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太宰治作品をモチーフにした演劇第13回。 毎年、太宰治の命日である桜桃忌のある6月に三鷹市芸術文化センターでは 「太宰治作品をモチーフにした演劇」を上演している。 毎回、劇作家や劇団は変わるのだが、その試みが今回で13年目となる。 劇場の近くには太宰が眠っているお寺もあり、まさに三鷹市だからという公演である。 今回、起用されたのが「MCR」作・演出は櫻井智也。 いつも彼を見るとユースケ・サンタマリアを思い出す。 櫻井が描こうとしたのは太宰本人と太宰作品の「逆行」というもの。 この作品から、死の床にある男が妻にあずきがゆを食べたいなどのモチーフが引用されている。 「逆行」ではその時代が過去にさかのぼっていくのだが、 本作でも高校時代のお話から死の床にある現在までが描かれる。 演出的に面白いのが「オサム」(明らかに太宰治のことだろう)が二人登場するところ。 現在の死の床にいるオサム(川島潤哉)と過去の 高校時代から数年前までを演じるオサム(小野ゆたか)。 太宰治のどうしようもない性格と女に頼り甘えそしてだらしない性格、 さらには繊細で臆病な性格、しかし同時に 彼の手から生まれる文章には才能が光り輝いている。 とにかくめんどくさい奴である。 そのめんどくさい奴に女は惹かれていく。 そして女は誠心誠意、オサムを愛し、死を共にするところまでになっていく。 高校時代のオサムが描かれるのだが、舞台はなぜか?現在の高校のような設定となっている。 オサムは別のBFがいる女子高生の川村(川村沙也)を授業中に大声で口説き始める。 フランス文学などを引用して理屈ぽく、しかも過剰な言葉を駆使して! この、川村沙也がいい!この女優さんを始めてみたのだが魅力的! 折り込みに活動予定が書いてあり、川村さんは 8月の松井大悟演出作品、9月の小松台東、11月の青木秀樹作品と出演が続いている。 しかも、青木の作品名は「僕たちが好きだった川村沙也『ゆっくり回る菊池』」となっている! 川村は最初オサムのことを無視していたのだが…。 どうしようもなさと女が好きになる太宰とのドキドキする関係が交錯して独特な空気を作っていく。 三鷹市のこのホールはかなり大きなホールなのだが 公演毎に自由にレイアウトを変更して客席のレイアウトも変えていく。 そうすると、小劇場的な感覚となり客席と舞台が近くなる。 しかも客席は余裕をもって椅子が配置されているので、 ゆったりとした客席で見る、親密な小劇場演劇を見ることのできるという 独特で快適な空間が生まれるのである。 1時間35分。 笑いながら、同時に オサムのどうしようもなく女々しくてネガティブないやああな感じを見ながら 舞台は進んでいく。 多くを説明しない櫻井の戯曲と演出がいい! あのシーンはどういう意味だったのか?と反芻しながら 観客は三鷹の駅に向かうことができるだろう。 オサムの妻役で後藤飛鳥(五反田団)が出ている。 久しぶりに見た、後藤の折れそうな華奢な身体から流れる涙が印象的。 6月30日まで。 ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2016-06-29 07:49
| 舞台
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作:綾門優季、演出:徳地弘基。上演時間60分。出演、新田佑梨、鶴田理沙、坂倉花奈。 もともと、一人芝居用に綾門が書いたものを、徳地演出で3人の女優が演じるようにしたらしい。 最初、そんなことをまったく知らない状態で見た。 見ていて、これって同じ人の話じゃないの?とセリフがつながっていく様を見ていて思いながらも、 どうもよくわからない。これは幻想なのか、夢なのか?と思いながら見ていて、 そのまま舞台が終わってしまった。 アフタートークで作家の綾門が実はこれは一人芝居用に作った、 とおっしゃっていたのを聞いて、納得。 ある不眠症になって一睡もできなくなった女の話。 