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「粛々と運針」iaku(@インディペンデントシアター2nd)作:横山拓也、演出:上田一軒、出演:佐々木ヤス子、中山義紘、花戸祐介、鈴鹿通儀、鄭󠄀梨花、林英世
iaku公演(あるいは横山拓也の作品)は好きでかなり見ていたつもりだったが、本公演は2回行われていたのにも関わらず行くことが出来なかった。東京公演にさきがけの大阪公演。もともと大阪をベースに活動されていた劇団のご縁を感じる。そして、毎公演、こうして関西の劇場でも上演してくれることに感謝。大阪の劇団に多くありがちな大げさで笑いがてんこ盛りのものと一線を画した作風が特徴的。あとは維新派の流れなどを汲む身体や上演場所を工夫したものも特徴のひとつではないか?そうした地域の特性に合わせた劇団や公演が拡がるといいなと思う。そのためには公共の支援などは欠かせない。なぜならこうした芸術作品は見に来る人たちにとって心をいやす場所だから。精神の疾患が2030年代になると現代人にとって最大の病気になるなどと言われている。SNSやデジタルデバイスの普及がそれに拍車をかけている。それとは真逆のこうした芸術作品に触れる機会が増えることで、そのようなリスクが軽減されひるがえっては、ここの地域や共同体の利益になるのではないか?本公演も大阪府芸術文化振興事業補助金が活用されている。 (以下、多少のネタバレありますが、読んでから見ても問題ないかと思います。) ある夫婦と兄弟の物語。二人暮らしの夫婦(中山義紘、佐々木ヤス子)は念願の新築一戸建てを建てたばかりのアラフォー世代。妻は大手企業で課長代理に38歳で昇進し課長を目指して仕事をしている。夫は学生時代にバイトをしていたファミレスにそのまま就職し、淡々と仕事をこなしている。先日夫が運転中に停止していたら、突然後ろから追突されて鞭打ち(?)になったようで大きなギブスのような固定器具を首につけている状態。 現在車は修理工場に行っており、損傷などを調べている状態。夫婦は2人暮らしでこどもが居ない。夫は事故の代償で加害者が弁済をしてくれるということでシャーシが損壊していたら新車を購入すると言われ、あこがれの2シータのスポーツタイプの車を手に入れた意図思っている。あとで登場するのだが妻は夫に、二人で暮らしていこうと思ってその生活を選ぼうとしていたのだが、妊娠したのかも知れないと夫に告げる。夫は産む方がえんとちゃう?と言い出し、妻は、今まで培ってきたキャリアをなくしたくないと夫に出産をしないで働き続けることを選択さひたいと告げる。二人の会話は関西弁。関西人の何気ない日常会話が完璧に再現されるのもiakuの素晴らしいところ。関西人が似非関西弁を喋るのを聴くときに持つ違和感はなぜなのか? そして兄弟は母親の実家に同居する兄(花戸祐介)、40代で高校時代からやっているコンビニのアルバイトをしているいわゆるフリーター。70歳を前にした母親の年金などを頼りに暮らしている。父親はずいぶん前に他界している。その母親が進行したすい臓がんと診断され入院をしてしまった。今後のことなどを話すために結婚して別の場所で暮らしている弟(鈴鹿通儀)がやって来たという設定。弟は普通の一般企業に勤めて、妻と共働きをしている。弟の夫婦にも子供がいない。母親は入院していて尊厳死をしたいと子どもたちに告げる。動揺する兄、その兄と対話する弟。金沢さんという母親のBF(?)が母に寄り添っているらしい。 ここで描かれているのは「命」に向き合いながらも、現代社会での役割をどのように演じていくか、実行していくのか?そこには自分というものがあるのか?それとも?ということを深く考えさせてくれる。平田オリザさんが良く「会話と対話は違う」ということを話される。会話は日常の何気ないもの「今日何食べる?」とか「今日は暑いね」みたいなもの。そして対話は価値観や考え方が違う人たちとその視点を共有するために語られるものであると。そして、本作は「いのち」というものに向き合わざるを得ない夫婦と兄弟がその状況で対話せざるをえなくなり本音をぶつけ合ったシーンがたくさん登場する。家族だと会話と対話が混在していて、国家間の外交などで交わされる対話とは大きく違いとてもわかりにくくなってしまうという構造がある。そのことで家族同士が、いがみ合ったり、などということも起きるだろう。家族同士の視点が違うことで、葛藤が起きるだろうことも想像できる。