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宮藤官九郎がものすごい勢いでテレビに出ている。 「雫」という発泡酒のTVCM。 ちなみに、三谷幸喜はJALのCMに出ている。 TBSの昼ドラに宮藤官九郎が脚本を書いたと聞いてびっくりした。 「池袋ウエストゲートパーク「木更津キャッツアイ」「僕の魔法使い」 「マンハッタンラブストーリー」そして「タイガー&ドラゴン」。 「タイガー&ドラゴン」は先日ギャラクシー賞を受賞。 僕は、このドラマを見て、古典落語を聴いてみよう、見てみようという気になった。 これらのドラマはどれも、ものすごく面白く、水準が高い。 DVDの売り上げやレンタル数が多いらしく、 視聴率はそうでもなかったのに、永く支持されるドラマを作り続けている。 プロデューサーは全てTBSの磯山晶女史。 彼女の描いた漫画「プロデューサーになりたい」は、むちゃむちゃ面白い。 このコンビが、昼ドラに進出したのだから見ないわけにはいかない。 主婦役は斉藤由貴、夫役は及川光博。 及川の母親役で、竹下景子が熱演をしている。 昼ドラなので、そんなにセットなどにお金をかけられないのだろう。 泉放送制作が制作を担当している。 しかしながら、それを余りある爆発的な 不思議なドラマを作ろうという意欲に満ち満ちている。 劇中でミュージカルあり、夏目漱石の紙幣が頻繁に出てきて、 しかも加工される。透かしに斉藤由貴が入ってしまう。 これは、文豪、夏目漱石がやりくりに悩む主婦の斉藤由貴に乗り移り、 それによって周囲の人たちとのドタバタ騒動を コメディとして描こうという試みを行なっている。 話自体はシュールだが、人間が乗り移るという手法は、 「僕の魔法使い」でもやっていた。 そして、そこから主婦の生き方とか、家族との生活というものが あぶりだされる。 夏目漱石から見た家族や主婦の姿によって客観的な視線を獲得する。 全40話で、30分だから、通常の連続ドラマの倍の分量がある。 宮藤が途中で飽きてきて書くことがなくなったと語っている。 そこから、さらに、宮藤脚本の本質が垣間見えるのではないだろうかと 今から楽しみにしている。 始まったばかりで、どうなるのか目が離せない。 とにかく、毎日、HDDレコーダーが着実に録画してくれている。 ![]() ![]() ![]() #
by haruharuyama
| 2006-06-03 08:04
| TV
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ジム・ジャームッシュとの出会いは衝撃的だった。 「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は全く新しいインディーズの アメリカ映画として僕たちに迎えられた。 映像表現も斬新で、1980年代の当時、 この映画をベースにした「出光」のTVCMも作られた。 そして次回作の「ダウン・バイ・ロウ」では、笑った。大笑いだった! この可笑しさは何だろうと思った。 映像はあくまでスタイリッシュなのだが、 その中に微妙に変なことが描かれ独特の雰囲気が残される。 そんな映画なのだ。 ロビーミュラーという撮影監督の映像も印象的だったが、 それよりもとぼけたイタリア人には本当に参った。 そして、「ミステリートレイン」。 日本人俳優、永瀬正敏と工藤夕貴が出演している。独特の虚無感。 この映画を見てから10年以上経って、メンフィスに行ったことがある。 人が少ない街をうまく捉えながら、独特の無力感を描くことに成功していた。 「ナイト・オン・ザ・プラネット」は4話のオムニバス映画だった、 全世界同時刻でのタクシー運転手と客とのやりとりを描いている。 ウィノナ・ライダーがまだ新人の頃で、彼女の魅力を上手く引き出していた。 ヘルシンキでの話が妙に印象に残っている。 雪の積もった道路の夜道はこんなにも美しいのかと感じた。 その後、ぱったりと彼の作品を見に行かなくなる。 特に理由はないが、 80年代の独特の空気感と彼の表現が時代にリンクしていたことが、 バブル崩壊の頃とともに少しずつ、何かがずれ始めたのかもしれない。 ということで10数年振りに、彼の作品を見に行った。 