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舞台には、左右に分かれた部屋。同じアパートの隣どうしなのか? それとも、別のアパートなのか? 六畳一間で半畳ほどのキッチンスペースがあり、トイレは共同、 もちろん風呂はない。こういったアパートもどんどんと減っている。 僕が東京に初めて出てきた1985年。 新高円寺駅から徒歩4分のアパート「星野荘」は4畳半で家賃が2万円だった。 その後バブルを迎え土地が高騰し、そのアパートも数年後には取り壊され、 鉄筋コンクリートの小さなマンションになった。 脚本・演出はブラジリィー・アン・山田。 この名前からブラジルという劇団名がとられたのだろうか? 部屋は同じ形で左右対称になっている それが扇形状に広がっているような舞台構造。 この構造がこの舞台を面白いものにしている。 左の部屋には女(高山奈央子)が住み、そこに自称小説家という男が居候している。 ときどき、近所のいとこが彼女を訪ねてくる。 彼女はバツイチで子供が小さい頃に死んでいる。 右手の部屋には男(櫻井智也)が住んでいる。 彼は妻に逃げられ、今は一人で司法試験の勉強をしている。 生活保護を受けている。 彼の別れた妻が左の部屋の女だろう? と思うのだが明確には舞台では語られない。 ときどき左右の舞台のセリフなどがシンクロする。 共通の子供の話が同時期に出てきて それがシンクロするのでこの二人は夫婦だったのではと思うようになる。 謎が謎を呼ぶ不思議な都会のホラー小説を読んでいるような気になる。 舞台冒頭で高山奈央子がおばあちゃんに「わたし、わたし!」と電話している。 おばあちゃんに振り込みをお願いする。 120万円を振り込んで欲しいと。 無免許運転で事故ったことを示談にするための金額だと言う。 その、おばあちゃんは実は本当のおばあちゃん。 「振り込め詐欺に会った!」として事件になったのだが、 おばあちゃんがあれは実の孫だったと言って聞かないんです。 というセリフに心打たれた。 実の子供なら絶対にわかる! 信じることと信じないことがこの舞台で描かれる。 人は簡単に裏切る。 それを受け入れながら生きていく。 人を裏切って裏切られて助けて救われて生きている というような歌詞が「さだまさし」の歌の中にあるが まさにそんな感じだろうか。 人間が関係を作っていくということはそういうことだろう。 司法試験を目指している斎藤(櫻井智也)の同級生だった 辰巳智秋の存在感がいい。 ▲
by haruharuyama
| 2009-12-20 10:24
| 舞台
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初、青☆組、体験! 以前から、青☆組の作・演出の吉田小夏の評判は聞いていた。 今年も新人戯曲賞の候補に選ばれている。 彼女は1995年に青山円形劇場で行われた 演劇公演「転校生」(平田オリザ作・演出)に女子高生役として出演した世代だという。 KAKUTAの桑原裕子もこの舞台がきっかけで演劇の道へ進んでいったという。 あれから14年。 弱冠33歳の女性が、今回のような、大人の鑑賞に耐えうる 素敵な舞台を作りあげたことに正直驚き、 吉田小夏の実力の底の深さを知ったような気がした。 彼女は以前から向田邦子が好きで、 一度、彼女をモチーフに舞台を作ってみたかったと 折り込みのリーフレットに書いていた。 そして、彼女はこんな文章を書いている。 そうして、何度も目を凝らしながら、 私は自分にとっての「ちゃぶ台」と今一度向き合い直し、 伝記作品ではない私なりの時代の風景を描きたいと願いました。 「私なりの時代の風景」 舞台となっているのは、来年、東京オリンピックが開催される前の 1963年から1964年、(昭和38年―39年) そして、もうひとつの時代として 昭和がそろそろ終わりにさしかかっている時代、 1988年から1989年(昭和63年―64年)が描かれる。 この時代が交互に移動し、 抽象的な空間が様々な場所に変化していく。 「向田邦子の恋文」という本が数年前に出版されて話題になった。 この本をベースにテレビドラマも作られた。 テレビドラマも楽しく見た。 が、今回のこの舞台には遠く及ばない。 吉田小夏が思う向田邦子に対しての考え方がきちんと表現されている という意味でテレビドラマを超えている。 あの、時代の空気を吉田自身は知らないだろうに、 そのセリフ回しや昭和的な人や音、空気などの感じは いったいどうやって獲得したのだろうか? 