心療内科で睡眠薬を処方されるのだが, 薬を飲むと眠くなるのに眠れないという最悪の状態になり 睡眠薬をゴミ箱に放り投げ、この不眠とどうやってつきあうのかを考えもんもんとする。 それならば朝まで男とセックスをすればいい、と思い至るようになり、 毎晩、複数の男と関係を持つようになる。 それでも女の不眠症は治らない。 そして、女がセックスした相手はその日からまったく眠れなくなるのである。 まるで性病に感染するかのように不眠症が感染していくのだ。 女は乱交パーティなどにも出かけるようになり、 そこでまた多くの女性たちも不眠症になっていく。 乱交好きの人がどれくらいいるのかわからないが、 性行をするごとに不眠の人たちが爆発的に拡がっていくのだ。 奇妙な話ではあるのだが、お話自体は面白い。 こんな話なら赤裸々なシーンがあるのか?と思うのだが、 そこは言葉だけが浮遊し身体的な行動は何も変わらない。 その言葉だけでどれくらいこの物語を聞かせ見せていくのか?の手腕が問われてくる。 徳地の演出はあくまでシャープ。硬質な翻訳劇を見ているような感覚に襲われる。 サラケインの戯曲の舞台のように。サラケインは本人の独白な感覚が強かったが、 綾門は完全なフィクションとしてこれを創作したところが大きな違いではある。 サウンドデザインがいい。コーヒーミルの音や環境音などがミックスされ繰り返される。 その独特な音場の中、3人の女優たちの美しく通る声が聞こえてくる。 綾門が、まさかの寝落ちしそうな舞台だった!とアフタートークで語っていたが、 耳に心地よい空間が劇場内に拡がったのである。 能楽も眠たくなるというのは、同様の心地よさからくるものらしい。 不眠の題材を扱っている舞台で眠たくなるというこの不可解な舞台は、 同時上演している「止まらない子供たちが轢かれてゆく」とともに7月2日まで。 その後、京都、仙台。 ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2016-06-27 08:27
| 舞台
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平田オリザ最新作、初日観劇。この日の朝日新聞夕刊にも公演の記事が出ていた。 これから7月11日まで吉祥寺での公演が続く。 平田オリザの仕事量はものすごい。 ほぼ毎週、青年団HPで「主宰者からの定期便」というのが掲載されているのだが、 それを読むと、活動量が半端ない。 これを平田さんは大学生のころから30数年以上続けておられる。 実際の様子は、想田和弘のドキュメンタリー映画「演劇1,2」を見ると良くわかる。 その平田オリザが、自ら主宰する劇団「青年団」に8年ぶりに書き下ろした作品。 出演俳優は20人!これらがすべて「青年団」の俳優である。 この劇団の層の厚さがわかる。本作でも20代から60代後半までの俳優が揃っている。 舞台は、谷田貝(やたがい)?という地方都市。 そこに、困った人たちを無償で助け手を差し伸べる「NPO」がある。 もともと、子育て支援やこども食堂から始まった 地域密着のコミュニティーサポートセンターとでも言う場所。 女性二人ではじめ、いまや市の職員が出向でともに働くような半官半民の施設となっている。 舞台はそのNPOの運営するコミュニティセンターのロビーである。 地域のヴォランティアスタッフの方が集まり、世間話をしている。 そこにいろんな事情を抱えた人たちがやってくる。 DVに悩まされる夫婦。コミュニケーション障害のある女性。 一流商社を辞めて地元に戻ってきて新たな仕事を探している若い夫婦とその父親。 などなど。スタッフもいくつかの課題を抱えながらNPOを何とか運営している。 市はこのNPOを自ら運営するのが一番いいのだろうが、 いまは半ば民間委託するような形で運営をしている。限 りある財政では民間委託という形で NPOにリスクを取ってもらった方がいいというのが現状なのだろうか? さらに縦割り行政なので、市民のいろんな困りごとを一手に引き受けるようなことが 現実的な運営の面で難しいという仕組みの問題も見えてくる。 さらには、スタッフの流出や個人間の様々な想いなどが交錯していく。 