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副題は、電通式クロスメディアコミュニケーションのつくりかた、とある。 本書の執筆者たちは電通で新設された部署 「コミュニケーション・デザインセンター」に所属しているスタッフの方々が 中心となって書かれている。 筆者紹介の部分にはこのように書かれている。 マーケティング、クリエーティブ、メディア・プロモーション、 インタラクティブ、R&Dなどの専門性と経験を持った電通社員による、 クロスメディアコミュニケーションの開発・実践を行うための、 クロスファンクショナルなチームです。 とある。 本書を読んでいて非常に面白いなあと思ったのは、 「クロスメディア」とはシナリオを作ることである、ということ。 生活者のみなさんが興味をもってその興味に対する導線を引いて行くこと。 そのことを考えることこそが「クロスメディア」を考えることにつながるということである。 これは言い換えると、ひとつのメディアだけのコミュニケーションだけでは 生活者を説得できない、生活者を動かす事ができないということである。 生活者が主体的に情報を入手できるところまでもっていく。 そのような場を、環境を作っていくことが、重要なことになってくるんだな、 ということが何となくわかってくる。 そのためのメディアを用意しておくことが必要であるとここには書かれている。 その解決策は毎回違ってくる。 ターゲットが絞り込まれておればそのインサイトを突き詰めていった先に 方向や方法が見えてくるのかも知れない。 そのためにはターゲットとなる生活者がどのような生活を送っているのか という想像力が必要となる。 生活者の行動様式を知ることによって、 コミュニケーションのコンタクトポイントをどこにもっていけばいいのかが分かってくる。 生活者の行動様式を知るためのデーターベースが電通の中にはある。 ターゲットビジュアライザーというものだそうである。 シナリオ作りには大きくわけて三つの方向があるらしい、 一つは同じフォーマットで情報を変えていくというもの、 こんなのもこんなのもあるよ!というようなコミュニケーションの仕方。 二つ目は、時系列で情報が変化していくというもの。 簡単にいうと連続ドラマのような考え方。 そして三つ目はメディアを分けて見せていくというもの、 「続きはWEB」でが典型的な例である。 シナリオの次はコンタクトポイントの設定である。 これは5つある。 1、商品そのもの。 2、マス広告&販促グッズ。 3、WEBサイトや主宰イベント(これは生活者が積極的に参加しなければならないもの) 4、番組や記事のPR&店頭。 5、口コミ。 これを効果的に組み合わせる方法を考える必要がある。 本書では具体的な事例とともに語られる。 続いてプランニングのためのプロセスについて語られる。 簡単に言うと、ターゲットである生活者のことを想像し、 アイデアをストーリー化していき、具体的なクリエーティブを考え、 それの実行についての検証をし、実施に至るための交渉をし実施する。 そしてその成果を評価すること。この繰り返しであると語られる。 なるほどな、と思う。何かを考えるということは今までと何ら変わらないのであり、 その方法や出口が多様になっているだけなんだなということがわかってくる。 そうなるとクロスメディアと言ってもおそるるに足らずである。 その時に重要になってくるのが様々なジャンルが存在するということ。 なにをやってもいいい。 そのためのチームをそのたびごとに集めていけばいいのである。 ものすごく広い世界がそこには拡がっている。 とりとめもない広すぎる世界に不安を感じるかもしれないが、 それだけ自由であるということを楽しもうと本書は結んでいる。 #
by haruharuyama
| 2008-10-07 08:54
| 読書
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Comments(3)
先日、若松監督の「実録・連合赤軍」をススメテくれたYさんから貸して頂いた。 若松孝二46歳の時の語り下ろし。編集は内田栄一。 読み物としてものすごく面白い。 若松孝二の波乱万丈の半生がここに凝縮されている。 1936年(昭和11年)に宮城県の田舎町で生まれ、農業を手伝いながら学校に行く。 そして親の勧めで高校まで行かせてもらうのだが、悪いことばかりを繰り返し、 3度目の停学から退学処分となる。 そうして彼は東京にやってくる。 「ALWAYS三丁目の夕日」の世界である。 堀北真希が青森から出てきたように。列車に乗って宮城県から東京へ。 若松孝二は東京のお菓子屋さんで丁稚奉公みたいなことを始める。 ただし、ひとところに長く居るタイプではなく転々とするタイプ。 女の世話も随分受けてきたみたい。 本書が語り下ろされたとき若松孝二は46歳だった。 