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「イノセントピープル」CoRich舞台芸術!プロデュース・名作リメイク(@池袋芸術劇場シアターウェスト) 3月11日のアカデミー賞で作品賞監督賞などを「オッペンハイマー」が受賞した。日本の公開は3月29日から。「バービー」と同じような時期に公開が決まっていたのだが「バーベンハイマー」などというネーミングでバービーの髪型をキノコ雲の形にした写真が米国発で流布し、世間的に「不謹慎にもほどがある」ということで日本での公開がペンディングになった。配給会社としてGAGAが手を挙げてようやく公開が決まった。その公開の前のタイミングでこの舞台を見られたことには何か自分にとっては縁があると感じざるを得ない体験だった。原子力の平和利用、そしてその対極には大量破壊兵器としての利用も存在する。私たちが生きているというだけで生じる「悪人正機説」的な、存在するだけで資源を消費していくということは必ず起きる。 私の父親はもうずいぶん前に59歳で亡くなった。父は岡山と鳥取の県境にある人形峠という場所で国産のウラン鉱山の開発現場の鉱山管理の仕事を始めた。日本原燃公社という名前だったか?その子会社として鉱山開発の会社を設立し、そこの所長として仕事をしていた。所長と言っても現場の鉱夫の世話役みたいなこともやっており、山奥の雪深い場所に何日も泊まり込んで早朝のだるまストーブに火を入れるところから始まって、それは深夜まで続いたらしい。そして落盤事故などがあると被害に遭われた鉱夫の労災補償に奔走した。そうこうしているうちに過重労働がたたって「うつ病」を発症した。夜に眠ることが出来なくなるという不眠が最大の特徴だったらしい。当時は1960年代。まだ「うつ病」などという言葉もない時代に30代後半で父親は入院し治療するのだが当時はいい薬もなかったようで、結局会社を辞めることになった。そして、我が家は1970年に大阪に親戚のおじさんが紹介してくれた仕事をするために引っ越して来た。私が小学校2年の時の2月のことである。この年は大阪で万博博覧会が開催され。もはや戦後ではなく日本は先進国の仲間入りをしするのだ!というハードな時代。ドラマの「不適切にもほどがある」以上に、不適切なスポ根的、そして、梶原一騎的な価値観が蔓延していた時代。モーレツ社員という言葉があり、出来るだけ長時間働くことが美徳とされるような時代だった。いま冷静に思うと、これって戦前の旧日本軍の行ってきたことが実社会に援用されていたのではないだろうか?それくらい極端に働いても、より豊かに普通に生活をしたいという時代だったのかも知れない。父親はその普通の人たちのエスカレーターから病気などが原因で脱落することとなった。それが私の家のことである。父親は若い時に「未来の夢のエネルギー」とウラン鉱石のかけらを見せてくれ。そこに存在するウラン235とウラン238の元素の違いを核分裂のイラストなども使って教えてくれた。たぶん、私が小学1年生くらいのことだったのではないか? 長い長いマクラになってしまったが、本作はオッペンハイマーの舞台でもあるロスアラモスの研究所で原爆開発に従事していた科学者や作業員や医療従事者とその家族たちの1945年から2001年くらいまでにわたる60数年の物語である。 劇作は畑澤聖悟さん!青森で教員をされながら演劇活動を精力的にされている「なべげん」で知られる「渡辺源四郎商店」の公演は毎年、東京でも行われており、畑澤さんの指導されている高校演劇も全国的に有名。その畑澤さんが2010年に本作を書いたらしい!当時の公演は残念ながら見られなかった。畑澤さんは青森を舞台にした芝居などをたくさん書かれているので、そんな畑澤さんがまさかの翻訳劇のような米国の話を書かれたのに驚いた。翻訳調の台詞が海外の映画やドラマの吹き替えのようだった。 1945年に原爆が開発され、そして地上実験が行われその成功から8月6日の広島、そして8月9日の長崎に爆弾が投下された。米国の開発者や関係者はそれをどのように感じていたのか?が描かれる。人によって感じ方考え方が違う。それがそのまま描かれていて単純にしていないところがこの舞台の素晴らしいところ。複雑な現実をそのまま描き出す。多面的な視点を提示して見るものそれぞれが考えればいいよ!といい意味で放り出してくれている。それを考えるのは観客である。 米国は太平洋戦争の後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして湾岸戦争、イラク戦争と戦争を常にし続けている。