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MONO久しぶりの東京公演。最近は1年に1回の公演となっているようだ。 相変わらず、男ばかりの俳優たちの劇団員。 あのむさくるしさがMONOの大きな特徴なのだが、 今回は何人もの客演を入れて女性の多いMONOの公演となった。 もたい陽子、山本麻貴、高橋明日香、松原由希子、の女性4人に高阪勝之という客演陣。 ある離れ小島で廃村になった村の施設に隔離されている人々という設定。 日本のどこかの場所であり、近未来の話でもある。 国が建設した赤い屋根の施設が原因と思われる「横川病」と呼ばれた病に 感染したものたちがここに隔離されるのだ。 ある移民たちが集まっていた集落の近くにその赤い屋根の施設はあるそうで 「高台」という苗字のある移民たちがこの病気に多く感染している。 この施設にも土田英夫、奥村泰彦という二人が「高台」の苗字を持つ、 なんちゃら村(名前を失念)出身。 隔離されている人に記憶障害が出て、身体の斑点が紫色に変色してくると もうすぐ死を迎えるという。 実際、すでに多くのお年寄りがここで死を迎えている。 国の保険局の職員が1日に1回見回りにくる(高阪勝之)、 以前見回りに来ていた職員(水沼健・尾形宣久)もこの病気に感染し、 いまは、この施設に入所してきている。 その後、実は、高阪もここにやってくるのだが…。 ある日、またこの島に新たに感染者が送り込まれてくる。 紅一点(山本麻貴)だったところに若い女性が3人。 (もたい陽子、高橋明日香、松原由希子)。 もたいはここに先に入所している金替康博の妻である。 もたいさんは、とても魅力的な女優だった。 そして、高台の苗字を持つ高橋明日香。 彼女は実は奥村康彦の姪っ子だった! そして、新婚早々に感染してここに送り込まれて来た松原由希子。(涙) 以上の面々がこの隔離された島で死の予感を感じながら毎日生きている。 ある閉塞状況に陥った時に人は独善的になり他者を排除しようとなるのか? 土田がパンフレットの中でこのように書いていた。 どちらが正しいかを言い合うことも必要ですが、 人として認め合うことが最も肝要なんだと思います。 土田はここで「肝要」という言葉を使っているが 実は「寛容」になろうよというメッセージに聞こえて仕方がなかった。 それくらい、今の社会は「不寛容」さに満ち満ちている。 なぜ、こんなことになっているのか? 何らかの閉塞感がそうさせているのだろうか? 芸術家として土田はそのことに危機感を感じ、 こうした作品を通じて世に問いたかったのだろうか? 先日観た、平田オリザの舞台「南へ」と同じようなテーマとなった舞台。 いまの時代がそうした危機感を平田や土田と言った芸術家に与えているのだろうか? 閉塞を打破するためには、私たちは勇気をもって発言し続けなけらばならない! という祈りにも似たメッセージがラストシーンから伝わってくる。 3月1日まで。その後、北九州、名古屋、大阪公演がある。 ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2015-02-28 08:31
| 舞台
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本作の初演は1990年。実は、その初演を見ていなく。本作が初見だった。 青年団の若手俳優たちと、こまばアゴラ劇場が始めた、 演劇学校の俳優養成所の生徒たちが一緒になって平田オリザの戯曲に挑戦した。 作・演出は平田オリザ。 平田さんのFacebookなどを見て、本作の稽古が長時間に渡ったことを知る。 修了公演なので俳優も多く。 Aチーム、Bチームに分かれている。 Bチームを観劇。 顔を知っている青年団の若手俳優と演劇学校の生徒たちが 一緒になってこの舞台を作っていった。 1年でこれくらいになれるのか?と驚くとともに、 さらにその先があるんだなあ!ということも伝わってきた公演。 日本を出てある南の島へ向かっている客船の甲板デッキが本作の舞台である。 近未来の話だろうか?日本人たちは日本を飛び出し新たなチャンスを求めて南へ向かう。 日本人たちはそこで何不自由なく暮らし、 働くこともなく退屈な船上生活を送っている。 日本に生まれた香港や中国、ベトナム、朝鮮などの人々、 あるいは彼らとの混血の人々は純血の日本人と違って 船上で使用人として働いている。 