 山本先生は月給10万円で働いている。 年金とわずかな講演料が入るとはいえ、 そこで働く職員さんたちが、私たちの方がたくさんいただいているということを 話されていた。 ▲
by haruharuyama
| 2009-08-13 06:15
| 映画
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マキノノゾミ主宰の劇団MOP公演も来年で終焉を迎える。 劇団を維持していくことは本当に大変なことなのだろう。 もう20数年もこうしてやってこられただけでも驚くべきこと。 本作は、18年前に書いた「ピスケン」という舞台のリメイク版だそう。 「リボルバー」というだけに拳銃が出てくる。 場所は横浜の外国人向けに作られたホテル。 時代は明治維新を迎えた直後。 そして、ここに登場する拳銃は、坂本竜馬が使っていた拳銃であるという筋書き。 竜馬の妻だったおりょうさんは身寄りもなくなり、このホテルに身をよせ働くことになる。 ホテルは女主人(キムラ緑子)が経営している。 噂では外国人相手の売春がここで行われていると。 キムラは開国後、初めての異人を相手にした愛人だった。異人はしばらくすると本国へ帰っていった。 彼女はその後、木戸孝允(=小市慢太郎)と知り合い。ここで働くことになる。 キムラの二番目に好きになった人である。 木戸とは桂小五郎のことである。 長州藩の木戸は、坂本竜馬の元妻のおりょうをここで面倒見てくれと連れてくる。 そこには、どうしていいかわからない若者=北村有起哉がいたり、 いつも油を売っている、車引きがいたり、 キムラの三番目の男(三上市朗)=彼は元会津藩士、がいたり。 このホテルのロビーでの会話から様々な物語が見えてくる。 マキノノゾミの描く話はいつも志が高いものが出てくる。 この志をもったものたちが懸命に生きていきながらぶつかり合う。 矜持とでもいうのだろうか? 市井の人々に至るまで彼らはプライドをもって信じるものに突き進んでいく。 それは命がけの矜持だったりする。 この国をどうにかして良くしようという人々が集まる。 中江兆民の起こした自由民権運動に加担する若者がいる。 それに影響され、自分も変わっていこうとする北村がいい。 中江が訳した、ジャンジャック・ルソーの「民約論」がそこでの重要な小道具となる。 これを読んで新しい社会のシステムを作り、 よりよい社会にしていこうという若者の純粋な意思がそこから感じられる。 理想と現実の狭間で日本国を運営していかなければならない 木戸孝允の悩みはいったいどれくらいのものだったかと想像する。 終演後のカーテンコールが延々と続く。 あと1回しかないという積年の情が、満場の拍手につながったのだろうか? 3度目のカーテンコールで劇場は一体感に包まれた。 キムラ緑子の演技が素晴らしい。 ▲
by haruharuyama
| 2009-08-11 06:09
| 舞台
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民本主義を唱えた吉野作造とその弟のお話。 吉野作造は宮城県出身、仙台の高校を優秀な成績で卒業。 東京帝国大学法学部に入り、首席で卒業。 東京帝国大学の教授になる。 弟も同じ道をたどり、東京帝国大学を首席で卒業するが、 彼は官僚の道を選ぶ。 その、対照的でありながら似たもの同士でもあった10歳違いの兄とおとうとの物語。 井上ひさしらしく音楽劇のカタチをとりながら舞台は進んでいく。 井上ひさしは高校時代を仙台で過ごしている。 そのときの体験や経験が この戯曲をここまでのレベルにしていったに違いないと思った。 2003年に読売演劇大賞に輝いた作品の再演。 見て良かった。 当日券で並んだ甲斐があった。 僕たちの前には御年70歳代のかくしゃくとしたおばさまが文庫本を読みながら 30分近くたちっぱなしで当日券をまっていらした。 僕たちは地面に「R25」を敷いて座りながら本を読んでいた。 6人だけの舞台。 