それはネイティブアメリカンとの歴史にもさかのぼる。ネイティブアメリカン(この舞台ではインディアンという言葉が使われている)が住んでいた土地を収奪し反逆するものを皆殺しにする。その価値観は映画などのエンタメコンテンツで再生産され西部劇という名前で海外から植民してきた移民たちはそれを見て、その価値観に染まっていく。こうした現実からも目をそらせないで並行して描かれる。 演出は劇団チョコレートケーキの日澤雄介。彼のシャープな演出が本作にはとてもあっている。今回は大がかりなプロジェクションマッピングを使って劇場全面に映像を投影した!音響と照明とともに現実がくっきりと浮き上がって来る。俳優たちも山口馬木也を初めとしてその妻役の川田希(今回はプロデューサーもされている)娘役の川島海荷などなどが熱演する。翻訳劇的なので大げさな演技が逆に物語世界に寄り添う。まったく退屈をさせないまま終盤まで物語を引っ張ってくれる。いま見るべき傑作。 そして、観劇後「オッペンハイマー」を見ようと思った。上映時間2時間15分。3月24日まで。当日券あるようです。 #
by haruharuyama
| 2024-03-22 10:06
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「メディア/イアソン」(@世田谷パブリックシアター) 原作:「アルゴナウティカ アルゴ船物語」(アポロニオス)&「メディア」(エウリピデス) 脚本:フジノサツコ、演出:森新太郎。2本のギリシア悲劇をまとめて壮大なメディアという王女の人生を再構築して描き直そうとした意欲作。 日本は女性の社会進出の順位が120位台だと言われている。 特に政治や経済界への参画がいまだ発展途上で多くのアジア諸国よりも圧倒的な遅れをとっている。 そんな背景を鑑みてかどうだかはわからないが、 女性がギリシア時代にどのように扱われていたか?ということを現在につなげていこうとされているのではないか? また、最近、報道で自らの子をせっかんしたり冷水を浴びせて浴室に放置し、 そのまま低体温症で亡くなってしまうというような事件が何度も起きている。 何故、自分の子を殺すようなことをしてしまうのか? 多くの事例がやはり内縁の夫などが絡んでおり女性だけ単独で死なせてしまうという行動自体は 母性というものには存在しないのではないか? 人類が最初に物語が作られ、それが伝承されるようになった時代にも そのような「子殺し」の事実がある。ということは人間は過去から永劫にわたってこのような ことを繰り返して来たのだろうか? 王女メディアは何故自らの子どもたちを殺すことに至ったのか? ということなども含めて男女の関係なども含めて描かれている。 本作の描き方がある種の記号的な表現のようでもあり、 そうすることによる効果はなんだったんだろう?と今も考えている。 まるで「影絵」を思い出させるような世界観のもとでこの悲劇は描かれる。 水野貴以が演じる語り部と、三浦宏規が物語を詩のように語っていく。 水野の声の魅力に圧倒される。そして歌のうまさ! アカペラの歌が劇場内に響き渡り、リバーブのかかった彼女の声だけが 身体を通して私たちの中に届いて来て心に沁みる。 まさに舞台芸術ならではの身体感覚がここにはある。 しかし、表現は二次元的で架空の国の物語のようでもあり、 そして影絵という情報を極端に排除した状況で物語を描き出していく。 美術セット、小道具、照明、そして衣装とヘアメイクに至るまで 一貫した美意識に貫かれコントロールされたものが提示される。美しい悲劇! 井上芳雄と南沢奈央は王様と王女となって地中海の国を支配するのだが、 彼らの間には子が3人いる。水野、三浦と加茂智里の3名。 ここに井上と南沢という5人だけの舞台。 壮大な物語を5人の俳優だけで物語の骨格だけをなぞって描いていく。 水野貴以が一人で様々な役を演じていく。 森新太郎の演出はあくまでシャープ。美しいビジュアルのもと井上(イアソン)と南沢(メディア)の 愛憎が描かれる。 蜷川幸雄が亡くなった今、こうした様式を継いでいくことが 森新太郎に託されているのだろうか?それとも演劇が、あるいは観客がそれを望んでいるのか? あのビジュアルの世界は長く印象に残るだろう。
このように圧倒的な美意識に貫かれた世界観の構築と もう一方で物語をどうやって紡いでいくのか?のバランスをどのように取っていくのかが 俳優の身体も含めて問われているんだろうな、と感じた。 上演時間2時間。3月31日まで。 #
