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高校の同級生のMに突然誘われた。 「『餃子大王』行かへんか?」 最初、何のことやろう?と思った。 ネットで調べたら、音楽バンドの「餃子大王」というのと 鹿児島に「餃子大王」という餃子店があることがわかった。 Mの誘いは前者だった。 「餃子大王」は結成してからもう20年以上続いているロックバンド。 イカ天というアマチュアバンド参加番組があったが、 その時期にドーンと火が付き地元の大阪では 大人気のバンドになったそうである。 しかしながら彼らはプロとしてメジャーデビューはしなかった。 それは彼らが学校の教員だったから。 そして休みを利用してコツコツと作曲と演奏活動を行っている。 彼らは主に大阪教育大学時代の学校の仲間だそう。 小学校から高校の教員まで様々な教員たちが集まっている。 サラリーマンをしているものもいるらしい。 下北沢のファーストキッチンのあるビルの地下に こんなライブハウスがあるんだ!と思った。 なかなか広くて素敵なライブハウスに着いたら 既に1曲目が始まっていた。 「餃子大王」初体験である。 みな演奏が上手くオリジナルの曲はなかなかいい。 1曲目の「地球のどこにも朝が来ておはよう!」と言おう!というような、 谷川俊太郎さんの詩「朝のリレー」のような歌詞のついた曲がいい。 顔を赤く染めた男性がステージの上で 各国の「おはよう」という言葉をその国の国旗付きでフリップを提示しめくっている。 チェルノブイリにも朝が来る。 という歌詞はあの事故当時に書かれたものなんだろうか? ベーシストのひらじゅんのベースが綺麗な木のベースで5弦ある。 ベースは弦が四本という前提が覆った! 彼は他にもウッドベースシンセとでもいうような楽器を ライブ後半舞台後方で弾いていた。 足がカメラの三脚になっている以外は胴のないネックと弦だけのベースである。 ベーシストはこのバンドで、文鎮の役割を果たしていた。 MCが面白い。 メインヴォーカルのリーダーが主に喋り 絶妙な間合いでベーシストひらじゅんが突っ込みを入れる。 さすが学校の先生だけあって人前で喋るのが上手い。 ゲストも2名やってくる。 ギタリストが2名追加で参加して演奏や歌を披露する。 B‘Zの松本と同姓同名のミュージシャンが登場する。 検索すると「B’zの松本はこちらです」みたいな案内が出るMCに 会場が盛り上がった。 客層は幅広い。 50代周辺のおじさんたちから教え子そしてその子供達まで。 幅広い年齢層がライブハウスで盛り上がるといのは見ていて面白い。 終演後、あいさつをする。 何とベーシストのひらじゅんは高校の同級生だった! そういえば数年前の同窓会でそのような話をしたことを思い出す。 大阪の面白い劇団ババロワーズとも関係があり 音楽の協力などをしているなどという話も聞いていた。のに忘れていた。 すまん。すまん。 ライブを見に来たアラフィフのおじさんたちは 「餃子大王」の後は「餃子の王将」だということで餃子の王将下北沢店に! お盆期間なので意外と空いていた。 遅れてひらじゅんとその奥さんもやってくる。 今度は年末にライブがあるらしい。 ライブで同窓会というのも 人が集まる場所として素敵かもしれんなあ!と思った。 ▲
by haruharuyama
| 2010-08-14 07:53
| 舞台
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マキノノゾミ率いる劇団M.O.P.が本公演を持って解散する。 三年前にマキノが宣言し、三作品連続で新作公演を行った。 「阿片と拳銃」「リボルバー」に続く本公演が「さらば八月のうた」。 この劇団は創立26年だそう。マキノノゾミは今年で51歳になる。 その長い時間の想いをラジオの長寿番組に置き換えた。 キムラ緑子がディスクジョッキーをやっているラジオ番組。 この番組が26年続いた。 その放送最後の日にある曲を調べて欲しいというメールが来る。 