そこに、NPOの立ち上げメンバーの夫が警察に逮捕される事件が起きた。 そうした問題が、このロビーで交わされる世間話から見えてくるのである。 決してこの場では劇的でドラマチックなことは起こらない。 これが平田さんの舞台での基本である。劇的なことは舞台の外で起きている。 観客はそれを想像し考え、一緒に舞台を創り上げていく。 観客の想像力を信頼しきった作劇方法に平田さんはこだわり続ける。 観客はそれに刺激され舞台を見て笑いながらもいろんなことを考える。 そういう舞台。 現在を描いた演劇なので、交わされる会話が自分事となってやってくる。 平田オリザは、ここは寅さんの映画に出てくる「とらや」みたいなものですよ! と高橋源一郎とのアフタートークで話されていた。 確かにヴォランティアスタッフとしてやってくる人生のベテランの人々 志賀廣太郎、山内健司、松田弘子などの世間話を聞いていると まさに「とらや」で交わされている世間話みたいだった。 そして、会話を通してその裏側にあるいろんな事情を、 笑いながらも観客は想像する。 後半に従ってその感情が加速していく。 様々な家族の事情を鑑みて、笑っていたのになぜだか泣けてくるのだ。 エリート商社マンだった男がMBAを取得し、海外赴任をし活躍していたのに、 その会社を辞めて故郷に戻り、新たな仕事を探している。 心配する義理の父と妻。彼はこの町で新たな仕事に就くのか? 舞台のロビーの奥に相談室という完全防音になった会議室のようなものが三つある。 そこで交わされている言葉は聞こえてこない。 そしてその結末も・・・。 結末は観客が考え想像するものであるというメッセージが伝わってくる。 ただわかりやすいだけの演劇ではなく、そうではない 複雑であいまいなものを描くことが 「芸術」と呼ばれるものの持つ一つの使命なのかも知れない。 それを提示された観客が考え感じることによって、 はじめてその人の舞台が完成する。上演時間2時間。 この日、高橋源一郎さんと平田さんとのアフタートークで、 平田さんが今度、高橋さんの原作「日本文学盛衰史」をもとに戯曲を書き下ろし 再来年、上演されるという劇的な発表があった。おおおお! ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2016-06-24 09:22
| 舞台
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ウェルメイドでハッピーエンドな世界を描いたものが最近少ないなあ!と思っていたが、 本作を見て久しぶりにああ、これこれ!という幸せな気持ちになる舞台に出会えることができました。 作・演出:鈴木聡。 鈴木さんが、ラッパ屋でお書きになっていることは何も変わらないのだろう。 世の中が変わってディストピアを描いたものや露悪的なもの、 社会の矛盾や不公平を描いたものが相対的に増加している。 それは、それで悪くないのだが、時々こうした舞台を見ると、 やはり多くの人に薦めたくなる。 見ていい気持で劇場を出ることができる素敵な舞台を今回も鈴木聡は作り上げた。 客演として円から演出もする女優の谷川清美 そしてカムカムミニキーナの松村武。 松村さんは前回に続いての客演。ラッパ屋の舞台に欠かせない とぼけた笑いを作ることのできる俳優である。 一緒に舞台を見たMさんが伊東四朗に思えて仕方がなかった、とおっしゃっていたが、 まさにそうした怪優コメディアンぶりを発揮していた。 しかも、声の感じが確かに伊東四朗に似ているのだ。 筋書ナシコこと「ナシコ」(岩橋道子)は42歳のフリーライター。 ある出版社のパーティにやってきた。女友達で同じライター仲間である 46歳の谷川清美とともに。 ある商業ビルの広場のようになった場所。 上手には出版社のパーティ会場に続く入口、 そして上手の階段を上がると別のパーティスペースがある。 真ん中よりやや上手寄りに外に抜ける通路があり、 下手には別の店がその隣はアジアエスニックレストランとバーみたいなものがある。 5つの店舗から出てトイレに行ったり休憩したり待ち合わせをするスペースが本作の舞台である。 