by haruharuyama
| 2024-03-21 12:47
| 舞台
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「御菓子司 亀屋権太楼」MONO第51回公演(@扇町ミュージアムキューブ CUBE 01) 作・演出:土田英生。最近は1年に1回のMONOの公演。 この劇団コンスタントに続けておられ35周年を過ぎ、上演回数が今回で51回だそう! 続けていくことの素晴らしさ。そして、続ける中で変化しより面白く、 より良くしようと続けている姿が見ていて格好いい。 この劇団は京都を中心に活動されているので 大阪に戻って来てもこうして公演が見られることがありがたい! 新生の扇町ミュージアムCUBE01での公演。天皇誕生日のマチネということで客席はほぼ満席。 今回見て思ったのが、土田さんもパンフの中で書かれていたが、 今までとは違うことをやってみようということだった。 今までのMONOはどちらかと言えば脱力系の笑いが俳優たちの台詞と間の中で 自然と生まれて来てその独特の雰囲気を楽しむものだった。 今回はその笑いの要素を受け継ぎながら物語の語り口やテーマ設定が深化している。 大きな階段を一歩上がったかのような成熟した内容だった。 舞台は土田さんの芝居でいつも登場する独特の方言がある中部地方?かどこかの架空の街。 そこの「和菓子屋」の物語。まさにその店名が今回の公演タイトルとなっている。 尾形宜久演じる次男がこの和菓子屋の社長をしている。 今の時代に合わせた正直でオープンな人間的な経営スタイル。 過去の不祥事などを明らかにして、実直に商売をする。 まさにガンバナンスやコンプライアンスが強く問われるようになった今の時代に合ったスタイルの経営をしている。 問題があれば公開し、謝罪し、それを課題として新たな経営を行う。 先日のダイハツ問題でのダイハツの動き、そして親会社のトヨタの動きなどは まさにこの和菓子屋の尾形宜久のよう。 先代の創業社長は彼の父親。父親は高齢で体調悪く入院をしている。 創業の父には長男(水沼健)がいる。あまり出来がよくないという設定で、 どこかの会社のサラリーマンをしている。 長男には娘(立川茜)が居てこの和菓子屋で働いている。 昔からこの和菓子屋で働いている菓子職人の金替康博と事務担当の奥村泰彦。 この和菓子屋が新たな商売を始めることとなった。 和菓子を中心としたカフェをこのお店の隣に作ると。 和菓子と抹茶ラテなどを出すカフェ。 その店長として立川茜の高校の卓球部の先輩でもある高橋明日香がアサインされた。 彼女の指揮の下カフェがオープンする。 カフェのアルバイトとして、和菓子屋の方で働いていた渡辺啓太がカフェを手伝うこととなった。 という設定。 ここからいろんなドラマが起きる。会社をどう切り盛りして行くか? 社員とどう接していくのか?先代の創業社長のやり方はどうだったのか? ビジネススクールなどで学んでいる人や中諸企業診断士やコンサル業のような方は これを見ていろんなことを考えるのではないか? 簡単に言うことはできないが、やはり みんながハッピーになる場所を作る、という経営者のちゃんとしたビジョンがあれば 何とかなるのではないか?といつも思う。 たとえそれが外部要因の変化などでうまく行かなくなったとしても、 そこには変な問題は起きないのではないか?と考える。 本作はこの和菓子屋の経営と人間関係と並行して、ある町の出自のことが描かれる。 その場所を出た人だけが違う目で見られるということ。 このお話が並行して描かれ。どこに生まれてくるのか?を誰も選べないことについて 深く考えさせてくれる。 そして、この物語の素晴らしいところはそれらのすべてを「包摂」(inclusion)しようとしているところ。 最近の会社での用語で言うと「アルムナイ経営」と言うのだろうか? その言葉は簡単に言うと企業の出戻り歓迎という意味ではあるが、 本作はそれ以外のもっと広い意味での「包摂」の姿が描かれていてグッとくる。 特に、奥村泰彦と金替康博の不仲から和解へのくだりは印象に残っている。 人間も会社も変わることが出来るんだ!という前提に立たれている土田さんの視線がとても暖かい。 そして、劇団員たちともMONOとして35年以上やっているという事実を踏まえても、 土田さんは、長く人と付き合っていくことをとても大切にされている方だと感じる。 それって、すごくいい人生を送られているのでは!?と感じるのは私だけでしょうか? そんな思いが無意識にこの舞台の中で複層的に描かれる。 チェーホフの「桜の園」やその他の作品の様子にも似た人間と人生への視点の普遍性がここにはあるように感じた。 チェーホフが「桜」なら、本作は「梅」でした。 MONOは、この方向を深めていかれると本当に奥深い新たな表現のステージに立つ MONOとなっていくのかも知れない。鉄塔に立つだけじゃない!(笑) 上演時間2時間。2月26日まで。まだチケットあるそうです! その後、東京「スズナリ」北九州、上田と巡回する。詳細はhttps://c-mono.com/stage/