2010年から時代は遡る。 その曲の成り立ちはいったい?というところからこの舞台は始まる。 緻密に構成された戯曲。 音楽のお遊びの部分もふんだんに取り込まれ、 その面白さは休憩をはさんだ後半に一気に加速する。 清志郎さんの曲などが効果的に取り入れられているのがいい。 舞台はDJのブースと氷川丸の係留されている横浜港 そして氷川丸が現役で活躍していた時代へと変化していく。 戦前、日本とシアトル、バンクーバー間を結んでいたこの船舶。 戦中は病人の輸送船にも使われたのか? 圧巻なのは、その病人の輸送船でのシーン。 太平洋戦争での多くの傷病兵を載せたこの船は 日本に向けて帰っている。 米軍の潜水艦がひっそりと後を追っている。 この船には実は最終決戦のための燃料が積まれている。 それが発見されるような事態になったら、国際法に抵触するので 潜水艦から何らかのアクションがあったときには 自ら船を爆破し沈めようという計画が上官から話される。 実はこの船には避難するための船が人数分ないことが告げられる。 一緒にこの船と人生をともにしてくれる兵士を募ると。 ここでの軍人たちや看護婦、そして漫才師などの反応が興味深い。 自ら志願する兵士がいるかと思えば どんなことをしても生き続けようとする男がいる。 その男のたくましさに衝撃を受ける。 マキノノゾミは、高潔で矜持のある人間を描くのが得意な作家である。 それと人間の倫理観が葛藤する。 そのジレンマを描く。 どちらが正解なんてものはない。 その時の生きざまがそこにあるだけだ。 ここにワカナと一郎という漫才師をモデルにしただろう 夫婦漫才の二人が登場する。 ワカナのような役を演じるキムラ緑子がいい。 戦場で漫才をやってみんなが楽しそうに笑っている。 いついかなるときでも笑い続けるということが 人間にとって生きるという意味なのかも知れないと思い知らされる。 吉本興業が戦前に行った戦地慰問の「笑わし隊」のエピソードを 昨日NHK特集でやっていた。 「戦場の漫才師」というタイトルである。 時が同じくしてこうして同じようなエピソードが披露されるのに 運命的なものを感じた。 八月とは戦争を考える月でもある。 26年間の歴史の裏にはさらにさらに長い歴史が つながっているんだということがわかる。 そのことがエンディングで示され、ああ、そんな運命って?と驚いた。 傑作です。 14日公演はまだ席があるそう。東京は16日まで。 そしてこの劇団は8月28-29旗揚げしたそもそもの場所、京都で最終公演を迎える。 ▲
by haruharuyama
| 2010-08-12 08:30
| 舞台
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博報堂が出している「広告」という雑誌の7月号の特集は興味深い。 これからの広告についての特集号なのだ。 これまで博報堂が行って来た4マス媒体向けの いわゆる純粋広告を否定するのではないが、 その先になにがあるのかをキチンと向き合って とらえようとしているところに好感が持てた。 グーグル日本名誉会長の村上さんのこれからの三つのキーワードは面白い。 「クラウド」「スマートグリッド」「スマートフォン」このうち 二番目のことが拡がっていくとエネルギー問題と関連した 重要なことになっていくだろう。 エネルギーと情報が寄り添うという概念は 本質的なものであるのかも知れない。 そして、本号で語られている事項は世界で起こりつつある事象と同じ。 昨年のオバマ大統領のキャンペーン、 今年はツールドフランスのナイキのキャンペーンや ベストバイのキャンペーンのように ソーシャルメディアを使っていかにキャンペーンを しかけていくのかというものが カンヌ広告祭のチタニウムライオンを受賞している。 こうして向かっている世界はもはや後戻りが出来ない。 ソーシャルなメディアでソーシャルな問題を解決していこうとする 様々な取り組みが紹介されている。 また、対談で「広告はアートに近づく!」