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フランス現代美術界を代表する、鮮烈な女性アーティスト。 と副題にある展覧会。久しぶりの森美術館。 展望台に行きたい人と、この展覧会に行きたい人が混在している. 両方行ける、チケットを売っているというのが面白い。 値段を少し下げて、どちらか一つをというわけにはいかないのだろうか? 展望台には目もくれず美術展へ。 「キモカワイイ」という言葉があるが、 まさにそのようなコンセプトに貫かれた展示であった。 一瞬、先日亡くなった野田凪さんのことを思い出した。 鳥や動物の剥製が飾られているのだが その頭部にはぬいぐるみの頭部が被せられている。 リアルなものとフェイクなものの合体がそこに見られる。 またぬいぐるみの中の詰め物を抜いて まるで皮だけを剥いだ毛皮のようにもしたりしている。 ある部屋では、女優さんの写真と思しきものが たくさん飾られた部屋があるのだが それぞれの歯がひとつだけ真っ黒で欠けたように見えるのである。 全ての肖像写真がそのようになっている。 それだけで、笑顔が異常なものに見えてくる。 また、ぬいぐるみがバラバラに分断されて吊るされているものもたくさんあった。 そのとき見ているものは動物や人間の身体が バラバラになっている状態だと認識してしまう。 そのイメージを持って見ると、気持ちの悪いものに見えてくる。 そしてさらに、これらの分断された身体が ワイヤーのチカラによって少しずつ動いているのである。 そのことがまた奇妙な印象を残す。 バラバラに分断された身体が動いて変容することによって また新たなイメージを喚起する。 また血液や血管の表し方も凄い。 ぬいぐるみに赤と青の毛糸を這わせるとまるで、 動脈や静脈のように見えてくる。 そこにストッキングなどを被せてあり、 ああ、これは下半身の部分で皮を剥いだ状態で吊るされているのかと想像する。 身体全体から赤い毛糸が出ているぬいぐるみもあった。 黒い身体から出ているそれはまるで毛穴という毛穴から 血が吹き出ているような印象を持つ。 また女性の下半身と思われるものから 赤くて太いものが垂れ下がっているようなものもあった。 明らかに月経で下血しているシーンを彷彿とさせる。 一番面白かったのは、赤い布が部屋一面に敷かれており その下を空気が通り抜けるというもの。 歌舞伎でよくある海の表現に似ている。 風がアトランダムに吹いて来ており、 赤い布が様々な表情を見せ飽きない。 赤い布の下には、カンブリア紀の生き物のようなオブジェが光ったり、 クラゲのようなものが光ったりする。 そうかと思うと、天井からなんとも言えない 黒い板状のオブジェがたくさん降りてくるのである。 この部屋に10分以上いたのだが、 驚きが次々と現れる不思議な体験だった。 また、アネッチはぬいぐるみ状のもので文字を作っている。 それも彼女の特徴の一つである。 #
by haruharuyama
| 2008-10-14 08:01
| アート
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Comments(0)
10月に様々なコンテンツ関係のイベントがある。 これをまとめて、JAPAN INTERNATIONAL CONTENTS FESTIVAL 2008 と名付けてある。今年で2年目だそうである。 今月、15のオフィシャルイベントがある。 東京国際映画祭や、ゲームショウ、アニメ、音楽、テレビ番組などの 様々なコンテンツのイベントが目白押しである。 この「劇的3時間SHOW」というのはその中のオリジナルイベントとして行われた。 10人のコンテンツプロフェッショナルがみっちり3時間語るというもの。 ある日、どこからか案内のメールが来て申し込んだ。何と無料。 全ての人に開かれているイベントである。 この懐の深さは一体?と思ったら、「百人委員会」というのがあって コンテンツメーカーを初めとする企業たちがお金を出し合って その資金で運営されているのだということを知る。 見城徹の出演している番組と著書をたいていは見ており、 個人的にとってもお話を聞いて見たい方だった。 実際の生の見城さんを見て何か得るものがあるのかもしれないと思ったのである。 スパイラルホールに到着すると、友人のA社長も来ていて、お互いビックリ。 今回のSHOWは二部構成となっていた。 郷ひろみの曲で登場!「ダディ」の出版のことについて語られた。 見城徹の著書「編集者という病い」(@太田出版)に詳しくは書かれている。 今回は、本書では書かれていなかったことを中心に記述していこうと思う。 第一部は見城徹について対談相手というか先導役を中森明夫が勤める。 見城さんは現在57歳。喋り方がいい。 ああ、こういった喋り方と声とそのキャラクターが持つチャーミングさと その底に秘めている激しさと強さがないまぜになって 多くのアーティストや作家を口説き一緒にモノを創り成功させてきたのだな!と思った。 