舞台真ん中には大きな風見鶏のオブジェがあり室内なのに自動で動いている。 出版社は最近の出版不況で芳しくなく、資金調達も苦しく存続の危機となっている。 そんな大変なときだからこそ、お世話になっている人たちをお呼びしてパーティを開き、 会社はまだまだ健在だというところを見せたいと 友人であり創業者である二人(俵木藤汰・木村靖司)は考えた。 そして、同時に資金を出してくれる資産家の人に二人が別のルートで 別の方にアプローチして何とか乗り切ろうとしているというぎりぎりの状況でもある。 ナシコは24歳の年下のイケメン彼氏がいるのだが、この日大変な局面を迎える。 そんな中、パーティは進み人生の岐路に立った人たちがここに集まる。 鈴木さんの脚本には、こうした状況でも困難さをやり過ごさずに 立ち向かう勇気を持った普通の人たちがいつも登場する。 そうした人たちを見て私たちは励まされ勇気をもらう。 本当に大切なことは何なのか?というメッセージを秘めつつ、 シチュエーションコメディというカタチを取って観客は笑いながら涙を流す。 本作はまるで50年代のウェルメイドな米国映画のようでもある。 特に、音楽の使い方も品がよくしゃれたロマンチックコメディが完成した。 26日まで。土日の昼公演以外はまだチケットがあるそうです。 ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2016-06-21 08:10
| 舞台
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王子小劇場に「花まる学習会」という名前が付いた。 これはいわばネーミングライツというものだろうか? 「CCレモンシアター」や「味の素スタジアム」と同様なのか? 今日、劇場に行って気が付いた。 子供の創造性を伸ばすという意味で演劇はとてもいい! そんな志から生まれたのか? そういえば、今回の柿喰う客フェスティバルでも こども向けの公演を土日の午前11時から行っている。題名は「へんてこレストラン」というもの。 本作は大人向けの公演 「フランダースの犬」を知らない日本人はほとんどいないのではないか? それくらい強力なアニメコンテンツである。 ベルギーのフランダース地方で育ったネロと愛犬であり唯一の友人であった パトラッシュの生活と悲劇が描かれる。 ラストシーンがあまりにも有名。村の教会にやってきたネロとパトラッシュ、 栄養失調なのか病気なのか? パトラッシュが先に息絶え、そしてネロも「なんか、ねむたいよう」などという言葉を残して、 ほんと、眠るように天国へ登っていく。 教会の十字架のあたりから何人かの聖天使が降臨し ネロとパトラッシュを天国に連れていくのだった。 誰とも戦わなかった二人、そして何の不満や不平を口に出さず死んでいく二人に 私たちは共感し多くの感動を共有した。そんな、物語。 本作を書き下ろした中屋敷法人は当時19歳!その19歳の時にこうした成熟した戯曲が 書けることに驚いた。そもそも、本作は高校の演劇部向けに書かれたものらしく、 青森(中屋敷の出身県)や宮城の高校などで女子高生たちがドイツ軍兵士の役を演じたらしい。 ずいぶん前に、本作は金沢?で上演されたとアフタートークで聞いた。 その時は3人だけの俳優で演じていたらしい。 今回は男優8人が登場して本作を演じる。ドイツ軍のお話である。 第1次世界大戦前の士官学校?から始まり、サラエボ事件が起き、大戦が始まり、 西部戦線にドイツは軍隊を送り込む。あの「西部戦線異状なし」の西部戦線である。 そこでドイツ軍はフランス軍と戦う、遠くにはイギリス軍やオランダ軍がにらみを利かす。 そこに向かって進撃する上官と部下。同じ隊にいる同期。 まるでネロとパトラッシュのようである。 また、みていてこの二人の関係(ヒュンケル=牧田哲也、バラック=田中穂先)が 鎌田行進曲の銀ちゃんとヤスの関係にも見えて来る。 圧倒的に主人に尽くそうとする男の悲哀が共感を誘う。 私たちはそういう物語が好きなのかもしれない。 無私の気持ちで敬する人にすべてを捧げる。 この二人は、ドイツ軍の意向で最前線へと送られるのだった。 