映画から小説から?その手腕に脱帽。 向田邦子(福寿奈央)は忙しい原稿執筆の合間に たびたび西沢(足立誠)のところを訪れて、 一緒にご飯を食べたり昼寝をしたり雑談したりしている。 西沢は脳出血かなにかの後遺症か?半身がいうことを聞かず、 仕事もできずに寝たり起きたりしている。 唯一の楽しみは本を読むこと。 西沢が邦子に言う。 「目標を、俺にあわせないで欲しい。」 と、愛情を込めて、突き放すように邦子に語る。 彼は自分自身の現実を客観的に把握したうえでこの発言に至る。 この時代、向田邦子の生き方は女性としては新しく、 その才能をそっと受け入れる人がこの西沢だったのだろう。 対照的に描かれるのが向田邦子の実家の風景。 明治の男だったろう厳格な父親の下、三人姉妹が暮らしている。 妻は忠実に主人に仕え、主人は家族の全責任と 食べることの責任を背負い社会と向き合っていく。 亭主関白を絵に描いたような風景である。 父親は、食べるものを届け、わかちあうことが家族の幸せであると考えている。 そんな、父の考えに思いを馳せ納得する自分もいる。 この、空気感がいつまでも続いて欲しいと思うような舞台だった。 どちらも、昭和の時代に人々が寄り添うように生きてきたことが 肌感覚で伝わってくる。これが舞台のいいところである。 映像では伝えきれないもの「寄り添って生活する空気」みたいなものが この劇場内には確かにあった。 ▲
by haruharuyama
| 2009-12-18 07:11
| 舞台
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師走、忠臣蔵にてご機嫌伺い候。 とある。赤穂浪士討ち入りの二日前、 三鷹市芸術文化センター星のホールに 三名の噺家と一名の女講談師がやってきた。 彼らは、ここで忠臣蔵をモチーフに芸をする。 まずは二つ目、柳家さん若の「真田小僧」。 そして、女講談師、一龍斉貞寿の講談「武林嗟七粗忽の使者」。 続いて、喬太郎登場。 忠臣蔵かと思ったらクリスマスイブの新作落語。 「聖夜の義士」という題名。 なんだ、忠臣蔵のネタじゃなくてもいいのか? と思っていたら、最後に部長が「大石部長」であるとわかり、 忠臣蔵と細―い線でつながっていた。 クリスマスイブに、在庫の「使い捨てカメラ」をサンタさんの恰好をして、 街ゆく人にサンプリングしてくれと頼み込む部長と、その部下のお話。 いけてない面々を可笑しく描くのに喬太郎ほど上手い人はいないんじゃないか? 独特の喬太郎作ならではのキャラクターが爆発する。 部下はイブにデートを申し込み上手くいきそうになるのに、 部長からどうしてもやってくれと頼まれ断れない。 会社はいまだに「使い捨てカメラ」を販売している中小企業。 部下の男は、この日のために「つぼ八」を予約しており、 念のためということでホテル「東横イン」を予約していた。 この庶民感覚がいい。 実は、それでもいいじゃんと思えることを 喬太郎は逆説的に描いているのではないか? 喬太郎の描くラブストーリーはどことなく少女漫画を彷彿とさせる。 喬太郎ファンの若い女性が多くいるというのもなんとなく納得できる。 こうして喬太郎師匠は、SWAの中でも独自の路線を歩んでいる。 創作落語の面白さとは、結局は底の深さである。 奇妙でも荒唐無稽でもいいので、その底が限りなく深いものの中から 本当に面白いものが生まれてくる。 そういう意味では白鳥や談笑は、これからノビシロがまだまだあると言える。 噺家は、40代前半くらいまでは、若手でいいのかも知れない。 喬太郎師匠自身、入門したのが平成元年。 26歳の時である。真打に昇進したのがその12年後だった。 喬太郎、38歳である。 続いて、柳亭市馬。 小さん師匠の弟子。 名前は何度も見ていたのだが今回見るのは初めてだった。 芸達者で芸道が深いことが良くわかった。 発声がいい。 たたずまいと品のある落ち着いた感じがいい。 彼が演じたのが「七段目」。 「七段目」とはまさに「忠臣蔵」の七段目のこと。 先日、平成中村座公演で見たシーンが蘇る。 落語の「仲村七蔵」でもこの「七段目」のシーンが出てくる。 兄弟の出会うシーンがいい。 芝居を演じる若旦那と使用人。 ときどき、懸命に演じているかと思ったら、 それを客観的に見てあきれる階下の主人などの反応とのギャップが大きくて面白い。 仲入り後、スタンドマイクが高座の前に置いてある。 紋付き袴の市馬が登場。歌を一曲披露してくれる。 この市馬さんの芸は、真打昇進パーティなどの 十八番になっているそうである。 喬太郎の真打昇進の時にもこの歌が唄われたそうである。 「元禄名槍譜 俵星玄蕃」 威勢のいい歌を、あの市馬師匠の声でやられるのがいい。 トリは喬太郎師匠の「俵星玄蕃」。 忠臣蔵の「義」や「忠」という言葉がきちんと伝わってくるようなお話だった。 ときどきポーンと笑いをとるはずし方は本当に芸の極み。 蕎麦屋と俵星玄蕃との掛け合いが最高。 ▲