2005年カンヌグランプリ作品。 主演のビル・マーレイは独特の味を持っている。 いつも困ったような顔をして、世間や現実、自分の人生を受け容れようとしている。 ソフィアコッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」もまさしくそのような映画だった。 日本にCMの撮影に来た、大物俳優の役。 日本人たちは何を言っているのかサッパリ理解できない。 そんな環境のTOKYOという街を彼はさまよい続ける。 彼の困った顔がリアリティを持って僕たちに訴えかけてくる。 この映画では、 人生として成功しているだろうビル・マーレイは昔の恋人たちに会いにいくことになる。 彼が積極的に起した行動ではない。 全てが受身の中で、彼は行動していく。 そして過去の女たち5人と、次々と出会って、彼はさらに別の何かを受け容れていく。 決して大声で語られることはない。 そうして現実と過去を淡々と受け容れることから 人生の滋味のようなものが溢れて出てくる。 僕たちはビル・マーレイと一緒に 受け容れていくための旅をすることとなる。 振り返ってみると、ジム・ジャームッシュはいつも 同じようなことを描き続けていたのではないかと感ずる。 ここではないどこかに自分の居場所があるだろうと思い、さ迷う。 今いる、ここの自分に違和感を持ちながら過ごしている。 ストレンジャーとは良くいったものだ。 彼はこのことを映画を通じてずーっと描き続けているのではないだろうか? ![]() #
by haruharuyama
| 2006-06-02 18:34
| 映画
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Rさんと知り合ったのはイタリアだった。 あれから、15年くらい経っただろうか? ロケーション撮影で白い壁の続く街がテーマということになった。 イタリアの南部にあるだろうということになり、 ローマ空港に降り立った。 当時は、インターネットの画像検索などもなく、 イタリアかギリシアに行けば何かあるだろうという情報だけでスタッフは ローマ空港に降り立った。 当時、付き合いのあった イタリアのプロダクションサービス会社にお願いすることにした。 ギリシアには、そのようなルートがなかった。 そこで通訳として雇われていたのが彼女だった。 Rさんの喋りを聞いていると、まるで早送りでテレビ番組を見ているような気持ちになる。 そして、クルクルと頭の回る人だなあと思って感心した。 彼女は、とにかく圧倒的に喋り続けた。 それは全てのことに対して平等だった。 イタリア語でも日本語でも、プロダクションサービスとしての業務から、 ローマ出身者とミラノ出身者の仲が悪いということに対する説明。 確か、アンジェロとステファノだったように記憶している。 リストランテでのメニューの説明。 全てのメニューについて日本語で説明してくれた。 これが、この後イタリア料理に対する多大なる知識となった。 タクシー運転手への指示、領収書の受け取り。 そして日常的な日本人としての会話。 「03」という雑誌の原稿をもらいに村上春樹に会った話や、 ゴッドファーザー三部作が如何に凄いかという話まで。 この人はいつ喋り続けることをやめるのだろうか? というくらい喋り続けてくれた。 僕は、その早送りの番組を、ものすごく集中しながら聞き、 僕の知的好奇心がどんどんと満たされていくことになった。 このロケーションは3週間に及び、南部へのロケハンや打合せ。 ミラノでのオーディション。 撮影後ミラノに戻っての現像、スクリーニング。 僕は常に彼女と行動をともにすることとなった。 Rさんの友人で一緒に暮らしているMさんとたまたまローマで会うことになり 一緒に夕食をとることになった。 MさんはRさんとは全然キャラクターが違うのだが、 二人で話しているのを聞いていると妙に息があっていて、 全盛時代の漫才コンビの芸を見ているようだった。 Rさんは、その後ローマで知り合った、知的で繊細なアメリカ人 Jさんと一緒に、Mさんの実家がある京都にやってきた。 京都や大阪に出張の際、たまーに会うことが出来た。 Jさんは京都で日本語の勉強をしながら、自分の進むべき道を探っていた。 