この年齢になると若いときにやってきたことを 赤裸々に語っても、だんだんと恥ずかしくならなくなる。 若松孝二も初体験の童貞喪失から何からとにかく素直に語っている。 その後、ひょんなことからやくざになるのだが、 あるときに警察につかまり拘置所に入れられる。 結局、執行猶予三年がつくのを気に、 拘置所経験で警察権力に蹂躙された怒りを 映画という表現媒体に向けていくことになる。 現場のどろどろのところから地を這うようにして這い上がっていってる人間は強い。 そこが若松孝二のものすごいところであると思った。 自らの権力に対する怒りが創作意欲につながっていく。 若松孝二は70歳を過ぎたいまでも セックスと暴力と反権力闘争の人である。 その一貫して変わらない姿勢は敬意に変わる。 助監督からピンク映画の監督に、その過程で 様々な映画人などと知り合い交流をする。 足立正生、松田政男、大島渚、唐十郎などなど。 「犯された白衣」と「性賊」(セックス・ジャック)の二作品が カンヌ映画祭に出品された1971年に衝撃的な体験をすることになる。 カンヌの帰りにベイルート経由でパレスチナに入り、 そこのゲリラを撮影することを試みる。 最初は訓練に明け暮れるのだがあるときに何を撮影してもいいと言われる。 生死のギリギリのところで撮影を敢行する。 独立プロだからこそ出来る事があると思った。 結局、個人の熱意の強さが何かを動かしていく。 組織では決して出来ないことがあることを教えてくれる。 現在なら自己責任ということばで メディアたちはこのような行動をどのように語るのだろうか? この取材で通訳として尽力したのが連合赤軍の重信房子であり、 パレスチナでは岡本公三は英雄視されていることが書かれている。 こんなところからも「実録・連合赤軍」に至る発芽を見て取れるのである。 その後、若松はプロデューサーとして「戒厳令の夜」や「愛のコリーダ」を仕切る。 「愛のコリーダ」がヒットした若松はそれまでの借金が帳消しになったそうである。 そして「水のないプール」へ。 本書は「水のないプール」の公開に合わせて作られたものだったのだろう。 疾走するように生きてきた男の半生記の読み物として本当に面白かった。 そして、映画をこのような想いをもって作る事が出来るのだろうかと自分に問うた。 #
by haruharuyama
| 2008-10-06 07:10
| 読書
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プラチナ・ペーパーズの堤泰之と言えば演劇界では多くの人が知っている名前だろう。 堤泰之は1960年生まれ。愛媛県出身。東京大学教育学部中退。 1978年から90年にかけ、ネヴァーランド・ミュージカル・コミュニティにて、 十数本のオリジナルミュージカルを上演。 1991年、プラチナ・ペーパーズ設立。脚本・演出・プロデュースを手がける。 プラチナ・ペーパーズは、「レーベル・システム」という 独自のプロデュースシステムで演劇の製作を行う会社である。 ホテルの一室を舞台にした男女の二人芝居「ピカレスク・ホテル」シリーズや、 教師達の悪戦苦闘ぶりを描いた「ザ・中学教師」シリーズなどを継続的に上演。 1995年には、多くの役者に力試しの場を提供しようという オーディションプロジェクト「ラフカット」をスタートさせた。 ということがHPに記載されていた。 僕は劇団・道学先生の演出などで堤さんの演出作品を見ていることがわかった。 今回のラフカットという試みは新たなチャンスを求めている俳優さんたちに チャンスを与えようとする試みをしているプロデュース公演だそうである。 俳優さんはさまざまなところから参加している。 今回は、4作のオムニバスからなる。 それぞれに劇作家が違い、全てを堤康之が演出する。 各話ごとに違う俳優さんが出演する。 その総数は、35人にものぼる。 1話が大体30分から40分のショートストーリーである。 劇作家が違うだけでこうまでも違う演劇になっていくのかと驚いた。 四者四様の個性をもったものに完成した。 初日ということもあって多少硬さなどの気になるところもあったかも知れないが それをはるかに上回る脚本の面白さだった。 第1話は塩田泰造作。 興信所の男たちが三姉妹のアパートから隣のマンションの部屋を 捜索させてくれと願い出にくる。 依頼主は不倫をしているだろうと思われる夫の妻(黒木絵美花)。 隣のマンションでは風邪で寝ている女性が。 どうやら同じ会社の部下のようである。 男はかいがいしく彼女の世話をする。 彼女は風邪で寝込んでいるのにかかわらず今日の男の 誕生日のために、プレゼントとしてネクタイを買っていた。 妻はこの日が夫の誕生日だったと気付いていなかったようで、 このことで初めて今日が夫の誕生日であることを思い出す。 妻はそのことで夫に対する思いに火がつくのである。 