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このダンスカンパニーは女子ばかりのガーリーなカンパニー。 チラシには、女体の動きを妄想的視点(=男子)、 およびラブリー視点(=女子)の両極から捉え、 果てなく行き違う2つのベクトルの交差点にある 夢と現実と虚無をポップに描き出す。とある。 ロビーで開場まで待つ。 ロビーではこのダンスカンパニーのプロモーションビデオが流されている。 山本真希監督の手になるもの。 白バックの美しいガーリーな世界と そのダンサーたちが現実世界の中で踊るという 少しおかしな世界が組み合わされている不思議な映像。 日常と幻想がいっしょくたになって画面から流れてくる。 会場に入るとそこはジオラマセットのようにポップなセットが 劇場いっぱいに作られている。 観客席などはなく、観客はその通路の好きな場所にいて このパフォーミングアーツを見る。 階段を降りると、教室のような場所がある。 教室の内部を通り抜けると一面グリーンの壁と床。 ここは公園か裏山か?森か?林か? そこを抜けるとカウンターテーブルがある小部屋? を右手に見ながら降りて行く、 橋がかかっており 橋の下の川の部分が通路に。 り川を抜けると大きな鳥かご状の場所に来る。 その奥は家になっておりダイニングテーブルがあり、 大きな炊飯器が置かれている。 演出の菅尾なぎさの振り付けは独特な動きをダンサーにつけていく。 虫か小動物のような動きを想像させるように感じる。 ダンサーの衣装がお尻の部分に大きなフリフリがついており、 蜂のようでもある。 ダンサーは女子ばかり14名。 そのダンサーたちがこの会場の様々な場所で踊る。 踊るといってもその振りは多様。 寝転がって虫のように這いまわるシーンがあったり、 素早いユニゾンのダンスがあったりする。 いくつものシーンが特徴的に描かれる。 眠っている女性ダンサーのほっぺたを指で押すと 突然大音量が流れ12名のダンサーたちはダイナミックに動きだす。 しかし、ほっぺを押すダンサーと寝ているダンサーはフリーズしている。 その対比がいい。 ラスト15分くらいが圧巻。 ご飯が出来ました。といって実際の大きな炊飯器のご飯が炊ける。 どんぶりにご飯が盛られ、配られる。 そこからは熱狂のダンス。14名のダンサーが会場内を踊りまわる。 以前、原美術館で見た「珍しいキノコ舞踊団」の公演を思い出した。 ガーリーで面白くて可愛くて美しい。 そういった要素が混在となったパフォーミングアーツだった。 参加した人はみなニコニコしていた。 そんな気持ちになる不思議なイベントだった。 ▲
by haruharuyama
| 2011-11-30 08:28
| 舞台
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この演目は10年前に初演されたもの。その時も本多劇場だったような? 10年ぶりに見て、 そのあまりのバカバカしさと面白さに、ああ、やっぱりKERAは面白い!と思った。 笑いの壺が自分と近いのか?ファンだから面白く見られるのか? 同世代でこのようにお笑いをやり続けている人がいてくれて本当に嬉しい。 喜劇人として誇りをもってバカバカしいことをやり続けてくれている。 それは、前作の「奥様お尻をどうぞ」でもそうだった。 やはりナイロン100℃は、素敵だ。 演劇の中の自分の原点みたいなところがある。 初めてナイロン100℃を見たのが1995年の「フローズンビーチ」だった。 ブラックでナンセンスな物語とお笑いの要素が混在した素晴らしい舞台だった。 あれから16年。その間、KERAは演劇界のトップを走り続けている。 1970年代のパリのモンマルトルにある小さなカフェがその舞台である。 そこは、パリに住んでいる自称芸術家の日本人たちが集まる場所。 男ばかりの演劇である。 みのすけ、三宅弘城、大倉孝二、廣川三憲、吉増裕士、喜安浩平、 そして客演の温水洋一と山﨑一が出演している。 そこで描かれるのは、どうしようもないギャグの応酬と、 芸術家としての苦悩という、相反するような要素が並行して語られる。 