Mさんは、京都の町屋を改装したギャラリー兼ワインバーを開く。 1年か2年に一度、Mさんのワインバーに顔を出し、いろいろな話をした。 RさんとJさんは結婚することになり、東京で結婚パーティーが開かれた。 いろんな面白い人たちが集まった。 Rさん、Jさんの魅力がこのような人たちを惹きつけるのだろうと思った。 そして、二人はJさんの故郷であるボストンへ引っ越すことになった。 7,8年前だったろうか、僕が米国に研修に行ってる際に、 クリスマス休暇を利用して国内を放浪した。 その放浪地の中の一つにボストンを選んだ。 クリスマス前にボストン国際空港に着いた。 Rさんとは空港で、久しぶりに出会った。 彼女は明日から日本(高知)に、戻るらしい。 その日は一緒に、焼肉を食べた。 Jの「also」[as well as]の英語の発音が紳士的で耳に残っている。 気持ちのいい発声だった。 彼女を見送って、僕はJさんと一緒に彼のアパートに戻った。 これから3日間、Jさんのアパートにお世話になる。 クリスマスイブには郊外のJさんの両親の家に一緒に行くことになった。 彼の親戚はその時のことを覚えているだろうか? Jさんは当時行っていた大学の同級生である、 ロシア人の女の子も一緒に連れて行った。 彼女は今、何をしているのだろう? ボストンでJといろいろな話をした。 もちろんRさんの話を中心に。 JさんはRさんのことが本当に好きなんだなと改めて思った。 もちろん、それだから結婚したわけだが。 そして、先日、高知に行った際に、Rさんと久しぶりに再会した。 Rさんは全く変わっていなかった。 イタリア語が土佐弁に変わっているだけで、 機関銃のようなトークとエネルギッシュな行動力はそのまんまだった。 Rさんは家族のことで単身、高知に来ている。 高知に2カ月、ボストンに2カ月を繰り返す生活。 子供たち(8歳と4歳の娘)と離れて暮らさなければならない。 ままならない状態。 この状態を変えるための結論なんかないし、出せない。 そのままこの生活を続けていくことしかないのかも知れない。 その中から何らかの方法が見えてくるのかも知れない。 そんな気持ちで一杯になった。 高知とボストンが1時間くらいでつながればいいのにと本気で思った。 #
by haruharuyama
| 2006-06-01 08:47
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アメリカ合衆国とはいったいどんな国なのか? その根っこのところを判りやすく解き明かしてくれたのが本書。 内田はアレクシス・トクヴィルの170年前の著作 「アメリカにおけるデモクラシーについて」をアメリカ論のベースに置いた。 アメリカに長くいた人やアメリカ人が身近にいるひとには、 なるほどと納得させられることが多々あるだろう。 内田は歴史的背景をベースに紐解きながらアメリカ合衆国を語っていく。 時々、西部劇で有名な、ワイアットアープと発明王のトーマスエジソンは 実は同じ時代に生きていたのだなどというエピソードを教訓的に挿入する。 またここでは内田は「マイナスの想像力」という言葉を使う。 彼の著書「知に働けば蔵が立つ」で「強い想像力」と語ったように。 (以下、引用) 「マイナスの想像力」とは「すでに起きたこと」を 「まだ、起きてないこと」として「かっこに入れる」想像力の使い方です。 現在から過去に向かって遡行しながら、そのつど「分岐店」をチェックして、 「どうしてこの出来事は起きなかったのだろう?」というふうに考えて見ることです。 このような想像力は言い換えると、その時代に 未来はどうなるかなどと考えずただいる自分を想像し、 起きた出来事と起きなかった出来事を想像してみる力といえるのか? これは、面白い視点だなと思った。 このような目を見開かされるような考え方が次々と披露されるのが 内田樹の著作物の面白いところでもある。 ここではさらにファーストフードをベースにした食と民族主義の話。 (対立項として、イタリアピエモンテ州で起きたスローフード運動が取り上げられる。) アメリカンコミックのヒーローの系譜をベースにした、 日本人とのヒーロー観の違いについて。 