という 刺激的なタイトルのものがあったが、 これなども以前広告の世界がアートだった頃に戻ろうよ、 それくらい人に元気を与えたり考えてもらったり出来るのが広告なんだと。 その世界を、もう一度復権しようという いわゆるルネッサンス的な流れがここで起きていることが語られている。 またNHKなどの番組作りを取材しているページに面白い言葉があった。 「わかりやすい表現を良しとしない。」 知的好奇心を刺激して残るものが重要なことであると。 また、現在広告の本を執筆していると言われている(ツイッターで知りました。) 佐々木俊尚の文章が極めつけだった。 情報量がものすごく増えて来ている中で、まず情報を収集し、それを選択し、 そこに何らかの意味を与え、それを人々と共有する。 その一連の行為を「キュレーション」と呼びます。 大事なのは意味づけの部分、つまり「コンテキストの付与」です。 (中略) この情報を仕分けして流す「キュレーター」は組織とか企業体とかでなくて、 個人です。つまり、情報は個人を経由して流れているのです。 これまで以上にますます個人のチカラを発揮できる時代が来ているのだ という言葉は勇気の出る言葉である、 とともに常に自分自身に課されるものが大きくなったとも言える。 ![]() ▲
by haruharuyama
| 2010-08-11 08:06
| 時事放談
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当日券が抽選と聞く。 1時間前に集まって数少ないチケットをくじを引くように引いていく。 この日は21人の当日券を求める客が並んでいた。 当日券で用意出来るのは二枚。 キャンセル待ちが数枚出るだろうということで今回の倍率は約4-5倍。 くじ運の悪い僕は、その時点で既にあきらめていた。 すると何と引き当てた札が「二番」と書かれてあった! 芝居の神様が見せてくれようと思ったのか? 入場料も結構な金額9450円を支払う。 しかし、その金額以上の、いや、ありあまるほどの素敵な舞台だった。 今年は井上ひさしが亡くなったこともあり 追悼の公演なども含めて井上戯曲の上演がとても多い。 しかも、どの公演も人気でいつもチケットは売り切れの満席! 新国立劇場の三部作などは、結局一度も見ることはできなかった。 そういえば、あの時は僕の直前の人たちまでが 舞台を見ることが出来たんだったなと思いだした。 その時に新国立劇場に設置してあった、 井上さんへの追悼の言葉を書いて投函し帰ったことを思い出す。 本作は江戸時代末期から明治維新初期にかけての物語、 柳橋にある二八蕎麦屋さんが舞台である。キャストがいい。 そこのおかみに熊谷真美。彼女はおばあさんとお姉さんの 二役を演じているので舞台に出っぱなし。 しかもセリフ量が多いので声が枯れていた。大変。 舞台自体も長丁場、この舞台は音楽劇でもないのに1 5分の休憩を入れて3時間半。俳優の労力も大変なもの。 藤原竜也はむちゃむちゃ上手い。彼の若さとやんちゃさと 対比されるように吉田鋼太郎が戯作者の河竹黙阿弥を演じている。 この戯作者に井上ひさしは自分を投影させているかのように 思えて仕方がなかった。 この舞台のチラシにいいことが書いてあった。 「この芝居には、今の時代のことすべてが詰まっている。 そして、日本語の美しさ、面白さの財産目録にもなっている。 それを栗山民也さんの演出で多くの方にごらんいただきたい。 この作品が自作初日の中でとりわけ思い出深い」 と。実は、本作品は井上ひさしの新作を上演する筈だったと聞く。 しかし、井上さんが病に倒れ絶筆してしまったので それがかなわなかったそうである。 井上ひさしの有名な芝居を語った言葉に 「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことを面白く」というのがある。 まさにこの舞台はそれがきちんと反映されている。 井上ひさしの移し鏡である、黙阿弥の言葉にその信念が現れる。 「わたしは、見に来ている人たちがどうしても見たいと思えるものを書いていきたい。 