そうした植民地主義的な構造がこの舞台の中にある。 ヘイトスピーチという言葉もなかっただろう1990年に平田はこの戯曲を執筆した。 折込のチラシの中に平田は 本作は「ソウル市民」の翌年に書かれたものである ことも覚えておいていただきたい。私は当時、「ソウル市民」の未来版として、 この作品を書きました。 とある。 そして、今、ヘイトスピーチが社会問題になり、国粋主義的な考え方を持つ人が増え、 国家はその方向に進もうとしているようにも見える。 そんな今だからこそ本作を再演してわずかばかりでも 世に問うということを行いたかったのではないだろうか? まったく見たことのない新人の俳優たちが懸命に演じていた。 そして、いろんな魅力ある俳優の卵たちを応援したくなった。 本作はフェリーニの映画「そして船は行く」へのオマージュでもあると 平田さんが折込に書いていた。 チネチッタ撮影所にばかでかい船のセットをつくって ロケは一切行われなかった名作映画である。 第1次世界大戦前のヨーロッパ貴族たちのお話。 貴族の割合は1%だと言われている。 そして、トマ・ピケティなどに言わせると二つの世界大戦を経て、 格差が縮小した時代が終わりを告げ、 また富裕層である1%が富を集中させることが始まりつつある、と。 そんな時代に問う、恐ろしく怖い舞台だった。 富の集中と差別意識の増長には何らかの関係があるのか? 本作を見る前、夕食をとるため駒場東大前の定食屋の名店「菱田屋」で食事をしていた。 と、隣に入って来た女性客が、お店の人に英語で「英語か中国語のメニューはないか?」と 聴いていた。そんなメニューはないので、どんなものをお食べになりたいですか? と聴いて行き。私は時間がないのですぐに出せるものがいいと。 結局、「豚の生姜焼き」を注文することになった。 その後、少しお話をしたら、台湾から観光に来ていて、 今日はこれから「南へ」をアゴラで見るという。 彼女は、日本語がわからないのになぜ?と聴くと、 想田和弘監督のドキュメンタリー映画「演劇」を見て興味をもったという。 そして、いい経験になると思い、日本語がわからないけど 行ってみたいと思いここにやって来たという。 劇場にやってきて本作を見た彼女はこれを見てどう思ってどう感じたのだろうか? 3月1日まで。 ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2015-02-27 08:05
| 舞台
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このTRIPLE IMPACTも終盤を迎え、 ついに最後の演目「いつも心に太陽を」が始まった。 演出は岡村俊一。つかさんが亡くなった翌年だったか、 シアターコクーンで「広島に原爆を落とす日」を見た。 その時の演出家が岡村さんだった。 あの70年代から80年代のつか演劇の熱狂が岡村演出にはあるなああ! と感心した記憶がある。 そして本作も岡村は同様に70年代から80年代の つか演劇の持つあの熱気を再現させてくれる。 TRIPLE IMPACTの前作「ロマンス2015」が 耽美的なボーイズラブに焦点をあてているのに対し、 今回は男臭い笑いと情熱とドロドロを描いている。 その男性同士の交情はゲイの恋愛というだけではなく 独特の男性同士の交流を描いているように思えてならない。 蒲田行進曲の銀ちゃんとヤスとの関係にも似た、 任侠的な男のドロドロとした愛情が渦巻く、そんな舞台になっていた。 男臭く汗臭い、それをD‐BOYSのメンバーやテニスの王子様などに 出演しているイケメンたちが演じている。 そのギャップがいい意味でのエンターテイメントに昇華していってる。 まったく美術セットのない中で音楽と小道具だけで、 男子1500メートル水泳選手たちの高校時代?から晩年までが描かれる。 おかまの高校の先生の独白、一緒に住むようになった柳下大と高橋龍輝の関係、 男同士の激しい恋愛が激しい口調で描かれ演じられる。 その激しさがつかこうへいらしさであり、 その熱気を岡村俊一はよーく理解している。 だからこそ、こうした演出ができ、そして観客が楽しめる 熱いエンターテイメントになる。 こうした方向の演劇が少なくなった今、改めて1か月近く つか演劇で伝説となった紀伊国屋ホールでの上演が行われるということは 何かの必然であるのだろう。 カーテンコール後につかこうへいの過去の名作のダイジェストを つかこうへい予告編と銘打ち、各俳優が名場面を演じる。 これもとてもつかファンには楽しい。 つかファン、D‐BOYSファン、そしてテニスの王子様ファン、 LGBTの人たちなどなどが集まり紀伊国屋ホールは独特の熱気をはらんでいた。 ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2015-02-25 08:01