見城徹は約束の時間に遅れない。 そして約束を守る。 名刺は自分から進んで出す。 名刺を出されたら全ての方に名刺をお返しする。 そして残念ながら名刺が切れてしまったとしたら、 翌日、簡単な手紙とともに名刺を速達で送る。 ある大きな会社の女性プロデューサー4名と会食をした際に、 名刺を忘れた女性プロデューサーがいたそうである。 見城さんが、名刺を封筒に入れるだけでいいので 必ず送ってくださいと言ったそうであるが、 彼女は2ヶ月経っても名刺を送って来ない。とおっしゃっていた。 見城さんは、タクシーに乗るときも礼節を欠かさない。 それは一つの例に過ぎないが、 丁寧に「すいません。 近いんですが少しチップをお支払い致しますので○○までお願いします。」 運転手がそれに返事をしないと 「○○までって、わかりますよね。」ともう一度尋ねる。 運転手が、曖昧な返事をすると 「テメエちゃんとわかってるのかああ!」となる。 ということを聞いた。 面白いなあと思った。完全に筋が通っている。 筋をきちんとしない人に対して見城さんは怒っているだけなのである。 それは全ての場所で行われていたそうである。 若き見城徹と中上建二は新宿ゴールデン街で 最強のタッグマッチと言われていたそうである。 もとい。見城徹は中森明夫を紹介する。 その紹介の仕方が上手いのである。 人をこうやって紹介できるというのはやはり 作家やアーティストのいいところを見い出していつも 言葉にしていることだから出来ることなんだろうなと思った。 新人類という言葉が1980年代前半に出てきたのだが、 そのときの一人が中森明夫であった。 彼は小林秀雄、江藤淳、柄谷行人につづく稀代の批評家ではないかとおっしゃる。 中森明夫と見城徹との出会いは「BRUTUS」で特集された アフリカのアーティスト「ムパタ」のプロモーションの労をねぎらった 見城さんから中森さんに対する御礼の留守番電話だったそうである。 今回のタイトルを見城さんは「異端者の恍惚」と名付けた。 もともと自分自身が人とは違うのではないかという違和感を持ちながら生きてきて、 当然いじめられっこであり、それを許さない自意識とのジレンマで悩む。 そうして犯罪者と紙一重の世界で表現をしていく。 これこそ芸術家ではないか?と思ったそうである。 見城徹という男は編集者で上場企業の出版社社長という肩書きをもった、 芸術家なのではないか?と。 最も、アートとビジネスのバランスが取れている芸術家。 宮崎駿や川久保玲などに感じる、同じものを見城徹は持っている。 それは二部の鼎談で登場する、 エイベックスの松浦社長とミュージシャンの事務所オーガスタの社長 森川さんにも通底するものがあった。 見城さんは語る。 表現とはマジョリティの中からこぼれ落ちるものの中から生まれる。 そこから生み出された作品を流通させるために マジョリティへの変換作業を行う。 その矛盾の構造の中を生きるということが編集者の 見城徹の仕事ではないかと。 林真理子の「ワンスアイアー」(@角川文庫)という本の中に 見城徹が登場してくるそうである。 見城さんは林真理子と二人三脚で走って来たと語られる。 これが、見城徹の言う、切り結ぶという意味の一つなんだなと思った。 「ゴクミ語録」を出す際にオスカープロモーションの社長に 説得に行く時のエピソードも話された。 作家やアーティストに対して口説く時は、 大体のものを読んだり聞いたりして、そうして彼らに対して 思ってもないことを言ったり、彼らの中にある無意識の意識を解明して、 言葉を投げかける。 パーソン・ツー・パーソンの批評行為である。 そして、そのときにこの言葉を投げかけることによって、 この人は僕についてきてくれると確信できる瞬間ほどスリリングなものはない、 これが「異端者の恍惚」の一つの例なんだと思った。 「RYU’s BAR」のエピソードについても語られた。 当時、この番組に出てくれそうもない人を説得して かなりの人に出演してもらったのが見城さんだったと聞いた。 坂本龍一はじめ多くの人が出てくれたそうである。 会社を超えて自分たちの世話になっている アーティストの全てをバックアップしフォローするのが編集者なのか?と思った。 坂本龍一がアカデミー賞をとった時もまさにそんな感じだったそうである。 坂本の同行役として見城さんが同席。 見城さんは坂本さんの会社の取締役を もう20年以上おやりになっているそうである。 見城さんは社会と折り合いがつけられない人たちの言葉を語ってくれた。 三菱銀行に立てこもり行員を人質に取り殺された男、梅川。 「俺をうらむな、社会の常識と俺は違うんや!」と言っている時に 警官が侵入し射殺される。 山口組の竹中さんを襲撃したナガノシュウイチの言葉。 「俺は俺の内部の掟でやったんや、世間の掟と俺の掟は違う」と。 また朝日新聞で自ら発砲自決した野村秋介の言葉も印象的だった。 「是非を説くな、激しい雪が好き」と。 このような言葉を上げて、見城は世間と折り合いがつけられないものたちの 魂の叫びを聞く。