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by haruharuyama
| 2024-02-23 18:15
| 舞台
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「相続税¥102006200」東葛スポーツ(@シアター1010稽古場1) 構成・演出/金山寿甲 出演/長井短、川﨑麻里子、名古屋愛、加藤美菜、佐々木幸子、米川幸リオン 東京出張のタイミングで1日延泊すれば本公演を見られることを谷さんから教えていただき、 チケット発売初日に予約した。昨年、第67回岸田戯曲賞を獲った金山さんの公演。(同時受賞は加藤拓也) 東葛スポーツはまったくぶれない。相変わらず北千住のこの稽古場1で同じスタイルでやり続けている。 しかしながら観客の入りが増えており、この日もかなりの立ち見の方がいらっしゃった。 でも当日見に来ても立ち見でも見られそうなのはいい! 小劇場演劇ってそもそもそういうものだったのではないか? 自由さが身上の芸術が、 システムに凌駕されてしまいがんじがらめになっている。 かくいう私もこんなことを書いているが、チケット発売初日にネット予約して 東京出張の帰阪を1日伸ばして計画通りに観劇をしている。 だらだらと行き当たりばったりで生きて行くことが許されない時代になって来ているんやろうか? と思うのだがどうですか? ま、コロナとかで興行の世界も大変なこととなったのは確か。 確実に早めに客数を確認して事前に決済を行い、キャッシュを早めに入れるようにして 運営のリスクを減らしていきたいというのはよくわかる。 しかし、しかし、東葛スポーツは予約したらそのままで 当日受付で現金3500円を払うだけ! お客さんが予約をしていて来ない!というリスクと、 チケット販売業者などの手数料の割合とどっちがいいのだろうか?などを考えるのだろうか? そうした演劇経済学はいったいどうなっているのか? 今回は、舞台でものすごくリスクのある仕掛けが行われる。 よって今回はさすがに警備の方がじーっと観客席ににらみを利かせているという状況もかなり面白い! (これは、どういうことかと言うのは見てのお楽しみ) 東葛スポーツは金山寿甲という主宰者の人生をそのまま丸ごと舞台に上げてしまうというもの。 昨年、岸田戯曲賞を受賞した「パチンコ(上)」も金山の家族のことを描いている。 金山さんのお父さんが亡くなられたらしく、その相続税が1億200万という額になるらしい! 普通の人は絶対に支払えない金額! 3代相続すると家がなくなると言われている日本の相続税の制度。 ある基準を超えた額になると税金の割合がとても高くなるらしい。 そうして昔、大きな家だったのが相続をきっかけに売りに出されたり、 あるいは、分割されて小さな家がその敷地内に新たに建てられたりしている。 いま、東京のマンションの相場が一億を超えたらしい! 億ション!と言って夢のような話やと思っていたら、東京の都心ではそれが普通になっている。 年収2000万を超えるようなパワーカップルと言われている方々がそうしたマンションを買うらしい。 そして、同時に中国や台湾の富裕層などが都心のある地区を中心にそうした物件を買っているらしい! (資産運用なのか?) これ、昨日の、テレビ東京のWBSの受け売りです! 本作もまさにその不動産がテーマ。 千葉の柏にあるらしい「おおたかの森」という場所が今回は登場する。 いつもの葛飾区も登場するのだが金町のネタはあまりなく「おおたかの森」。 あれだけ舞台で語られると行ってみたくなる。 金山家のお受験のエピソードなども含めて知ることが出来、 それらを通してある種のパンクな表現になっているのがすごい! スピーカーから大音量で音楽が流れ まるでクラブでのDJイベントのような感じの小劇場演劇はまさにオンリーワンではないか? 最近TVドラマにものすごく出演している長井短が唄う!声が伸びる。 そして、おなじみの川﨑麻里子が語る。 