| 舞台
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中屋敷法仁 演出。柿喰う客の公演と同時期の上演。 まったくタイプの違う舞台を中屋敷は器用に演出している。 柿喰う客の「女体シェイクスピアシリーズ」はいつもの柿喰う客。 そして、このTRIPLE IMPACTは、やはり、 つか演劇らしさに満ちている。 つかこうへいのあのセリフには、 ある種のトーンを決めてしまえるような強さがあるのだろう。 それを丁寧にすくって中屋敷はこの「ロマンス2015」を完成させた。 観客は女性客が多い。若いイケメンの俳優たちがたくさん出ている。 女優は紅一点、杉ありさのみ。 なぜ男優ばかりなのか?は舞台を見ればよくわかる。 これは同性愛のボーイズラブの話でもあるのだ。 レディコミなどでも良く取り上げられる、美少年たち同士のボーイズラブが 女性の心を捉えるという現象が昔からあるのはどういうことなんだろう といつも不思議に思っていた。 男子1500メートル水泳の競技を行う選手たちという設定。 アトランタとかシドニーなどのオリンピックの開催国の名前が出てくる。 そしてライバルでもあり同じ志を持った仲間でもある男の子たちが お互いに好きになっていく。 そして、その少年たちが新宿2丁目でゲイバーを経営するところまでの 半生が描かれる。 LGBTの割合は20人に1人と言われる。 その5%という少数者に生まれてしまったことへの哀しさが この戯曲には描かれている。 つかこうへいが在日朝鮮人で日本での 少数派だったことにも関連があるのではないだろうか? そしてつかは、そうした少数派の人たちに光を当て 彼らの生きざまを温かい視点で見せてくれるのだ。 誰にでもある葛藤や悩みを拡大して演劇的して! これが、つかこうへいたる所以であり、それが多くの人の気持ちを打つ。 若き俳優たちは、その戯曲を読み込んで懸命に演じていた。 何もない空間にあるのは少数の俳優たちの身体と声、 そして照明効果と音楽だけである。 俳優に対して課されるものが必然的に大きくなる。 それを演技して乗り越えることによって、 若者たちはさらなる高みに登ろうとしているのだろう。 若い彼らを温かく見守る女性観客たちがそこに居た。 そして、ある境界を超えていけば さらに多くの人に届くことのできる舞台となっていくのだろう。 22日まで。 ![]() ▲
by haruharuyama
| 2015-02-20 10:22
| 舞台
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みなとみらい駅を出るとすぐにショッピングモールがあり そこを抜けるとドーン!と横浜美術館とその前の大きな広場に出る。 夜はイルミネーションがキレイ。 タワー型マンションなども同じ地域にあり 職住接近 駅住接近の環境は新たな創造的な生活が約束されるのだろうか? NYのマンハッタンやパリ市内なども同様だろう。 横浜には日産自動車を初め多くの企業がここに移転してきている。 アップルも横浜にラボを作る計画がある。 副都心線で渋谷、新宿、池袋も一気につながり、 新たな暮らし方が横浜方面にあるのでは?と推測するのだが、 千葉県民の僕にはリアルなことはわからない。 マームとジプシーの新作公演。 海外公演を経て、新たな海外公演に向けての重要な布石でもある。 というのは本公演はTPAMの一環でもあり、 海外にこの演目を!ということで海外担当のアートマネージャーたちが見に来るのだ。 ということで英語の字幕付き公演。 外国人の友人と一緒に舞台を見ると言うのもいいのでは? レクチャーホールは美術館の地下1階にある素敵な場所。 壁が真っ白でいかにもアートセンターの趣である。 こうした場所を使って頻繁なイベントが行われることを願う。 扇状になった観客席、 そこの奥にさして広くはない舞台がある。 高さ90センチくらいだろうか? 