観客の気持ちを忘れてしまってはいけません。」 適切な言葉の選択が間違っているかもしれないが 意味はこのようなことを語っていた。 井上ひさしの強い意志みたいなものを感じた。 蕎麦屋に置き捨てられた捨て子のオセンちゃん(内田慈)を そこに集まる人が株主となって未来へ投資するためにお金を株分けしていく。 出世したらその株が何倍にもなって戻ってくる。 その株には人の未来を幸せにするものがある。 銀行さんが出来たのもそうしたことがあったから。 銀行という方法をただ文明開化だからと言って真似るのではなくて、 脳に汗をかいてどうしても必要だ!あった方がいい! と考えたから銀行というものが出来た。 この舞台はそうしたお金の経済の理想をわかりやすく、しかも深く、 そして面白く語ってくれている。 北村有起哉、大鷹明良、松田洋治、ピアニストとして朴勝哲が出演している。 ▲
by haruharuyama
| 2010-08-10 08:35
| 舞台
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井上ひさしさんが亡くなって 追悼公演や井上ひさしさんの番組の上映などが相次いだ。 先日、ETV特集「あとに続くものを信じて走れ~井上ひさしさんが遺したメッセージ」を見た。 とても面白かった。 やはり井上さんの舞台についての心情とも言える言葉は残る。 「むずかしいことを やさしく やさしいことを ふかく ふかいことを ゆかいに ゆかいなことを まじめに書くこと」 これは、人に何かを伝える仕事をしている人には ココロに響く言葉だと思う。 そして、それを忠実に守り、こまつ座の公演の初日が遅れても 煩悶し逡巡し何とか書きあげていこうとし続けたその姿は 結果に表れている。 井上戯曲は日本の現代演劇のスタンダードとしていつまでも残ることだろう。 井上ひさしは山形県出身である。 そして来年の子供の日5月5日に山形市の蔵王の麓に 「井上ひさし未来館」が開館する。 場所は,既に開館している 遅筆堂文庫山形館(井上さんの蔵書が収められている開架式図書館) そして劇場でもあるシベールアリーナ。 その間に井上ひさしの仕事場を再現した場所と展示館が出来る。 楽しみ。 来年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の時に是非立ち寄ってみようと思う。 ここを設立運営するのは地元山形でパン屋さんを営んでいる シベールという会社である。 昭和41年山形市緑町の一角に間口一間半のお店を始めた。 その会社が今はジャスダックに上場している。 井上ひさしが書いた文章が「未来館開館告知」のチラシに載っていた。 利益が生まれたときはその一部を社会に提供する。 それが社会によって生かされてもいる企業の責務である。 つまりどのような会社であれ一人ぽっちで立っているわけではなく、 社会といっしょに生きているのだという哲学、このシベールの哲学が、 アリーナ(劇場にもなる)と図書館を合わせ持つ 複合施設を誕生させることになった。 金もうけ第一主義と自分さえ良ければいい主義が 全盛の昨今には珍しい奇蹟である。 この奇蹟を一瞬の美談だけで終わらせてはいけない、 だいたいそれではもったいない。 たとえばわたしは蔵書と演目(だしもの)を持ち寄って 奇蹟が一秒でも長く輝くよう努めよう。 そしてこの奇蹟が永く輝きつづけて日常のものになり、 この国に欠かせない社会共通資本になるためには、 その最終最大の決め手は、みなさまの参加である。 ここへ来ていただくだけで、奇蹟がわたしたちみんなの日常そのものになる。 門は広く、そして大きく開かれている。 ▲
by haruharuyama
| 2010-08-09 07:40
| 時事放談