そうして、彼らの人生は「フランダースの犬」とつながっていき「フランダースの負け犬」となる。 しかし、中屋敷は「負け犬」でいいじゃないか!と伝えているように思えてならなかった。 組織や国家の論理で命が失われていくことの滑稽さが柿喰う客らしく描かれる。 中屋敷19歳で描いた反戦の舞台である。 それから10年が過ぎて俳優たちが成熟し、演出が成熟した。 柿喰う客の初期に書かれた戯曲の魅力が満載のフェスティバルは26日まで続く。 上演時間90分。 ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2016-06-17 08:08
| 舞台
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ETVの「0655」という番組に「たなくじ」というコーナーがある。 毎週、月曜日の朝に爆笑問題の田中が持ったボードを撮影すると、 その週の運勢がわかるというもの。 この日は「継続は大吉」というくじが出た。 何を言いたいのか、というと。シベリア少女鉄道の公演が今回で27回目! となるなんと2000年から始まった「シベ少」が今年でもう16年目を迎えたということ。 一時期、毎回のように見ていたのだが、しばらく見ない時期が続いてしまった。 今回、久しぶりにある方のFBの投稿を見て、見に行くのを後押しされた! 作・演出は土屋亮一。彼の独特な劇世界?とでもいうのだろうか? 仕掛け満載の世界は今も延々と続けられているのだ!ということがよーくわかった。 そして、そのたくらみが成熟していることを発見できたのが今回の収穫である。 ものを創造する人たちすべてに一度この体験をしてほしい。 自分たちの作っているコンテンツとは、そもそもどういうことなのか? ということを、批評性をもって見ることができるようになるのでは? そんな舞台なのである。 俳優の中には、篠塚茜などのいつものメンバーなども居る。 新たなキャストも参加して、土屋が考える独特な劇世界が表出するのだ。 「シベ少」の劇評は書くのがとても難しい。 というのも、あるポイントを書くと必ず大きなネタバレとなり、 そのネタのどんでん返し自体が「シベ少」の持つ持ち味だからなのである。 話が変わるが、中学の同級生で田中君というのが居た。(爆笑問題の田中とは別人) 田中君は映画「大脱走」の大ファンだった。 僕たちも田中君に影響されて「大脱走」のTV放送があると必ず見ていた。 田中君は当時、TVのスピーカーの前に録音機をおいて 「大脱走」の音声を録音し、ついに完コピをするに至った。 田中君はいつも「大脱走」のセリフを声色も変えて僕たちに語ってくれた。 もちろん「日本語吹き替え版」である。 洋画の「日本語吹き替え版」のあの独特な語り口を僕たちは面白がり、 田中君の語る「大脱走」の真似をして遊んだ。 この文化が日本ではある種の記号として私たちの脳内に刻まれる。 それは、どのコンテンツにもある文脈と言っていいのか?表象文化と言うのか? 日本の刑事ものにある独特な世界観、ラブコメの世界観、任侠ものの世界観、などなど。 私たちは多くのコンテンツを見たり聞いたりすることによって その特徴的な世界観を獲得することになる。 でも、それって本当にそうなの? と土屋亮一は本作を通じて問いかけているように思えてならなかった。 もしかしたら本作は、ものすごく批評性の高い作品なのかもしれない。 土屋さんは無意識にそれを面白がり作品にしただけなのかもしれないが、 多くの創作者を刺激することは確か! ここまで読んで、何を言っているのか?まったくわからないかもしれませんが、 この舞台を見ると、確実に納得できると思うのですがいかがでしょうか? 6月19日まで。上演時間1時間15分。 ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2016-06-14 11:44