同じ男を中心とした関係の対比が面白い。 その対比によって倦怠期の夫婦がある別の関係に変化していく。 塩田泰造版、「七年目の浮気」? 塩田泰造の描く世界は可愛らしい世界であるのだが、 そこに、そこはかとないエロスが漂う。 それは得もいえぬささやかなものなのだが、 それが時に、とてつもなくHな感覚として捉えられるのが 塩田ワールドの不思議なところである。 第2話は堤康之自らの脚本。病室が舞台である。3つのベッドがある。 そこで様々な生と死の模様が描かれる。 末期ガンの検査と治療法を模索しながら長期入院している男の姿がいい。 若い社員がお見舞いに来て、先輩社員に退職勧告を告げる。 男は最期の命を振り絞りながら 生きようとする思いを「たまごっち」を育てることに置き換える。 その対比がカッコ悪くてカッコいいのである。 今回の舞台は全てにわたってこのようなことが通低していたと思った。 カッコ悪くても一生懸命なのが、実は、カッコいい。 第3話はドラマなどの脚本も手掛ける、渡辺千穂の脚本。 エレベーターの中で起きる小一時間ばかしのドラマである。 たまたま居合わせたエレベーターが何らかの原因で停止する。 そこからここに尾合わせた人々が様々な事情を抱え、 どのように思っているのかが見えてくる。 本音と建前がごっちゃになり、混沌とする。 6人それぞれの描き分けが出来ていて、 ストリーテリングとして一級品の風格を感じる。 そして、彼らはそれぞれの場所に以前とは少し違った形で戻っていく。 ライティングと効果音だけでエレベーターを ちゃんと想像させる演出がとっても良かった。 第4話は羽原大介の脚本。 彼は映画「パッチギ」「フラガール」で二年連続日本アカデミー脚本賞を受賞した。 つかこうへいに師事をしていたそうである。 どちらの映画も僕の大好きな映画だった。 それだけに羽原さんの脚本は僕のココロに沁み込んだ。 弱きものに対する限りない愛情。 音楽の「ダニーボーイ」がこれでもか、というくらいに使われている。 母(水木ゆうな)の手紙と息子(平野良)の手紙の往復書簡の朗読から舞台は始まる。 若い母親のもとで育った彼は東京に出てきて 姓同一性障害だった自分を正面から向き合い認めてくれる人たちと出会うことが出来た。 息子のパートナーはショウパブのママである年上の男性(税所伊久磨)。 彼は母親に自らのことを隠し立てせずに話そうと決める。 とまどう若い母親。 彼女も息子を中学生で出産。 中学を中途でやめることとなって年上の夫がやっていた 上州の老舗旅館で子育てをしながら働き始める。 夫が早くに亡くなって世間の冷たい視線にさらされながら 息子を育て上げ旅館の若女将となった。 その彼女は結局、息子の姓同一性障害を受け容れていく。 「私の子供が男だろうが女だろうが私の子供に違いない」と。 ショウパブで水中の中の男性シンクロのようなショウがあるのだが、 それが見ていて本当にカッコ悪くてカッコいいのである。 その懸命さが人の気持ちを動かしてくれる。 思わず拍手をしていた。 本当に、それぞれに密度の濃い四つの舞台を見て 「ラフカット」という試みが、有効であり尚且つ高いレベルで あろうとしているという強い「志」を感じた。 頭の下がる思いだった。 #
by haruharuyama
| 2008-10-02 11:08
| 舞台
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先日、阿佐ヶ谷スパイダースの舞台を見て、 そのパンフレットに坪内祐三が本書のことについて書いていた。 この芝居を見終えた観客は 是非福田恒存の長編評論「人間・この劇的なるもの」に目を通してもらいたい。 有楽町の三省堂書店に何と2冊置かれていた。 早速1冊を購入。読み始める。 福田恒存はシィクスピア戯曲の日本語訳を行い、 自らの劇団「昴」の主宰でもあった。 もちろん、彼自身多くの戯曲を書いており、 同時に文芸批評家でもある。 知的で多才な人だったんだなあと思う。 本書は彼が、「劇的なるもの」とは何ぞやということに思いを巡らしたものである。 評論というのはその人の思考の過程を記述したものである。 そこから福田自身も発見し考える。 それは、多分、書くことによって頭の中の整理が出来、 想いが様々な方向へ拡がっていくことを記録していく行為なのだと思う。 そこには文学的なセンスが問われる。 福田はこれを誰に向けて書いたのか? 初出は「新潮」という文芸誌の連載だったそうである。 昭和30年から31年にかけてのこと。 このころの活字文化は隆盛を極めていた。 多分、今の若者よりも文章の読み解き能力が高いものが 多くいた時代なんだろう。 その人たちがいま、定年を迎え始めている。 本書の冒頭のところで阿佐ヶ谷スパイダースの舞台 「失われた時間を求めて」で描かれているテーマ。 意識と時間についての描写がある。 純粋な意識の前では、時間は消滅する。 