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中年の女優三名が集まって、「劇団 姦し」というのを立ち上げた。 あめくみちこ(劇団東京ヴォードヴィルショー)、 かんのひとみ(劇団道学先生)、那須佐代子(劇団青年座)。 この3人が、赤堀さんの芝居をしたくてラブコールを送って出来たのが この「劇団 姦し」。 「女三人そろったら、姦しいとは愉快だね♪」 という「かしまし娘」の登場の際の曲を思い出しつつ、 最近は「姦しい」という言葉がほとんど使われなくなったと同時に感じた。 赤堀さんらしい、中年に差しかかったダメダメなんだけど 懸命に生きている人たちに熱い愛情を注ぎながら書かれている戯曲が秀逸。 舞台はスーパーマーケットに勤める三人の女。 桐野夏生原作の「OUT」にも似た感じ。 生活に疲れている、或いは生活に覇気がなくなってしまった女性たちが登場する。 パートなのに店長と同じような働きをする、那須佐代子。 彼女は自宅で老親の介護をしながら子供を育てているシングルマザー、 昼は、スーパーマーケットで夜はスナックで働いている。 赤堀さんお得意の設定。場所も溝ノ口周辺。 その生活感が沁み込んだ感じがいい。 そこで一緒に働いているのが、あめくみちこ。 彼女はヘビースモーカーで、いつも休憩室にたばこを吸いに来る。 かんのひとみは地味な普通のおばさん。 自分の意思がなく流されやすい性格。 そこに万引きでつかまった男(清水優)が出て来たり、 お金持ちのおばさま(神保共子)が車椅子に乗って登場したりする。 そこでアクセントが付き、三人の人間関係が変化していく。 音の使い方も好きだった。 最初、笠智衆のセリフが聞こえてくる。何かの映画の1シーンか? 木下恵介監督のものだと聞く。 惹きこまれて聞き入る。と、舞台が暗転して、 ちあきなおみの名曲「喝采」が流れる。 エンディングもちあきなおみの曲「黄昏のビギン」。 「雨に濡れてたたそがれの街・・・♪」 というもの。 赤堀さんは若いのにもかかわらず老成した渋い舞台を作る。 俳優さんがその中でリアリティを持って動き出す。 THE SHAMPOO HATでは出来ないことを、 こうしたキャストでやってくれ、 赤堀さんの新しいテイストみたいなものが見えて来てとても興味深い舞台となった。 人は、哀くてかっこ悪くて可笑しくてそれでもたくましく生きるのだ! という赤堀さんらしさはちゃーんと残しつつ。 ▲
by haruharuyama
| 2010-08-07 08:50
| 舞台
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前日にたまたまチケットがあるというお話をいただいて出かけていく。 何と前から2列目!これだけ前に座って見ていると、見ている方も緊張する。 前座は志ら乃。お相撲さんをテーマにした二題をマクラなしで。 続いて志らく登場。折り込みに、 森口博子芸能生活25周年のアニバーサリーコンサートに行った話が書いてある。 その時ミュージカル「アニー」の思い出話を語り、 森口博子が「トゥモロー」を唄い出した時に 二階席にいた「アニー」に出演した子供たちが立ちあがって一緒に唄い出したそう。 そばにいて震えた。と書いてあったのを読んで震えた。 マクラは豊田市でやった喬太郎さんとの二人会で行った落語は 東京でやるものとまったく同じようにやって観客の反応も同じだったと。 観客によっての反応はどこにいっても変わらないことを実感したそう。 豊田市という愛知県でもリテラシーの高い場所だから? ということもあるのかも知れない。 しかしながら、日本国中がこうして均質化していっているのも事実なんだろう。 これから住む場所にこだわらずに働ける時代が来るのだろうか? 志らくは僕とほぼ同世代なのに昔の歌をものすごく良く知っている。 ませた子供だったのか?もともと本人が好きなのか? 映画好きだけじゃないんだというところが志らくの面白すごいところ。 ワンダースリーの歌を久しぶりに聞いた。 一席目は与太郎の出て来る「ろくろっ首」。 志らくの首がのびて行燈の油をなめるシーンは笑える。 その姿が面白い。狂気と紙一重の演技に感動する。 つづいて、傑作落語を聞いた。 「反対俥」(はんたいぐるま)と呼ぶらしい。 