俳優たちの芝居がこなれており、見ていてとても安心する。 面白いことをやるときのリアクションや間の取り方の上手さに感心する。 思わず笑ってしまう場面がいくつもある。 KERAは、文脈を上手にずらして笑いにしていく。 ナンセンスな笑いの基本である。 その基本がきちんとできており、それを再現できる俳優たちがいる。 廣川(売れない小説家)の歌詞は、「泳げたいやきくん」に敗れ、 山﨑一の描いた絵はひょんなことで破られ、 そのことでこの絵は、評判となり世間が高く評価する。 その評価は一時的なブームだとわかっており 自分の作りたいものと世間の評価とのギャップに山﨑は苦しむ。 画商の喜安は、世間の評判通りに山﨑の作品をプロデュースしていく。 みのすけは芸術家としての目が出ずに LSDなどの薬におぼれて自分を見失ってしまう。 芸術を作るとはどういうことなのか? 商業と自己実現の関係とどのように折り合いをつければいいのか? KERAが10年前に直面していた様々なことが ここで複数の俳優の声を借りて語られる。 答えはない。そして死は突然やってくる。 では、どのように生きるべきか? そういったことを自身に問われるような気分になる。 震災後の私たちは、「どのように生きるべきか?」をよりリアリティをもって考え始めた。 KERAはこのように書いていた。 3・11以降、より顕著に絶対的なものの不在を感じているのは、私だけではないだろう。 と。 本公演は東京公演を終え、これから、北九州、名古屋、大阪、広島を回る。 ▲
by haruharuyama
| 2011-11-29 07:49
| 舞台
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「アスペン」は1991年、 ワイズマン第1作でもある「チチカット・フォーリーズ」は1967年の製作。 アスペンはスキー用品のメーカーにその名前があるように 言わずと知れた米国の高級スキーリゾート地である。 デンバー州にあるロッキー山脈のこの場所は銀の鉱山だったところ。 映画でも銀の鉱山で細々と採掘しているシーンが描かれていた。 いまは、銀鉱山としてはその役割を終えて、 高級ブティックなどが並ぶリゾート地となっている。 ここでリタイアメントして優雅に暮らす人々がたくさん出てくる。 芸術に関心の高い人が多く、絵を描く教室が出てきたりする。 画廊もいくつかあり、個展のパーティなどが行われている。 「ストア」でも思ったのだが、米国では、富裕層はみな年齢が高い。 若い時にがむしゃらに働いて早目にリタイアメントし その後悠々自適な生活を送るのが理想とされていると聞いた。 いまも、同じような価値観で米国人は暮らしているのだろうか? その考えが今も有効なら、 ここアスペンに出てくる人たちの生活は理想的と言えるだろう。 50歳代、60歳代、70歳代が中心の街である。 高齢化社会を目の当たりにしているようである。 日本もいまや25%以上が60歳代以上となっている。 キリスト教の教会に集う人々熱心な信者であり芸術を愛し、 冬はスキーをし、屋内ではテニスや水泳、ジムで汗を流す。 山の中腹には大きなリゾートの家が何軒もあり、 そこで暮らしている。 何不自由ない生活でも 彼らは心のよりどころを求めていく。 神父の話に耳を傾け、読書会に毎週集まり 課題図書について議論を交わす。 清潔で整った生活がそこにはある。 一見破綻のないように見える生活をワイズマンは丁寧に活写する。 どのドキュメンタリーを見てもワイズマンは音の使い方がうまい。 音が一連で流れるように編集がされているのだ。 この日はワイズマン・レトロスペクティブも最終日だった。 「チチカット・フォーリーズ」の上演では多くの観客が開場を待っていた。 何と、ドキュメンタリー映画に立ち見が出る。 階段には直接座り込む人がいて、後ろには立ち見の人が何人も。 ものすごい熱気でワイズマンの処女作を見る人々。 こうした映画にこんなに人が集まるのにビックリ! この「チチカット・フォーリーズ」は精神異常犯罪者の 州立刑務所マサチューセッツ矯正院を描き、 米国でも一時、一般上映が禁止されたことがある。 