吉野作造とその弟、吉野作造の妻と弟の妻。 彼女たちは実の姉妹でもある。 そこに様々な役割を演じる小嶋尚樹と宮本裕子がからんでくる。 時は、大正デモクラシーの巻き起こる関東大震災の前から、 満州事変が起こるあたりまでを中心に描かれる。 朴勝哲のピアノ演奏が聞こえてくると、ああ、井上ひさしの音楽劇を見に来たぁぁという気になる。 そして、登場人物が紹介され歌とともに舞台は始まる。 楽しく見られてポジティブで、しかもそこで描かれていることは深い。 社会的なことだけでなく、家族の話なども含めて人生の悲哀や機微が描かれる。 一緒に見た妻がサザエさんの世界だといったが、 確かにそのようなあっけらかんとした空気が流れている。 説教泥棒などはまさに、そう。 どっちが悪くてどっちが悪くないのかさへわからない。 とにかく、明日食べていくことが精いっぱいだった時代と人たちがそこにいた。 井上もそれを肌で体験している。 井上ひさしの展覧会が今年、仙台文学館で行われていたらしい。 劇場で、その時の展覧会の記念パンフレットが売られていた。 これを読んで井上ひさしの年譜などと照らし合わしながら、 この「兄おとうと」のことと関係付けながら帰りの電車の中で考えていた。 井上が本格的に舞台を始めたのは50歳のときだった。 そのことを知り、驚くとともに、演劇にはそれだけの魅力と深さがあるのだと思った。 そして、本舞台はその確信に値するものだった。 台詞を通じて、国家とか憲法などというものについて考える。 明治維新後、ドイツのワイマール憲法などをお手本に作られた 大日本帝国憲法の時代。 その時代の真ん中で国を動かそうとしている官僚の弟と、 現時点のシステムは、本当の人民のための憲法ではなく、 それを実現するためにはどうしたらいいのかの理想が吉野作造の口から語られる。 ご飯をちゃんと食べられて火の用心が出来ており 安心に明日も元気に暮らせる社会をつくること。 それに尽きる。 それを実現しようと人々が集まって何事かをやっていこうとすること自体が 国家であるということが語られる。 こんなにわかりやすく国家とは、ということを教えられたことがなかった。 国家は民族でも言語でも宗教でもくくれない。 兄とおとうとは生涯に6日間しか床を共にすることはなかったという。 その6日間のエピソードを中心に舞台が作られている。 総選挙を控えたこの時期に必見の舞台。 8月16日まで。 ▲
by haruharuyama
| 2009-08-10 06:38
| 舞台
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座・高円寺が開館して、初めての訪問。 JR高円寺北口を出て線路沿いを中野方面へ。 「桃太郎寿司」などを見て、以前、高円寺に住んでいたので懐かしい気持ちになった。 環七の手前に黒っぽい大きなテントのような不思議な建物がある。 時々、中央線の車内から見ていたのだが、実際に間近で見てみると、大きい。 大きな鉄の塊のような中の劇場のロビーは吹き抜けになっていて気持ちがいい。 カフェが併設されているようで23時までやっているらしい。 洒落た劇場空間。 ここで、あの劇団「第三舞台」の名作と言われていた「ハッシャ・バイ」が鴻上尚史の演出で蘇る。 何と18年ぶりの上演だそう。 18年前とはバブルの絶頂期だった1991年。 バブル崩壊の寸前に上演されていたということになる。 バブルの時代とともに成長し、ものすごい勢いで人気を博したのが第三舞台だった。 バブルの時代とどういったところが、相性が良かったのか? バブルで皆が忘れそうになっているものをこの劇団は提示してくれたのか? 鴻上尚史の戯曲はやや文語的な言い回しを使いながら それがリリカルな響きを持って伝わってくる。 決して簡単に喋れる言葉ではないが、その言葉を俳優が語ることによって 独特な劇世界を作り上げることが出来た。 第三舞台のなしえた一つの到達点かもしれない。 心の問題に触れていく主題のものが多い。 