車でも人力車の車は「俥」と書くんだと知る。 これは、さらに荒唐無稽で面白い。面白すぎた。 万世橋を渡って上野まで急いでいって欲しいというお客さんと俥屋さんとの話。 変な俥屋さんが出て来る。最初は蘊蓄を語る俥屋さん、 そして、ものすごく威勢のいい俥屋さん、 その威勢のいい俥屋さんは音楽に合わせて俥を走らせる。 チャップリンの映画の引用か? (※調べたら「殺人狂時代」のひげそりのシーンで行われていたらしい。) ハンガリー舞曲のメロディーに合わせて、俥を引く。 チャーンチャラチャーンチャチャーンチャララ♪ リズムが変わるところで俥屋さんが左右の確認をするところや、 細い路地を走り抜けるところで身体を細くして俥を引いているような シーンが圧巻だった。 そのシーンの解説を志らく本人が後でしてくれるのも楽しい。 一緒に見に行っていた人も全員があの「反対俥」は凄い! と感心していた。 仲入り後、「一文惜しみ」。 これは「五貫裁き」とも言われているらしい。 どうも、講談をベースにしたときには「五貫裁き」というそうである。 そういえば一度誰かがやったネタを聞いたことがある。談春だったか? 忘れてしまったが、 八百屋を始めようとある商家に開店資金を借りにいったら、 その店の主人が一文だけを出してくれた。 それに怒った大家と八五郎さんは大岡越前の裁きを受けに行く。 結局、裁かれたのは毎日、1文を八五郎さんは主人のところに届け、 そのお金を奉行所まで届けるのが主人の仕事であるという裁きが下る。 毎日、毎日、夜中に八五郎から商家に1文が届けられ、 ゆっくり寝ることも出来ず 毎回1文以上する半紙に受け取りを書き八五郎に渡し、 毎日、町衆をやとい奉行所に行く。 町衆には毎回お礼を支払わなければならない。 毎日莫大な時間と費用がかかることがわかり 主人はついに根をあげるというもの。 この話、不思議な話である。 主人の料簡がいけねえとこうした裁きをすることは 現在のCSR活動などにつながっていくのだろうか? ▲
by haruharuyama
| 2010-08-06 10:03
| 舞台
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内田樹が彼のブログでこの映画を見たことに際してとても興味深いことを書いていた。 以下引用する。 宮崎駿という人が、あまり「テーマ」とか「メッセージ」とかいうことを深く考えず、 「描いて気持ちがいい絵」、「観て気持ちがいい動き」に集中しているからだろうと思う。 身体的な「気持ちのよさ」をもたらす要素は多様であり、 私たちはそれを完全にリストアップすることはできない(半分もできない)。 でも、ひとつは確実にわかっている。 それは「ヒューマンスケールからの逸脱」である。 日常的な生活身体を以てしては決して経験することのできない 「速度」や「高度」や「風景」や「体感」に同調することである。 なるほどこれだけ端的に宮崎駿を語る術を僕は持たない。 内田樹の言葉は僕たちの感じていることをいつも上手に内包してくれる。 彼が来年、大学を退官して論壇活動に集中したときの 様々な言葉が本当に楽しみ。 ていうか、今でさへもあの圧倒的な言葉が湧きでて来る エネルギーはいったいどこからやってくるのだろう!と感心する。 本作の映画の原作は岩波少年文庫から出版されているそう。 その原作を知らないので何とも言えないのだが、 これは原作通りに作られたものなんだろうか? 脚色がどこで行われているのかわからない。 宮崎駿の手がどこまで加わっているのかもわからない。 ただ、わかることはこの映画は宮崎駿の映画ではないということである。 スタジオジブリの映画であって宮崎駿の映画ではない。 これからスタジオジブリはその現実に直面しながらも 新たな才能を産み出していかなければならない。 それが会社組織にしてしまったアニメーションスタジオとしての宿命なんだろう。 大人たちはそれをあえてやろうと決意し、今現実としてそれが続いている。 