by haruharuyama
| 2009-12-17 07:09
| 舞台
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このカンパニーを生で見るのはこれで二度目。 いまやテレビ番組の出演などで大人気のこのカンパニー、 今回の公演で76回目だそうである。いやあ!その長寿さにびっくり。 博品館劇場は満員である。しかも若い女性が多い! 今回、仲良くさせていただいているSさんに誘って頂いた。 Sさんはマニアックな映画やドキュメンタリー映画などの趣味が合う 僕にとって貴重な人である。 このカンパニーの本公演と呼ばれているものが 年に夏と冬の二回行われているそうである。 人気が出てきて入場料も上がり、 デフレスパイラルの逆をいくのがこのカンパニーらしい。 そして、こうして景気が悪く世の中が閉塞感に満ちているときだから尚更、 彼らの公演に行って笑いたい、権威をおちょくってもらいたい と思うのも世の常だろう。 そういう意味ではこのTHE NEWS PAPERは、 最も不景気に強い集団の一つと言えるだろう。 もっとも不景気過ぎて、入場料も払えなくなったらおしまいだ! メンバーは20代?と思える男性から59歳のリーダー(渡部又兵衛)まで。 このように、多彩な年齢層の構成で出来ているコント集団は珍しい。 これも、時事問題を扱うという点では、 利点もたくさんあると今回の公演を見て思った。 新聞に毎日のように登場する有名人がたくさん出てくる。 鳩山首相、小沢さん、麻生さん、安倍さん、 小泉さん、亀井さん、田中真紀子さん、 そして海外からはオバマさんや今年亡くなった マイケルジャクソンなどなど、 これでもかというくらいの政治家の要人をはじめとする オールスターが出演する。 ものすごく似ている人もいれば似ていない人もいる。 酒井法子はその似ていない中の筆頭だった。 髪型と顔に書く線と表情の作り方で 人の顔はこうも似てくるのだということがわかった。 大変なことだ! オバマさんとタイガーウッズは同じ集合の範囲内だというのもわかった。 次から次へと変装して舞台に上がっていかなければならない 俳優さん(コメディアン?)たちは大変である。 楽屋は戦場のようになっているのではないか? そして、さらに驚いたのがこれを演出しているのは 寺田純子という女性だったということ。 出演者たちの意向も強く反映されているのだろうが、 寺田さんが演出して、 こうして男っぽい舞台を作っていることが意外だった。 この年末のコントをみると、 毎年、「今年を振り返って」という番組や新聞記事などがあるが、 それをまとめて見せてもらったかのようだった。 今年、亡くなった方々も次々と写真を投影され見ることが出来た。 たくさんの俳優や政治家の方々が亡くなったことがわかる。 政治家のコントを見ていて思った。 政治家はこうして批判や揶揄の対象にされているが、 自民や民主、その他の党派など関係なく、 彼らは一様に人間くさい人たちばかりだ! ということが肌感覚として伝わってきた。 彼らも自分たちと似たところがある事を発見し 僕たちは笑うのかもしれない。 結局は同じ人間である。 組織や立場によってその人が特徴的になっていくだけのことなんだろう。 「八ツ場ダムのレポート」は興味深かった。 立松和平と前原国土交通相が彼の地を訪れるという設定。 写真がスクリーンに投影され、現地の風景とともにスライド上映される。 その横で立松和平があの調子で朗読をする。 橋はこんな高さ(地上百メートル以上)のまま作られ道路は通り、 造成地の造成は進んでいるのだがダムの建設は行わない。 標高の高い所に忽然と新たな造成地と道路があるという構図が 日本の戦後政治のダッチロールの象徴となるだろう。 ![]() 終演後Sさんたちと「謝謝」という中華料理店へ。 彼らのやっているネタは本歌取りなので、 そのオリジナルになっている現象を知らないと 面白くない!という話をしていた。 パロディのそもそもが語られている。 面白すぎる2時間余りだった。 ▲
by haruharuyama