アメリカのデモクラシーは独善的であるという話。 (やはりアメリカは正義の衣をまとったジャイアンであるというのがここから読み取れる。) 児童虐待、シリアルキラー、身体と性、キリスト教、社会資本、裁判などのトピックが続く。 日本もアメリカ化が進んでいるのだなあと改めて思う。 このことは、果たして如何なものだろうかということに思いを馳せる。 日本は、日本独自の日本化であり、アジア化に向かって進むのが、 自然な流れになるのではないのでしょうか? 元キャノンの社長だった御手洗さんが経団連の会長に就任された。 御手洗さんの行なってきた、 日本式経営はそのひとつの指針なのではないだろうか? ![]() #
by haruharuyama
| 2006-05-31 08:42
| 読書
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ミヒャエル・ハネケという監督の特集上映の一環。 ミュンヘン生まれで、現在オーストリアに住んでいる。 彼の、名前をすらまったく知らなかった。 舞台などをしたのち、この作品が彼の、長編映画デビュー作となる。 オーストリア映画というものをもしかしたら初めて見たのかもしれない。 実は、この映画はディレクターYさんが強力に薦めてくれたもの。 あのYさんが薦めるのならと思って、ゴールデンウイークに行こうとしたのだが、 タイミングが合わず、諦めていた。縁とは不思議なものである。 連休中は、ハネケの映画には長蛇の列が出来て、毎回、立ち見だったらしい。 評判が良かったので、追加上映が決まった。 その情報を何故か知ることになる。不思議なものである。 毎週、「ぴあ」を買うようなことはしない。 どこからこの情報を知ったのかは明らかではないが、 インターネットが引き合わせてくれたのは確かである。 映画は、3年間の家族を淡々と追ったもの。 父と、母と、小学校高学年くらいの娘。 この映画は実話を基に作られたらしい。カメラは彼らの日常を淡々と描いている。 最初、面白いのは、登場人物である家族の肖像が見えないように 撮影されていること。 あまりにもその撮り方が延々と続くので、ミヒャエル・ハネケの意思を感じる。 映像は抑制されてはいるが,美しい。 いろんな生活グッズなどのクローズアップショットが積み重ねられる。 目覚まし時計のアップ。 食卓の食事風景をテーブル上だけ切り取る。 車のイグニッションキーのクローズアップ、シフトレバーのクローズアップ。 この映像の仕組みをどこかで見たなと感じた。 ああ、数年前にカンヌ国際広告祭で金賞を受賞した、 イギリスのCM「EVERYDAY」と似ていると! HONDAのCIVICの広告であり、 HONDA UKの企業広告でもある。 朝起きて、車で通勤し、帰宅して夜寝るまでの日常が、 クローズアップショットだけで構成されている。 ワイデン&ケネディ ロンドンのクリエイティブスタッフは この映画からあのCMのアイデアを触発されたに違いない。 この映画はある種、観客に考えることを強制する。 考えながら見ないと、「退屈」な映画として認識されてしまう危険性をはらんでいる。 家族は夢のような「七番目の大陸」に移住しようと考える。 映画では「オーストラリア」に移住しようという家族として語られる。 しかし、彼らにとっての「七番目の大陸」は、実は。 というところで、衝撃的な結末に至る。 ある時点でその結末は予想されるのだが、 いや、その結末に至る空気感が実は最初から映画の底を、 見えない地下水のように流れていることに見終わってから気づく。 何故、このようなことが起こったのかを僕たちは劇場から出ても 延々と考えさせられることになる。 また、ディテールの積み重ねが、重みを増すのだということを改めて感じる。 例えば、オーストリア紙幣を破って水洗トイレで流すシーンが延々と繰り返される。 その前に、銀行で全財産を降ろすシーンがあって、 そのシーンを想起させ、リンクさせる。 これは、僕にとって忘れられないシーンになった。 ![]() #
by haruharuyama
| 2006-05-30 00:24
| 映画
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