その後、最高裁の裁定が下り、1991年に再上映の許可が降りた。 その時に、最高裁は映画の最後にクレジットを入れるように命令した。 その内容は、この矯正院は現在改善されています。 みたいなたぐいのことだった。 人間を人間として扱っているのかいないのか? また、肖像権の問題も大きい。 ワイズマンはカメラを回しているときに被写体が拒否しなければ 承諾しているという前提でカメラを回している。 だからこそ、こうした興味深いドキュメンタリー作品が たくさんできているのだろう。 ワイズマンの作品には肖像などをぼかしたりしたシーンはほぼないと言える。 (全部見たわけでないので100%ではないかも知れない。) しかし、これは、今の地上波のテレビドキュメンタリーと大きく違うところである。 ▲
by haruharuyama
| 2011-11-28 09:32
| ドキュメンタリー
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「セントラル・パーク」は1989年、「ストア」は1983年の作品。 日本がバブルの絶頂に向かうまでの時代の 米国が描かれる。 あの頃は米国で日本車がぶっ壊されるなどのデモンストレーションがあり 日本人はマンハッタンの高層ビルなどを買いあさっていた。 あれは、いったい何だったんだろう? NYにある「セントラル・パーク」の日々を丹念に追っている。 それだけのことなのになぜこんなに面白く見られるのだろう? といつも感心する。 それがワイズマンならではということなのだろうか? 代休を取った平日だったのだが、 ユーロスペースは7割くらいの観客が入っており ワイズマンが実は少し人気があるのでは?と思った。 若い女性が意外に多く、しかも一人で見に来ている。 セントラル・パークで行われている様々なイベントや会議や パーティや公聴会などが次々と映し出される。 セントラル・パークに一度だけ行ったことがある。 12月の末だったのであまりの寒さに長時間滞在できず 隅っこの方に少し入っただけだった。 1996年12月27日のことだった。 米国滞在日記が残っており、久しぶりに読み返した。 1996年の10月~1997年の1月にかけて 米国に研修制度を利用して滞在していたことがある。 あれからもう15年が経った。 米国での3カ月余りの経験は自分の中に何らかのものを残したのだと思う。 しかし、それが具体的に何なのかは、わからない。 とにかく1996年は一人で大晦日とお正月を迎えた。 あのころはまだ一般的に携帯電話もPCもなく、 移動しながら本を読む。 ラガーディア空港でニューヨーカーが村上春樹の特集を組んでいた号が 発売されていたのを覚えている。 ドキュメントは公園の公共を考えるセレブな人々からホームレスまでを映し出す。 NYCにある様々なコミュニティについて想像し思いを巡らした。 「ストア」は、米国の高級百貨店「ニーマン・マーカス」のお店を密着したもの。 クリスマスシーズンに向けて様々な施策を行うビジネスとしての百貨店 それは同時に米国民の夢の象徴でもあったのだろう。 この百貨店で働いているというのはみんなの羨望の的であり あるクラスの人と同列に語られる。 そうして彼らは誇りをもってここで働いている。 特にバイヤーなどの花形職業はその中でもエリートである。 ここで語られる、 いいものをいいお客さんに誠心誠意心をこめて売っていく、 という姿勢が語られる。 百貨店にもそういう時代があった。 いまはどうなのか? 調べたら、現在ニーマン・マーカス・グループは 投資ファンドの TPGキャピタルとウォーバーグ・ピンカスの傘下にあるらしい。 時代は変化する。 あれから30年近くが経過し多くのものが変わってしまった。 創業者のお誕生日会が華々しく開催されるシーンがエンディングにある。 そこで創業者が伴奏に合わせて語る「マイ・ウェイ」は感動的なものだった。 ワイズマンの映画を見ていると米国人の英語のスピーチは 一つの教養であるのだな!と思わせてくれる。 ▲
by haruharuyama