| 2009-12-16 07:39
| 舞台
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大きな効果音が印象的な舞台だった。 様々なイメージの断片がたくさんの部屋を通じて展開される。 暗転して場面が転換するのだが、 そのとき大音量で様々な音のコラージュをしたものが流れ 、見ていて、いや聞いていて気持ちのいいものではないが、 強く印象に残るのは確か。 タニノクロウ作・演出。俳優が13人。 タニノクロウのキャスティングはいつも面白い。 もちろん、常連の久保井研やマメ山田も登場しているのだが、 今回初めてタニノの舞台で見た俳優たちもみな個性的で面白かった。 独特な舞台の雰囲気がそのようなことから醸し出されてくる。 舞台は大きな二階建ての建物。 1階には小さな部屋がいくつかありすべて真っ白な部屋となっている。 調度品も真っ白。 二階は広い部屋が下手にあり上手はバルコニーになっている。 SMの風景やら、幼子が遊んでいる風景。 お金持ちの女性二人が不動産を買いに来た風景。 手術室のシーン。さわやかなテニスルックに身を包んだ女子大生と大学院生。 アメリカ大好きな太った男 や真面目を絵に描いたような受験生などが部屋ごとに登場し、 なんだかステレオタイプなセリフを発する。 部屋の印象はライティングと彼らの衣装などだけで変わり、 それによって様々なシチュエーションを描く。 これは、同時にパンチラ演劇である。 とチラシに書かれてあったように 確かにパンツが見える演劇となっている。 テニスルックの男は下着としてのパンツを 歴史的に紐解き僕たちにわかりやすく語ってくれる。 通常ではありえないポーズでパンツを観客に対して見せる女優たち。 足を組みかえるときにパンツが見えるようにしたり、 足を変なカタチに広げてパンツを見せたり、 テニスルックの女の子はベランダにもたれかかっていると、 舞台の下からなぜか風が吹いてきてスカートがめくれパンツが見える。 あまりのステレオタイプなことに笑いが起きる。 しかも、時間やシーンによって女優たちのパンツの色が変わっているのだ! タニノのイメージの断片が次々と提示され、 僕たちはそれをのぞき見るようなカタチでこの情景を見る。 今回、いつもの庭劇団・ペニノの公演と違う。 フェスティバル/トーキョーの一環だけあって、 ある程度の予算がついて大がかりなことが舞台で実現できたのは 新たなタニノクロウの世界を見られたようでよかった。 新しい形のアングラ演劇とでもいうのだろうか? そのような要素と、美術的に美しい要素が混沌となった舞台だった。 エロとグロは紙一重であり、そのどちらにも妖しい魅力があることが この舞台などをみると実感として見えてくる。 しかしながら、あの効果音は凄かった。音響は中村嘉宏。 ▲
by haruharuyama
| 2009-12-15 07:38
| 舞台
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フェスティバル/トーキョーの常連、 リミニ・プロトコルの第三段。 「ムネモ・パーク」では精密な鉄道模型作家を、 「資本論」では、それに関する経済学者や共産党の活動家を登場させてきた。 現在まで、演劇のテーマとするものの活動を ずーっと行ってきた人々を登場させ続けている。 今回のテーマは物流。 世界各国でこのテーマでやっているのだろうか? 感動したのはこの演劇を実行させるに至ったスタッフの努力の結晶についてである。 様々な規制をくぐりぬけ乗り越え今回の公演を実現させた! その実現力! 客席は40トン積載の大型トラックVOLVO。 その荷台に座席がしつらえられており、観客は荷台の椅子に腰かけてシートベルトをし、 完全に車の横を向きながら移動していくというスタイルをとる。 日本は左側通行なので、開口部は左に開けられていたのだろう。 天王洲アイル駅から海のほうへ歩く。 橋をわたって天王洲アイルの丁度、運河を挟んで向かい側に この「Cargo Tokyo-yokohama」の出発地点がある。 大きなトラックが止まっており、そこに案内してくれるのは 実際に運転してくれるドライバーの二人。 一人は横浜在住の畑中力さん、 そしてもうひとりはブラジル移民の青木ハミルトン登さん。 この二人の運転でカーゴは出発する。 ミラーグラスになっているので外から観客は見えにくい構造になっているのだが、 ときどき、中に人がいることを発見して驚いているような人を見かけ、 荷台で笑いがおこる。 