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感動の傑作!歌舞伎は難しいものだという先入観が完全に逆転する。 劇的・ドラマチックな世界が描かれる。 木ノ下歌舞伎が毎回、伝統を、古典を、現代に接続するという試みが こうして毎回成功し続けていることに驚く。 補綴、木ノ下裕一のチカラ! そして、今回演出したのは東京デスロックの多田淳之介! 多田の演出らしくミラーボールが舞台の上に設置され、 そしてワイヤレスマイクが登場する。 歌舞伎の物語の持っている構造を極限まで突き詰め、 その中のまさに骨の部分だけを抽出して、 そこから多田が演出で肉付けをしていく。 現代口語演劇的なセリフ回しと歌舞伎の独特な見得を切るようなセリフ回しが混在し、 そのメリハリのつけ方のバランスがいい。 そして、本作で特筆すべきはサウンドデザインが完璧になされているということ。 まず、選曲が素晴らしい。私の個人的に大好きな曲がこれでもかと流され、 そしてその曲をどうしたアレンジされたもので聞かせるか?といったセンスが秀逸。 その曲とワイヤレスマイクを通した俳優の語りやセリフと さらに時にはそこに別の曲がかぶさり、そして効果音が重ねられる。 こうした複雑なサウンドデザインをされた構成の中に生の太鼓なども加えられ、 その音が完璧にコントロールされているのではないか? 源平の戦いで逃亡した平家の人たち、そして鎌倉に幕府を開いた源頼朝に拒否され、 行き場を失った源義経と弁慶などのその家来たち。 義経たちは鎌倉に入れず、仕方なく九州の地を目指すのだが あいにくの悪天候でやってきたのが現在の尼崎にある船宿の「渡海屋」。 そこの主人銀平は何と平知盛であり、そこにはミカドである少女と ミカドの乳母が住んでいた! そうして、銀平は義経たちに対して復讐を考えるのだが…。 劇場で配られる折り込みの中にこうしたあらすじと人物関係表が描かれているので それを読んでから見ると歌舞伎をまったく見たこともない人も すんなりとこの劇世界に入っていけるだろう。 そこからはエンディングまで一気呵成に物語が駆け抜けるので 私たちはただその流れに身を任せているだけで、ココロをかき乱され、 ウルウルとした気持ちが沸き起こってくる!そんな舞台です。 ミカドの役を演じた女優の立蔵葉子の姿がいい。 こどもらしさとミカドとしての気丈さを併せ持った役を 活き活きと演じている。 そして、これはある意味、徹底的な反戦を描いた物語であるのだなということが 強烈なメッセージとして伝わってくる。 源平の時代から延々と行われている人間たちの戦いの連鎖は現在も続いている。 そのことに対して自覚して覚醒させることを、芸術家たちはこうした作品を通して やり続け世界が少しでも変わることを願っているのだろう! それはミュージシャンも歌舞伎の作者も現代演劇の演出家も同様などのだろう。 都知事の舛添さんが毎日のようにテレビに登場しているときに、 その東京都が運営している東京芸術劇場で このような芸術家からの強いメッセージを いただけるなんて。 必見の一作では!?12日まで。 ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2016-06-11 07:37
| 舞台
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屠畜場にある研磨室が舞台の一幕場劇。 研磨室をここで働く職人たちは休憩室として使っている。 ベルトコンベアー方式で食肉を解体していく本棟とは別に、 すべて手作業で解体していく別棟がある。 ここでは種豚やブランド豚やけがをしたりした病畜などを ゼロから手作業で解体していく。 手間がかかり高い技術が要求される。 場所は関東近郊という設定。 近所に住む33歳の男性、沢村(村上誠基)と大阪からやってきた ベテランの屠畜職人の玄田さん(緒方晋:The Stone Age)の二人が この別棟で作業をしている。 休憩室では沢村はインスタント焼きそばを食べ、 玄田さんはおにぎりとヨーグルトなどを買ってきて食べる。 玄田さん役の緒方さんがリリーフランキーにすごく似ていると思った。 関西弁を話すリリーさんか??? 沢村は33歳にして妻がおり小学生になるこどもがいる。 いわゆる守るものがあり何としてでも働いて家族を養わなければならないという立場。 