創作をし続けることによって会社を存続させていくことは大変なことだろう。 しかし、そのシステムは出来あがってしまっている。 もう一度、「BRUTUS」のスタジオジブリの特集号の 宮崎駿のインタビューを読み、胸に刻み、 全てのスタッフは新たな創作の芽を作り続けていって欲しい! それは僕が圧倒的な彼らのファンだからでもある。 「未来少年コナン」はあこがれのTVアニメーション作品である。 あれから30年以上経った。 スタジオジブリの作品は全て見てきている。 仕上げの方法にコンピューターが導入されるなどテクノロジーは変化しても 手書きアニメーションの魅力とアニメーションならではの ストーリー展開と表現は普遍である。 そこにどうやってイノチを吹き込んでいくのか? という大変な作業を彼らは背負っている。 今回の若手監督はポニョの赤ちゃんがたくさん生まれてくるシーンの アニメ監督としての才能を買われたということだったと聞いた。 その表現の才能は内田樹も書いていたが 水滴を描く際に顕著に出ていたのかな?とも思う。 とともに「千と千尋」で流した「千尋」の涙とどう違うのかなとも思う。 米林宏昌監督のオリジナリティがあっていい。 スタジオジブリは、宮崎駿だけのアニメ作品を作っているだけじゃなくていい。 もっと多様な表現があっていい。 パクさん(高畑勲)がいたじゃないか! そこから、サマーウォーズの細田守監督みたいな才能が生まれるべきなのだ! 草木の微細な部分を草の中から 表現しているシーンなどはとても印象的だった。 レイヤーが幾重にも組まれ、 それで絵が濁らないのは最新テクノロジーのおかげである。 ▲
by haruharuyama
| 2010-08-05 09:37
| 映画
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作・演出 小野寺修二、音楽 coba、 出演、首藤康之、安藤洋子、藤田善宏(コンドルズ)、 藤田桃子、小野寺修二。 「水と油」が解散してしまい、残念に思っていた。 久しぶりに「水と油」のテイスト満載のエキサイティングで スタイリッシュなんだけど面白く可笑しい舞台を見ることが出来た。 2008年にベニサン・ピットで行われた本作の53公演は 話題が話題を呼び評判を聞いた後では なかなか見ることの出来ない舞台となってしまい、 結局見ることが出来なかった。 今回、劇場がベニサン・ピットとは対極にあるようなパルコ劇場で見る。 当日券に何人もの列が出来ていた。 パントマイムをベースにした舞台。 声を発するのはある瞬間だけ、全員が セリフとも言えないような言葉のようなものを発し続けるシーンが1か所だけ。 あとは、あるミステリー小説を読んでいるような気分になる舞台。 場所は無国籍なヨーロッパ的な部屋の一室である。 安ホテルのようでもあるし、 ヨーロッパの大衆的なアパートメントにも見えてくる。 美術は松岡泉。 天井にもベッドやスタンドなどが吊り下げられており まるで天地が逆になったかのような舞台。 左右に扉が、奥の壁側にも二つの扉がある。 それ以外にも窓や戸棚の扉などが自由に使用され、 舞台のイメージが拡がっていく。 海外翻訳ミステリー小説をベースにした パントマイムミステリーコメディというと 都合の良すぎる言い方だろうか? 安藤洋子がシャワー室で倒れている。 藤田善宏が椅子の下に下敷きになって倒れている。 様々な過去に見たミステリーの名場面と言われるような シーンのイメージの集積。 それが身体とシンクロしていくのが面白い。 身体を強く意識したアニメーションがスタジオジブリの いや宮崎駿のアニメーションなら、 身体を強く意識した舞台がパントマイムでありコンテンポラリーダンスである。 しかし、身体を意識させるのにはコツがいる。 ただ単に身体を動かしていればいいというものではない。 重力に逆らいながら重力と対話し 調和していくようなダンスというのがあるのだなと思った。 後半のクライマックスシーンで首藤の踊りを見てこの人は凄いなあと思った。 