品川埠頭の物流倉庫を周回しながらトラックは進んでいく。 畑中さんが物流に対する実際の説明をしてくれる。 コンテナ輸送の仕方とか税関検査の方法とか コンテナをどのようにして動かすのか? などといったことを具体的に実際的に教えてもらう。 畑中さんは多分年齢から想像してこの道30年以上のベテランだろう。 同じことをやり続けてきたプロフェッショナルの言葉は 説得力にあふれておりよどみない。 自分の身体に言葉が染み付いており、運転しながら淡々と説明出来る。 俳優でなくても、人前で普通に喋り演じることが可能であるということを、 リミニ・プロコトルの演劇を見るたびに教えられる。 トラックは、品川の物流倉庫を抜け、野鳥の森公園を抜け、 川崎の倉庫街へと向かう。 ところどころで、出演者が窓外にいて、歌を歌ったり、 自転車でトラックと並走したりする風景が挿入される。 日常の中でそれが行われるのが面白い。 窓には電動で上下するスクリーンカーテンがしつらえられている。 カーテンが下がっているときにはそのスクリーンに映像が流される。 時には撮影してきた映像であったり、 時には、実際のライブカメラの映像であったり。 ライブカメラは運転席を映したり、リアの風景を映したりする。 ときどき、日本の物流業界の歴史的な事実が 淡々と文字だけでスクリーンに記述される。 天王洲の出発が15時なので、トラックが走っていると、 どんどんと夕方になり、横浜に着くころには夕闇が深くなってきており、 横浜の夜景を楽しむことが出来る。 ときどき、トラックはとまってそこで様々な説明を聞かせてくれる。 物流倉庫の話であったり、フォークリフトの実際の使用シーンであったり。 この公演が日曜日に行われない理由、 そしてこの公演が15時から始まる理由がわかった。 実際の物流現場が動いている時間に 実際にこの目で見ることがこの演劇の狙いであるから。 物流を支配すること。 効率的な配送を考えることがとても重要であり 資源やエネルギーの効率的な利用につながるのだということを この公演を見て強く思った。貴重な体験だった。 トラックは夜になったみなとみらいの空き地に到着する。 到着すると日本酒やコーヒーやジュースがふるまわれた。 2時間以上の共有体験は観客たちと出演者たちを一体化する! 温かい雰囲気に包まれたエンディングだった。 ▲
by haruharuyama
| 2009-12-14 07:24
| 舞台
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今年も、満員劇場御礼座の舞台を見ることが出来た。 大阪は堂島にある大手広告会社のメンバーを中心とした劇団。 1年か2年に一度公演があり細く長く続いている。 まるで「サントリーRED」の「すこーし愛して、ながーく愛して。」 のキャッチコピーのように。 あのキャンペーンキャラクターをされていた 大原麗子さんは今年、亡くなった。 いつまでも、こうして続けていくことに敬意を覚え感謝する。 不景気の風が吹き荒れる広告業界の荒波の中、 まったく利益にもならないことを嬉々としてやられている。 多分、毎回、赤字を出しながらスタッフの持ち出しなどによって 運営されていることが想像される。 しかしながら、スタッフにはそれを継続してやり続けることによって、 余りあるものを得られると思うのもまた事実。 「お金で買えないものがある。」というキャッチコピーのように、 「モノより思い出」を大切にしたスタッフたちの 熱い想いがこのフジワラビルに結集した。 今回は木曜日から日曜日までの4日間だけの五回公演。 六つのオムニバス形式。 各エピソードは作家や演出家が違い、出演している俳優たちも違う。 今回、感心したのが、堂島サバ吉の演出力! 特に三話目の「どうか明日もいてください」は、 日常がずれていき奇妙な雰囲気になるのがとても面白く、 俳優と一体になった演出力の賜物ではないか?と思った。 また、堂島サバ吉の戯曲は、 ゴーリーキーの「どん底」やカフカの「審判」のような普遍的なものを 下敷きにして、まったく新しい物語に仕上げているところが興味深かった。 今後も、古典を現在に翻案したシリーズを、 堂島サバ吉作・演出で見てみたい。 今回は数年前に一度だけ満劇に客演したババロワーズの高瀬和彦が参加している。 1話目「来月から入れてください」のエピソードは、 高瀬和彦の登場ではじまり舞台をわしづかみにする。 保育所の待機児童問題をテーマに据えたもの。 