今回は金山さんの奥さんである佐々木幸子さんも前回だったかな?に引き続き登場している。 佐々木さんは不動産取引のために必要な宅地建物取引主任者の資格を持っている。 とにかく、こうした金山家の事象と現在の東京の事象がないまぜとなり ラップミュージックに載せてパンキッシュな言葉を吐きまくる。そんな舞台です! 立ち見覚悟で行けば見られるかも。上演時間80分なので立ち見でまったく問題ない!かな? 1月29日まで。詳細は東葛スポーツの「X」を見てください! https://twitter.com/tokatsusports チラシがないので上記のXの画像データをお借りしました。 #
by haruharuyama
| 2024-01-26 20:26
| 舞台
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「オデッサ」三谷幸喜 作・演出(@東京芸術劇場プレイハウス) 東京出張に合わせて、面白い舞台をやってないか、探してみたら 何と三谷さんの「オデッサ」の当日券が発売されていた。 前日のお昼の12時~WEBで当日引換券を予約できるというシステム。 三谷さんの朝日新聞のコラムで本作のことを書かれておりとても行きたくなった。 チケットは立見席を取ることが出来た。2時間弱の舞台なので大丈夫。 立ちっぱなしでもこの舞台の魅力を損なうものではない。 たぶん、数十人が当日券を確保して見ていたのではないか? 立見席も満席の本当に満員の観客。当日引換券を予約後、セブンイレブンで交換し、 当日劇場受付でそれを見せて、当日の立見席が書かれた場所に行って見ると言うスタイル。 通常9800円の舞台が5000円で見られるのは 私のようなほぼ無職のおっさんにとってはありがたい。 初めての三谷さんの英語が喋られる舞台。 出演されている宮澤エマさんが英語ペラペラなので彼女が英語の監修をしているという座組。 宮澤さん以外は、柿澤勇人、迫田孝也の3人だけの芝居。 テキサス州にあるオデッサと言う田舎町が舞台、 そこの大通りのモーテルの向かいにあるレストランみたいな場所が舞台となっている。 宮澤エマは地元の警察で働いている遺失物係の警部。 彼女はNYで生まれ英語しかわからない。 母親は日本人で父親はポーランド人という設定。 そこにこの街のジムでトレーナーとして働いていた柿澤が通訳として雇われる。 実は、この街でおじいさんが殺されたという容疑の殺人事件があり、 その容疑者として迫田の通訳をすることを依頼されたのだ。 迫田は鹿児島からやって来て、米国で一人旅をしているという設定。 そして迫田はまったく英語を解せないということで、急遽、柿澤にオファーがあり通訳として雇われる。 英語だけで語るという約束の部分は日本語で発話される。 迫田が加わると、宮澤と柿澤は英語で喋る。字幕が舞台の真ん中の壁に投影される。 舞台で字幕を使った作品の字幕として本作はこれまでの最高峰のエンターテインメントとなっている。 字幕演出というのがこれを見ると絶対にありやなと確信する。 そして実際、観客席もそれを楽しんでいる。 ジムジャームッシュの映画で「ダウンバイロー」という傑作映画がある。 その映画の中でイタリア人の英語が怪しい役の男性が登場するが、 彼がむちゃくちゃな英語を突然喋るのを見て大爆笑したことを今でも鮮明に覚えている。 その構造と似たようなスタイルで笑いを作り上げているという三谷さんらしい舞台。 情報がそれぞれの立場で違っており、その情報の違いが笑いを生む。 俳優たちはそれを知らないという前提で進んでいて、 観客はそれらをすべて知っているところから笑いが生まれる。 これは三谷さんの真骨頂と言えるのではないか「君となら」などのPARCOプロデュースの 傑作シリーズはまさにその構造から来るねじれが生む笑いを描いたものだった。 本作もその構造が続く。そしてさらにその構造が重層構造になっているというのが、 三谷脚本がただ単に表層的な作品で終わらないところ。 そのあたりは見てのお楽しみ。 少人数の舞台なので「笑いの大学」なども想起させる部分もあるのだが、 本作はテーマ性よりももっとエンタメにふった作品となっている。 荻野清子の生演奏がいい!演劇の生演奏は本当にいい。 1月28日まで。 その後、大阪、福岡、宮城、愛知公演がある。上演時間1時間45分。 #
by haruharuyama
| 2024-01-25 17:59
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