横山さんの戯曲はそうしたところから逃げずに切り込んでいく、そこが最大の魅力であり特徴。そこから見えてくる風景は家族のことあるいはいのちのことなのですべての生きとし生ける人にとって切実な問題。でも、多くの人たちはそれを見てみないふりをしてやりすごしたり、ただ単に時間が過ぎていくだけになってしまったりしているのではないか?しかし、ここでは彼らの立場の言葉で本音に切り込み、時にはお互いに傷つけあいながら対話を重ねていく。そのことで新たな視点が見えてくるのかもしれない。観客もそれをみながら一緒に考える。 また、視点をさらに複層的にするために舞台奥に階段がありその上に座る女性(林英世)と女の子(鄭梨花)がいる。二人は真っ白なワンピースに赤い糸のステッチが施されている衣装(衣装:はたもとようこ)をまとっている。二人はせっせとその膝の上にある真っ白な布を針と糸を使って粛々と運針をしている。ここは天国なのか?それともその境界なのか?何も語られない。時々、下界(?)の夫婦や兄弟が話しているのを見て、何か語る。その複層の視点を加えたことで本作はさらにより深く考えさせられる作品となっていったのではないか? 美術の使い方が素晴らしい。円形の大きな金属製のリングが天井からつるされている。リングはピアノ線でつられていて上下する。そのリングの外と内で世界を分けている。リングが空間であり、それを見ているとリングの円形がまるで時計のようにも思えてくる。ここで時空が描かれているのか?私たちがここにいる本質が存在する時空間がシンプルなリングの空間構成だけで表現されている演出の巧みさ。そして、見るとわかるが、ある時点でその時空が混在するシーンがあって、その本音の二家族の対話のシーンには鳥肌が立った。 (以下、割と深めのネタバレですが本作の本質のことなので敢えて記載しますが、観劇に行かれる方などはご了承ください) 自分がどのような人生を生きて行きたいのか?が選択できる時代になったという現実がある今だからこそのお話かもしれない。そして、その役割を演じることはどういうことなのか?ということ。妻の話を例に挙げると「課長代理として課長以上の仕事をしている自信がある今、2年後に本当に課長になるべく奮闘する会社員を演じる妻」一方では、子どもが出来ると「母親を演じなければいけなくなる。そのことによって自分が考える理想の母親を演じようと思って生きて行くことには自信がない」というセリフが発せられる。夫が専業主夫となればその課題は解決できるのだろうか?と観客に思わせる。倫理的な命をどのように扱うべきなのか?生きている意味ややりがい生きがいを感じないのに生きていていいのか?などの大きな課題が見えてくる。 どうしようもない難しい課題を観客はこれを観ることで突きつけられる。その体験は決してネガティブではなく、逆に心の清浄を生み出してくれているのではないだろうか?これこそがまさに舞台芸術の大きく言えば芸術作品の効用なのではないだろうか?こうした体験をするとしばらくは平穏に生きて行こうというような気になるのではないか?そして家族のことなどをもう一度、違う視点で考えてみようと思わせてくれるのではないか?そんな秀作でした!上演時間1時間35分。大阪公演30日まで。その後、東京公演、新潟公演がある。詳細は以下 https://www.iaku.jp/
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by haruharuyama
| 2026-03-29 10:29
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「退屈忍者」MONO 第53回公演(@扇町ミュージアムキューブ CUBE01)作・演出:土田英生、出演者:金替康博、水沼 健、奥村泰彦、渡辺啓太、石丸奈菜美、高橋明日香、立川 茜 毎年のMONO公演。関西と東京で確実に上演してくれる。ある種の安定感があることが54回公演と続いている理由だろう。私が最初にMONOを観たのは中野の劇場での「その鉄塔に男たちはいる」の再演だった。ちょうどOMS戯曲賞を受賞された作品ということで観劇の体験を良く覚えている。調べると中野の「ザ・ポケット」で2001年に上演されたらしい。観劇後、焼き鳥やさんに行ったことも覚えている。あれから25年が経ったのか!と感慨深い。そうして私は39歳からいままでMONOを割と頻繁に拝見させていただいている。