待機児童問題が解決しないと、共働きなどが難しく、 男女共同参画は掛け声だけに終わる。 その前に、扶養控除をやめてしまうというのは順番が逆なような? 共働きをしやすい環境が出来て初めて、 扶養控除に手をつけるべきなのだろう。 本作は作者(心斎橋ラムネ)の切実な問題から創作されたのだと聞いた。 2話「お先にいかせてください」のラストシーンが良かった。 演劇には想像されるだけで描けてしまう自由さもある。 空を飛んでいる風景が目の奥に焼きつく。 4話「私に謝ってください」はギターとトイピアノの生演奏の危うさが演劇的! 見るものをドキドキハラハラさせてくれる。 身体を感じるという意味では満劇では珍しいパターン。 過去のささいなことを、細かく覚えていて、 その情けなさと脱力的なお話が笑いを誘う。 5話目の「時には思い出してください」は本公演の中でも傑作。 最初、出演者はどういうキャラクターなのか?わかないまま見ていると。 ある時に、それはどういうことかがわかる。 そうすると、彼らの発言のいちいちが、面白く、可笑しく見えてくる。 見方を変えて捉える技術が生かされている。 広告の表現などで培われた、ベテランの作らしい素敵な舞台に仕上がっていた。 ラストの作品「384番窓口に行ってください」は、 クリスマスらしいファンタジー。 イエス様なども電話口で登場する。 こころあたたまるエンディングだった。 こうして広告会社のクリエーターたちが演じ、書き、演出する。 そのことによって、彼らは様々なコンテンツを作ることの出来る 能力が確実に上がって行くだろう。 それって、今後の広告会社のクリエーターに求められる 大きな資質のひとつなんじゃないだろうか? 満劇のスタッフたちはそれを意識してか、していないのか? 着実に実行し続けている。 今回、名優のライス大が出演していないのが残念だった。 昨年のアル中の先生役の枯れた演技をまた見たい。 次回公演を楽しみにしています。 ▲
by haruharuyama
| 2009-12-12 08:27
| 舞台
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1980年代前半、浅田彰の「構造と力」(@勁草書房)がブームになった。 難解な現代思想の本にもかかわらず、爆発的に売れ、 浅田彰は時代の寵児となった。 当時、朝日新聞から「朝日ジャーナル」の 編集長に就任したのが筑紫哲也だった。 彼が始めた連載、「若者たちの神々」の第1回目に取り上げられたのが、 当時、京都大学の大学院生だった浅田彰。 彼はその後、「逃走論」という本を出し、 中沢新一の書いた「チベットのモーツアルト」とともに 僕の自宅の本棚に飾られていた。 どの本も最初の数ページをパラパラと読んだだけで 詳しく中身を見ることもせず、背表紙だけが空虚な異彩を放っていた。 この三冊は、自分自身のふがいなさの象徴のように、 いつまでも実家の書棚に納まっていた。 あれから四半世紀が過ぎ、その後の日本の現代思想を概観する! という挑戦が佐々木敦によって行われた。 丸山真男の「日本の思想」(@岩波新書)を意識して 題名は「ニッポンの思想」。 カタカナ表記にすることによって軽佻浮薄時代と呼ばれた 80年代から始まった日本の思想界についてを表現しているのだろうな? と本書を読んで思った。 本書の内容をざっとまとめると以下のようなことになる。 「80年代」は浅田彰・中沢新一、蓮実重彦、柄谷行人の四名。 「90年代」は福田和也、大塚英志、宮台真司の三名ですが、 「ゼロ年代」は東浩紀ただ一人しかいません。 これは、どういうことでしょうか? ということの考察が本書では時間軸に沿って行われる。 ニューアカデミズムというブームを作った80年代、 その時代は上記の4名の言説を読む、 いやそれ以前に所有することによって 「わかった気になっていた。」のであり、 それで良しとされる時代の気分だった。 彼らは、「わかった気にさせてくれる。」ものを持っており、 雑誌やシンポジウムの対談などでわからない言葉を駆使して、 発言した。 しゃべり言葉だから何とかなるだろう!ということで、 彼らの登場する雑誌などを読んで、 わかった気になっていれば満足だったのである。 いま、考えると本当に恥ずかしいお話である。 ただ、アカデミズムという言葉に代表されるように 彼らの言説は世間に流れるのだが、 彼らが社会に対してなにか行動を起こしたりすることは、あまりない。 ある種、隔離された象牙の塔で、頭のいい僕たちは、こう考えている。 