魂の叫びを聞く事が出来るものだからこそ、 作家と切り結ぶ事が出来たのだろう。 彼らと作家は本当に紙一重であると見城さんは語る。 編集者のいいところは作者が犯罪者であっても その作品が素晴らしければ本を出そうとする、 そういった人種が編集者であるとまで言い切られた姿は潔いものだった。 編集者も異端の中に身を置いた人の中からしか出てこない。と。 中森明夫はその見城さんの姿を「過剰!」という言葉で代表された。 自らは現状に留まらず常に新しい場所を目指して全力疾走している 男の姿を見る事ができる。その全力疾走をもって多くの作家と付き合う。 村上龍から延々と長い電話をもらい、そのあと宮本輝が ああでもないこうでもないという連絡を寄こし、 それが終わったと思ったら、中上建二から電話があり、 夜中に見城さんの家にやってくる。 二人はそれから飲みに出かけるのである。 すさまじい生活の中に見城さんは快楽や恍惚がみいだせる人なんだろう。 喋りを聞いていて思ったのは、 この人は人とおしゃべりするのがすいごい好きなんだろうなあと 思わせてくれる人であるということ。 それは見城さんのサービス精神の表れでもあり 全力疾走の記録の一つでもある。 尾崎豊とのエピソードはさらに強烈である。 詳しくは「編集者という病い」を読まれればいいのだが、 いまだに見城さんは尾崎豊の曲を聞くといたたまれなくなって音楽を消したり、 その店を出るそうである。 お互いに傷つけあった戦争帰還兵のような見城さんが インターミッションで流した曲は、尾崎豊の「シェリー」だった。 この曲を聴いて、見城さんは彼に文章を書いてもらおうと思ったそうである。 15分の休憩を経て第二部である。 音楽プロダクション、オーガスタの社長、森川さんと エイベックスの社長、松浦さんとの鼎談である。 森川さんのところはスガシカオ、山崎まさよし、元ちとせ、スキマスイッチ といったアーティストが所属している。 森川さんは自分がいと思った人しか売り出さないと言う。 松浦社長も同じ事を言う。 それはそうだろうと思いつつも、 その人の人生を背負って売っていくということは それだけの想いがないと出来ないということでもある。 そして売り出すときには細心の注意を払い こまかいところまで気を使いながらプ ロモーション活動をしていくとおっしゃっていた。 元ちとせはいきなりデビューして大ヒットしたような印象を受けるのだが、 そこに至るまでの数年間の準備期間があったそうである。 ここに居る三人に共通して言えることは、 ものすごく不安症でいつも悪い方を考える。 そして小さなことにこだわって、 小さな不安をひとつひとつ消していく。 そういったことを日々行うことによって世間を動かす事が 結果的に出来てくるのである。 そして同時に彼らは好きで好きで仕方がないから仕事をやる。 自分の好きなものに対してありとあらゆる努力をする。 いろんなアイデアが出てきて興奮して眠れなくなるそうである。 好きなものに対して努力するというのが本当に好きという意味だと思う。 何となく好きでは仕事にならないと彼らの口から間接的に聴こえてくる。 こんなに努力しているんだから、 運がいいですねと言われたら、 本当は俺たちは100倍の努力をしてきた結果ですと言いたいとおっしゃっていた。 そして創業者である三人ともリスクをしょってやっている。 それはアーティストの全人生をもしょうというリスクも含めて。 「一人の熱狂から作品は生まれる。」 いい言葉である。 ある作家性ということをこれほど言い表した言葉はないだろう。 このような言葉を聞くと、著作権が大切なものであることが身に沁みる。 その後、見城さんと松浦さんは上場したことについて語られた。 どんどんとコンテンツメーカーも上場をするようになった。 見城さんは自分がやってきたことは一体いくらの市場価値をもっているのか? ということを測りたくて上場したとおっしゃっていた。 上場の際、幻冬舎は1000万だったものが400億の市場価値となった。 松浦社長が酔っ払うと面白い言葉が出てくると見城さんがおっしゃる。 この鼎談ではワインが皆に注がれそれを飲みながらのトークだった。 見城さんのワインを注ぐタイミングや気の配り方が絶妙であった。 こういったことを日常的にやり慣れていないと出てこない身体性が そこに見て取れるのである。 いろんな方と多くの会食を重ねてきた結果が こうやって見えてくるのだなと思った。 また同じような言葉が繰り返される。 「クリエイティブは一人の熱狂から生まれる。」 アーティストをビジネスの回路につなげていくために圧 倒的に努力しなければいけないと何度も繰り返されていたのが印象に残った。 最後に見城さんが一人になって観客に語ってくれた。 人生の成功や不成功なんて死ぬ瞬間になるまでわからない。 その瞬間、ああ、いい人生だったなと思って死ねる人は幸せである。 今、何故自分が頑張っているのかを毎日自問している。 本当にもうやめてしまおうの連続である。 でも懸命に生きよう悔いのないように生きようと思って この仕事を続けるという自分自身への決意表明と同時に 僕たちに強いメッセージとして語ってくれた。 アンドレ・ジイドの「地の糧」に生きることについて書かれた 言葉を引用されて見城さんの3時間は終わった。 幸福になる秘訣は、快楽を得ようとひたすら努力することではなく、 努力そのものの裡に快楽を見出すことである。 フルマラソンを走りきったような3時間だった。 #