| 2011-11-27 10:01
| ドキュメンタリー
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前川知大がここで描こうとしたことは 「人間性とは何か?」ということを突き詰めていったことの結果なのではないだろうか? これを観ていて何故か三本の映画を思い出した。 今年見た「ツリー・オブ・ライフ」「私を離さないで」 そして、以前見た「真夜中のカウボーイ」。 その理由はなにか? これらの映画は表現スタイルは違えども、 人間と言うどうしようもないものについて描かれているから。 それを本作では、対比的に見せるために 夜にしか生きられない「ノクス」と「キュリオ」と呼ばれる今までの人間とが描かれる。 40年前にバイオテロがあり人間は激減した。 しかし数年後、その感染者の中から奇蹟的に回復した人々が誕生した。 彼らは頭脳明晰で健康で若い肉体を維持できるのだが 太陽の下では活動が出来ず太陽を浴びると死んでしまう。 彼ら「ノクス」の社会は発展し清潔で合理的な社会が形成される。 いっぽう、キュリオ(人間)と呼ばれる人々は隔離され コミュニティの中で生きることを余儀なくされる。 ノクスの経済封鎖などもあり、ノクスで生産された物資が入ってこなくなり、 自給自足的な生活を送っている人々が共存している状態。 米国に「インディアン居住区」と看板が出ていている 地域に行ったことがあるが、後から出てきて侵略してきたものたちと 共生しつつも一線を画す、そんな感じ。 コミュニティとの境には門番が立ち、出入りを監視している。 キュリオはキュリオでノクスからウイルスがうつされるのではないか? とおびえている。 日本では、キュリオたちは四国に住みかを割り当てられ そこで人間のコミュニティが出来生活している。 また、若い人で選ばれた人は ウイルスの抗体を打ち「ノクス」になる方法も解明されている。 そんな、時代の話である。 この前提を理解して演劇を見ると理解が早い。 劇場の折り込みに現在までのあらすじが書かれているので 読んでからの観劇をおススメする。 印象的だったのがキュリオ(人間)の子ども鉄彦(大窪人衛)と ノクスの見張り番(浜田信也)との交流。 鉄彦はノクスに興味を持っており、 見張り番はノクスの子として生まれているので キュリオのことを知らない。 この二人が新たなノクスとキュリオのコミュニケーションを始めるのだろうと思われる。 鉄彦は見張り番にノクスの友達が欲しいと告げる。 しかし、ノクスにもキュリオにもいろいろな人がいて、 彼らの純粋な関係はいつまでも純粋なまま続くわけではない、 という現実が突きつけられる! キュリオの娘の結(加茂杏子)が ノクスとなり、ノクスの家族に引き取られる。 その後、キュリオである実の父親と娘が再開する。 清潔な服を着て身なりもさっぱりしており、彼女は未来に対しての希望を語る。 それを目の当たりにした父親は号泣する。 その悲しみは娘にはもはやわからない。 印象的なシーンだった。 そして、こうしたことはいまの日本の現実世界にもたくさん起きている。 人間とはそうした「業」を抱えた生きものなのだ! 同時にこれを見ていて、震災後の日本の構造のことについて考えた。 福島の人たちや被災した人たち。 そこに留まるものと離れるもの。 正解はない。 それは個人の解釈に委ねられるのが現実である。 27日まで。 ▲
by haruharuyama
| 2011-11-26 09:22
| 舞台
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立川談志の訃報を聞いたのは、11月23日の吉祥寺シアターだった。 俳優の内田淳子さんがツイッターを見て教えてくれた。 いつも「死ぬ、死ぬ」と言っていた家元が実際に死んでしまうと、 ああ、本当に死んでしまった!と何とも言えない気持ちになった。 また一人の天才が亡くなった。 革新的な人が亡くなったと言う意味では スティーブ・ジョブスの死にも似ている。 落語界はこれから、新たな立川談志的な人が現れてくるのだろうか? 