唯一無二ともいえるMONO調の脱力系の間の長い笑いと言えばいいのか?とぼけていて、いい意味で緊張感がなく弛緩している独特の空気感がこの劇団にはある。長く一緒にやって来た劇団員たちとの歴史もあってのことだろう。昨年だったかMONOの俳優だった尾方宣久が退団し、俳優業もおやめになった記事を読んだ。iakuの「逢いにいくの、雨だけど」の客演は生涯の記憶に残るものだった。そうした逆風にくじけずに、今回は忍びをテーマにした忍者がたくさん出てくる時代劇。インバウンドの方々が忍者屋敷のイベントなどに並ばれ手裏剣投げなどをされていて、マンガなどの作品でも忍者が出てくる作品がとても多い。どのようにそれを描くのだろう?と思ったら、以下のような話。(以下公式HPより引用) 時は江戸。 大名どうしの争いはなくなり、無用になったものたちがいた。 「忍び」……現在では忍者として語られる面々だ。山里に暮らす彼らの意見は割れる。 変化を受け入れるもの、過去の栄光にしがみつくもの。それは今の私たちの姿だ。 衰退していく忍びたちの群像が奇妙な恋愛話を中心に描かれる。 MONOの真骨頂、軽妙で滋味深い会話劇をお届けします。(以上) とある。まさにここに書いてある通りなのだが。ここから見えてくるのが自分たちの社会に置き換えるといくつかの共通点が見えてくる。 1つ目は外部環境が変わることにより雇用が守られなくなるということ。そして今までの仕事が出来ないことで今までの労働者はモチベーション(やりがい)が保てなくなる。ということ。まさに、私の居たいわゆるマスコミ業界などが今やオールドメディアと言われ外部環境が変わっているのに制作スタイルは変わらずとても非効率的な魅力のない業界と思われる時代となってきた。生成AI時代になって、さらにそうした雇用の再編成が加速し、過去の通常の仕事をしてきた人は変化を求められるようになる。本作でも忍者だった者たちがお寺で働いたり、百姓をしたりして暮らしている。 2つ目は組織と個人との課題。忍者もここではリーダー(奥村泰彦)を顔とした組織が組まれている。しかし、奥村は先代のカリスマ的な顔だったもの亡きあとを継いだものなので求心力に欠ける。藩の上層部が忍びの集団を雇用するのだが、平時になると、その意味が薄くなる。忍びは今で言うところのスパイなので、彼らはまさに武士の時代の「スパイファミリー」とも言える。諜報を行い、身体を駆使して死をもいとわず任務に参加する。 3つ目の視点として、有事の際に何を行うのか?ということが本作でも描かれる。ある部下の謀反が行われるのだが、そのクーデターに対して有事にリーダーは何を判断し実行するのか?みたいなことが見えてくる。そうして、組織や藩のために命を投げ出して働く忍びのものたち。結果、彼らの最前線の命が真っ先に失われていくことになるのが現実。 しかし、本作ではそのようなメッセージ性の強いことは語られない。これは私がそう感じたということなのだが、飄々とした表現の裏に、何か簡単には言えないようなことを感じさせてくれるのも芸術や演劇、あるいは御幣を承知で書くがエンタメの持つある種のチカラではないか? 現在もイランやホルムズ海峡、そしてイスラエル、アメリカ、ウクライナとロシア、東アジアでも緊張関係が続き、南米のベネズエラとアメリカの関係など、様々な課題が本作の時代以上に緊張している。そんな時代に、良くベネズエラはWBCの優勝をした!という現実のすごさ! ある種の視点をずらしながらも何かもやもやっとしたものを独特の弛緩した間と芝居で演じ続けているMONOは本当に唯一無二だと改めて思うのだった。上演時間約2時間。3月23日まで。 公演詳細は以下 https://c-mono.com/stage/ ![]()
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by haruharuyama
| 2026-03-22 09:52
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「ミッキーアイランド」滋企画(@アトリエ春風舎)作・演出・音楽:糸井幸之介、出演:永井茉梨奈、井上みなみ(青年団)、岡本陽介、木村友哉(ザジ・ズー)、佐藤滋(青年団/滋企画)