by haruharuyama
| 2008-10-13 08:22
| 時事放談
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Comments(2)
成田空港を出発したNW-005便は、 離陸後1時間40分くらいで着陸態勢に入る。 新幹線で名古屋に行くのと同じくらいの時間で釜山の金海国際空港に降り立った。 飛行機で隣に座っていた韓国人の方が、 初めての韓国旅行ですという話をすると、 ホテルは自分と同じ方向なので一緒にリムジンに乗って行きましょうということになった。 空港から2番のリムジンに乗る、かなりデラックスなシート。6000W。 南川洞で降り、タクシーに。 隣り合わせた韓国人の方がわざわざタクシーを停めて行き先まで告げてくれた。 ありがとうございました。 タクシーは広安里のホテルホメルスへ。海沿いのホテル。 まるで熱海のようである。 この周辺で釜山ビエンナーレが行われており、アート作品が海岸に展示されていた。 海の向こうに大きな吊橋が見える。 美しいのかそうでないのか良くわからない。 ホテルの部屋は靴を脱いで上がるタイプになっている。 韓国式なんだろうか?日本人には嬉しい。 ホテルの調度品や備品を見ていると、 HOTEL HERMESと書かれたものが幾つか残っていた。 最初、あれ?ホテルを間違ったのか? と思ったのだが、カードキーなどを見ると、ホテルHOMERUSとある。 あーーー!このホテルはもしかして、 エルメスと同じ綴りと書体を使っていたため エルメス社から何か言われてホテル名を変更したのではないか という推測で落ち着いた。 ホテルのフロントのおじさんに日本語で近くの美味しい店を伺う。 300メートル離れたところに、プルコギの美味しいものがあるということを聴く。 お店の名前を書いていただく。 ハングル文字なのでまずカタチの解析から始まる。 まるでパズルの同じ図形を探すクイズのようである。 何人かの人に紙を見せて伺いながらお店にたどりつく。 この店は片言日本語を喋るおばさんが居た。 プルコギを二人前とビール。 後で気付いたのだが、ビールの中瓶をどこで頼んでも3000Wである。 これには何か理由があるのか? 高級な店も安いお店でも値段は変わらない。 「HITE」という銘柄の韓国のビールである。 また、「C-3」という銘柄の焼酎(SOJU)も同じ値段である。 冷やした焼酎をストレートで飲む。 アルコール度数は20%。 プルコギはまるで肉を叩いたようなもの。 タルタルのようになっているものがタレに付けられて焼かれる。 わりと良く焼いてから食べる。 キムチを初め、発酵した野菜類がたくさん出てくる。 プルコギに、その酸味のある発酵野菜を付け、ニンニクを入れ、 コチジャンの味噌をつけエゴマの葉で巻くか、 サンチュで巻いて食べる、うんまあああああい。 独特な、プルコギの甘味と、野菜の酸味と辛味とエゴマの葉のフレッシュな香りが 一体となって鼻腔を襲うのである。これは初めての経験であった。 ああ、プルコギってこういうものなのか?と改めて思った。 二人で締めて50000W くらい。 コンビニによって帰る。爆睡。 翌日もいい天気。さあ、釜山映画祭の会場へ向かう。 今回はある方のはからいでIDカードを発行していただけることになった。 廣安の駅へ向かう。駅前のお粥屋さんに入る。お粥を注文。 ひとつは海鮮お粥(8000W)もうひとつはアワビのお粥(10000W) この駅前に高級マンションがあり、その辺りの人が次々とお粥を買いに来る。 この旨みはどうやって出すんだろうと思う。 ダシの旨みの効いた料理は味わい深く身体に染みとおるようである。 廣安から地下鉄に乗って、海雲台(ヘジャンク)へ。 英語でチケットが買えるようになっており、駅の行き先さえ分かっていれば簡単。 1100W。駅前から海に向かって歩く。 シークラウドホテルを越え、PIFFのコンテナがある場所へ。 ここがPIFFの情報窓口になる場所のようである。 それ以外にも各ホテルのロビーに何箇所か映画祭のブースが出ていて、 そこでいろいろなことを聞く事が出来る。 ヴォランティアの方が多く参加されていてありがたい。 彼ら彼女らのホスピタリティはどこから来るのだろう? このコンテナのBOXのゲスト受付のところでIDカードを受け取る。 事前に写真や名前などを送っておくと、 自動的にカードが作られているというシステムである。 今回、このようなことを手配して頂いたYさんにお会いする。 パラダイスホテルのロビーでお茶を頂く。 このホテルだけあきらかに格が違うなあと思った。 要人と言われている方々の多くはこのホテルに宿泊するようである。 