天井からは気球やその他のオブジェ、 マームとジプシーと言えばのドライフラワーが吊るされている。 足元にはドミノが置かれたり、スケートボードの上には 小型カメラが設置されており スケボー用のレールが敷かれその上をカメラ付きスケボーが動く。 カメラで撮影されたものは、奥にあるスクリーンに投影される。 白熱電球を主に使った照明がガーリーな3人の女優さんたちを照らし出す。 スクリーンに投影された映像はまるで印象派の絵画のよう。 デビッド・ハミルトンという写真家が居たが、 まさに彼の作品を見ているよう。 そして三人姉妹のドラマが始まる。 長女は青柳いずみ。彼女の存在なくしてマームとジプシーは語れない。 目の上でバッツリと切った前髪に長いストレートヘア。 だぼっとした、ナチュラルカラーのワンピースを着た衣装。 同系色の厚手の靴下。そこからすらっと伸びた素足が気持ちいい。 ああ、こうした世界観を作る藤田貴大ってなんて素敵だろう!と思った。 大島弓子などの少女漫画の世界がそこに拡がる。 その世界を拡げるために協力している強力なスタッフ。 まずは映像のタイトルデザイン、 ブックデザイナーの名久井直子さんがデザインしたそれは、 とても洒落て繊細で気持ちがいい。 そして音楽・音響がそこに加わり、その世界観をさらに強固なものにしていく。 決してやさしいだけの世界ではなく 世界と向き合う覚悟がありながらガーリーな世界との協業を目指している。 そのスタイルがかっこいい。 観客は若い女性が多く、彼女たちは一様におしゃれである。 アートスクールなのか文化服装の子なのか? ダンスを起源としたパフォーマンスには そうした種類の人たちが少なからずいる。 高齢者が極端に少ない。 僕は53歳だがほぼ最高年齢なのでは?とすら思う。 でも、そこで紡ぎだされるリリカルな世界は一度経験してしまうと 記憶から離れなくなる。 ストーリーは決して明るいものではない。 倉橋由美子の「残酷童話」というのがあったがまさにそんな感じ。 親を亡くした青柳いずみの元に継母と養父が子供を連れてやってくる。 女の子2人がやって来て3人姉妹と養父と養母。 そんな中で育っていく青柳いずみと妹たちの独白が何度も繰り返される。 観客はその言葉の断片をつなぎ合わせていき、この家族の物語を想像する。 そんな舞台。 ハラスメントが数限りなく行われ、青柳いずみ、こと いずみちゃんは家を出ていく。 もう決してここには戻ってこないと決意した家出である。 その不幸の三乗みたいな環境に少しだけ光が当てられる。 生きるっていうことはその繰り返しなのかもしれない。 そんな普遍的なことが描かれたこの舞台、 カタチのチガウ三姉妹の生き様を通して人生や人間の何たるかを学ぶ。 まるでベルイマンの映画か? 海外で必ずや評判になるだろう。 それにしても青柳いずみは、なぜあれだけ反復を繰り返す激しい動きの中で 平静を保ったかのようにセリフを発し続けることが出来るのだろうか? 僕なら、途中で酸欠になり呼吸困難でぶったおっれていることだろう。 TさんからBRUTUSの表紙に藤田さんが出ていると教えてもらった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2015-02-17 08:15
| 舞台
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今年の文化庁メディア芸術祭。 ネット時代になって、どのように受賞作を見せていくのがいいのか? という工夫が問われるようになった芸術祭となった。 2週間の間ほぼ無料で行われるこのイベントに 広告やメディア業界コンテンツ業界が注目する イノベーティブな事例があるのでは? と新しいことに興味がある人たちはこぞって出かけていった、展示会だった。 ![]() ![]() しかし、ネットが発達しスマホの普及で どこでも動画などが見られるようになり、 その価値は別のやり方にシフトしていくんだろうな?ということを思った。 ![]() ![]() 数年前から会場スペースが半分になった。 その代わり、スーパーデラックスというスペースで夜のイベントが行われたり、 六本木シネマートでは上映会が行われてたりする。 実は、その六本木シネマートが 今年の夏前に閉館されることが決まったらしい。 このメディア芸術祭には4つのジャンルがある 「アート」「エンターテイメント」「アニメーション」「マンガ」という 日本が誇るクールジャパンコンテンツなどが含まれたもの。 