3月に東京で会いませんか?と誘われて何日か候補日をいただいた。その中からこの公演の上演チケットが予約できた日の前日の日を希望させていただいた。2-3か月に1回くらいこうして東京に1泊か2泊で観劇に来るのが私の中の大きな楽しみになっている。大きなことなどは求めない。ただただ、観劇をしてそこから心が震えるような体験をしたいというだけ。贅沢なことなのかも知れないが、それ以外はつましい生活をして暮らしている。自宅にいるときはほぼ自炊をしている。最近はサンバルスープなどを作ったりして、探すとそれに使うスパイスやタマリンドを売っている店も見つかるようになった、どうしても欲しいときは楽天市場などの通販でも購入することが出来る。そうして、小竹向原駅に東京メトロの24時間券(700円で24時間東京メトロ乗り放題)を握りしめて向かった。この日は春分の日で祝日ということをすっかり忘れていた。駅前の劇場近くにあるファミレスのガストで1時間時間をつぶそうと行ったら、何と満席で空席待ち!席に案内されて平日のランチメニューがないことに気づいてようやく今日は祝日だったのか?ということを知った。明太子パスタとドリンクバーを注文。開場が30分前なので食べ終わって劇場に向かう。あいにくの雨模様!冷たい雨がしとしと降っているアトリエ春風舎の前には数十名の列が出来ていた。支援会員、事前精算、当日清算、当日券の順に入場。春風舎にこんなにたくさんの観客が入るのを見たのは初めてだった。奥の方が空いていたので一番奥に座ると椅子からスマホが伸びている席があった。最初は、これで舞台撮影をされるのだろうか?と思ったのだが、それは大きな勘違いだった。ろう者の方に字幕機を貸し出すサービスをされていることがわかった。拍手の際に手を挙げてパラパラみたいなチアリーダーみたいなポーズをすることを最近知った。たぶん昨年の東京で行われたデフリンピックの報道を見たからだと思う。特に皇室の方々のニュースなどでそれをされているのを良く見かけた。このことを「サインエール」ということをこのことを調べていて初めて知った。https://www.tokyoforward2025.metro.tokyo.lg.jp/news241217/ この日はプレトークがあり作・演出・音楽の糸井さんとろう詩人のSasa-Marieさんが事前にトークをされていた。手話通訳の方が2名いらしていて交互に手話通訳をされていて、まさにその現場で拍手が起きた時に手話通訳の方がチアリーダーのようなポーズをされたのだった。中でも糸井さんが舞台の平台に上がってそこでの足音がどれくらい聞こえるのか?ということを説明されていることが興味深かった。それを聴くと一番上の平台から飛び降りると大きな音がするのだ!ということが事前にわかりそのシーンを見るとさらなる情報が加味されてイメージが拡がるのかもしれないな?と思った。そして糸井さんと言えば、音楽が欠かせないのだが、音楽空気の振動でもあるので身体全体としてどのように受け止めるのか?というようなことを考えた。そのことは空気を共有することでたとえその音が聴こえなくても感じられることは確実にあるはずだ!と思う。それが私たちに与えられた能力でもあるから。言葉だけが前面に立ちすぎた現在社会は身体全体で感じるみたいな体験をおろそかにしてないだろうか?ということを考える。ICT社会、生成AIの社会になってよりそうした身体を含めた体験が求められてきているのではないか? 本公演はそうしたことを身体全体で体験できる舞台である。噂が噂を呼び、毎回満席の人気公演になったと聞く。70人入るだろうか?という小さな劇場に独特の熱量が生まれた。愛すべきすべての人たちに捧げる、ある、年老いてしまった男とそれをめぐる人たちの物語。還暦から古希を迎えつつある男を演じるのが滋企画の劇団名にもある佐藤滋。本作では役名が滋企画(キカくん)というのも笑った。パッとしないミュージシャンだったキカ君、お母さん(永井茉梨奈)との思い出が描かれる。すべてを受け容れる母との交流が切ないのだ!その切なさは舞台を観ればわかる。そして、元ワイフを演じたのが井上みなみ。独特の明るさと俊敏な動き、クールな中から見えてくる愛情(恋愛ではないのだが)のさりげなさがいい!この大きさの舞台ならこれで十分伝わるだろう!ということが分かっている。そして観客の想像力におもねり観客を信じてくれているからこその芝居がそこにある。そしてキカ君を取り巻くクウキ(木村友哉)と鼠(岡本陽介)キカ君の明暗を表すような二人の対比が面白い。