革新的な事項は一人の天才(いいかえると気狂いとも言えるかもしれない。)から 始まる。 その周囲にいる人たちは大変な想いをするかもしれない。 そして、その革新的な天才は 多くの人に嫌われるかも知れない。 しかしそうして自分の信念を貫き、わがままに生きて来たという意味では とても人間的な人たちであるとも言えるだろう。 もちろん天才は大きな失敗も繰り返す。 その繰り返しの中から 大きな歴史的なものが残される。 そこに向かい挑み続けて来た人。 その中の一人として立川談志については語り継がれるだろう。 と書いて見たものの、僕自身、長年の落語ファンではない。 家元の噺を初めてライブで聴きに行ったのは、浅草の5656会館だった。 その頃、丁度、立川談志の本「立川談志遺言大全集」が出たばかりの頃なので 2002年か2003年だったように思う。 快楽亭ブラックも同じ高座に上がっていたころだった。 その後、「タイガー&ドラゴン」(2005年)という噺家を主人公にした クドカンのドラマを見たころから、落語って面白そうだな!と思うようになり、 個人的に落語をたくさん見るようになった。 なので、まだまだ、駆け出しの身ではあるが、その後 立川流そして立川談志を見るにつけ、立川一派がどんどんと好きになる自分がいた。 そのアバンギャルドとも言える精神と世間に立ち向かい続ける魅力、 そして強い批評性がとても自分の嗜好に合うなあと感じていた。 最初の5656会館で高座を終えて幕が閉まろうとすると幕が下りるのを制止して、 今やった自分の落語についての批評を語りだす。 高座の後すぐにこうして客観的な視点から自分の落語を分析出来るものなのか? と驚いた! その後、いくつかの高座を拝見し 数年前のよみうりホールの「芝浜」に立ちあえることも出来た。 幕が閉まる時に「ありがとうございました」と家元が言った。 あれは、一体だれに向かっての言葉だったんだろうか? ▲
by haruharuyama
| 2011-11-25 11:18
| 舞台
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11月23日勤労感謝の日。 この日はまる1日吉祥寺にいて青年団のこの果敢な挑戦! 「ソウル市民五部作連続上演!」の観劇をする。 朝、起きて何とか吉祥寺にたどり着く。 富士そばで朝ごはんを食べる。天ぷらそば(380円)。 この年になると朝マックよりも朝そばがいい。 「ソウル市民」から「ソウル市民1919」、そして「ソウル市民昭和望郷篇」と続き、 新作の「ソウル市民恋愛二重奏」まで。 午前11時の開演から何度かの休憩をはさんで21時半まで11時間以上吉祥寺に滞在した。 休日で天気の良かった吉祥寺は朝から大変な人出で、 新宿や渋谷と変わらない混雑ぶりだった。 しかも住宅街の休日なのでどこかのんびりとした雰囲気が伝わってくる。 とても住みやすい街である。 全体にわたってこれだけレベルの高い芝居を毎回良く作っている! というのが4本見終えての感想だった。 どれも、淡々とした芝居の中に大きなドラマがある。 その「ドラマ部分」を見ている観客が感じ取っててしまうと 感動がじわーっと自分の心の中で拡がっていく。 決して全ての人に対してわかりやすいだけの演劇ではない。 観客自らが演劇と対峙してそれを発見していく作業が求められている。 これが青年団あるいは青年団から発信した舞台芸術家たちが 信条としているところだろう。 「観客の想像力を信じている」 その強い気持ちが結果、観客を魅了することになる。 青年団が中心となっている 「こまばアゴラ劇場 劇場支援会員募集」の項目には以前からこう書かれている 「観ることが、育てること。」 これは劇団や劇作家・演出家・俳優たちと一緒に育っていきましょうという想いの現れ。 そして、結果、青年団のファンは確実に増え続けている。 本日も青年団の舞台を以前紹介した方がファンとなり見に来ていらしたのにばったり! そのNさんが大学の後輩?と一緒に来ており、 彼女が今度は新たなファンになってくれるかも? お昼を、これまた劇場で一緒になったMさんと5人で食べに行く。 