今回、個人的に一番面白いと思ったのは「信濃毎日新聞社」の 10分弱の鉄拳さんの描いた絵をアニメーションにしたもの。 長野のリンゴ農家に生まれた少年が主人公のドラマ。 10分に三十数年が凝縮されている。 ストーリーはまるで倉本総の「北の国から」を早送りで見ているような感覚。 デジタルが行きつくと、 こうしたストレートでアナログな関係を扱った表現に惹かれるということが あるのかも知れない。 ![]() ![]() ![]() デジタルテクノロジーを使った実験的な試みは、 実はこうし芸術祭に出品される前に すばやく世間に出回って 使われているというのが現実ではないだろうか? ここは、それを確認する場所なのかも知れない。 ![]() ![]() そのような現在の動向を考慮して 今後の文化庁メディア芸術祭の運営ややり方を考え直さなければならない。 そういう時期に来ているのではという思いを強く持った 今年の文化庁メディア芸術祭だった。 ![]() ▲
by haruharuyama
| 2015-02-15 07:12
| アート
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1970年代前半に上演されたあの伝説のつかこうへいの舞台が この紀伊国屋ホールに戻って来た。 今回「つかこうへいTRIPLE IMPACT」ということで本公演からはじまって、 つか作品が3作連続上演される。 企画・製作はアール・ユー・ピー、制作はつかこうへい事務所。 本作品は、何度も上演されておりヒロインを演じた俳優がたくさんいる。 広末涼子や桐谷美玲なども演じたのではなかったか? そして、つかファンというのはいまも確実に存在しており、 そのファンの方たちと今回の若き俳優たちを見に来た人で 紀伊国屋ホールは埋まっていた。 70年代のあの熱気をまたこの新宿の場所に持って来た。 その熱意が伝わってくる舞台だった。 元々初演は、早稲田大学で上演され、青山のVAN99ホールでの公演は伝説となり、 その後紀伊国屋ホールに進出。 当時の演劇すごろくのあがりを瞬く間に実現した。 実は、僕が演劇を見るようになったのも 大学1年生のとき大阪の「オレンジルーム」という劇場で つかこうへいの「熱海殺人事件」劇団☆新感線版を見たことから始まった。 熱く劇的なセリフだけで 観客を笑わせ、感動させ陶酔の世界に連れていく。 つかこうへいはなぜこうしたセリフが書けたのか? やはりある天才のなせる業だと思わずにはいられない。 その後、つかこうへいは優れた舞台を量産していった。 あの当時にありがちな無頼派で激しい男は 時代の寵児になっていく。 朝日ジャーナルなどで彼の記事を読み、 多くの若者たちが彼の舞台を見に行く。 それまでの舞台の構造とはまったく違ったものがそこにあったのだろう! 新劇ともアングラ演劇とも違う新しいものがそこにあった。 ファッションなどの若者の風俗がそこに取り上げられている。 また、 本作は、当時社会問題にもなっていた、 安保闘争の学生運動を題材に取り上げている。 東大闘争などで亡くなったかんば美智子さんの事故などの事実から つかさんはこの舞台をお書きになったのだろう。 つかこうへいは原稿用紙に戯曲のセリフを書かなかったという。 口立てでセリフを紡ぎ、つかさんのアシスタントが それを筆写していくという形式をとっていたらしい。 俳優はそのつかさんの口立てを聴いてそのまま演技をする。 口立てだけに舞台でのセリフを聴いていて とても気持ち良く劇的で刺激的なセリフが あるリズム感を持って伝わってくるのだ。 この日もつかこうへいの優れたセリフが マシンガンのように観客席に向かって乱射された。 撃たれた私たちは放心状態のようになって そのセリフの渦に身を委ねるのだった。 本作は小川智之の前説から始まる。 学生運動を知らない方にもわかるようにホワイトボードで その時の用語などを解説する。 「日米安全保障条約」から始まって、 「アジト」や「オルグる」まで。 そうしてほぼ3人だけの舞台が2時間10分続く! 舞台セットは何もなく俳優と音楽照明だけで直球勝負。 つかの芝居はそれを可能にする。 圧倒的なセリフの素晴らしさ。 大谷英子と神尾祐のロマンスが美しい。 そして吉田智則のまさにつかこうへいらしいセリフ回しと演技。 2月15日まで。このTRIPLE IMPACTは3月2日まで続く。 ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2015-02-13 10:24