わからないのは、馬鹿だからだ! ということで両断してしまう! それでは、決して、世間の人々と切り結ぶことはできない。 浅田彰とはそのような人であったと。 浅田・中沢の思想を受け継いでいた東は、 これではまずいと気づいたと本書に書かれている。 その後、彼は、「理念=理論」から「現実」へ、 アカデミズムからジャーナリズム的なる方向へ転向していく。 この転向は「90年代」の思想家が行ってきたことであり、 福田、大塚、宮台はいまだに世間と結ぼうと活動を行っている。 以前、演出家のYさんから宮台のWEB放送局 「ビデオニュース・ドットコム」のサイトの話などを伺って興味をもったが、 まさにそのようなこと。 また、佐々木はこうも言っている。 「80年代の思想」は「現状」に対して「批判的(否定的)」。 「90年代の思想」は「現状」に対して「関与的(留保付きで肯定的)」 「ゼロ年代の思想」は、「世界」を「甘受」する。 と。 これからの思想は、どうなるのかは記されていない。 そこの佐々木ならではの考察を聞いて見たかった。 ▲
by haruharuyama
| 2009-12-11 07:18
| 読書
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副題に「演劇ワークショップのすすめ」とある。 これは、ふだん演劇に関係のない人たちが 演劇のワークショップを通じてコミュニケーション能力を高めていく というハウツー本である。 ハウツー本と言ったら平田さん、蓮行さんに怒られそうだが、 どのように進めていくのかという方法を知っているだけでも 随分とコミュニケーションの取り方に違いが出てくるだろうと思った。 たとえば、初めて出会った人たちの名前を覚え そしてコミュニケーションを取りやすくするための方法として ボール投げのワークショップがある。 ボールをグループにまずは1つ。 そのボールを持った人が、投げたい人に向かって、まず名前を呼び掛ける! 「Aさん!」 と言うと、Aさんは、それに応答して受け取りますよ という信号を送らなければならない。 「はいっ!」 などの信号を。 そうしてAさんはボールを受け取り、今度は別の人にボールを回していく。 これをやることによって投げるときに各人の名前を覚え、 周囲にいる人は、ああ!あれはAさんかと思われ、 名前を呼んで応えることによってAさんのキャラクターがより明確になり、 そして二人の間にもちろんグループにもコミュニケーションが成立する。 このボール遊びを少しやってから議論に入ると、 会議や話し合いの密度が濃く、スムーズなコミュニケーションになる ということが紹介されていた。 なるほど! 面と向かって会議をしなければならないときに、 身体を使った交流を行った後は絶対にコミュニケーションをしやすいだろう。 いままで、それをやってきていなかったことの方に問題があるのかも? 平田オリザはそもそものコミュニケーション能力についてこのように書いている。 「時間が限られているとか、組織内の権力構造が強いとか、 当事者がパニック状態にあるといった場合でも、 きちんと相手の気持ちを慮って、自分の意思をうまく伝えられる力。」 そして、この能力を引き出す技術を 平田は演劇ワークショップで身につけられると語っている。 また、決断のためのプライオリティを見極める能力、 あるいは、「直観的にわかる」能力を身につけるなどと言うことも、 獲得できると説いている。 もちろん、職種によっては、そのような能力が 演劇を通じてでなくても獲得できる人はたくさんいるだろう。 ものを創る仕事に従事している人々などは、 日々そういった事態に直面し、 しかも課題解決をしなければならないことによって、 その能力は自然と身について来るだろうことも想像できる。 実際にある企業で行われたワークショップの ドキュメントのシーンが本書で描かれている。 それを見ると、自分たちもやってみたいと思う。 彼らが作る演劇が、 「どうしようもない商品を会議で決定してしまい、 社内の上層部に新商品提案のプレゼンテーションをする。」 という10分くらいの喜劇(コント?)を作るというワークショップ。 読んでいるだけで、 そのワークショップに参加しているような気がして楽しかった。 コミュニケーションについての平田の考えは第1章にほとんどすべてが書かれている。 後はその各論が述べられている。 その第1章で印象的だった言葉。 「伝えたい」という気持ちは「伝わらない」という体験からしか出てこない。 その「伝わらない」という体験が決定的に欠如しているのです。 また、 もはや上司の命令だからといって、 部下がすんなりと聞いてくれる時代ではありません。 そこには三つの動機づけを示さなければなりません。 1、それが会社のためになる。 2、それが個人のためにもなる。 3、そして、それが社会のためにもなる。 この三つが揃っていて、しかもそれをきちんと説明できないと、 おそらく部下は上司の言うことを聞きません。 現代社会では、そんな複雑なコミュニケーションが要求されています。 ▲