「旺旺」という高架下のロンロンにある中華料理屋さん。 昼はお客さんでいっぱいだった。レバニラ定食(800円)。 本日観た、四作は10年ごとのソウルを描いている。 1909年。1919年。1929年そして1939年である。 その30年の篠崎家の物語でもある。 (あるいは日本が朝鮮を併合していた時の物語。) 青年団の舞台では、いつも、いくつかの場面で独特な詩情を感じる。 今回の、5部作のどれをみてもそうしたシーンが必ずある。 「ソウル市民」では、階級社会の上流にいる篠崎家と そこで働く寒村?からの出稼ぎの女中や 朝鮮人の女中の格差が無意識に台詞の中で語られる。 「ソウル市民1919」では朝鮮人二人が民族の歌を唄う、 ハングルで会話を交わしたのち一人が3・1独立運動へ出掛けていくシーン。 「ソウル市民・昭和望郷篇」では、朝鮮人の書生(キム・ミンソ)に 「だじづでど」「ぱぴぷぺぽ」「十円五十銭」とちゃんと言えるようにしなさいね! と言うシーン。 関東大震災を経験した叔母(中村真生)がそれを言うのだが、 彼女は震災後、この言葉が言えなくて殺された朝鮮人の姿をたくさん見てきていた。 (関東大震災後に五千人を超える朝鮮人が虐殺されたと折り込みに書かれてあった。) そして、「ソウル市民1939・恋愛二重奏」では、 朝鮮籍で日本軍の一員として戦争に志願した男と それを見送る篠崎家の家族と周囲のものたちのシーン。 戦地から戻って来てうまく社会に抵抗できなくなった 篠崎家の婿養子の昭夫(古屋隆太)との対比が印象的だった。 どれから見ても、どれを見ても「青年団」という劇団について何かを感じられる秀作ばかりである。 12月4日まで。 夕食は劇場すぐの横浜家系ラーメン屋「武蔵家」にて ラーメンとキャべチャーとライス(750円)。 ▲
by haruharuyama
| 2011-11-24 10:32
| 舞台
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今年のソウル市民五部作一挙上演という無謀とも言えるプロジェクトの5作目である。 今回の公演のために書き下ろされた新作公演。 サンパウロというブラジルの都市に移民として入植した家族の物語。 近年、日系ブラジル人がまた、日本に戻って来て 働いたりしているが、そのそもそもは明治維新以降に 日本人がブラジルの農場に大量に移民として船で渡り 働き日系人コミュニティを作っていったという歴史があるからこそ。 戦前の日本人は家族や村単位で大量に各地に移民として 国境を越えそこで農地を耕したりして入植し現地に溶け込んで行った。 それはブラジルだけのことではなく、 ハワイ、米国カリフォルニア、満州、台湾、朝鮮などなど。 また蝦夷(えぞ)と言われていた北海道に移住するものもあった。 あの頃の日本人は積極的に外に出て 何とかしようとした人が多かったのだろうか? そもそも日本が貧しかったからか? そういうフロンティア精神みたいなのがどこから出て来たのだろう? ということでソウル市民の5作目はソウルではなくサンパウロ。 室内の調度品などは同じ設定で俳優と衣装が変わっている。 そのサンパウロの文具商のある1日を描いているもの。 「ソウル市民1919」と構造が似ており「おすもうさん=関取」が 興業にやってくるというくだりも似ている。 ただし、ここはサンパウロである。 日本が戦争に突き進もうとする不安な情勢ではあるものの、 遠く離れた人たちは毎日を懸命に生きている。 日本を知ることが出来るのは1日2回の日本語ラジオ放送のみ。 それも電波の受信状態が悪いと良く聞こえない。 そういう状況で家族と親戚が一体になりながら懸命に生きている。 以前の日本はそうだった。家族や親戚は近くに暮らしているもので 彼らはいつも一緒にいてよしなしごとを話している。 たわいもない会話の端々に社会情勢や不安が見えてくる。 この文具店の次男が嫁をとる。 その嫁が本日サンパウロに到着し 初めて、この文具店に来て次男とここの家族と暮らし始めるという。 新しくブラジルに来た嫁の胸中はいかがなものだろうか? 新しい国、新しい環境、新しい家族。 