そして、私(64歳)と同じくらいの歳となったキカ君は、ライブ中に転倒し腰を痛めてしまい寝たきりになる、歩くことが出来ず日々一人暮らしのアパートで寝ている暮らし。出来合いのお弁当を食べ、ベッドに居続ける生活。死期を悟ったかのような暮らしを淡々と受け容れていくキカ君。この舞台に通底するのは圧倒的な「抒情感」とでもいえばいいのだろうか?西原理恵子のマンガにも似た、ある男の人生を通じてその関係者の様々な過去の人生が見えてくる。まるで映画を見ているようにシーンがカットバックされ回顧シーンがそこに挿入される。子どもの時のお母さんとキカ君。元ワイフがワイフになる時のエピソード。どうして付き合うようになったのか?そしてどのように結婚に至ったのか?現在の社会からは大きく逸脱しているのかも知れないキカ君をそうした周囲の方々があたたかく見守る。圧倒的なのはそれらをすべて受け容れながら俺はオレとして生きて行くぜと生き方を曲げなかった男。腰がやられてしまっても、仕方がないと受け容れて自分を生きて行く。その純粋な姿に家族や元家族たちは心を許してしまうのかも知れない。その生きづらく心身ともに大変な人生と純粋な生き方との対比がある種の抒情性を醸し出す。 糸井さんは本作を「妙―ジカル(妙なミュージカル)」と名付けた。音楽と歌とダンスが登場するのだが何の違和感もなく同居出来ているのが、他のミュージカル作品以上にスムーズなのに驚いた。物語文脈と音楽との世界観の整合性が出来ているのか?俳優たちの個性に応じた形でプロダクションされたからなのか?見ていて気持ちがいい。関係性の中での動きや配置、振り付けが出来ていて、それに応じた楽曲や照明のすべてがはまっている。結婚氏の際にキカ君が私たちに向かって「ありがとう」と祝福されるシーンがあるのだが観客席にいるのに結婚式場にいるような感覚に襲われた。この大きさの劇場だから出来ることがあることをわかった上でのことなのか?音楽のセットリストがあれば何度も聴いてみたいと思わせてくれる。そして、映像化したらどんなものになるのだろうか?などということも想像した。最後の鼠たちがキカ君のアパートの部屋にやって来るシーンで何故か号泣だった。不在をこうして描くのか?と感動しながら震えた。私の近い未来のことなども想像し、ここで描かれていることはもはや他人ごとではなく多くの人が感じるだろう普遍的な意味が込められている。前作の「ガラスの動物園」もそうだったが、毎回違うテイストなのに生涯の記憶に残る舞台を作り続けることが出来ることに驚く、とともに新幹線で移動して来てでも観に来ることが出来たことに感謝した。上演時間1時間55分。3月22日まで。平田運輸株式会社(兵庫県・加西市)が協賛してくれているらしく、チケット代が安くなっている。公演詳細は以下。https://shigeru-kikaku.com/mickey-island
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by haruharuyama
| 2026-03-21 09:36
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「野々村良枝の失踪」タテヨコ企画(@シアター風姿花伝)作・演出:青木柳葉魚 東京に行く用事があり、何か面白い演劇がないかな?と探していたらタテヨコ企画の公演があることを見つけた。劇団名は聴いたことがあったが行ったことがなく、当日清算で手数料なしで予約できたので行ってみた。こうした舞台を見ると舞台は決して大きな小屋で有名な俳優さんが出ていて、チケット代も高いものだけじゃない!ということを実感する。本作は母親の認知症と母親の周辺の家族を描く物語。老いをテーマに家族を描くという意味では劇団「普通」の石黒麻衣の作風にも似たテーマではある。本作はよりリアルに認知症になった家族と介護、そしてその周辺の人々が描かれている。演劇で見ているだけで大変そうだなというのが身体を通じて伝わってくる。私の妻が現在、妻の実家の介護に毎日のように通っている。私はそれを手伝う事などは出来ないのでただただバックオフィス支援として私の家の家事を引き受けているのだが、こうした介護の大変さのリアリティを見せられると、私の想像力の貧困さを感じるのだった。毎日、毎日、要介護の親に向き合うこと。多くの人たちはその現実に向き合わず見て見ぬふりをしてやりすごそうとしているのではないか?しかし、現実問題として排泄の課題や食事、運動の課題などは目の前にある。