意識は、平面を横ばいする歴史というものに垂直に交わるからだ。 この引用で「失われた時間を求めて」という 舞台のことを伝えられるとは到底思わない。 また、福田恒存のこの文章を、僕自身が完全に理解したとは当然思えない。 考えるためのスタートとしてこの文章があるというのが 正確であるのかも知れない。 本書で主に語られていることは、 人間は生きているときには何らかの役を演じているものだ。 そのことに自覚的であり意識することから何か見えてくるものがあるのではないか? ということである。 僕自身もプロデューサーという役割を演じていたり、 夫や息子、友人などといった様々な役割を演じている。 それ自体は個性などというものではない。と。 二十歳代に本書を読んだ坪内祐三の推薦文が腰巻に書かれている。 「福田は言う。『個性などというものを信じてはいけない』、 『もしそんなものがあるとすれば、それは自分が演じたい役割ということにすぎぬ』と。 #
by haruharuyama
| 2008-10-01 07:43
| 読書
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梅田望夫が「サバティカル」宣言をした。 と、ブログに書かれていたのは衝撃的だった。 「研究ための長期休暇」を取る。 そのために今後「私塾のすすめ」以降は当分、出版などは行われないと。 ええええ!とショックだった。 いつも梅田望夫の文章に触れるたびに勇気をもらい 未来について考える事ができた。 その文章が読めないなんて!と悲嘆にくれた。 唯一読んでいなかった梅田さんの本がこれだった。 アマゾンで調べて注文購入をする。 書店をさがしてもこの本は見つからなかった。 2006年に出た文庫版である。 2年弱も経つと店頭から姿を消すというのは仕方がないことなのだろう。 数日もするとアマゾンでやってくる。 シリコンバレーのネットバブル崩壊後以降のことを語ったのが本書である。 梅田さんが良くお書きになっているグーグルの萌芽の部分が本書に記されている。 ネット上にある様々なものをグラフ構造化して、 その構造を簡単に分析できるものを開発しようとした 二人の数学者の好きなことへの邁進がグーグルを産んだと書かれてある。 実際には難しすぎてわかないが、 そのグラフ構造であるという直感から そのWEB(蜘蛛の巣)の張り巡らされた全てのものを 解析しようという発想を信じて突き進んで来たということ自体に驚きを感じる。 そのときは誰もその構造解析のシステムから あのような優れた検索エンジンが開発されるなんて予想もしていなかったことだし、 その検索に連動した広告で利益を得るという仕組みを考えるに至った経緯は さらにすごいものを感じる。 梅田は言う。 若いものたちが何か始めたらそれを大人たちは喜んで眺めているだけでいい。 彼らの努力が実るか大きくなるかなんてわからない。 そのわからないものを、わからないまま放置出来、 わからないことを純粋に応援できるのがシリコンバレーの精神なんだろうなあと思う。 シリコンバレーはサンフランシスコの東に位置する。 サンノゼというところが中心地などと言われるが どこからどこまでがシリコンバレーかという定義はないそうである。 しかし、あの風光明媚で自然が豊かなのんびりとした街で、 ものすごく新しい事が起きている。不思議な感覚である。 梅田は1994年にこの地にやって来た。 そして、1997年にミューズ・アソシエイツを創業する。 本書自体は、その頃に、 新潮社の月刊誌「フォーサイト」に 「シリコンバレーからの手紙」というタイトルで連載されたものがベースとなっている。 単行本自体は2001年に発行されている。 そして2006年に文庫版が出版される。 文庫版のために梅田が新たに書き下ろした、 前書きと、文庫版のための長いあとがきを読むと 2006年に梅田さんが考えていらしたことが良くわかる。 メディア状況が変化しようとしている今、 本書には面白くかつ教訓的なことがたくさん書かれている。 その中でも本書で特に興味を持ったのが 「マドル・スルー」という状態を表す言葉である。 英語で書くと「Muddle through」となる。 文字通り「泥の中を進む」=「先行きが見えない中。 手探りで困難に立ち向かう」という意味だそうである。 今の広告業界もまさにこの状態にあると言えよう。 そしてこの状態をプロセスとして楽しむ文化が アングロサクソンにはあると中西輝政京大教授は語る。 未来を創造する為にこの状態を積極的に楽しんで 試行錯誤していくことが、今の我々に求められていることの一つかも知れないな? と本書は教えてくれる。 #
by haruharuyama
| 2008-09-30 10:26
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