そして、リリーさんこと玄田さんは腕のいいベテラン職人なのだが、 大阪でなにかわけがあり上京してきた。 この加工場に来たのは沢村よりも最近のこと。 劇作は横山拓也。 丁寧に屠畜場のリサーチなどをされたのだろうか? セリフのディテイルに、そうなっているんかあ!?と初めて聞く言葉がたくさん。 フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー映画で「肉」というのがあり、 それがまさに食肉加工場の工程を丁寧に記録した映画だった。 そうした映像の記録を思い出しながら舞台を見る。 休憩室が舞台なので実際の屠畜のシーンはセリフで語られるだけなのだが、 それを聞いて観客は加工場の中を想像しながら舞台を見る。 そんな二人の休憩所に伊舞(福谷圭祐:匿名劇場)という若者がやってくる。 30歳になってやっと働きだした青年。 大学卒業後ずーっとニートとして暮らしていたのだが、 親の勧めもありようやく働き始める決心をした。 社長のお供の運転手で来たこの青年は 会議が終わるまで待っていて欲しいということで、この休憩室に迷い込んで来たのだった。 本棟では、BSE対策として牛の延髄の全頭抜き取り検査をするのだが、 その延髄が紛失したといって騒ぎになっている。 延髄の検査のできない牛は出荷できず、その代金は この食肉加工センターが負担しなければいけないらしい。 そこから、騒動がどんどんと広がっていき、それを見ている伊舞さんは…? 命を食べて生きていくという人間の宿命を考える作品である。 それは簡単なものではない、・・・ので読後感は重い。 その重さを感じられるのも、演劇体験の素晴らしいところ。 そうして食肉などのことを考え続けることになるのだろうな!と思う。 立場の違う三人が同じ場所に集まることによって葛藤が生まれる。 その葛藤を解消することが容易にできないんだということを痛感する舞台だった。 世界は複雑で矛盾に満ちている。きれいごとだけで語ることはできない。 ひりひりとした緊張感に包まれ、それが後半からエンディングまで持続する。 第15回日本劇作家協会新人戯曲賞受賞作。上演時間1時間45分。12日まで。 ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2016-06-10 07:57
| 舞台
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柿喰う客フェスティバルと題して「王子小劇場」を1か月近く占拠して、 柿喰う客の初期作品を5本まとめて上演するというスペシャル企画が行われている。 その中の「露出狂」(上演時間約90分)を観劇。 女性ばかりが出る、ある女子高サッカー部を舞台にした青春ドラマである。 作・演出の中屋敷法人が若き頃に書いた作品。 若い頃のエネルギーと瑞々しさが爆発している。 女子高サッカー部の数年間の変遷がここに描かれている。 最初は4人と1人のマネージャーから始まったこの女子サッカー部。 数年経ってなんと全国制覇をするのだが、 それまでの経緯が語られる。 女子高ならではのガールズラブ?というのか、同性愛的な世界が描かれる。 セクシュアルな表現がいくつも登場し、十数名の女優たちは 制服姿で舞台を駆け回る。 初演を見ていないのだが、キャストが変わってはいるが 同様のテイストだったとアフタートークの質問を聞いて知る。 独特のエネルギーが充満しているのが柿食う客の最大の特徴! 大音量のリズムに合わせて身体を揺らしながら舞台から客席に向かって語り掛ける。 ナチュラルな演技とは真逆のデフォルメされたもの。 まるでアニメーションや漫画の世界のようである。 最初にサッカー部にいた四天王は練習が終わると、 毎度、カラオケボックスに行ってカラオケは歌わずに乱交をする。 身体を許しあってココロを開き一心同体となって サッカー部のメンバーとしてやっていく。 これはこうした時期に起きるある種の熱病のようなもの? それを青春と呼ぶのだろうか? 柿食う客のベテラン女優である、七味まゆみと葉丸あすか、 そして新人劇団員である、長尾友里花と福井夏がその四天王を演じた。 