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「検察係」(30分)2002年、「あなたはそこにいる」(13分)2004年 「マイ・プレイス」(29分)2004年、「逃亡の街」(18分)2006年。 ポーランドにウッチ大学というのがあって そこで映画製作を教えているらしい。 伝統的にポーランドは映画制作に強く、 それはこういった国の教育機関があるからだろうと思う。 米国では逆に公共機関ではなく、それを私立大学の映画学科や カレッジ、アートスクールなどが補っている。 ようやく日本でも東京芸術大学を初めとして 映画の公共的な教育環境が整備されつつある。 そこから優れた才能が排出されるのはいったいいつになってからだろう? 今年は日本とポーランドの国交回復50周年である。 アンジェイ・ワイダ監督の「地下水道」の公開からも 丁度50年目ということである。 これを記念して、フィルムセンターで上映会が行われた。 たまたまの空き時間に駆けつける。 六割くらいの入り。新作短編として4本が上映された。 全て35ミリのフィルム上映である。 大学の卒業制作なのかも知れないが きちんと35ミリで撮影されていることに国立映画学校の志を感じる。 ここ数年の作品を見たのだがどれも独特の暗いトーンで ブルーが印象に残る画作りというのが第一印象だった。 これがポーランドのいやウッチ大学のトーンなのかと思う。 館内が暗いのでまるで夕闇の中で身を潜めながら ものごとの成り行きを見守っている感覚に襲われる。 暗いのでそのまま睡魔に襲われ気を失う。 その連続であった。 最後の「逃亡の街」はフーリガンの話なのだが、 このフィルムは、独特な粒子感とハイキーなトーンをキープしつつ 緊張感溢れる造りになっていたように思うが、 睡魔が勝っていただけにこころもとないです。 #
by haruharuyama
| 2007-09-24 09:10
| 映画
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日本舞踊の公演である。初めての体験。 紋三郎派藤間流 創流五十周年記念と題して行われた。 もともと、紋三郎派は「大橋屋」という江戸前の屋号を持っていた。 五代目紋三郎(先代)が四代目、尾上紋三郎の後を継ぐときに、 彼は歌舞伎役者の道を選ばず振付師の道を選んだそうである。 決められている運命とは少し違う道を選択して それをやり続けるというのも一つの生き方だろう。 その生き方は生半可では続けられないだろうなあと思う。 現在の紋三郎は六代目である。 紋三郎の妹に、藤間紋鶴という美人がいる。 たまたま彼女の夫にあたる方が僕の知り合いであった。 そのSさんと紋鶴さんと食事を、たまたまする機会があり、 今回の舞台を見に行かせてもらえることになった。 国立劇場を1日借りて、11時~19時までの長丁場。 午後の遅めから国立劇場に足を運ぶ。 何と、お土産つきである。 銀座「大増」のお弁当と花園万頭の「濡れ甘納豆」を手土産に頂く。 11時~見続けていればさすがにおなかが空くだろう。 昔の歌舞伎公演は、朝から日没まで延々と行われていたということを思い出す。 観劇はハレの日の行事であるということを再認識。 演目が次々と行われる。「鷺娘」「外記猿」「禿」(かむろ) 「秋の色種」「藤娘」ときて紋三郎の「福の神」、 紋鶴の「白藤」、そして紋三郎と紋鶴の「将門」と続いた。 歌舞伎の振付師だけあって舞台は、歌舞伎と何ら変わらない。 黒子が居て、小道具を持ってきたり、もって行ったりする。 邦楽が心地よい。耳と身体に響いてくる。 生の邦楽はこんなにも気もちいいのかと思う。 歌舞伎でも邦楽がやられるが、 台詞や演技が中心なので音楽自体が脇になるのだが、 日本舞踊は台詞がないので 長唄の朗々とした響きと三味線や鼓などが妙に心地よいのである。 踊りに関しては初めての体験だったので勝手なことは言えないが、 あるカタチを作って決めていくというような踊りとでもいったらいいのだろうか? しかし、歌舞伎の振付師とはいったいどのように 歌舞伎公演にかかわっていくのだろう? 最後に演じられた「将門」は何と台詞があった。 へえええ?と驚く、とともにこれは歌舞伎か日本舞踊か? 境目があるのかないのか、何がなんだかわからなくなる。 がまの被り物が出てくるのが気に入った。造形が面白い。 「白藤」だけ演奏がテープ録音されたものだった。 何か意味があるのだろうが、 折角、楽士の方々がいたのに残念だった。 #