本作は野々村良枝(あさ朝子)74歳が突然家を出ていなくなってしまい、その1週間後という設定。舞台は次男46歳(西山竜一)の一戸建て。次男の妻40歳(いまい彩乃)が実質的に義理の母親の面倒を見ている。これを観て、これは「東京物語」やないか?みたいなことを考えた。次男はラーメン店を数店経営していて順調なのだが若い愛人を作っていて、たまにしか家に帰ってこない。この家には野々村良枝の夫75歳(宮島健)と、パチンコ屋に毎日行っているだけで仕事をしていない長男50歳(園田シンジ)そして、長女48歳(舘智子)の娘17歳(宮崎明音)も一緒に暮らしている。長女は娘が10歳の時に海外赴任の話があり、母親である野々村良枝に娘を預けて7年間ほとんど娘にも会わず仕事一筋の生き方を選択していた。という複雑な関係が描かれる。要介護の野々村良枝の支援をしているケアマネジャー35歳(福永さとみ)が外部の視点で語るのがとても興味深かった。そしてケアマネジャーの方は要介護の認知症の方々の人権をきちんと重んじレスペクトしているという姿勢がすごい。人間の持つ尊厳を蹂躙しないことをベースに仕事をされている姿が言葉の端々から見えて来て、演劇とは言え見ていてその姿は格好良く思わずレスペクトしてしまった。言霊という言葉があるように、まさにどういう言葉で認知症や要介護の人に向き合うのか?ということが出来ていないと務まらない仕事なんだなということがわかる。家族だけで介護などをしていると1対1の関係となってしまい、客観的に見えなくなってしまうような状況があるということがケアマネジャーのような外部の専門家が入ることによって緩和され客観視されることの重要性を感じた。そういう意味では日本の介護制度は良く出来ているのではないか?介護人財の不足が日々言われ、ケアマネジャーが本来の仕事以外の実介護業務をせざるを得ない現実があることを新聞記事などで何度か見たのだが、そうした歪や矛盾を修正するために何をするべきなのか?を真剣に考えないといけない時代。所得の格差などの課題が根強く残っている業界を現実的な解決策を提示できるのは行政や政治の課題なのではないか?所得の再分配も含めて、特に年収の高い方々には、その資産を社会に還元させることはとても意義深いことなのではないか?みたいなことを考える。こうした家族と介護、認知症の課題と同時に描かれるのが世間や近所の声。それを体現するのがご近所さん50歳(久行志乃ぶ)。この方の存在から世間を描く。SNSでの匿名発信なども含めて、なぜ、こうしたことが世間で行われるのか?そうして時間が経つと忘れられ情報は消費されてしまうのか?ということを考えさせられる。 猫は自分の死期を感知すると自らその場所を出て姿を消してしまう。というのを何かで聴いたことがある。本作を見てそのことを思い出していた。母親が持っていったリュックの中からスーパーのチラシの切り抜きやティッシュがたくさん出て来た。それをゴミじゃないか?と長男や長女は言うのだが、17歳の孫娘はそれをおばあちゃんの宝物だと言い切るシーンには泣けて来た。おばあちゃんはスーパーの特売の品のところを切り抜き保存して安く家族のために食材を買ってあげたかったのではないか?そのことを知っている孫娘はそれはゴミではなく宝物と断定出来たのだろう!その孫娘の愛情深い言葉をちゃんと家族で交わせているのだろうか?と自省をしながら本公演を見続けた。 長男、長女、次男が子どもの頃家族で行った高台の公園にやってくる野々村家の一家とケアマネジャーさん!夕陽が沈むのを見るシーンがウッディアレンの映画「インテリア」で窓の外を見る三人姉妹のシーンや、「八月の鯨」で海を見る老人たちのシーンを思い出した。滋味あふるる、小劇場らしい演劇の秀作だった。3月22日まで。上演時間1時間55分。公演詳細は以下 http://www.tateyoko.com/next/nonomura/index.html ![]()
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by haruharuyama
| 2026-03-20 09:03
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『未練の幽霊と怪物―「珊瑚」「円山町」―』 能のフォーマットを応用し、ついえた「夢」を幻視する、レクイエムとしての音楽劇 KAAT神奈川芸術劇場プロデュース (@兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール) 作・演出:岡田利規 音楽監督:内橋和久 出演:アオイヤマダ 小栗基裕(s**t kingz) / 石倉来輝 七瀬恋彩 清島千楓 / 片桐はいり 謡手:里アンナ 演奏:内橋和久