Yさんと映画祭とのことについて話を伺う。 Yさんみたいに情熱を持った方々がこの映画祭を支えているんだろうなあ?と思った。 挨拶をして、シークラウドホテルのフィルムマーケットのブースを覗く。 ここではホテルの4-6階の部屋を借りてその部屋が各社のブースとなっている 。ヨーロッパから日本まで、様々な配給会社がブースを出していた。 ここで映画の買い付けが行われるんだなあと初めて理解した。 タクシーでヘウンデロッテデパートへ。 ここで映画を見る。イランの映画。 ドキュメンタリーのような映画だった。 いつも霧が立ち込めている風景。 こんな場所が実際にあるんだなあと世界の奥の深さを実感する。 「A light in the fog」という題名。 老いた父親と暮らす娘。日常を淡々と描いている。 小津安二郎の「彼岸花」を思い出す。 ロッテデパートから中心のヘウンデまでは地下鉄で二つなので歩くとかなり遠い。 映画祭期間無料で走っているシャトルバスでシークラウドホテルまで戻る。 遅い昼食を。有名なカルビ焼肉の店。 「ヘウンデ・アムソカルビ」へ、 地球の歩き方の地図だと大雑把過ぎて目的地になかなかたどりつけない。 しかもハングル文字なので文字認識が出来ないためさらに迷うことになる。 目的地がはっきりしており、そこへ急いで行きたい場合は、 タクシーで行った方が確実である。 そのための基本料金200円は高くないと思った。 何人かの人に聞いて到着。ここはカルビ焼肉の有名店だそうである。 値段も高級。昔の李朝時代の時代物に出てくるような建物になっており、 中庭を囲んで個室がたくさん並んでいる。 韓国のお店は外と完全に遮断されておらずゆるやかに自然とつながっている。 当然、そのために虫の侵入は許される。 生カルビ(30000W)と味付けカルビ(26000W)を1人前ずつ注文。 ビールを飲む。肉は確かに美味い! 生カルビは塩で食べるのがいい。 そして味付けカルビはタレをつけて jコチジャンのような赤い味噌とタレをつけて、 エゴマの葉かサンチュを巻いて食べる。 ここは昨日のような酸味のある野菜の漬物がなかった。 シンプルな分だけ素材で勝負しているのだろう。 霜降りの肉が苦手な僕は、こういった旨みのあるしっかりした肉肉しい肉が嬉しい。 たくさん食べるとかなりの金額になる。追加で何人前かを注文。 そして、ジャガイモ麺で仕上げる。 この麺はあまり美味しいとは思えなかった。 ここで一番いい食べ方は、 生カルビを塩で大量に食べるというのがいいかも知れない。 が、そうすると簡単に一人1万円を超えてしまう。 それはどうなの?というコスト感覚が僕を襲った。 お腹が一杯になったのでいったんホテルに戻る。 ヘウンデの駅前に独特な屋台的なお店が一杯出ていて、 かなりそそられるのだが、もう食べられない。とにかく歩く。 歩いてエネルギーを消費する。ホテルで小一時間昼寝。 19時ごろホテルを出発。 若者たちがあつまると言われている「西面(シミョン)」へ向かう。 ここはものすごい人手。まるで渋谷か新宿か? 若者が多く集まる場所は活気と人で溢れていた。 こまごまとした路地にまで入っていく。面白いのが 屋台でトッポギとおでんと天ぷらの店があると、 そこの並びの何件も同じ店が続くこと。 いったいどの店が美味くて、どこがそうでないのかがわからない。 結局、思ったのは、どこに入っても美味いのだということである。 あるレベルには必ず達していて美味いというのが特徴なのかもな?と思った。 港町で坂があるロケーションは、神戸に似た印象を与えてくれる。 涙を呑んで食べられなかったのが「テジクッパ」のお店。 豚骨ベースのスープの雑炊。 西面ではこのお店が10軒以上も並んだところがある。 そこで煮立っている大釜の白いスープが店頭に並んでいる様は壮観。 結局、悩んだ挙句、「タッカルビ」のお店に入る。 辛いタッカルビを注文。かなり辛いのだろう。 大きな防護のための筒をかぶせた状態で調理してくれる。 ここのお店の女の子がとってもかわいらしかった。 釜山では、時々ものすごい美人に出くわす。 これは、いったいどういうことなんだ!というような美人がいるのである。 黒髪を中心とした美人の女性たちは品が良く、 人からどのように見れられているのかということを良く知っているのだなと思った。 「タッカルビ」はとっても辛い。 辛くて妻はあまり、食べられなかった。 舌を焼きながら焼けた鶏肉を食べる。 こんな辛い唐辛子があるんだと感心する。 韓国人の人でもこんなに辛いものばっかり食べていないことが 他の人たちの注文しているのを見てわかった。 金曜日の22時半過ぎの西面は人でごったがえしていた。 三連休の初日なので、みなリラックスした雰囲気。 この日は、韓国の建国記念日である。 地下鉄の駅も酔っ払って帰ろうとするお客さんで一杯だった。 翌日の、土曜日もいい天気だった。 早朝に起きてランニングをしようと思ってランニングシューズを履いて来たのだが 結局、一度も走らないままだった、ウォーキング釜山である。 