福井夏のキャラがいい、今年高校を卒業して大学1年生だそう。 独特のキャラが際立つ。まるでアニメのキャラのような女の子、 そして独特の幼児性と残酷性を併せ持つ繊細な役が 彼女の様子にぴったりだった。 折り込みに書かれていた、福井夏の言葉を紹介する。 「正直、どうしてじぶんがここに存在しているのかなぞです。 でも、なぜか、わたしのことを求めてくれるひとがいるみたいです。」 彼女の個性を認め伸ばしていきたいと創作者の気持ちを刺激する何かを 彼女は持っているのだろう。 愛と友情とスポーツとセックスとどろどろの人間関係とそして激情が交錯した 14人の女優だけが演じるエネルギッシュな舞台である。 この柿喰う客フェスティバルは6月26日まで続く。 ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2016-06-09 08:05
| 舞台
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帯には「演劇を活用した授業が『新しい学力』を育てる」とある。 現行の知識偏重型の教育システムから、新たな創造性を高めていく教育への 移行が叫ばれている。 大学入試改革として、多様な人材と多様な価値を持った才能を入学させようという 試みが始まりつつある。 いままでの筆記試験だけではなく、 もっと総合的にその人を判断し、大学に入学させる仕組みを作るらしい。 コミュニケーション能力が高く、自ら問題を見つけ解決策を探し出しチームを組んで実行する。 そんな人がこれからの社会には求められるようになる。 そうして、そうした人材を育成することによって国力が自然と上がり 新たな活力が生み出されえるようになる。 そのためには、初等中等教育も変わっていかなければならない。 では、どうしたらいいのか?ということの解法がここには詳細に書かれている。 蓮行さんは関西を中心とするプロの演劇集団を率いている劇作家であり演出家である。 劇団「衛星」代表。そして青年団主宰の平田オリザさん。 二人の共通点は大阪大学で教えてらっしゃるということ。 そして、小学生や中学生、高校生に向けて演劇という手法を使った 教育実践を長年にわたって何度も行われているということ。 彼らの行ってきた過去の知見が本書では開示されており、 これからの教育を考えるうえで大いに参考になる。 知識を詰め込むことは今後必要がなくなる。 いかに検索するかの知恵を働かせることが大切。 そして、誰にどのようにお願いするのか?ということも大切になる。 プロジェクト毎にメンバーを集め、その座組でプロジェクトを進行していくというような技術である。 これは社会人になると必然的に行うことになるのだが、 そうしたことを子供の時から演劇教育などを通じて育てていくことが これからの社会にとってとっても大切なことなのではと 本書を読んで確信するに至った。 誰にお願いするのか?というのを本書では「発注力」という言葉が使われている。 これって私たちの業界では「プロデュース力」と言い換えてもいいのかな?と思った。 こうした「チカラ」が教育現場の先生にも、今後求められてくる資質である。 教えるのがうまいだけの先生から、子どもの潜在能力を見出し、 子どもたちが自ら学び始めるという環境を作っていき ファシリテートしていくことがこれからの新しい教師像となるのでは? 演劇を自分たちで作ってみるというような教育は創造的で とてもクリエイティブな行為であり、それを全国で教える仕組みの開発が重要になる。 そのための実践書として本書はとてもいいのではないだろうか? すべての学校図書室に本書が置かれ、多くの先生が読まれることを願います。 また、途中で鼎談の部分があるのだが、そこに登場している青山学院大学の 苅宿俊文先生のお話もとても面白かった。2016年2月発行。 ![]() ![]() ![]() ▲
by haruharuyama
| 2016-06-07 07:42
| 読書
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