そこから何かがつながり何かが生まれようとすることを 掬いとろうとしようとしていたのではないか?と、今になって思った。 当時はただ単に見て楽しむというだけだった。 20年を超えた歳月がこのような感想を僕に与えてくれた。 鴻上尚史は、20年近く前の作品を再演することで 何かが見えてくるのかもしれない?と思ったのか? これを演じる俳優たちはみな若い。 「虚構の劇団」という。 鴻上尚史が自身の演劇観を若い俳優と共有しつつ 作品を作り上げていくために旗揚げした劇団。とある。 本公演はその第3回公演となる。 シンプルな舞台。ドアが左右に二つづつ、奥に三つある。それだけ。 時々、奥の壁に映像が映し出される。 映像の状態がいい。この劇場ならではの特徴だろうか? 夢と現実がこんがらがってどっちがどっちなのかわからなくなるようなお話。 夢の世界と精神病棟での世界と、そして虚構の世界。 すべて同じようで少しづつ違う。しかし、その境界は曖昧で 移動や交換可能な世界。 独特で抽象的な世界が上手く描かれている。 往年の第三舞台のように集団でダンスするシーンが挿入される。 若い俳優たちの動きが合っている。 そして彼らのひたむきさと懸命さがひしひしと伝わってくるのがいい。 決してクールではない舞台。 20代の俳優たちが熱く演じることがストレートに伝わってきて清々しい! 先日見たキャラメルボックスにも似た清々しさを感じた。 舞台の中で語られる言葉。 「助けて!殺される。」 この言葉に対する救いが、この舞台全体で表現されているような気がした。 誰も死なない解決方法がきっとある。 大久保綾乃がかわいい。 ▲
by haruharuyama
| 2009-08-09 11:39
| 舞台
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三遊亭白鳥、新潟出身の白鳥と隣の県である 富山出身の立川志の輔をゲストに迎えた独演会。 日本海つながりでこの二人の関係が出来たのだろうか? 対談をきいていてもその真実はわからなかった。 白鳥が40歳代半ばというのを聞いてとても驚いた。 この人は30歳代半ばくらいの感覚を持った人なんじゃないだろうか? でも、噺の中にキャンディーズなどが出てきており、 やはり40代なのかもしれないと思いなおす。 まずは開口一番は白鳥の「トキソバ」。 白鳥の「時そば」なので独特のアレンジが施されている。 そばのすすり方がいい。 古典を独特のギャグに仕立てていく様は赤塚不二夫を彷彿とさせる。 ある種、破綻した中から面白いものを生み出していくことができるのが 白鳥の特徴なんだろう。 意外なシーンが突然、白鳥の喋り言葉で表わされる。 観客の予想を超えた展開がお笑いに通じるのだなと思った。 続いて、志の輔の「抜け雀」。 初めて聞いた。 壱文無しを宿に連れてくる宿屋の主人とそのカミサンのかけあいが面白い。 宿屋の主人は、マゾヒスティックになりながらもなんとか対応する。 カミサンと一文無しの間に入って苦しむ姿が笑いを誘う。 江戸時代の商人のお客様への姿が、 当時の庶民の優しさを醸し出す。 江戸とはそういう時代だったのかもしれないと考える。 どうしようもない人を受け入れるやさしさ? 衝立に書く画師と、その画に、さらに書き加える画師の父親。 職人魂=武士の魂 に似ている。 そういったところをうまく織り交ぜながら硬軟併せ持って志の輔の噺は進んでいく。 表情と間合い。そして喋り方でこのように世界を作り、 見ているものを集中させてくれる技法に舌を巻く。 仲入り後、 白鳥と志の輔の対談。 出身地の話から。初めて志の輔に白鳥が出会った話を語ってくれる。 江戸深川記念資料館にて「落語のピン!」の収録があったそう。 そこに談志師匠と志の輔が来ており、談志師匠がやった噺が客に受けない、 気を悪くした師匠が、次に出た白鳥の噺がどっかんどっかんと受けるものだから さらに気を悪くしてプイっとそこを出てしまう。 志の輔は白鳥に、師匠にすぐあやまりなさい!と言ったとか言わないとか。 ようやく談志師匠が見つかって、白鳥は師匠に土下座する。 