| 舞台
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プロデュース:河村竜也(青年団)、作・演出:山田百次(劇団 野の上) ホエイとはヨーグルトの上澄みのことだそう。 さわやかなあの感じの名前とは裏腹の ブラックでドロドロした舞台だった。 プロデューサーも作・演出の方もまったく知らない方々だったのだが、 行ってみようと思うきっかけは「青年団リンク」という 名前が付けられていたから。 このブランドによってあるレベルと価値をもたらしてくれるのではないか? という期待をある種の観客はするだろう。 僕などはまさにそのある種の観客であり、 小竹向原に行かせるだけの魅力がある。 青年団の俳優さんが何人も出演しているので、 安定した演技が保障されるので俳優を見てイライラするようなことはまずない。 日本海に面した丘の上の神社 砂原稲荷。 架空の神社ということになっているがイメージとしては 昨年の夏に訪問した、出雲大社みたいなイメージ。 もちろん出雲大社は海岸から離れているのだが…。 2月の節分と初午を控えた忙しい時期、 地方の神社はどうなっていくのか?というリアルな事実などもそこに登場する。 神社を持続可能にしていけるのか? 少子化と過疎化が進んで劇中にも出て来たように、 神社の合併統合が進むのでは?と懸念は進む。 この神社も女神主さん(山村崇子)と二人の巫女、 一人は神主さんの親戚の女性であり、 もう一人は外国からアルバイトにやってきたブライアリー・ロング。 このブライアリーの存在がこのドメスティックどろどろの 地方都市に何らかの刺激を与えるような。 ある種、グローバルな視点で語るブライアリーさん。 それが日本のローカリズムの究極な場所で語られる。 とまどう地元の人々。 ブライアリーさんのセリフを聴いていると思わず笑ってしまうようなものが 続々と出てくる。 オヤジギャグも含めてべたべたのダジャレが青年団の伝統を感じる。 トイレ借りトイレ、とか 布団がふっとんだ!的なダジャレ。 ある種の人が聴いたら激怒しそうなこうしたセリフを語る俳優たち。 かなり高度な技が必要だと見ていて思った。 話をすべらせるのにどうしたらいいのか?ということを考えた。 滑りっぱなしだといけなくて、 滑った後の関係をどう構築していくのかが問われるのだ。 また、ここにはいろんな神事などで使われた心のこもったものを 捨てられない人たちがある業者に依頼して この神社の敷地内に保管するという商売をやっている。 お稲荷さんのキツネなどを預かり、お布施をもらって保管するのだ。 こうした、ある種いかがわしい商売ってあるのだろうか? また、善意の塊でもある大量の千羽鶴を廃棄して欲しいなどの依頼も入る。 この舞台、松井周のサンプルの初期の作風にとても良く似ている。 人のなんだかどろどろした気持ち悪いものと共存していかなければならない 地方というものが描かれている。 で、僕が思ったのは何故、作・演出の山田さんは こうしたものを書きたかったのか?やりたかったのか?ということ。 それが聴けるとこの舞台を理解する一助になるのかな?とも思った。 どうでしょう? 2月16日まで。 ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2015-02-12 12:55
| 舞台
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この女体シェイクスピアシリーズも7作目。 そして7作目がこれまでの中で一番怖くえぐく美しい舞台だった。 十数人の女優さんが出ていたこともあったが、今回は厳選の7名。 七人の侍であり荒野の7人である。 リチャード三世を演じるのは安藤聖。 僕はこの女優さんが好きで応援している。 生まれつき手足の不自由なリチャードがどんどんと出世していき、 他人を信じられないリチャードは次々と身近なものを殺していくのだ。 親にも見捨てられていたリチャードは、 親の愛を一身に受けていないがために、 そんな性格になってしまったのだろうか? 安藤の言い方がさらに怖さを増す。 男の子を想起させる安藤の風貌と発声。 その少年みたいな子がなぜこんなにむごいことを平気でやるのか? 