by haruharuyama
| 2007-09-23 07:29
| 舞台
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11月10日(金)~池袋シネマロサにてレイトショーが行われるらしい。 77分の短い映画。 監督は「パビリオン山椒魚」の富永昌敬監督。 原作は、安彦麻里絵の漫画。 監督のことも原作の漫画のことも知らない。 試写会の招待状を頂いたので見に行った。 こういった偶然の出会いから何か発見があるかもしれない。 しかし、その試みはたいていの場合うまくいかない。 キャノンのXL-H1という小型の業務用カメラで撮影されている。 大きなスクリーンで見ると、多少甘い印象があるが、 その甘さを味だと思えばここまでいけるのかと逆に思う。 オンナノコの肌などが妙になまめかしいのは効果的か? 29歳の二人のオンナノコのストーリー。 一人は出版社で働くキャリアウーマン。 そして一人は、その出版社を辞め、 バツイチの夫との間に娘(3歳)がいる専業主婦。 この二人が、取材で再開することによって 関係が微妙に変化していく。 専業主婦の不満、キャリアウーマンの不満。 それらを解消するために、彼女たちの役割が交換されたような状態になる。 しかし、どのような状態になっても 娘は現実としてそこに存在する。 娘は4歳の誕生日を迎え、小さな事件が起きる。 そのことをきっかけにオトナノオンナノコである 二人は現実に向き合うことになる。 オンナノコの二人、エリカと桃生亜希子が魅力的に描かれる。 その二人をめぐる男たちとして、水橋研二、斉藤陽一郎が脇を固める。 水橋研二は声がいい。 先日見たアニメ「秒速5センチメートル」(新海誠監督)での センチメンタルな声は印象的。 この映画でも、何故か耳に残る。 #
by haruharuyama
| 2007-09-22 08:07
| 映画
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光文社「青空のルーレット」辻内智貴著が原作。監督は西谷真一。 社団法人 東京ガラス外装クリーニング協会というところが 協力をしている。そう、その協力からもわかるように、 これはビルのガラス清掃を舞台にした映画である。 ガラス清掃をしながら、それぞれの若者たちが、 いやおじさんまでもが自分の夢を追いかけている。 小説家を目指すおじさん。音楽で身を立てたい若者。 漫画家を目指している若者などなど。 その皆がガラス清掃で稼ぎながら夢を実現化させていくという ストーリーが主軸にあり、ここに女性がからむ横軸が織り込まれてくる。 塩谷瞬の相手役として、貫地谷しほりが(かんじやしほり)と読む。 彼女は、聾唖者。 初めて塩谷の音楽演奏を見て、何がなんだかわからないまま感動し涙を流す。 そして、別のガラス清掃員 中村一馬との関係として中島知子(オセロ)がクラブホステス役としてからむ。 一番共感したのは、40代でガラス清掃をしながら小説家を目指す 、嶋尾康史とその妻の鈴木砂羽。 男がキチンと生きていくためにはどのようにすればいいのか、 仲間や同僚の助けがどれくらい大切なものなのかということを 教条的すぎるきらいがあるかもしれないが、教えてくれる。 嶋尾が嗚咽するシーンがココロを動かす。 脚本は丑尾健太郎。 台詞が硬くて、説明的であり説教臭くもある。 何故、もっとこの言葉を企画段階で或いは現場で詰められなかったのか? そこのところが残念である。 地味なテーマを何とかうまく処理し、一級の人間ドラマにすることも出来ただけに、 そこのところが心残りではあるが、 是非、嶋尾康史の嗚咽のシーンを見に行って欲しい。 塩谷瞬と貫地谷しほりは魅力的だった。 しかし、この二人の関係には結局、言及されないまま映画は唐突に終わる。 もう少し整理をしつつ、組み立てていくことが出来れば良かったのに。 #