西宮北口のこの劇場で2日間2回だけの上演。京都ロームシアターでも公演があったのだが、こちらの劇場の方が自宅から近いので3月7日、土曜日の15時の回に伺う。前半55分、休憩15分、後半55分というものすごく様式化された上演時間。これも、能楽の様式美みたいなものを意識されているのか?ちなみに能楽の曲の終わり方は、実は毎回違うことを伺ったことがある。その時の雰囲気に合わせて縦横無尽に変えていくことが集団で演奏をしていて出来ることがすごい! 「珊瑚」は若い作家が創作のヒントを探る旅で沖縄を訪れるというもの石黒来輝が作家役で沖縄を案内し運転をしてくれる方の役で清島千楓、辺野古の海を見ていると、そこに珊瑚の妖精(能楽だと亡霊とか幽霊と言うべきなのか?)やウミガメの精などが登場する。演じるのはアオイヤマダ。ものすごく有名な方のダンスを初めてみた。重力に逆らいながらの身体と風のようにゆらめく身体の同時を体感することができる。目力が強いというのもアオイヤマダさんの強烈な個性につながるんやな!と思った! そして2本を通して内橋和久の音楽が素晴らしい、謡手は里アンナ。こうしたものを見るとまさに演劇とは総合芸術であると感じる。美術も能舞台に模して橋がかりみたいな通路があり正方形の能舞台のようなものがある。床はグレイで道路の白線などが引かれている。橋がかりに置かれている3本の松がここでは3つの黄色いパイロンとなっていて、そうした洒落心も楽しい。照明も天井に同じ正方形にした枠が斜めに吊られてあり、そこから白い光を発している。まるで現代アートのような印象!そして、その白い枠が均一に真っ白に発光しているのがすごかった。いったいどうしたらあんなライティングが出来るのだろうか?などなどと言う意味では能楽のカタチを借りながら、その様式を現代アートにしていく作業がなされているのではないか?と感じるのだった。 休憩後の 「円山町」は、あの渋谷の円山町が舞台。道玄坂を上がった神泉との間のラブホテル街。ここで一流企業のOL(死語?)が夜な夜な売春をしていて、ある日、殺されたという事件にインスパイアされたもの。男女雇用機会均等法の名のもとに女性が男性社会で戦っていかなければならない時代、あの女性はどのような思いで生きていたのか?どのような思いで夜な夜な円山町で春を鬻(ひさ)いでいたのか?という考察とイメージが具現化されていく。時代は現在の3月。4月から就職をする女子大生(七瀬恋彩)が円山町にあるお地蔵さんだったかがある場所にやってくる。そこに表れる殺されたOLの幽霊。小栗基裕(s**t kingz)がその役を演じ踊る。男性が女性役をするのだが、その身体から発せられるダイナミックで力強い動きが、ある意味、世間への抗いのようなものを感じさせてくれる。以前、作・演出の岡田利規が岸田戯曲賞を獲った「3月の5日間」のことを思い出す!戦争が行われていた時に、若いカップルが渋谷のラブホテルで5日間過ごすというものだった。今も、創作当時とは違う、新たな戦争がいたるところで起きている。私たちは何も変わってないのか?と無常観に包まれる。 どちらの作品にも片桐はいりが現在生きる地元の人の役を演じて、作家や女子大生と会話をする。片桐はいりの立場がその独特な夢のような世界から客観的な視点に戻され現実を直視する感覚が来る。片桐はいりが、こうして夢幻の世界と現在とを行き来する間に入る役をすることで観客の視点も拡がっていく。何を感じ考えるのかは観客にすべて委ねられる。観客の想像力を信じて、いい意味でそこを突き放すことが出来る岡田利規のすごさ! 岡田さんはこの舞台は私の作品の中ではわかりやすいと書かれていた。しかし、そのわかりやすさの奥にとても複雑なものがあるのだ!ということも事実ではないか?そこは、観客次第なのかも知れないが。 ![]()
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by haruharuyama
| 2026-03-10 11:15
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