「す、す、っすいませんでしたあああ!」 師匠は白鳥を部屋に呼び、さらに怒られるかと思ったら。 「お前は悪くない!悪いのはどっかんどっかんと受ける客が悪い!」 と言ったというエピソードが面白かった。 生きているだけで噺家。 とは本当に良く言ったものである。 立川談志を、28歳のときに見た志の輔は立川流に入門した。 10代のころに見た志ん朝とともに志の輔が噺家になった伝説的な落語経験である という話しが興味深いものだった。 そして、最後に白鳥が「鰍沢」を改めた新作を披露。タイトルは「鬼ころ沢」。 円朝の怖い話「鰍沢」をベースにしたもの。 たこ焼き屋さんの血のつながっていない姉と弟の物語。 17歳で家を飛び出した姉が真っ赤な木綿のイブニングドレスを着て 山小屋にいるという荒唐無稽な物語。 荒唐無稽なところは面白いのだが そこから大きな物語や心の動きまでいきつくことができれば なお素晴らしいものになるのににゃあ! という感慨を持ちながら見た。 人物へ深く入っていくことをしない白鳥の芸はそれはそれでありなのだが、 あれだけの演じるチカラがあるので、白鳥は 次のステップに絶対に進んでいけるんじゃないかという予感を残した高座だった。 こなれて熟成された「白鳥版・鰍沢」=「鬼ころ沢」 をしばらくの後再度聞いてみたいものだ。 ▲
by haruharuyama
| 2009-08-07 06:27
| 舞台
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鹿児島出身の俳優、西田聖志郎がプロデュースした、 鹿児島が舞台の公演。 出演俳優は、辺見えみりを除くと他は、鹿児島、宮崎の出身。 お国言葉が飛び交う人情味溢れる舞台となった。 はしのえみが鹿児島出身であると初めて知った。 彼女の話す鹿児島弁(薩摩言葉?)がいい。 夏になると、特に、お盆の頃になると故郷を思い出す。 盆と正月に帰省するというDNAはいったいどこから生まれて来たんだろう? 鹿児島では7月の中旬に六月燈が行われる。 なぜ7月かというと旧暦の六月に行われていたところから来ているそう。 地元の人たちが奉納したたくさんの灯篭が飾られるそうである。 独特の文化をもった薩摩らしい催し。 劇中でお囃子が聞こえてくるのだが、そのリズムが祇園祭のお囃しにそっくりなのに驚いた。 その六月燈のとき、 鹿児島市内の和菓子やさん「鶴屋」でのお話。 舞台はその店の居間。上手に中庭があり、奥にはお店がある。 そこで実は複雑な同居が続いている。 離婚と再婚に伴う複雑な人間関係の中から、血のつながっていることは そんなに重要なことでないというメッセージが聞こえてくる。 昔と比べて離婚することや再婚することは一般的なこととなった。 僕の周辺を見回しても離婚経験のある人がたくさんいる。 そして、そのことはもはや驚くことではない。 三姉妹の母である重田千穂子は前の前の主人と離婚した。 前の前の主人は、離婚後、次女(辺見えみり)を連れて東京へ行き13年前に他界した。 その後、重田は、そこで働いている菓子職人、西田と再婚して娘をもうけたのだが、 何故か離婚し、したのに、同居して店をやっている。 前の前の夫との間には二人の娘がいる。 長女のはしのえみは出戻りである。 次女の辺見えみりは離婚の危機にある。 そして西田との間に出来た長女と次女とは 血のつながっていない三女、桧山明子は同居しつつキオスクで働いている。 辺見えみりは東京で宮崎県都城出身の井之上隆志と結婚する。 嫁姑の関係などがあり離婚調停にまで話がすすんでいる。 辺見えみりは東京にいるのが嫌で、母親のいる実家でぶらぶらしている。 実家の「鶴屋」も大きなショッピングセンターが郊外に出来たりしており、 商店街はシャッター通りになりそうな危機を迎え、 赤字に苦しんでいる。 それでも何とか新商品などを開発しつつ生き残ろうと懸命に努力しながら切り盛りしている。 そういう状況の中、井之上が鹿児島の妻の実家を訪ねてくるところからこの舞台は始まる。 