by haruharuyama
| 2009-12-09 07:26
| 読書
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「さだまさし」というブランドには、30年以上の歴史と記憶が続いている。 その記憶を同時体験的に生きてきたものたちが共有するための場として、 さだまさしのライブは強く機能するものではないかと思う。 今年、発表された新しいアルバム「美しい朝」の楽曲を中心にコンサートは行われた。 本日のお客さんは年配の方が多い!とトークで語る。 実際に若い人もいるのだが、60代いやそれ以上のお客さんが劇場を埋めている。 音楽ライブによくある総立ちスタンディングライブのかけらもない。 静かに座って歌を聴き、トークを聞いて笑い、 静かにしかしながら力強く拍手をする。 そこには、何か温かな人間としての優しさみたいなものが 通奏低音として流れている。 まるで、落語を聞きに来ている感覚に近い。 素敵な落語の独演会が3時間以上も続く。 人情噺にも似たものから、滑稽噺に至るまで。 様々なものが混じり合ってつながっていく。 少し遅れる。 会場に入ったら映画「ぼくとママの黄色い自転車」の主題歌「抱きしめて」を歌っていた。 映画のシーンが蘇る。 さだまさしの歌は、とても映像的でありその前に文学的である。 歌詞と曲が一体となって、さださんのあの声がある。 これはオンリーワンであり、歌声自体が唯一ここにしかない楽器ともなっている。 それが、さだまさしの個性であり、 その声がこの日はとてもよく響いて聞こえてきた。 NHKホールで過去、何度か聞いたものと明らかに音の聞こえ方が違う。 会場の問題なのか?それとも、音響設備の問題なのか? さださん自身の声が出ていたのか? この日は、そのような環境だったのでとても音が声が歌詞が耳に入りやすく、 そうするとその現場に集中することが出来るんだなと思った。 もっとも笑ったトークは十津川村のトーク! ベストトーク集のCDにも入っているこのトーク。 今回用にアレンジは施されたに違いないがよく出来ている。 噺家が同じ話を何度もやって面白さや芸を磨いていくのと同じことなんじゃないか?と思った。 さだまさしが大阪からぐるっと紀伊半島を回って お伊勢さんから松坂に回って戻ってくるという一人旅を計画したときの話である。 創作をするために一人で旅をすることの効用をさださんは述べていらした。 複数で旅をすると、その旅での感動をわかちあうものがいるので、 そこでその感動を共有することで完結してしまう。 しかしながら、一人で旅をしているとそれらの感動が自分のなかに 澱のようにたまっていき、それが創作をするチカラになると。 なるほどな!と強く納得。 そこで自分と向き合い、考察することによって 新たな創作をするエネルギーを得るということなのだな。 このようなことをきちんと言葉にして伝えてくれることに感謝。 そして、その一人旅の目的を、「十津川」の人々は軽々と乗り越え さださんの中にどんどんと侵入してくることの面白いことといったらない。 役人さんの様子や運転手さんのマムシの話など、 実話だとおっしゃっていた。 コンサートでは、 30年前に作った「親父の一番長い日」のアンサーソングとして 30年後に作った。「ママの一番長い日~美しい朝~」を それに、呼応するように歌われた。 こうして世代は引き継がれていく。 命が無くなってもそれは続いていく。そのことを強く感じた。 さださんは一世代は30年だという。 自分たちの未来のことを語るときに 30年先のことを見据えるということに実感がこもっていた。 もうすぐ、さだまさしも二世代目の齢を迎えようとしている。 そして真剣に次の世代に伝えることを細々と(さださんの言い方です。) やり続けている!と。 ▲
by haruharuyama
| 2009-12-08 07:05
| 舞台
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