井上三奈子がその婚約者を演じる。とても印象的だった。 今回、舞台を見ていて思った。 これは「サザエさん」の世界なのでは?と。 会話がきちんと届ききっちりとコミュニケーションをしようとしている人々がいて、 彼らは懸命にいまここにある現実に向き合おうとしている。 昭和的なこの感覚が戦前のサンパウロという 特殊な状況で強くあぶりだされる。 その親密な人間関係を丁寧に描いている という意味でもこの舞台は昭和的であり、 それは個人的な見方ではあるが、サザエさん的であると言いいたい! 見ていて気持ちが良くなるのは何故だろう? 日本人的であるとは?ということを強く考える。 昭和の日本人が持っていただろうものが 目の前で再現されているからだろうか? かくして青年団の舞台は魅力を持ったものになる。 独特でオンリーワンの世界が多くの幅広い世代を魅了する。 平田オリザさんが劇場にいること。 これはひとつの日本の宝であると思う。 ▲
by haruharuyama
| 2011-11-22 08:00
| 舞台
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日曜日の11時に新宿ルノアールで打合せがあった。 ルノアールはモーニングセットのサービスを12時までやっている。 170円追加のDセットを頼むとホットサンドイッチ2つと スープとヨーグルトがついてくる。 その後、知人のsamanthaさんが出展しているOZONのお店を覗く。 「にっぽんフォルムのお正月2012・迎春玉手箱」というもの。 ![]() OZONに行くといつも住むということについて考えさせられる。 こうしたイベントを年中行っているというのは大変なことである。 1階では若手建築家の展覧会が行われていた。 建築と生活者とが出会う場所である。 ![]() さらに西へ向かう、初台のオペラシティに到着。 以前、新聞記事で見ていたアートギャラリーの展覧会を覗く。 ![]() 入場券を購入してロッカーに荷物を預ける。入場前に注意を受ける。 頭の高さに梁が張り巡らされているので くれぐれも頭をぶつけないように注意してくださいとのこと。 入って納得。真っ白な梁が目の高さにあるので 梁で仕切られたブロックの部屋?みたいな場所の外に視線がいかないようになっている。 別のブロックにいる他の観覧者と目が合わないという仕組みである。 建築家、中村竜治のデザイン。 今回の催しは東京で活躍している独自のファッションを作っている 10組のデザイナーたちに展示会用に企画をしていただいたもの。 新しいことに挑戦しようとしている意志を強く感じた。 また、これらの服は販売を前提とされたものが多い。 ミナペルホネン、ミントデザインズ、アンリアレイジ、 ケイスケカンダ、まとふ、ソマルタ、シアタープロダクツ、 リトゥンアフターアワーズ、h.NAOTO、サクスワァッチファブリックスの10組。 初めて知るデザイナーの名前などもありとても興味深かった。 ケイスケカンダのものは独特なロリータファッションを呈示しており アキバ系とも思えるセンスのそれが印象的だった。 今、高円寺でお店を出しているらしい。 まとふは、展示のイントロで木質チップを敷き詰めた遊歩道がある。 観覧者はその上を歩く。 その奥に平たい石が敷き詰められさらにその奥に苔の山がある。 木質チップの上を歩くとうっすらと木の香りがしてくる。 最後に苔色のまとふのコートを羽織るという仕組みになっている。 アンゴラのライナーの手触りが気持ちいい。 またシアタープロダクツは音の出るお店を作っていた。 バーコードリーダーでお店の服のタグをスキャンすると いろいろな音楽がそこから聞こえてくるというインタラクティブな仕掛け。 展示されている服は発色がよく綺麗だった。 一番、印象に残ったのはリトゥンアフターアワーズの山懸良和の展示だった。 小屋がある。その上を1000円札をくわえた一匹の鶴が飛んでいる。 小屋の窓から中を覗くと、動物たちが織機の周りに集まって 衣装を作っているかと思ったら。 ゼロの価値!のお札を印刷していたというストーリー。 動物たちの剥製がこの作業にみんな参加しているように見えてとても面白かった。 白クマやライオンからリス、鴨、フクロウ、ひよこ、などなど。 まるで童話の世界を見ているようなアート作品がそこにある。 中を見るのには窓から中を覗くしかない。 その不自由さが想像力を自由にする。 こ、これはファッションなのか?とも思うが それ以上のアーティスティックな衝撃を感じた。 12月25日まで。 ▲