常に、みながひとつ屋根の下で暮らしてきた家族ではない。 彼らの会話から様々な人間模様が見えてくる。 水谷龍二お得意の人情喜劇である。 もはや、このスタイルは、古いという人が居るかもしれない。 しかしこういった、人情を描くことは我々の中に確実にDNAとして受け継がれている。 だからだれもがこれを見て感動しうるうるするだろうな、と思う。 山田洋次作品がいつまでも愛されるのもそういった理由ではないだろうか? 井之上隆志が辺見えみりのすべてを受け入れるところがいい。 それでも、一緒にいたいという気持ちが離婚の危機を乗り越えようとする。 観客層は幅広く年配の方もいらしており楽しまれていたようである。 今はなき、THEATER/TOPSで行われていた、カクスコや道学先生、 もちろん水谷龍二作品などなどのテイストが赤坂に場所を変えて戻ってきたのか? というような気持になった。 いくつになっても舞台を作ることが出来、見ることもできる。 それは演劇ならではという、ところもあるだろう。 8月11日まで。楽しめます。 お盆明けには何と、鹿児島公演も行われるらしい。 ▲
by haruharuyama
| 2009-08-06 06:15
| 舞台
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パラドックス定数は過去の史実や事件をもとに演劇を作りあげる集団と聞いた。 そのパラドックス定数の初めての完全オリジナル脚本とのこと。 5人の執事が登場する物語。 驚いたのは観客席をほとんど取っ払って舞台にしてしまっていること。 観客席は2列のみ。 後方2列だけが残ってあとは全て演じるための舞台になっている。 奥行きと高さがすごく、まるで百坪以上あるスタジオの大きなセットで 一連の舞台を見せていただいているような気持になる。 ある日の出来事、五人の執事たちはお屋敷で執事の仕事を始める。 と、あるきっかけでこのお屋敷の御主人様が亡くなる。 御主人様を失った執事たちは微妙に動揺し、どうしたらいいのかわからないまま、 執事の仕事を続ける。 執事を描いていて印象的なのはその仕草である。 ソムリエなどもそうだが、様々な行為をするときのその仕草が 美しく品がいいことは執事の条件のひとつであるのだなと思う。 彼らの歩き方から動き方まで随分と稽古を重ねたのではないかな?と思った。 またかれらがこの大きな舞台セットの中で どのように配置されているのが美しいのか?が計算されている。 まるで植田正治の写真の構図のように、 まるで「去年マリエンバート」での映画の構図のように。 燕尾服スタイルの執事たちの立ち姿と配置が現代アートのようにも見えてくる。 基本、黒い衣装とオーク色に近い落ち着いた部屋と廊下そして調度品。 そこに配膳される白い食器と透明なグラス。 食卓は何事もなかったかのように美しくしつらえられていく。 御主人様が今際の際にある執事に言った。 私の日記を持って来てくれと。御主人様の日記は主人の書斎の机の引出しの中にあった。 真っ赤な布で装丁された美しい日記帳である。 この唯一の赤色が舞台で魅力的に見える。 日記に御主人様が書いていたことに、執事たちの知らない秘密があったのだろうか? 執事たちはそれを読んだものもいるし、読んではいけないという倫理感を前面に出す者もいる。 戯曲を読むと、この日記帳に大きな意味が存在しているだろうことは推測出来た。 舞台を見ていると、核心的なことには触れられない。 執事たちはある節度を持って会話する。 ときどき抑えた中に感情的な場面が出てくるが、 執事たちは個人の感情を抑えてふるまう。 カズオ・イシグロの原作「日の名残り」の映画化されたものを見たのだが、 その時のアンソニー・ホプキンスにも似たようなものを感じた。 抑制された中にある熱い愛情と信念が執事たちの中にある。 その抑制されたものを上手く伝えるのに 後方2列意外をすべて舞台にした広大なスペースは有効だったのか? 二つのこの舞台での魅力、 ひとつは美的な配置と動き、 そしてもうひとつは執事たちの中にある抑制されてはいるのだが熱い気持ち。 その二つを同時に描くことは、難易度の高いものになってしまったのだろうか? ここで、作・演出の野木が伝えたいことがわかっているのに、と思いながら。 執事たちはご主人様の秘密を決して大声で語らないし明らかにしない、 推測しながら観客は見ることになる。 ときどき言葉の端からそのようなことが感じられるのだが、 そこまで集中して観るには舞台が広すぎる。 そこのジレンマがうまく解消できるとき この舞台はもっと素敵なものになる。 ▲