静かに自然体に動いているのだがそれがしなやかで見ていて気持ちいい。 それと対比的に踊るのが安藤洋子。 彼女の確信犯的な踊りは重力に逆らい 動きが極端で人工的な感じがする。 その違和感をダンスで出したかったのだろう。 首藤のダンスと対比されることよってそれが際立ってくる。 水と油の元メンバーの藤田桃子と小野寺修二は まさに「水と油」を彷彿とさせる動きで魅せてくれる。 コンドルズの藤田善宏はやはり、コンドルズらしい 独特なユーモア感覚とコンドルズの中では群を抜いて素晴らしいダンスセンスが 混然一体となっていた。 イメージがイメージを連鎖させる、 素敵な大人の鑑賞に堪えうる舞台がそこにあった。 こうした優れた舞台は何度も何度も再演を重ねて深みを増していって欲しい。 それを確実に強化してくれたのが、cobaの音楽だった。 ▲
by haruharuyama
| 2010-08-04 11:03
| 舞台
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宅間孝行作・演出の劇団「東京セレソンデラックス」は 今年で10周年を迎えたそうである。 何でも10年続けるとそれなりになっていくと言う話を幾人かの人に聞いたことがある。 このブログもまだまだひよっこ。現在、5年目である。 東京セレソンデラックスの評判は幾人かの方から聞いていた。 特に映画やテレビ関係の方に評判を伺うことが多かったように思う。 今回は、脚本家の今井雅子さんに誘っていただき アートディレクターのTさんと三人で見に行けることになった。 今井さんは作・演出の宅間さんと、彼女が脚本協力をした NHKのドラマ「つばさ」で一緒になることがあり、知り合いになったらしい。 今回はその「つばさ」の縁で金田明夫さんにも出演していただいているそう。 1970年生まれの宅間孝行は以前、 サタケミキオというペンネームで脚本を書いていたらしい。 開演前に二人の俳優がソファで喋り出す。 何だろうと思って聞いていたら携帯電話を切ってくださいというのが お芝居形式になっていた!大切な部分をユニゾンで語る演出がよかった。 舞台は知的障害者の自立支援グループホーム。 そこでのクリスマスの日から舞台は始まる。 何故彼女は死んでしまったのか? 舞台はオープニングのタイトルバックを挟んで数カ月前に戻る。 知的障害者の子供たちが自立できるようにと 地元の医師とその家族がこの一戸建てのグループホームを何とかかんとか運営している。 その知的障害のうーやん役に宅間孝行。 その他たなかたくや菊池優が一緒に暮らしている。 そこに新たな知的障害者が入居してくる、マコちゃんと呼ばれる、加藤貴子。 その父である金田明夫と一緒にやってくる。 金田は妻を早くになくし男手ひとつでマコちゃんを育てて来た。 金田は以前、漫画を書いていた。 ペンネームは「愛情いっぽん」。 知的障害者の子供たちをヨーロッパでは「天使の子」と呼んでいるらしい。 純粋さがいつまでも保たれるその姿を見て名付けたのだろう。 それとは裏腹に彼らが社会生活を健全に送っていけることには たいへんな努力と周囲の理解が必要なのも事実。 彼らはひとりになったときに本当に生きていけるのだろうか? うーやんのお姉さん役、東風万智子が思わず涙ぐむシーンが印象に残った。 彼女は弟が知的障害だったことが原因で婚約が破棄された。 姉はうーやんと一緒に住み続けることを決意する。 厳しい現実が描かれつつも、それを前向きに捉え生きて行こうとする 人たちの姿とそれに挫折してしまう人たちとの対比が描かれる。 テーマは重く深い。 未来に向けてこうしていけばいいという指針が示される筈もない。 それでも人は生きて行くという現実がそこにあるだけ。 それを描くことで見ている者たちが考え始めること。 そのことが重要なんだろう。と思った。 ▲
by haruharuyama
| 2010-08-03 09:13
| 舞台
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