by haruharuyama
| 2011-11-21 08:56
| アート
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めったに自分で雑誌を買わなくなった。 これは、本当に久しぶりに購入した雑誌。 penは写真と紙がいい。 このクオリティを維持しているのは凄い。 編集の意地のようなものを感じる。 しかも定価600円! こんな金額でこれだけのものが読めてしまうのだから! 編集者、出版社はいま、本当に大変な時代だろうが こうした仕事を拝見すると そこで働くスタッフのクオリティの高さと熱意の高さが伝わってくる。 本号はそれくらい充実したものだった。 いつからpenは特集主義になったのだろうか? 特集主義の本はムック本と同じように 永久に保存してバックナンバーを保管しておけるくらい価値のあるもの。 紀伊国屋書店に本号を求めに行ったら、平積みでドーンと置かれていた。 実は11月30日号も発売されており、その号の隣に、 このバックナンバーとなった号が平積みされて置かれていた。 それくらい本号は売れているのだろう。 penでは以前も「1冊まるごと佐藤可士和」などの特集を組んでいる。 休日にパラっと開いてみたら2時間精読してしまった。 それくらい内容が濃く、森本千絵さんのことをもっともっと知りたくなり、 その知りたいことについてきちんと網羅されている。 広告批評が以前、 仕事集ということで「糸井重里」「仲畑貴志」「川崎徹」などの単行本を出していたが、 まさにそれくらいの密度がある雑誌となっている。 しかも、カラーグラビア印刷で写真のクオリティが高い。 森本千絵の会社「goen°」はどういう会社ですか? という問い合わせがあっても、本書を見れば全てがわかるようになっている。 森本千絵さんは1976年生まれの35歳。 この若さで1冊まるごと特集である。 凄い才能が集まる場所がこの「goen°」にはあるのだろう。 才能があるものをきちんと誰かが見ており、そうしてある高みへ引き上げていく。 そうしたことが自然に行われているのだろう。 その原動力となるのがフリーランスとして活動している才能ある人々。 彼らは自らの全てをさらしてリスクを背負って新しいことをやろうとしている。 結果そのことによって、新しいクリエイターユニットが生まれ その出会いが別のクリエイティブを呼ぶ。 その「正の連鎖」が森本千絵さんの周りにはある。 彼女とそれを取り巻く人々が自然と生み出しているのか? 森本千絵さんは大企業の広告だけを手掛けるというような人ではない。 地方の分校に出かけてワークショップを行ったり、 知り合いのお店や会社のロゴを作ってあげたり、 そして3・11以降は迅速に「pray for Japan」のロゴマークを作ってくれたり、 節電をしようという可愛いポスターになるものを無料でデータを配り パブリックドメインのようにする活動をしたり。 そうした人のために何が出来るか?ということをいつも模索している。 子どもたちを「goen°」に集めてワークショップをしたりはその一つの例である。 彼女自身が生きていること全てが仕事であり、遊びでもあるのだろう。 大変な遊びかもしれないが彼女は身体を酷使して実行している。 その膨大な量を生み出す能力はピカソのようでもあるなあとぼんやりと思う。 そんなことの全てがわかる雑誌である。 後は健康に気を付けて、末長く継続していっていただきたいと、願うばかりである。 ![]() ▲
by haruharuyama
| 2011-11-20 08:34
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