by haruharuyama
| 2007-09-21 08:48
| 映画
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Experimental BodyシリーズVol.Ⅴ。 このシリーズは室伏鴻が2003年から続けている試みだそうである。 若手のダンサーたちと共演を続けているらしい。 新しく出来たRED THEATREでの公演。 ここの劇場は、きれいなんだが、 座席の前後の幅が狭く、 荷物を置いて座ると誰も通れないというような状況になる。 何故こんなに狭くしたのだろうか? ま、その分少しでも舞台を近くに見ることは出来る。 祝日の午後4時からの公演。 休日の赤坂は人通りがほとんどない。 時々、エスニックレストラン関係の 従業員みたいな人が通り過ぎていく。 ほとんどの店はシャッターが閉まっており、閑散としている。 車さへ通らない。 ホテルの地下にあるここの劇場にだけ人が集まってくる。 この辺りの街の造りはヨーロッパの地方都市を思い出させる というのは言いすぎだろうか? 黒田育世が、きれいにお化粧をして フェミニンなワンピースを着ている。 無垢な童女にも、清純な少女にも見える。 彼女はハイハイをしながら椅子の方に向かっていく。 そこに室伏鴻がスーツ姿で登場し、黒田育世にからんでいく。 室伏の踊りを見るのは今回初めて。 静の強さをもったダンサーであると 新聞の紹介欄に書いてあった。 まさしく、言葉どおり、研ぎ澄まされた身体からは 一ミリの余分もない筋肉が姿を現し、 静止しながら筋肉を使っている感覚がダイレクトに伝わってくる。 狭い劇場ならではである。 人間がある瞬間で静止しているときに これだけ多くのエネルギーの放出があるのだということを 肌で感じる瞬間が何度もあった。 黒田育世もいつもの、激しい痛いほどのダンス以外に、 静かな動きのダンスを見せてくれた。 へええ、黒田育世のこのような動きは珍しいなあと思った。 そして、やはり黒田育世は、 これでもかというほどの激しいダンスを踊る人なんだなあと改めて思った。 室伏が何場目かで、レコードプレーヤーを回し出す。 マイクがレコードプレーヤーのところに置かれてあり、 プレーヤーのスピーカー口に向けて突っ込まれている。 音楽が大音量で流れ出し、二人が踊り出す。 黒田育世はいつもの激しいダンスである。 首を縦に横に振りながら回転したり足を挙げたり。 同時に室伏も大胆なダンスを踊り始める。 室伏がタメをつけながら回転するのだが、 それがなんだか格好いいのである。 スーツのすそが翻り、裸足の足がすくっと爪先立ちになり、 おもむろに回転を始める。 このシーンはいまだに目に焼きついて離れない。 このダンスシーンから舞台の空気は明らかに変貌していった。 客席もしかり。 この後のシーンで静的なダンスが行われていても 観客たちは固唾を飲んで見守るというような状態に 変化していったのではないだろうか? その理由はなんだかわからないのだが、 そのような空気が舞台を、劇場を、支配するようになったのは確か。 同じようなシーンが繰り返され、少しずつ違っていく。 そしてラストの清純なシーンに。 白いフェミニンなワンピースに身を包んだ黒田育世は、 同じく白いスーツに身を包んだ室伏のもとにやってくる。 二人は手と手をとり、まるで年齢の違う 新郎と新婦のように寄り添って歩いていく。 50代の新郎と20代の新婦。 そこには性の感覚のない静かな世界が 拡がっているように見えてくるのであった。 #
by haruharuyama
| 2007-09-20 07:51
| 舞台
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