この日は、海岸沿いのロッテリアの隣の定食屋さんのようなところで朝ご飯。 店には数組のお客さんがいる。 日本語も英語も全く通じない。 店のオジサンの進められるままに頼む。 出てきたものはヘジャンククなのか? 海鮮のダシにもやしと、鱈と小エビが入ったスープ。 醤油のすまし汁のようなものであるがニンニクと唐辛子が効いており 旨みと辛みが一体となった味だった。これは素晴らしい。 何と言う料理かわからないのだが韓国料理の奥深さを知ることとなった。 さすがチャングムのようなものが育つ文化のある国である。 1人前6000W。お腹一杯になる。 韓国料理は必ずキムチを初めとした付けあわせがたくさん出てくるので 野菜不足になるということはない。 朝10時からヘウンデロッテデパートにて映画 「Himalaya,Where the Wind Dwells」というタイトル。 今回は韓国映画。 しかしながら、韓国人俳優は一人のみ。 ロケーションは全編ネパールで行われたようである。 よくもこんなところでロケーションをしたなあという辺境の地である。 ヒマラヤの麓の村の生活が描き出される、 半ドキュメンタリー映画である。 韓国人俳優以外は全て現地の人々の出演であるとパンフレットに書かれていた。 映画館を出て、ロッテデパートを散策。 多くの人で賑わっている。ものすごく新しいデパートのようでむちゃむちゃ清潔。 そこから地下鉄に乗って海雲台(ヘウンデ)へ。 海岸の手前に変な市場の商店街のようなところがあり面白い。 様々なものが売られている。 妻は変な柄のルームシューズを購入。僕は、唐辛子を購入。 ここは唐辛子を選んでその場で粉にしてくれる。 同じくゴマ油絞り機もおいてあった。 実際にゴマを搾って油を取り出すところを見せていただく。 ヘウンデの海岸沿いのパラダイスホテルへ。 ここで文化庁が主催の日本の映画関係者の集いが行なわれる。 今回、釜山で上映するための関係者たちが集まって 情報交換などをするものだそうである。 日本以外の映画関係者も居るのだが、日本主宰のこういうパーティは 本当に日本人が中心となり多くの人々が集まるんだなあと感心。 犬童一心監督と上野樹里さんがいらしていて最初にあいさつが。 「グーグーだって猫である」の映画のチームである。 それから、石井克人監督、 SABU監督、是枝監督などが壇上に上がって挨拶をされた。 パラダイスホテルの1階のスペースは人であふれかえり 足の踏み場もないような状態だった。 ワインを一杯と鴨肉ローストオレンジソース添えを一切れ頂きました。 地下鉄で東来(トンネ)へ、ここは妻の会社の同僚、 Mさんがススメテくれたお店で昼食を取るためである。 「トンネ・ハルメ・パジョン」という韓国のお好み焼き屋さんのような店である。 「地球の歩き方」に駅から7分とあったのでまたまた歩いて探そうとする。 となかなか見つからない。 数名の人に聞いて、最後は韓国人の若い女性が、 わざわざ自分の携帯で店に電話をしてくれて道を聞いてくれた。 その場所は店から30秒のところだった。 ちょっと奥まったところあるこの店は 建築家の手が加わったものになるのだろう。 洒落た店内とテーブルから見える庭が落ち着いた気分になる素敵なお店だった。 庭には大きな樹が生えており その芝生のところで野良猫が遊んでいる。 トンネハルメパジョン(20000W)とキノコパジョン(18000W)を注文する。 韓国の独特のネギを中心に米の粉を溶かした生地で焼いたものである。 最後に蒸し焼きにするらしく柔らかくふわっとした焼加減である。 醤油だれとコチジャンタレがある。 キノコは醤油が、ハルメパジョンはコチジャンタレが合うように思えた。 ふわっとしたお好み焼きのネギの下には海鮮が隠されている。 小さな海老と数種類の貝類が旨みを引き出している。 うんまああああい。これは感動モノだった。 台湾で食べた牡蠣のオムレツに少し似ているがやはり違う。 キノコはキノコの淡白な旨みがあるように思えた。 トンネは観光地と地元の感じがないまぜになっていて面白いなあと思った。 温泉があり何となく、宝塚みたいなところなんだろうか? 滞在数時間の後、地下鉄1号線で、南浦洞へ。 ここは「チング、友へ」で使われたらしい、旧日本の商店の町並みが 残っていると書かれてあった。 なるほど戦後すぐに建てられた町並みが日本でも少し残っているところがあるが、 そんな感じが確かに残っている。 ただ、本格的に資本を投下して、この街を積極的に残そうとはしていない ようなので古さは否めない。 そこから海岸沿いを歩いてチャガルチの市場の方へ向かう。 ここは日本人が多いのだろう。 ほぼ、全てのお店のおばさんたちが日本語で話しかけてくる。 商売のための「日本語」である。 農協市場という地元のデパートでお土産を買って買える。 このデパートと旧市場の間にホルモン焼のお店が数件あった。 どれも独特の造りで、ああ、面白いなあと思った。 カウンターみたいなものがたくさんあり そこにホルモンを焼くための穴が幾つか空いている。 