by haruharuyama
| 2009-08-03 06:39
| 舞台
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高校演劇をしている学生たちに圧倒的人気を誇る、キャラメルボックス。 何と、今回で100回目の公演。 キャラメルボックスが始まって今年で24年になるという。 僕が、東京に上京してきた年と重なる。1985年だった。 これだけ有名でメジャーになったキャラメルボックスを 実は、まだ一度も見たことがなかった。 上川隆也の登場で大ブレークしたこの劇団は 精力的に活動を続けてきたことが100回という回数を見てもわかる。 年間4回以上、公演を打ち続けないとこの数字にはならない。 今回の舞台は新撰組の志士が主役の舞台と言うことで、 公演チラシをずーっと持ち歩いていた。 チラシの裏に、ハーフプライスチケットの案内が書かれてあった。 公演当日の10時から開演2時間前まで半額チケットを売り出すと。 ダメもとで「ちけっとぴあ」に行ってみる。 と、すんなりチケットが取れた。 平日はチケットが取りやすいことをカーテンコールで知ることとなった。 しかしながら、今回もまるまる1か月の公演である。 これだけのロングランをサンシャイン劇場で出来る実力が確実にあるのだろう。 キャラメルボックスというと、演劇を良く見ている人たちは、 高校演劇をやっている人たちと演劇初心者と コアなキャラメルボックスのファンが見るものというような感じのことを良く言われ、 そんなものなのかと時々聞いていて思った。 一度も見ていないので、キャラメルボックスの話題になっても実感がわかない。 今回は本当に丁度いい機会だった。 しかもハーフプライスチケットで見ることが出来た。 今回、初めて観て、この劇団の人気の理由がわかった。 確かに良く出来ている。 後半、マジで、うるうるしながら舞台に見入っていた。 演劇が基本的にもっている魂のぶつかりあいや暑苦しさ、 そこにちょっとした可笑しさやギャグが散りばめられており、 こういうものを最初に見ると演劇が好きになる人が増えるだろうなあと思った。 つかこうへい劇団全盛の時代に確実にあった熱いものがここにある。 成井豊たちはいったいどのような劇団を見てキャラメルボックスを旗揚げしたのだろう? ストーリーはシンプル。 新撰組と長州藩士の戦いの中で人を殺すことのリアリティが描かれる。 憎しみの連鎖の中で人を殺し合うことによって 解決できるものは何もないのだというメッセージが伝わってくる。 今回の脚本は成井豊と真柴あずきの共同脚本。 共同で書くことで新たな価値観が生まれてくる。 小津安二郎と野田高梧。黒澤明と橋本忍のように。 最後に、夫を殺された長州藩の武士の妻が 新撰組と戦い、殺し合うことを放棄する。 この赦しによって、彼らは新たな時代へと風を継いでいく。(明治時代ということだが。) 新撰組の武士になった男が 健脚を生かし京都から大阪を走り抜ける。 その描写が素敵だ。 走りぬけるという行為は、いつまでたっても青春を感じる。 その青臭くて純情で、だからこそ大切なものを キャラメルボックスは描き続けているのではないか? 「風を継ぐもの」はいつの時代にもいる。 ▲
by haruharuyama
| 2009-08-02 06:56
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