最近日本でもお年寄りや子供を平気で殺してしまっている 大学生や20代前半の若者の事件が相次いでいるが、まさにそんな感じ。 悪漢小説を読むようにリチャードはどんどんと過激になっていく。 現在の世界でもこうした事例はあるだろう。 権力をどのように扱うのかが指導者には問われる。 その使い方がリチャードのように独裁的であれば 住民や家来、臣民、側近など誰もついていかないだろう。 最後にはリチャードはその圧倒的な孤独の中で死ぬことになる。 シェイクスピアのこの舞台はそれをストレートに描く。 中屋敷法仁(脚色・演出)はこの原作から 怖くて酷いというエッセンスを中心に取り出してわかりやすく 再構成してくれている。 女優たちは全員黒のドレスを身にまとい、 まるでここは銀座のフォーマルなクラブか?というような感じ。 でもあの時代のこうした王族階級の人たちって そんな洋服をいつも着ていたのだろう。 それをこの女体シリーズではドレスに置き換え、 女優さんたちのセクシーな身体を感じられる。 ハイヒールに網タイツ、レースの黒いドレス。 大きく背中が空いたり、二の腕が露出したりしている。 そのセクシーな女たちが相手を激しい言葉で罵倒し呪う。 M的な要素がある人はそれだけでもそそられてしまうのでは? そんな要素を持った舞台。 他に内田亜希子、岡田あがさ、七味まゆみ、葉丸あすか、 深谷由梨香、八坂沙織。2月17日まで、その後大阪、大垣公演がある。 ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2015-02-12 08:12
| 舞台
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京都、西陣出身の入江さんが描く京都人のこと。 「イケズ」というキーワードで京都で暮らして生きて行くという現実が語られる。 そして入江さんがこれを本書で語ることができるのも 入江さんが現在、京都を離れてロンドンで暮らしているからではないかな?とも思った。 そもそも、内部にいる人が、内部の人のことに関して 取り立てていうことはあまりないのでは? 京都では 外からいろんな人がやってきてなんやかんややっても、 自分たちが生きていけるようにするための 処世術が生まれたのだろう。 そういう意味のことが本書を読むと良くわかるのだが、 入江さんは京都の人らしく 京都言葉でやんわりとおもろいことを言うように筆写する。 僕自身、大阪と京都のあいだの田園地帯の 高槻にしばらく住んで大阪ことばをしゃべっていたので、 この入江さんの語り口はむっちゃリラックスできる。 関西弁のええところは自分がいっちゃんリラックスできることやな!? ということがよーくわかりました。 入江さんの書く「イケズ」を引用する。 京都でお豆腐を買う時のやりとり。豆腐でどんな料理にしたいのか? を聴くところから。 「木綿豆腐ちょうだい」 「白和えにでもしはんのん?」 「ううん、冷奴」 「白うて四角いだけでええんやったら石鹸でも食べときよし。 そら、木綿にしたかて泡吹いて倒れることはないけどな」 「ほな、せっかくやし木綿は洗濯するときにでも取っといて 今日は絹ごしもろてくわ」 最初、読んでほんまにこんな会話しているんやろか? と思いながらも、落語の会話みたいやなと同時に思ったことも確か。 これって、喋り言葉やなああ!と声に出すのを想像してみた。 よーく、見てみると豆腐屋さんはこのお客さんのためを思って 「冷奴」やったら絹ごしがええよ!と言うてくれている。 これが「イケズ」の本質なんやと「イケズ」というものの 持っている価値観がガラガラと崩れていったのでした。 また、京都人の相手のことを受けて まず「そやねえ」というくだりもむっちゃおもろかった。 最後にロンドン在住の入江さん訳を! シェイクスピアの 「to be or not to be that is the question」 という「ハムレット」の名セリフがあるが、 入江さん的な京都弁訳やと。 「どないしょー、どないしょうかなあ。・・・・どないしょォ?」 やそうです。 どうですか?京都のイケズ言葉の豊かさが伝わって来ましたか? ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2015-02-07 08:11
| 読書
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