大阪の十三に「請来軒」という焼肉やさんがあるのだがそこに似た雰囲気。 地下鉄で広案里に戻る。釜山、最後の夕食だあ! ということでホテルの近くをうろうろとする。「ヘジャンクク」 というメニューばかりを置いた一角があるということで探す。 丁度海岸が切れる辺りに5-6軒ヘジャンクク専門店が並んでいる。 これは牛骨からとったスープにご飯ともやしが入っている雑炊のようなもの。 店頭には「木村拓哉」も食べた、というようなことが写真入で貼られていた。 最後の夜にいきなり締めのラーメンのようなものを頼んでしまい、しまった! と思ったが。「ヘジャンクク」それ自体は美味い。 少しだけ唐辛子で辛いのだが、マイルドな味付けは日本人が飲んだ後、 締めのラーメンを食べるような感じでとってもいいのだろう。 事実、酔っ払った団体さんが入ってきてみんな「ヘジャンクク」を頼んでいた。 塩味を弱めに作ってあるので「オキアミ」を入れて塩分を調整する。 腹半分で店を出る。 締めを先に食べてしまい、順番が違うなあと思いつつ、 もう一軒をどこにしようかと悩む。 若者たちで溢れかえっている店に入ってみる。 炭火の地鶏焼みたいなメニューを皆が頼んでいたお店である。 あ、これが一度食べて見たかった「ブルダク」の店なのかな? という期待とともに入店。 お店の若者が韓国語以外を全く解せずにMENUを持ってきた。 MENUには写真がついているのだが、 僕はここでおもむろに地球の歩き方のブルダクの写真を見せる。 MENUの写真を指差し、これと同じかと日本語と英語で聞くのだが、 彼は困った顔をしながら何か言っている。 多分、MENUにあるもの以外はありません。 あなたは日本のガイドブックの写真を見せていますが そんなものは良くわかりませんし、いきなりガイドブックの 「ブルダク」の写真を見せられてもわからない、 というような気持ちだったのだろう。 さらにしつこく、僕は日本語と片言の英語で聞く。 これは「ブルダク」ですか?とMENUを指して聞く。 そうするとかれは「いえ、これはブルドックです。」と言ったように聴こえた。 「え?」と驚いた。「ブルドック」がここのMENUにある筈がないじゃないか? これは鳥なのか?と聞きなおしてみる。 「chikin」という簡単な英語にもかかわらず お互いが緊張関係にあり最早コミュニケーションが出来ないような状態になっていた。 お店の若者はこの時点でかなり追い込まれたのであろう。 もうどうしたらいいのかわからないというような状況に陥ってしまっている。 鶏肉をきちんと伝えられないため 妻が「じゃあ、鳥のモノマネをして見たら?」と言う。 僕は懸命に両手を羽のように挙げて「コケークッツクッツ」と言いながら、 若者の顔を見る。若者は完全に思考停止状態である。 これでも通じないのかと思い、唇の上下を手前に引っ張って くちばしのようなものを作り、再度、鳥の真似を試みる。 若者は一体この人はどうしてしまったんだろうというような目になり、 恐れとも哀れみともいえる様な感じで僕のことをじーっと見ていた。 結局、この若者に頼んで誰か英語か日本語の出来る人は居ませんか? とお願いすることにした。 英語が片言話せる店員が来た。 彼に、もう一度、「地球の歩き方」を見せて、このMENUと同じかと聞くと、 その店員は書かれていたハングルを読んで同じだと言った。 ついにオーダー成功! ブルダクが食べられる。ビールとともにやって来たブルダクは 若者の怨念が込められたように辛く舌をひーひー言わせながら食べた。 旨みを通り越した辛味の世界を体験する。 これが釜山最後の夕食となった。 あの若者がいてくれたことによって釜山の思い出はより強烈になった。 #
by haruharuyama
| 2008-10-12 09:10
| 映画
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作・演出・プロデュースの水木英昭のプロフィールは以下。 1988年劇団スーパー・エキセントリック・シアターに入団。 オフSET水木英昭プロデュース公演は人気が高かったが、 SET第38回本公演を最後に2000年に退団。 この公演は2005年に上演された「眠れぬ夜のホンキートンクブルース」の 完結編という意味なのか? 前作の「眠れぬ夜の電波ハイジャック(再演)」が 面白かったので今回も楽しみだった。 今回は「電波」と比べて、シュールなバカバカしさは幾分抑えられている。 その分、母娘との関係や、男同士の友情みたいなものが わかりやすくきちんと描かれている。 舞台は横浜のホストクラブ。 同級生だった友人三人がひょんなことからホストクラブを始める。 ホストクラブにCATVの取材が入ったりする。 水木はこういうメディアの使い方が上手い。 メディアの持つ特性を批評的に描き出す。 繁盛しているホストクラブは拡大し、支店を増やす。 そんな中、神奈川県警が風営法の取締りを初め 多くのホストクラブが標的にされ営業停止などに追い込まれる。 いつも取り締まりがあるときに地味な女(小松彩夏)が ホストクラブに来ているのだった。 その彼女が実は・・・。 というような話。 筋道だって描かれているので破綻しないまま物語は続いていく。 時々、ホストたちが一斉に歌をうたうシーンがいい。 南流石の振付である。 こうやってちゃんと振付師が介在していることによって 舞台が芳醇なものになるのだと思った。 ちょっとしたことが記憶に残るのである。 「チャッチャッツチャー♪」といみんなの一斉の動きと発声は忘れられない。 演劇的な手法である。 津田英佑の歌がいい。 そして宮本大誠である。 この日は、宮本のお師匠さんにあたる西岡徳間さんも見にいらしていた。 いつまでも一緒にやっていた後輩の舞台を 気にかけていらっしゃる師匠の姿が焼きついた。 宮本の今回の「武蔵」という役はかなり難しい役。 真面目な金融マンだった武蔵は友人の誘いで 自分の好みと似ても似つかないホストの商売を始める。 彼には妻がいる。 本当は、二人だけで一緒に静かに 居るのが一番好きな男。 情けなくて優しくて、だからこそ 借金を莫大に抱えてしまったどうしようもなさと、 可愛らしさが同居しているような男。 そんな男を宮本が演じるのである。 映画「男樹」で本宮ひろしの世界を演じきった俳優が 今度はまったく別のキャラクターを演じる。 大人の男の哀愁を漂わせることが出来るようになった今、 宮本大誠は新たなステージに踏み出して行くに違いないと確信した。 #
by haruharuyama
| 2008-10-10 09:24
| 舞台
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著者の岸さんの経歴が面白い。 東海大学海洋学部水産学科を経て、 早稲田大学大学院国際情報通信研究科を修了、 中央大学研究開発機構専任研究員を経て、 2004年に電通に入社。 名古屋で二年雑誌・メディアマーケティング部を経験したのち 2006年東京本社IC局へ。 今年の7月にコミュニケーション・デザインセンターが新設されたのにともない、 IC局員はそこへ。 既に、局の名称が「コミュニケーション・デザイン」なのである。 こういった経歴を持つ「考える頭」を持った人々が これからどんどん重要な戦力になってくるのではないか?と思った。 そうやって様々なジャンルから新しい価値を生み出して行き、 この大企業は新たなステージへ進もうとしているのだろうか? その最前線で活躍している方の具体的なメッセージがここにある。 メディア環境が変化して生活者のスタイルが変化したら それに合わせて当然広告、マーケティング戦略も変わらなければならない。 そのことを地道にやって来たことの結果がここに現れている。 岸さんの幸福なところは、新しいことに挑戦したいという 企業の依頼がありクライアントと信頼関係を築きながら 新しい方法を一緒に模索できる環境を作っていけていること。 それは、岸さんを初め優秀な制作者が知恵を集めた結果でもあると言えるだろう。 それくらい、岸さんの手掛けてきたキャンペーンは刺激に満ちている。 本書ではその具体的な事例が紹介されている。 その事例紹介がむちゃむちゃ面白い。 永谷園、ワールド通商、アース製薬、マリエール、漢検DS、などなど。 どれもどうやって発想したのかということが書かれてあり、 お得意との切り結び方についても言及されている。 また何か起きたときのリスクヘッジをちゃんと考えながら 作業をしているという姿に納得し感心した。 特にWEBメディアは、出稿しても変容可能である。 出稿してからがスタートであるとは良くいったものだなあと思った。 出稿してからのリスクをお得意と共有し、 いったんそのことが起きるとどのようにするのが適切なのか? というところまで想定されてキャンペーンを組み立てている。 ここでは最早、わかりやすく多くの人に届くもの という概念ではない考え方が現れている。 マーケットとターゲットをとことん分析した上で出てくる深く刺さっていく表現方法を 全てのメディアにわたって考えていくこと。 そのようなメディアがなければ作ってしまおうと思えること。 そのような大きな価値観と発想の転換なしには このコミュニケーション・デザインというのは成立しないのではないか?とすら思った。 新たな場所を開拓しているその様は まるで西部開拓のようである。 何もないところに一から何かを作っていくこと。 そして本書にはさらに示唆的なことが書かれている。 「自分が動かないキャンペーンで人は動かない」 そして「ブランデッドエンターテイメントからコンテンツへ」ということが今、 まさに求められ始めているのかも知れないのである。 つまり「本当に面白いもの」を作らなければいけないということ。 身の引き締まる思いであり、同時にワクワクする気持ちもある。 そんな気持ちにさせてくれる名著である。 #
by haruharuyama
| 2008-10-09 11:08
| 読書
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